2016年11月25日 (金)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その3、キリスト教解禁と山伏修験道弾圧の相関考

 知られていないが、明治政府は山伏修験道を徹底的に弾圧している。なぜここまで叩いたのか、その理由、事情を考察せねばならないのではないのか。政治運動で事足り派には理解不能であろうが、精神界の抗争も実は立派な政治運動である。と云うか、最も根源的な政治運動と云うべきかも知れない。これも、れんだいこ史観の一つである。と云う観点から、明治政府の山伏修験道弾圧事情を解析しておく。

 山伏修験道弾圧事情に、明治新政府に忍び寄った国際ユダ邪の陰を見て取ることができる。この頃既に然り、その後はなおのこと、日本政治が国際ユダ邪に操られている線が窺われる。巧妙に隠されているが、それは彼らの統治手法としてのスティルス(stealth)術によるものである。明治維新政府が目指した中央集権的国家、その日本型統治形態としての天皇制祭政一致国家化は実は近代化でもなんでもなく、日本の歴史的伝統的政体を国際ユダ邪式植民地化に都合の良い政体に変質せしめたものだったのではないのか。これに合わせて形成された近代天皇制国家神道も然りで、表見は幕末の国学や尊王思想の流れで生み出されたもののように見えるが、その実は国際ユダ邪の好む政策物でしかなく、国学や尊王思想の流れを逆手取りして生み出した狡知術によるものではないのか。

 山伏修験道排撃はこの流れから発生しているのではなかろうか。山伏修験道は日本独特の神道と仏教の混淆宗教であり、これが在家的であるが故に下々一般大衆にまで奥深く食い込んで日本精神を形成させていることからして、これの手強さを認識し、これを排撃せずんば国際ユダ邪式植民地化が首尾よく進展しないことを思想的に熟知しての山伏修験道排撃ではなかったか。してみれば、国際ユダ邪の正面の思想政策が近代天皇制国家神道の創出であり、裏のそれが山伏修験道排撃であったと、こう構図すべきではなかろうか。近代天皇制国家神道と山伏修験道排撃とはかように裏合わせの関係になっているのではなかろうか。

 これを確認するのに、1868(慶応4)年3月の太政官布告(通称「神仏分離令」、「神仏判然令」)。1870(明治3)年1月、詔書「大教宣布」。この頃、仏教施設の破壊運動、即ち廃仏毀釈運動が全国的に組織されている。廃仏毀釈による主な廃寺は、平等寺(大神神社別当寺)、大御輪寺(大神神社神宮寺)、内山永久寺(石上神宮別当寺)、白雲寺(京都愛宕神社神宮寺)、中禅寺(筑波山神社関連寺院)、福昌寺 (鹿児島市) (薩摩藩島津氏の菩提寺)等々。

 廃仏毀釈により破却された神塔は、與杼(よど)神社宝塔、上野東照宮本地塔、秋葉権現多宝塔、久能山東照宮五重塔、紀州東照宮三重塔、北野天満宮多宝塔、石清水八幡宮大塔、鶴岡八幡宮大塔、江島三重塔、諏訪大社五重塔(上社)、三重塔(下社)、吉備津神社三重塔、日御碕神社三重塔、多宝塔、足助八幡宮多宝塔、石清尾八幡宮多宝塔、金比羅大権現多宝塔、室明神社多宝塔、天野神社多宝塔、平野熊野神社多宝塔等々。歴史的名声のあるパワースポットが集中的に狙われていることが分かる。

 1872(明治5)年1月、梓、巫女、市子、憑き、祈祷、狐下げ等の所業禁止。同年2月、太政官布達第58号「神官給禄定額ヲ定ム」で官社以下の神官の給録を制定する。これらは修験道狩りの前座となる。9.15日、太政官布達第273号で「山伏の道、修験道は今後いっさい廃止する」修験道廃止令が発布された。これにより、本山派修験、羽黒修験は天台宗に、当山派修験は真言宗に所属するものとされた。「修験道廃止令」以降、公には山伏は存在しなくなり、真言宗、天台宗のいずれかに属するか、神官となるか、帰農するしかなくなった。

 さらに追い打ちをかけるように明治政府は、山伏の収入源であった行為を禁止する命令を相次いで出している。これにより、修験道は一宗としての活動が禁止された。明治政府は、このように山伏修験道を弾圧した。これにより凡そ17万人とも18万人とも云われる山伏たちは帰俗を促され、あるいは天台、真言の僧侶、神職に転ずることを余儀なくされた。修験道につき、より詳しくは「別章【<A href="http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/nihonshindoco/yamabushisyugendoco/yamabushisyugendoco.htm" target="_top"><B>山伏修験道考</B></A>】」で確認する。

 他方でこの年、プロテスタント史上、最初の受洗者12名が洗礼を受けている。翌1973(明治6)年、「切支丹邪宗門禁制高札」が撤去され、横浜公会を母体とした「日本基督公会」が発足している。これより日本キリスト教の公式合法布教が始まっている。

 思えば、大政奉還後に成立した明治新政府による「国粋主義による神道擁護&仏教排撃」なる通説は虚説であり、真の狙いは山伏修験道をターゲットにして引き起こされた騒動だった感がある。それは、戦国期に侵入したキリスト教イエズス会の宣教師バテレン活動によるキリシタン大名を唆(そそのか)しての神社、寺院の焼き討ち史と重なっている。戦国期の神社、寺院の焼き討ちが明治初期にも起り、これが「廃仏毀釈運動」の正体であったと解するべきではなかろうか。なぜなら、幕末の国学や尊王思想の線から仮に近代天皇制国家神道が生まれたとした場合に、神仏分離令までは出しても、寺院や仏像等の破壊焼却までは起り得ないからである。「廃仏毀釈運動」はそれとは別の奥の院指令と窺うべきではなかろうか。なぜなら、本来の日本神道は、自然現象を敬い、その摂理から学ぶ八百万の神を見出す多神教であり、神仏共生で一向に構わない共存性を特質とするからである。排他的暴力は、それをやらせた司令塔が別に居たと考えるべきではなかろうか。

 近代天皇制国家神道は、現天皇を現人神として崇拝し、天皇による祭/政/軍を一体化した国家体制を精神的に鼓吹したが、その理論構図が奇しくも国家による一神教化となっている。こういう一神教化は八百万の神々の共存共生を前提としている日本神道、日本精神と合致していない。近代中央集権国家も近代天皇制国家神道も外来物でしかない。正しくは、国際ユダ邪好み中央集権国家、国際ユダ邪好みの近代天皇制国家神道と見なすべきだろう。

 こう捉えないような学問や政論ばかりが流され、わざわさにスコラ的に難渋にされ、その一知半解をそのままに受け入れ御用聞きする者をして人材登用される道筋が拵えられている。そうであるが故に、それによって出てくるのはいつも決まって「粗脳故のお粗末権力者」ばかりである。この「粗脳故のお粗末権力者」は偶然に生み出されているのではなく、敢えて言えばこういう仕掛けにより養殖増産されているのではなかろうか。

 日本の社会は、上に立つ者をして、そういう「粗脳故のお粗末権力者」を据えながら、下々が何とかやりくりして来た歴史である。三百年に一回ほど、「有能故の善政権力者」が登場する。この異能鬼才者の登場があるからこそ今日の日本にまで辿り着いている訳であるが、こたびの日本列島原発屋敷化、その生体実験国家化は、永久に「有能故の善政権力者」の登場を塞ぐことになるかもしれない。それ故に、今なら辛うじて間に合うかもしれない期待で、脱原発派にしてゼツなる「有能故の善政権力者」を請う訳である。

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2016年11月17日 (木)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その2、日本のお参り好きは誇るべきこと

 ところで、日本にはこういう参り場所の密度が世界一高い、つまり神社寺院数が世界一多いのではないかと思われる。他でかくも多い国があれば自ずと知れるであろうが、私が知らないということは、他にはないからだと思われる。しかも、明治維新政府の宗教政策でかなり権力的乱暴に整理され廃社廃寺されてなおそうなのである。これを確認するのに、キリスト教の解禁との絡みで捉えればなお能く見えてくる。即ち、キリスト教については禁教から開教に展開していく。これに反して、国内の神道、仏教、幕末創始宗教に対しては統制色を強めている。1871(明治4)年の全国神社の5段階格付けによる整理統合、1906(明治39)年の内務省神社局による「神社合祀令」により、神社数は19万社から12万社に激減、7万社が取り壊されている。その昔は村ごと町ごとに複数の神社があって、その土地土地を守護していたのであろうが、原則一村一町一社に向けて淘汰整理されていったようである。

 それがどうしたという者も居るだろうが、れんだいこは、これほど神社寺院が多いことは日本の誉れ、誇りであると思っている。日本神道の産土(うぶすな)信仰のお陰だと思っている。諸外国にもあるにはあるだろう。キリスト教は教会、ユダヤ教はシナゴーグ、イスラム教はモスク、中国の儒教では廟と云う、そういうものが無数にあるだろう。それは、人と云うものは、こういう参り場所を持たずには生きられない脳構造していると云うことではなかろうかと解している。その数に於いて秀でて日本に多いということは、それだけ精神文明が発達しているということではあるまいかと思っている。

 その昔、日本にキリスト教と云う名のユダ邪教式キリスト教が伝播してきたことがある。時は、日本史上の戦国時代であるが、戦国大名は、新しい神観もさることながら、鉄砲と火薬を求めて争って帰依した。ところが、一定の信徒を形成したキリスト教がやったことは、日本在来の神社仏閣の破壊であった。これが我が国におけるいわゆる淫祠邪教(いんしじゃきょう)、野蛮宗教視の始まりである。この時、彼らは、本籍ユダ邪教を丸出しにして、選民主義の教えに則り邪教撃つべしとして焼き討ちし始めた。日本在来の神社寺院は堪え、相手が何者かを見定めた後、排撃して行った。

 これは理の当然であろう。なぜなら、日本の宗教の作法は共存共生型であるからである。日蓮式の唯我独尊程度ならまだしも許容できようが、自派のみ正しく敵対党派は全て殲滅すると云う思想とは共に天を戴くことができなかった。そういう思想的な根本的対立事情もあって、その後鎖国へと導かれることになった。これにより世界史の潮流から遅れることにもなったが、日本が独立自存し得た功績も多かろう。

 世界史を見よ。近代に入って、世界は、西欧列強の植民地支配の波に襲われた。まずアフリカが侵略され、インド、東南アジア全域が支配下に組み込まれた。その波が北米、南米に及び、オーストラリア諸島にまで及んだ。この間並行的に極東アジアが狙われ、清国、台湾、沖縄、朝鮮が籠絡された。そして最後が日本になる。この時点で地球上に残っていた独立王国はハワイと日本のみであった。そのハワイがやられ、最後が日本となった。ハワイ王のカラカウア王が秘密裏に日本に助けを求めてきた時、その秘密外交は国際ユダ邪に筒抜けにされていた。既に日本政府はその程度に籠絡されていた訳である。哀れなのはハワイ王でその後、薬物中毒にされ廃人にされた。これが世界の近現代史の流れである。

 それはともかく、日本は直接植民地にされることなく何とか持ちこたえた。これは何故にそうなのか。れんだいこは、武力の強さによって自衛できたのではないと思っている。日本が営々と歴史的に積み上げ継承してきた日本的思想、宗教の秀逸さによってではなかろうかと思っている。ならば、日本的思想、宗教とはどういうものか。それが面白い。何と、日本的思想、宗教には文字化された教本、例えば聖書(バイブル)のようなものがない。あるのは祝詞、他には所作、作法、様式があるばかりで、日本人個々が悟り体得する式のものとなっている。これが逆に凄いと云うことになる。なぜなら、姿かたちが見えないので、そういうものを壊しようがないからである。日本的思想、宗教は、文字式思弁を超えており、それ故に時空を超えて生き続ける高次なものである。常識的には逆であるが、この場合には逆も又真なりと云えるのではあるまいか。

 そういう秘密の思想的宗教的思惟もしくは感情の豊潤さこそ日本の宝であり、神社寺院がこれを護持生育せしめてきているのではあるまいか。神社寺院には、ああろしろこうしろいうものがない。されど、不文の文が生きており、参詣者を感応せしめる神聖さを保持している。且つこの神聖域は日本列島の隅々に配置されており、我々が容易に参拝できるようになっている。それは氏宮氏子の関係から始まる。個人的家族的な七五三、元服、結婚式、その他その他。共同体的な年々参り、年々祭り。この仕組みはかなり高度にして文明的なのではなかろうか。かく窺うべきではなかろうか。

 その日本的思想的宗教的思惟が21世紀を迎えて俄然注目されつつある。それは、西欧に発する産業革命以降の工業化が自然を支配する思想に導かれて地球環境を破壊してきており、遂には原子核爆発科学に行き着き、これより地球の生態系そのものを危うくすることになったからである。つまり科学の発展を御せないところまで定向進化させて混迷を深めつつある。この局面から過去を振り返ったとき、自然との共生を図りながら産業を維持して来た日本思想、日本宗教としての神道的思惟様式が見直されることになる。これを述べれば紙数を増すばかりなので控えることにするが、今後はむしろ高度に発達していると考えられる日本思想的宗教的思惟様式を主潮流とすることによって世界秩序が再編されねばならず、それによってのみ地球が救われるのではなかろうか。

 神社寺院巡りは、そういう課題をも内包しているように思われる。してみれば、神社寺院で世界平和を祈念するのは至極似合う話だと云うことになる。神社寺院巡りを軽視する風潮があるとすれば、その者たちこそ軽薄の誹(そし)りを免れまい。戦後民主主義教育はこの面で軽薄であった。神社寺院巡りを軽視する風潮を意図的故意に助長してきた。そういう意味で、戦後民主主義擁護論には片手落ちの感がある。国際ユダ邪配下のウヨどもによる日教組批判には同調しないが、このことを日教組自身が内部から理論切開し、日本古来の固有の文化伝統を正しく評価しつつ国際対応化する理論を生み出さねばならないと思う。そういう見直しの機運が起こることを願うものである。そういうことを考える次第である。

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2016年11月10日 (木)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その1、人はなぜお参りするのか

 れんだいこは、このところ忙(せわ)しく神社仏閣参りする。その意味で初詣は欠かさない。今日も、このところ三年間立て続けの奈良県桜井市の大神神社へ詣でて来た。その道中で、車を運転しながら考えた。なぜ人は神社仏閣参りするのか、その効能をどのように了解すべきなのかと。こう設問しながら運転し続けるうちに或る考案を得た。つまり、こういう理由によってではないかと。以下、それを公表して評を仰ぐことにする。

 神社仏閣参りは、ご利益(りやく)お陰(かげ)思想に基づくものである。これにつき、参らない者はともかくとして、参る者には異論はあるまい。問題は、「ご利益お陰を頂く」のはどういう理由によってか、その理論と構造を明らかにせねばならないことにある。ありていには、詣でるところの客体の神仏そのものがご利益お陰の御本尊であり、これを詣でることにより御本尊の徳のお裾分けを頂くことができると考えられているのではあるまいか。故に効能あらたかな神社仏閣を見聞しては足繁くお参りすることになる。

 しかしながら、れんだいこは違う観点を持っている。結果的にはそうは変わらないのであるが、信仰、祈念のあり方の理論と構造が違う。どこがどう違うのかと云うと、効能あらたかな神社仏閣参りするのは良いとして、ご利益お陰を受けるのは、そこに信仰祈念する主体としてのこちら側の参り方によってではなかろうかと思っている。つまり、客体の問題ではなく主体の問題ではなかろうかと考えている。あるいは客体50%、主体50%のお陰で丁度上手く釣りあっているとすべきではなかろうか。

 では、主体としての参り方とはどういうものか、何故にご利益お陰を頂けるのか。これを説き明かしておく。神社仏閣参りには「願掛け」がつきものであろう。これには誰しも異存あるまい。この「願掛け」にこそご利益お陰の秘密があると考える。というのは、人は、「願掛け」によって脳内の集中力と整理力を高める。次に、これを強く祈願することによって脳に焼きつけ「念」を生む。お百度参りはその最たるものである。そうすると、脳は、焼きつけられた映像の具現化に向けて自動作動し始める。脳生理はそういう風に仕組まれている。それは丁度、負傷によって傷ができると自然に傷口を塞ぎ始める皮膚生理と同じである。これを仮に「願掛け念力論」と命名しておく。願掛けも念力も大事とするこの理を知ることが大事である。

 この生理現象を持つのが良いのか、持たざるのが良いのか。れんだいこは、「良い願掛け」なら持つべきであると考える。「悪い願掛け」は「人を呪わば穴二つ」の教えにあるように、追って我が身にも害を及ぼすから避けるのが良い。これに対して、「良い願掛け」ならばフェアな精神による限り特段に人を傷つけず「夢が実現する」訳だから為すべきである。人の向上心とか克己心、励行力は全て「良い思いの願掛け」から始まる。この思い即ち信念は強い方が良い。よって信念を持たないなどは論外である。これは自明なことではなかろうか。これが、「お参りの効能の理」の真相なのではあるまいか。

 こう述べても、お参りに行かない人も居るだろう。そういう人に次のことを説いて聞かせよう。強い思い、信念、願掛けなら、特段に神社仏閣参りしなくても、どこでもできるのではなかろうかと云う問いが残る。これに対して、れんだいこは然りと答える。そう、できる。そういう意味で、縄文のはるか昔の御代より一家のうちにのんのんさま、稲荷様、こうじん様、後に仏様をしつらえて、朝夕に供え物をして拝をしてきている習慣がある訳である。これは理に適っている。墓参りもある。何気ない儀礼でしかないように思われているだろうが、実際には相当のお陰を頂いていると考える。

 ならば、格別に神社仏閣参りすることにはどういう効能の理があるのか。これを思案してみたい。答えは、物事にはおあつらえの舞台があった方がより効果が高まることを知れば良い。神社仏閣は「願掛け」の効果を増す為に、その舞台装置を専門的に考究し尽くしたプロの匠の技によって設営されている。これを利用させて貰わぬ手はなかろう。もし、この意義を否定するのなら、凡そ世の中の演出(だしもの)や照明等々の舞台効果をも否定せねばなるまい。人は、そういうものによって更に効果が高まり感応するという共振性を持つ生き物である。故に、何事にも工夫が凝らされている。これを無下に否定してはなるまい。

 ここでは神社を例に挙げるが、その舞台効果を考えて見よ。まず、前座として参道がある。次に鳥居がある。次に本参道がある。参道には小石が敷き詰められていたり、清浄に整地されているのが通例だ。その両側には木々が茂っている。杉の木の木立が並ぶ例が多い。入り口にさしかかると両側に口が開いている獅子と口が閉じている狛犬が配置されている。阿吽の呼吸の「ア」と「ン」を象っていると云われる。これをくぐって本殿に近づくと手洗い場がある。龍の口と竹の筒から浄水が流されており、ここで手を洗い口をそそぐ。そして本殿に参る。大広場があり清澄な空気が漲(みなぎ)っている。樹齢ン百年、千年の木が立っている。大きな岩石、奇石がある場合もある。本殿正面には注連縄(しめなわ)が横に張られている。賽銭箱が用意されており、任意のお供えをする。大きな鈴が中空に据えられており、綱が垂れている。これを二度三度揺すって礼拝をして柏手を打つ。ここで祈念を凝らす。

 これが終わるとおみくじ売場へ向かう。お札、その他諸々の記念品が並べられている。本もある。お気に入りのものがあれが買えば良い。次に、祈祷をお願いしたくなれば神主か巫女に頼めば良い。祈祷の席に進むと式次第がある。神主がお払いをした後、祝詞をあげる。巫女が舞う。太鼓と笛が伴奏され、巫女が鈴を鳴らす。ササキを奉納する。この厳粛なひと時が心地良い。

 こうして参拝を終える。後は自由である。本殿の奥には大抵の場合、奥つきと云われる元宮がある。これを更に登れば古代の祭祀場に辿りつく場合が多い。これを参れば、なおお陰があると思われる。元宮、更にその奥の祭祀場はとりわけて霊力の強い磁場となっている。かなりの難所を越えるのが通例で、時間の制約もありいつも詣でる訳には行かない。

 これはざっとになぞった参拝風景であるが、これら全ての仕掛けと演出には高度な知恵と謂われがある。それを知るも良し知らぬも良しであるが、一朝一夕にできたものではなく、ン千年の知恵が盛り込まれていると窺うべきであろう。こういう参り場所に参らないとすれば、その人は、参らない浅はかさを惜しむべきであろう。れんだいこは、そのように考えている。

 もう一つ参拝効能を書き加えておく。神社仏閣は空き地であればどこでも良いとして建立されている訳ではない。その土地の守り神が鎮まるところの最高適地を風水的に見定めて、そこに建立している。これにより、そこへ参拝する者は空気がおいしいとか、風が清清しく心地よいとか、静けさが心を安らげるとか、これらにより頭痛が一時的にせよ治ったとか、その他諸々の病状に改善の気配を感じて帰路につくことになる。この効能がすばらしい。こういうお陰をも貰う。これに温泉の湯治療法が連携すればなお効果的になる。理屈ではないこういう陰徳を受ける。これらが「神仏参り、信仰、祈念の効能」である。戦後民主主義はこういうことを教えなかったが、教えられなくとも年相応に至れば自ずと気づき身につけるべきである。

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2016年10月29日 (土)

れんだいこの「五箇条の御誓文」考

 れんだいこの久しぶりのブログ「土人、シナ人発言問題」の書き込み途中で気になった「五箇条の御誓文」につき言及しておく。日本国体の近現代史的霊言が「五箇条の御誓文」であり、日本人自らの手になるオリジナルアイデンティティー短文憲法として位置づけられると思う。

 ちなみに、我が史観によれば、明治憲法には国際ユダ邪の右派系の色が認められ、戦後憲法には国際ユダ邪の左派系の色が認められる。但し、戦後憲法には縄文日本的叡智も相当に含意されているので、その限りでの評価を惜しむものではない。本来、我々が依拠すべきはものは我が国固有の知性で宣言された「大払いののりと」、「聖徳太子の17条憲法」、「豊臣-徳川政権のバテレン追放令、鎖国令」、そしてこの「五箇条の御誓文」であろう。

日本史は歴史上の最重大な節目にまことに的確な歴史言葉を生み出し、これを伝えて行く知恵がある。こちらの方を習えばよほど有益で、それから次にあれ、次にそれと云うようにして行くのが望ましいのだが、実際にはこういう大事なものを学ばず、やっちもないものばかり習うので、学問すればするほど小難しく云う癖だけ覚え実際には役立たない偏屈行き止まり人間が増産されている。これが意図的故意に仕掛けられているので心せよ。こう説くのがれんだいこ史観である。さて本題に入る。

  1868(慶応4、明治元)年、3.14日、新政府は政治方針として「五箇条の御誓文」を公布した。明治天皇が、天神地祇御誓祭を催し、京都御所紫宸殿に公卿、諸侯以下百官を集め、天地の神々に誓うという形式で維新の基本方針を明らかにした。内容は次の通りである。
   

 一ッ、広く会議を興し、万機公論に決すべし 

 一ッ、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし 

 一ッ、官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、

          人心をして倦まざらしめんことを要す  

 一ッ、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし  

 一ッ、知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし

   我が国未曾有の変革を為さんとし、朕身を以って衆に先んじ、天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの趣旨に基づき協心努力せよ

 実際の朗読は三條実美が行い、神前に向かって奉読した。三条実美が御誓文を読み上げる光景を日本画家の乾南陽が描き、昭和3年に旧土佐藩主の山内家が明治神宮に奉納している。これが明治神宮外苑聖徳記念絵画館で展示されている。その内容を確認しておく。

  御誓文1「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。前段の「広く会議を興し」が議会、国会設置に繋がっていると拝察したい。後段で「万機公論に決すべし」とある。要するに正々堂々と議論せよと云うことであろう。これに照らせば、議会での「おざなりのダベリング」、「常習的強行採決」は御誓文違背の嘆かわしい事態であり空洞化であろう。

 ところで折柄のTPPを見よ。審議そのものが秘密交渉、文書は黒塗り尽くめである。おまけに交渉内容を漏洩したる者が罰せられる仕掛けになっている。果たして、このような審議、法案が認められるべきだろうか。これを牛耳るのが世界を跨ぐ国際ユダ邪である。この連中のやることはかような卑怯姑息陰謀マルチ舌の悪事ばかりである。さようなものは資格からして端から無効と宣言したい。よりによって、このTPP推進派が原発派でもある。この連中は国際ユダ邪の対日教書の政策請負に専念し、その売国見返りに己の立身出世利権を得て偉ぶる連中である。早晩歴史処罰されるべきだろう。

  御誓文2「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」。前段の「上下心を一にして」とは即ち上に立つ者も下に立つ者も公ごとに対しては相協力することを云う。この公意識の高さは世界史上珍しいほどのものであり称賛されこそすれ卑下されるものではなかろう。後段の「さかんに経綸を行うべし」の「経綸」とは「生活意欲及び経済活動」を指しており、これを活発にせよとの意味になる。言わずもがなであるが上下の経綸であって、上の者が地位と権限を利用して私腹を肥やして良いことを意味しない。

  御誓文3「官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」。これもズバリであろう。前段の意味から、「官武一途庶民に至るまで」各自が夢と志が持てる社会であることを要請している。これは、角栄政治の頃までの1970年代には確かにあった夢であり志であり社会であった。後段の「人心をして倦まざらしめん」とは政治の信問題であり、人民がうんざりするような政治を堅く戒めていると拝すべきであろう。

  御誓文4「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」。ここはやや問題のある内容である。前段の「旧来の陋習を破り」の「旧来の陋習」が何を指しているのか。後段の「天地の公道に基づくべし」も然りで、何をもって「天地の公道」としているのか定かではない。御誓文発布前の国体状況は、文明開化の名の下で国際ユダ邪狡知学が導入される折柄であった。これに転換せよとの意味に取れる。ところが、当時は仮にそう思えたにせよ、今日に於いては国際ユダ邪学のデタラメぶり、破綻が明白である。故に、御誓文4は言葉通りに「天地の公道に基づくべし」を核として拝し直しするべきであろう。

   御誓文5「知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし」。ここも少々議論を呼ぶ。前段の「知識を世界に求め」は、この文言で国際ユダ邪学に誘導しようとしている。後段の「大いに皇紀を振起すべし」は、天皇制の鼓舞である。ここでの問題は、結果的に本来の天皇制の鼓舞ではなく、国際ユダ邪が利用し易いような方向への天皇制の鼓舞となったところにある。本来の天皇制は、善政志向の、日本神道精神に導かれて言霊的祈り、念の力をも取り入れる独特の日本式国体政治手法として評価されるべきものである。戦後憲法では象徴天皇制、文化概念天皇制的に規定されたが、これは本来の天皇制に近いものである。但し、天皇の国事行為をもう少し狭めることが必要だろう。

  一言しておけば、文明開化路線に乗って導入されたマルクス主義は、日本式天皇制を西欧的な君主制と同視し、その打倒意志を強めれば強めるほど正義的革命的として来た。それは誤りと認めるべきではなかろうか。明治天皇、昭和天皇の好戦政策は、国際ユダ邪に手玉に取られて乗せられたものであって、日本天皇制史上の汚点と見なすべきで天皇制固有のものではない。かく了解すべきだろう。この謂いが不満なら検証すればよかろう。論争しても良い。

  以上、ざっと「五箇条の御誓文」を確認したが、これが、鎖国から開国への大転換を計った際に、日本国体が統治者に対し言い聞かせ約束させたものである。幕末維新時の国体頭脳は、世界史的潮流からして国際ユダ邪との接触交流が免れないことを覚悟し、日本国体に対し、これだけはどうしても守らせたいとして煮詰めた文言を創出した。それが簡にして要を得た「五箇条の御誓文」である。かく拝する必要があろう。その違背は許されないとすべきだろう。

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2016年10月23日 (日)

日本土着民考その3

 我が日本史の特性をこう了解する時、大阪府警機動隊員の「土人発言」が如何に残薄なものであるのか透けて見えてこよう。「土人発言」は、国際ユダ邪派の「先進文明国史観」に導かれるとき侮蔑的に用いられるが、日本史の特性に照らすとき、「土人」は「土着民」と言い換えられ、さらに「縄文原日本人」ともなり、その優秀さ故に真逆な光芒を放つことになる。それが証拠に、現代日本に至る言語としての日本語、統治の仕組み、文化伝統、生活様式等々は、この「縄文日本」時代に創造生成されている。大和王朝以降、今日までの日本史は、外航派と「縄文日本」派が一方で相和し協力提携、他方で反発拮抗しながら高度な文明を築いてきたところに特徴がある。このことに思いを馳せねばなるまい。

 こういう深層の真相の歴史を学ぶことが学びであり、かく学べば学ぶほど賢くなる。逆に「土人発言」に見られるような受け売りは脳死学問である。故に学べば学ぶほど脳が痴呆化する。最近はそういうインテリが多い。著作権網がこれに援交しており痴呆症肥大に一役買っている。今や日本支配体制を構成する政財官学報司警軍の八者機関の上層部はこういう連中の巣窟と化している。長年の秘密結社儀式活動の悪影響で精神と知能が破壊されている。件の機動隊員は、そういう連中によって仕掛けられている学問を鵜呑みにせず、「土人、シナ人」発言につき「侮蔑的な意味があるとは知らなかった」などと下手な言い訳せずに、早くれんだいこ史観から学びユダ邪学の汚染から脱け出してくれんことを願う。

 なお、いわゆる公人論に言及しておく。公務員は公けの為に資する義務と責任を負っているとすべきであるが、その公務員が、日本国民に対して、「土人、シナ人」呼び捨てにするのは聞き捨てならない。そうすると何か、お前は、国際ユダ邪に資する為に雇われていることを承知し、日本国民に対し「土人、シナ人」と呼び捨てにすることを当然と居直るつもりであるか。今や自衛隊と警察はそのように隊員教育し、隊員はそれを鵜呑みにしてしまっているのだろうか。東京の石原慎太郎、大阪の松井一郎ならともかくも、そこまで国際ユダ邪に丸め込まれて義理立てすることはあるまいに。

 それはともかく東京維新の石原、大阪維新の松井がこれほど国際ユダ邪盲従であることを思えば、明治維新なるものの国際ユダ邪盲従性をも吟味すべきではなかろうか。即ち、国際ユダ邪が対日政治に容喙するとき、「維新」なる用語を専らにする癖があるのではなかろうか。こういう用語が使われ始めたとき、我々は背後に国際ユダ邪の暗躍を認めるべきではなかろうか。この呪縛から抜け出す叡智を創造せねばなるまい。

 ところで、この際、沖縄戦争の際の沖縄人の自決死につき言及しておく。大東亜戦争末期の沖縄戦争の際、多くの沖縄人の自決が刻印されているが、これを上官の命令による強制死として告発する正義運動がある。仮にそうであるのなら、その上官告発、その上官をして自決命令せしめた当時の軍部の責任告発をすべきであろう。但し、それだけでは片付かない問題があるように思われる。あれは縄文魂的自決であり、飛び込みの面があったような気がしないでもない。もとより手前は生き延び部下には自決を命令した上官が居ないとは思わないので検証して行くべきだろう。但し逆の例もあるとしたい。特攻隊の自決も同様のもので縄文魂の為せる敢闘だったのではなかろうか。この辺り、歴史を複眼的総合的に解析、理解せねばならぬのではなかろうか。

 沖縄戦争を語るとき、専ら強制自決か自主自決かを論議することにのみ没頭するのは片手落ちである。本来は、沖縄戦争が如何に有能に「縄文日本」的に戦い、その結果として焼殺、焦土にされてしまったのか。この時の戦いぶりが本土決戦に向かう流れにおいて、連合国側に「ノーモアウォー」気分を醸成させた。そういう沖縄戦争の悲劇と敢闘ぶりを検証することの方が主となるべきであり、その一コマとして自決問題を語るのが筋ではなかろうか。

 戦後日本が靖国神社に参拝するのも良い。戦死者の御霊がそこに祀られている以上は参拝するのが公務であり為政者は参拝すべきと考える。但し祀られる御霊の公平性を促したい。もう一つ、国際ユダ邪の指図に従い再度戦争に向かうのは言語道断と考える。不戦の誓いとして参拝すべきと考える。なお、沖縄戦争被害者の御霊にも手を合わすべきであろう。広島、長崎の被爆者の御霊にも、全国各都市の空爆被害者の御霊にも。そういうことを要求しない戦後民主主義論のあぁ如何に残薄なことか。政府高官の靖国神社参拝の政治的利用が如何に許し難きことか。そういう井戸中歴史観から出藍し本来の歴史論を創出してみたい。

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2016年10月22日 (土)

日本土着民考その2

 先のブログまでが前半である。ここからもう一つの観点から掘り下げてみたい。近代日本史が、徳川政権残存派、天皇制国粋主義派、文明開化開国派と云う名の国際ユダ邪派の寄り合い三派連合で推移し、次第に文明開化開国派ワンサイド政権へと化して行ったにせよ、世界の諸植民地のように国際ユダ邪来襲にひとたまりもなく殲滅されなかったところに日本の偉大さがある。むしろ一時的には一度も二度も跳ね除けた歴史を持つ。世界史的に見て、今この栄誉にあるのは日本、ベトナム、キューバの例があるのみではなかろうか。大和民族のこの能力をもっと称えるべきと思う。「大和民族のこの能力」に沖縄人が関係している。このことを共に悦び重視したい。これはどういう意味だろうか。以下、これに答える。

 れんだいこ史観によると、日本の大昔は「元百余国」と云われるような日本列島津々浦々に棲み分けする部族国家だった。この部族国家が次第に束ねられ、緩やかながらも結合する部族連合国家となったのが出雲王朝御代だった。他所では神無月、出雲では神有り月となる旧暦10月、各地の部族王が出雲に集まり合議政治する慣わしを確立していた。会議後、各地の文化、技芸を披露し称えあった。今日に伝わる「お国自慢」の伝統はこの時以来のものである。時代的には起源前後、更に下って邪馬台国の紀元3世紀頃まで続いた。文明的には弥生時代であるが、後の渡来系大和王朝時代と区別する為に、この時代までを敢えて仮に「縄文日本」(又は「原日本」)と命名しておく。

 この「縄文日本」時代、いわゆるアイヌ人が羽振りを効かせていた。このアイヌ人が知る人ぞ知る日本式美男美女の系統である。記紀に登場する三輪の長脛(すね)族はその代表で、名の通り脛の長い美丈夫の王家族だったように思われる。ちなみに、アイヌ人と琉球人のルーツが同じもしくは近いことがDNA解析で判明している。人だけでなく犬もそうとのことである。日本列島には、このアイヌ人のほかにも様々の人種が生息していたと思われ、これらを合わせて縄文人と云う。

 「縄文日本」の人たちの特徴は割合と混血を好むところにあったように思われる。その様は「より選れた遺伝子」を求めての交合であり、それが王族間の場合には同時に部族同盟を意味していたように思われる。以降、この混血を通して原日本人が生成されて行くことになる。この頃の「縄文日本」の版図を現在の日本地図に当て嵌めれば、北は北海道から南は沖縄まで、即ち今日の日本の如くの範囲で「縄文日本文明」を創造し共生的に満喫していたように推定できる。

 邪馬台国時代の紀元3世紀頃、外来外航族が渡来し、王権の簒奪を図った為、内乱状態に陥った。結果的に「縄文日本」が滅ぼされ、大和王朝に向かうのがその後の日本史である。記紀の記す出雲の国譲り譚、魏志倭人伝の記す邪馬台国滅亡譚はこの辺りの消息を語っていると思料したい。

 こうして大和王朝になる。この時よりの日本を、それまでの「縄文日本」と識別する為に「弥生日本」(「新日本」)と命名できようが、「縄文日本」の時代が既に弥生時代なので、「縄文日本」の呼称はあり得ても、「弥生日本」と云う表現は適切を欠くように思われるので使用しない。「新日本」も同様に後世は常に「新日本」になるので使いづらい。よって、これよりは初期大和王朝御代、奈良朝御代、平安朝御代云々で良いと思う。

 問題は、この「大和王朝」の呼称の不思議性である。何故に漢字で「大和」と書くのか。何故にこれを「ヤマト」と訓読みするのか。この問題に対する正面からの然るべき考察を知らない。これに、れんだいこが挑む。れんだいこ史観によれば、「大和」は正に的確に付与された当て字訳と読む。即ち、出雲王朝を国譲りさせ、邪馬台国を滅亡させる渦中は、記紀神話に記されている如くの苦心惨憺たる茨の道の建国となった。それまでの為政者であった出雲王朝派、邪馬台国派の能力が高く、その権威が強靭で、抵抗が止まなかった。両者疲弊の色が濃くなり妥協するしかなくなった。双方徹底抗戦派はあったものの、それぞれの主流派が最終的に大同団結和睦の道を択び新王朝を創出した。この過程を総括して最も的確であろう言葉として「大和」を案出し、新王朝名に充てたのではなかろうか。

 それだけではない。「大和」の読みは、漢音であろうが訓読みであろうが「ヤマト」とは読めない。それを「ヤマト」と訓読みすることを諒とした。これにも叡智が働いている。即ち、大同団結和睦の時の約定で、新王朝が前政権の邪馬台国の国名を継承し、漢字で「大和」と書いて「ヤマト」と読むことを諒とした。即ち、新政権は、前任統治者の国名を排除して新しい国名を案出して新国家声明するのが世界史的通例のところ、前任統治者の国名を継承し、そのことで政権の連綿性、正統性を付与する道を選択した。

 それは、前任国家の出雲王朝、続く邪馬台国の治世能力、文化伝統能力が高かった為と考えられる。国名としての「大和」、その読みとしての「ヤマト」にはこういう裏歴史事情がある。天照大御神の継承も同様と思われる。天照大御神は外来外航族の祖神ではなく元々「縄文日本」の祖神にして最高神であり、国名同様に権威を継承し利用したものと思われる。

 これらの一部始終が「大払い祝詞」(おおはらいのりと)に詠われており代々受け継がれて今日に至っている。これこそが日本国体憲法である。続く憲法が明治維新の際に発布された「五箇条のご誓文」である。「大払いの祝詞」、「五箇条のご誓文」軽視すべからずの理の所以がここにあり、日本国憲法論を論議する際には必須のもの足りえている。これに照らして見れば、近時の憲法改正論の中身が何と空疎なことか。

 別章【大祓いのりと考】</FONT></B></FONT><BR>
       (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/nihonshindoco/noritoco/noritoco.htm)<BR><BR>
 もとへ。大和王朝建国時に日本史の特異性、不思議がある。要するに、外来外航種族が「縄文日本」征服の為に来襲したものの、ワンサイド支配にはならず、旧王朝との大同団結和睦によって辛うじて王権を簒奪することができたと云う珍事が記録されている。和睦であるから当然、旧王朝派の取り込みが特徴となる。これにより旧王朝御代の言語、政治宗教としての神道、礼儀作法、生活習慣、風俗等々がそのまま横滑りで受容されることになった。これが皇統譜の連綿性に関わっており、前王朝と新王朝が継続した道を遺したと云う意味で、これに従う限り万世一系は真実と云うことになる。とはいえ、新王朝は、以降、外来派と旧王朝派の協調と確執を繰り返しながら悲喜劇の歴史を綿々とさせて行くことになる。この辺りは記紀その他史書の記す通りのところである。

 件(くだん)の機動隊員は、日本史のこの香気を嗅いで匂うべきである。どうせ上官からご都合主義的なアンチョコ歴史を教えられ、その気にさせられているだけのことだろうから、今からでも遅くない本当の日本史を学び直せ。どこでどう学べばよいのか分からないだろうから言っておくが、れんだいこサイトを何から何まで丹念に読めば良いオホンエヘン。ここまでをその2とする。

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2016年10月21日 (金)

日本土着民考

 2016.10.18日午前9時30分頃、沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設工事が進むN1表ゲート前で、これに抗議する市民が対峙し、大阪府警から派遣された20代の男性機動隊員が、この反対運動に参加していた芥川賞作家の目取真俊氏に対して、フェンス越しにかなり強いヤクザ口調で、「触るな、くそ。触るな、こら。どこつかんどんじゃ、ぼけ。黙れ、土人(どじん)」と発言。別の機動隊員が「黙れ、シナ人」と発言。これが、「機動隊員による沖縄人に対してのヘイト用語発言事件」になり詮議されている。

 10.19日、沖縄県の翁長知事が、県庁で「言語道断で到底許されない」と強く非難した。安倍政権の菅官房長官も同日の記者会見で、「警察官が不適切な発言を行ったことは大変残念だ」と語った。10.20日、警察庁の坂口正芳長官は定例の記者会見で「機動隊員の発言は不適切で、極めて遺憾だ」、「今後このような事案の絶無を期すとともに、適切な警備を行うよう指導を徹底していきたい」と語った。

 ところが、機動隊員派遣お膝元の松井大阪府知事が、10.19日、自身のツイッターで、「ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と労いコメントし、翌日のぶら下がり会見でも「相手もむちゃくちゃ言っている。売り言葉に買い言葉。鬼畜生のように隊員個人を叩くのはどうか」と述べ、改めて隊員を擁護した。翁長知事が大阪府知事のコメントに激怒!、「沖縄県民への配慮が足りないのではないのか」と強く批判して物議を呼ぶオマケまでついた。

 以下、この「土人発言」に対して、れんだいこ式に解析評論しておく。案外と重要な問題が宿されていると窺うからである。この「土人」表現が、極めて癖のある且つ歴史性のある且つ国際ユダ邪問題に密接不可分なものであると思うからである。表現の自由を極力広く取って構えようとするれんだいこは、本件を、ヘイト用語使用による非難ではなく、原理的に粉砕してみたいと思う。御意の士が現れんことを願う。件の機動隊員の目に触れんことを願う。

 一般に、「土人」という言葉は、「未開原住民」的ニュアンスで蔑視的に使われている。典型的な例はアメリカンインディアンであろう。戦後日本生まれの子供は、私がその一人であるが、嫌と云うほど西部劇を見せられ、抵抗するインディアン撃退劇を正義の出来事の如くに脳裏に焼きつけられた。この時、無意識下で洗脳、即ち「先進国の白人が原住民を退治し馴致することは正義であるとする」史観を流し込まれたように思う。これによって正視し得ていたのではなかろうか。これを仮に「先進文明国史観」と命名する。

 この史観によって、紀元16世紀頃より世界植民地分割征服戦争が始まった。この戦争を背後で主導していたのが国際ユダ邪と仮命名されているところのユダ邪系国際金融資本、及びこれに合体するところのネオシオニズム系ユダ邪教、そのタルムード教、ユダ邪教に馴致されたところのキリスト教等々の勢力だった。これが近代世界史の流れである。

 この波は日本にも及んでいた。早くは日本史上で戦国時代と云われる16世紀に関わっている。ユダ邪教に馴致されたところのキリスト教のイエズス会系宣教師がトップバッターとして鹿児島に上陸し、手に聖書、口で反逆、背に鉄砲、軍艦を従えて来襲してきた。歴史教科書はこう記さないが、元帝国のそれがハード、イエズス会のそれがソフトと云う違いはあるが共に「来襲」とみなすべきだろう。

 歴史的には、この時の日本政治の政権を担った織田、豊臣、徳川の三家の舵取りが極めて有能で、外交的にも軍事的にも日本侵略を許さず撃退することに成功し鎖国へと結実した。鎖国後、国際ユダ邪に対する警戒心を緩めることになったが、致し方なかった面もあろう。歴史教科書はこう見立てないが、それは現行の歴史教科書が国際ユダ邪ナイズされているからである。

 日本史上、次の来襲が江戸時代幕末の黒船来航である。この時、天下が激論し、尊皇攘夷か国際ユダ邪受容かを廻って激論した。結果的に、織田、豊臣、徳川の三家政治のようには撃退できず、幕末維新から明治維新へと流れ込んで行った。但し、この明治維新は、徳川政権残存派、天皇制国粋主義派、文明開化開国派と云う名の国際ユダ邪派の寄り合い三派連合で推移して行くことになった。この三派連合が次第に溶解し、国際ユダ邪派のワンサイド政権へと化していくのがその後の日本史である。この流れが時に揺り戻しはあるものの2016年の今日まで続いている。かく日本史の流れを確認しておきたい。

 さて、件の土人発言であるが、例の機動隊員が、沖縄人に対し、「この土人めが」と発言した時の真意を問題としたい。彼の土人発言は、上記分析に照らせば、余りにも文明開化開国派が盲従する国際ユダ邪派の「先進文明国史観」をそのまま受容し過ぎていないだろうか。国際ユダ邪派にとっては、国際ユダ邪派以外の世界の諸民族は牛馬犬猫の類のゴイムなる存在であり、煮て食われようが焼いて食われようが、その者たちをそのように扱うのが神から選民された国際ユダ邪派の義務であり権利であるとする。この目線上に土人が居り、殺戮しようが陵辱しようが馴致しようが我々の自由と云うまことに得手勝手好都合な論理構造式を引き下げている。

 れんだいこ史観は、国際ユダ邪派に殲滅され、あるいは馴致された原住民、即ち土人が未開野蛮であったと判定しない。今日の如くの核兵器、原発、その他化学生成物による地球汚染の時代にあっては、概ね自然と共生しつつ原始的に生活していた生態の方が寧ろ本質的に賢かったのではなかろうかとさえ思えてくる。衣食住が自然素材で自然と共生してきた彼らの文明の方が高等だった気がしないでもない。国際ユダ邪派の狡知は、いわゆる「賢こバカ」ではないかと思えてくる。

 こう考える私からすれば、例の機動隊員の「土人発言」が「先進文明国史観」に毒づけられた卑しい史観に基づいての暴言であるのは自明である。国際ユダ邪の目から見れば彼もまた土人の側であるのに、いずれブーメラン的に我が身に突き刺さってくるのに土人批判に興じて悦に入っている。お粗末と云うか思想愚人である。ここまでをその1とする。本稿はここまでとしたい。

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2016年7月25日 (月)

NHK「ロッキード事件40年目の真実」特集番組のお粗末考

 2016.7.23-24日、NHKスペシャル「未解決事件シリーズ」の一つとして戦後最大の疑獄事件と云われるロッキード事件が取り上げられた。このことはゼツ良い。「ロッキード事件-40年目の真実」と題して二夜連続の三部作で放映された。このこともゼツ良い。問題は中身である。私は大いに注目し固唾を呑んで見守った。しかしながら結論から言うと、「全くの駄作」でしかなかった。その「これが40年目に判明した真実だ」の観点はむしろ反動的なものだった。そのことに対する怒りを熱の冷めぬうちに記しておく。

 「ロッキード事件-40年目の真実」とあるからには、これまでの「敵役角栄論」報道を自己批判し、「見直し角栄論」への転換があるものと思った。ところが実際には、「角栄の5億円授受」を肯定し、実はそれは民間航空機購入賄賂ではなく軍用機購入働きかけの賄賂だったと書き換えているに過ぎない。こんな推理に導く為の「40年目の真実」に付き合いさせられるとは情けないこと限りない。俗に噴飯ものと云う。

 こうなると、「50年目の真実」に期待するしかない。実は、角栄の5億円授受は冤罪で、角栄自身が徹底抗戦したのは当然だった。真実は児玉-中曽根派の犯罪であり、それを日米合作で角栄犯罪に仕立て上げて行ったのが日本版ロッキード事件の特殊性である。これぐらいのことは云って貰わんと私の怒りが収まらない。

 とはいえ、功績がない訳ではない。一つは、第一部で、角栄贈収賄5億円よりも金額が4倍多い児玉関連21億円の行方の未解明問題につき、相当程度に詳しく検証していたことである。「結局は未解明に終り今日に至っている」不自然さを衝いているのは正しい。NHKにこれ以上期待するのは無理かもしれない。敢えて腰抜けぶりを晒しているのかもしれない。その後を受け継ぐ者が、児玉の政財界交遊で最も近いところにいた中曽根-ナベツネラインの果たした役割に切り込むが良いとメッセージしているのかもしれない。と、こうまぁ善意に解しておく。

 立花を登場させたのも正しい。それは何も聞き飽きた立花論を聞かせてもらうところに意味があったのではない。現在の立花の老醜を際だたせていたところに意義がある。マスコミはこの御仁を知の巨人とおだて上げ、ロッキード事件の節々で語らせてきたが、角栄が失脚終焉するに応じて立花までもが御用済みとなり歴史のお払い箱の中に使い捨てられてしまった。今でも減らず口を叩いているが、云えば云うほど知の虚人でしかないブザマさを晒している。そういう意味で、現在の立花を登場させ映像化させたのは値打ちものであった。

 第二部で、東京地検ロッキード事件特捜部の捜査を指揮した吉永祐介を善人検事に仕立て上げ、その苦悩を語らせている。これは臭い芝居でしかない。真実は、角栄を被告人に仕立て上げる虚構のシナリオに協力する見返りの出世甘言に飛びついた機会主義者でしかなかったのではないのか。現在に至る司法の腐敗は、この時に甘言に飛びついた連中による「法の番人たちによる上からの法崩し」に始まっているのではないのか。「ロッキード事件-40年目の真実」はこのことを片鱗たりとも伝えていない。と云うか逆に描いている。こういう場合、この調子で書かれたものを読めば読むほど阿呆になるし阿呆にされてしまうであろう。

 第三部で、どういう展開、結末になるのか期待させた割には愚昧なものを見せつけられ聞かされてしまった。曰く、「角栄に渡った5億円はロッキード社の民間機ではなく軍用機受注働きかけへの接待金だった」云々。こういうすり替えは酷過ぎるし後味が悪い。NHKよ、角栄が不退転で死ぬまで争った男の名誉、メンツ闘争に対して余りにも侮辱であり、ぶしつけ過ぎる推論ではないのか。なんでそんなに「角栄の5億円授受」に拘るのだ。児玉-中曽根-ナベツネ派の21億円授受に対してはあっさり尻尾巻くのに比してしつこ過ぎやしないか。

 以上、一応のことを言うことができた。以下、れんだいこがロッキード事件史全体のキモの部分を取り上げて衝撃を与えておく。中曽根の揉み消し依頼の件は別の機会に論じる。

 1976(昭和51).2.4日にロッキード事件が勃発し、7.27日に逮捕されるまでの間の6.24日、三木首相がプエルトルコで開かれる第2回目の主要先進国首脳会議に向けて出発した。6.30日、帰路ワシントンに詣で、日本側から三木首相、宮沢外相、アメリカ側からフォード大統領、キッシンジャー国務長官、レビ司法長官が出席する首脳会談をしている。

 この時の会議資料が非公開で国家機密扱いとなっている。公文書保管所のスタッフは今日においても「その記録は国家安全保障上の理由で公表されない」としている。公文書公開先進国の米国が今に至るも公開できないのは何故なんだとして取材する者、社がいない。

 れんだいこには次のことが透けて見えてくる。1、ロッキード事件を、児玉-中曽根犯罪に関わるP3C哨戒機などの軍用機の解明に向わせない。2、代わりに角栄に容疑を被せ逮捕まで漕ぎ着ける。その為に民間機購入のトライスター疑惑をデッチ上げる。3、米日両国はこのシナリオに基づく捜査進展に総力を挙げ全面提携する。4、これを機会に角栄及び田中-大平派のハト派政治権力の徹底的解体に向かう。公開できないのは、この陰謀的申し合わせが露見されるのを恐れているからではないのか。しかもこの申し合わせが相当に日本側に対して屈辱的な命令口調のものになっており、三木がペコペコし過ぎているからではないのか。

 1997年に公開されたキッシンジャー・レポートは、この時、三木首相と「ロッキード事件についての全般的な意見交換」をしたことを伝えている。興味深いことは、田中首相に対する絶賛且つ警戒的レポートとは対照的に、三木評は「彼の政策はしばしば詳細に欠け、実質的な内容より広報宣伝的要因から生まれる場合が多い。三木が成功した分野は数少ない」と軽視酷評されていることである。そういう三木のアホウさをうまく利用せよの魂胆が透けて見えてくる。

 事実、アホウの三木は、7.3日、サンフランシスコで同行記者団と懇談した際、キッシンジャー権力の後押しを得た強みを背景に、「ロッキード事件が解明されない限り今後の政治日程は立てられない」、「『三木下ろし』には断固戦っていく」と述べている。この時より、「ロッキード事件の徹底究明に自分の政治的生命を賭ける」と強気に出ることになった。これがマスコミ言うところの「クリーン三木」の裏の顔である。当時も今もマスコミのオツムはこの程度のものだったんだな。

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2016年7月19日 (火)

れんだいこの不正選挙論追伸

 れんだいこは既に不正選挙にかなり言及してきている。こちらのサイトに収納している。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/senkyo/fuseisenkyoco/top.html

 但し何の効もなく相変わらずの不正選挙が横行している。このところ発言を控えていたが、2016第24回参院選が看過できない腐臭を漂わせているので、改めて告発し世に問うことにする。マスコミは参院選後直ちに都知事選に誘導しており、立ち止まって考えることをさせないが、この仕掛けを破らないといけない。

 不正選挙告発につき既に次のような告発がなされている。概要「当落、票数は黒幕により事前にリスト化されており、投票はポーズでしかない。不正側は実際の票を改竄してリストに合わしている。開票所での写真撮影が禁止されているのは、この不正が見抜かれるのを恐れるからである。黒幕が各都道府県の選管集計を改竄できる仕組みがある。官僚全般、総務省、警察、裁判所、日銀の上層部が黒幕に人事権を握られており買収されている。マスコミは不正シナリオに基づく結果を受け入れさせるべく与論誘導役を果たしている。マスコミは選挙結果を黒幕経由で知っているから開票0%で当確を出せる。その選挙報道はヤラセである故に金太郎飴になる。政治家はこの黒幕に媚(こび)ている。不正選挙で当選した政治家は黒幕の言うことをきくしかない。政官界のトップは概ね不正黒幕に懐柔されている」。

 実にそうだと思う。これを踏まえつつ、ここでは新たな視角として「票分析」を通しての不正選挙告発をしておく。「2016参院選の不正疑惑」の象徴に東京都選挙区(当選枠6)の例を挙げる。ミュージシャン三宅洋平が、生活の党と合同し果敢な活躍を示している山本太郎の強烈な後押しを得て、当確の予感があった選挙区である。実際はどうなったか。結論から言えば、1位/民進党の蓮舫、2位/自民の中川、3位/公明の竹谷、4位/共産の山添、5位/自民の朝日、6位/民進の小川であった。続いて7位/おおさか維新の田中、8位/無所属の横粂。三宅は9位で落選した。事前予想に反して鉄砲届きしなかったことになる。

 三宅陣営は善戦総括しているようだが異議がある。もの言わぬは腹膨るる業なりの諺があるので我が主張を吐露してスッキリさせておく。「9位三宅」は本当の票だろうか、かく問いたい。結論から申せばウソであろう。以下、これを論証しておく。

 その第一に、「1位/民進の蓮舫」票の異常の多さに注目したい。蓮舫は結果的トップではない。ほとんど全開票所で圧倒的に勝ち抜いている。この票は本当だろうか。「9位三宅」票が抜き取られ蓮舫票にすり替えられている可能性はないのだろうか。蓮舫は与党候補ではない。かってはそうであったが今は野党の落涙の立場の者である。それほど政治能力が秀でているとは思えない。各選挙区をトップで牛耳るほどの業績があったとも思えない。何か操作の手を感じる訳である。

 この疑いは「4位/共産の山添」票にも及ぶ。生活の党票が共産票にすり替えられている疑いは山本太郎当選の時にも及んでいる。前回の2013第23回参院選の東京選挙区で山本太郎は、666,684票を獲得し4位当選している。この時の共産の吉良佳子は703,901票で3位当選している。それは構わないのだけれども山本票の一部が吉良票に流れての3位当選だったのではなかろうかの推理の余地がある。吉良はその後ロチュ-で有名になったが、政治的業績で目を見張るようなものを知らないので仕掛けの有りそうな高位の3位当選を鵜呑みにして過信しないほうが良かろう。

 もとへ。2013第23回参院選東京選挙区の山本票666,684に比してこたびの田中票257,036は異常に低い。こたび山本は田中を全面的に応援し演説会場には人があふれ続けていた。かっての山本票は政治的確信派の票であり、その票はこたびは三宅に流れ込むのが自然である。ところが山本票666,684の約3分の1にとどまっている。本来は山本票666,684以上のものがあったところ他の候補票にすり替えられて少なくさせられていると読むのは自然ではあるまいか。

 興味深いことに、選管ムサシを使わずに手作業で集計した小笠原村では何と三宅票は215で1位、以下は蓮舫184の2位、中川175の3位、朝日160の4位、竹谷101の5位、山添78の6位となっている。これを、離れ小島の田舎ゆえの椿事とみなすべきだろうか。手作業で集計したなら他の選挙区でもこうだったのではなかろうか、実際には小笠原村のように他の選挙区でも三宅票は強かった、善戦していた、それを選管ムサシにいいようにあしらわれたと推理すべきではなかろうか。

 もう少し確認しておく。「9位三宅」の奇妙なことは、どこでも「9位三宅」なところにある。投票集計は区で23、市で24、西多摩郡4、島9から成る。このうちの区と市の全47ヶ所で、1位/民進党の蓮舫、2位/自民の中川、3位/公明の竹谷、4位/共産の山添、5位/自民の朝日、6位/民進の小川、7位/おおさか維新の田中、8位/無所属の横粂、9位/無所属の三宅の順となっている。

 入り乱れての結果順位ではなく、ほぼ常にこの順位で票がカウントされている。つまり、ほぼ全ての投票所の票割がこの順位になるように括られているかの感がある。マスコミは出口調査の確率論で素敵な弁を聞かせてくれているので、この現象も自然にできるものか操作によるものかを確率論で説明してみるが良かろう。

 他にも調べておきたいことがある。それは、選挙区における「9位三宅」票と比例区における生活の党票の相関関係である。普通はハーモニーするはずであるが、どういう按配になっているのだろうか。これにつきまだ調べていない。どなたかにお願いしたい。過去の小沢系政党の例えば未来とか生活党の場合、選挙区票に全く比例しない超低い比例票になっている。選挙区票と比例票がかくも食い違うものなのか、この現象も自然にできるものか操作によるものかを確率論で説明してみるが良かろう。

 以上、こういう票分析推理が成り立つ。この言を何を馬鹿なことをと否定されるなら、宜しい共に検票しようではないか。どうしてもさせない、写真もビデオも撮らせないと云う選管にさせるべく働きかける仲間になってくれ。私の推理を否定するのは検票後にしてくれまいか。

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2016年3月18日 (金)

吉備太郎の津軽あさこはうすの闘い考

 「吉備太郎の鹿久居島原発阻止千日闘争考」、「吉備太郎の三重県芦浜原発阻止37年闘争考」と来れば「津軽あさこはうすの闘い考」もしておきたくなったので急遽記す。

 青森県の下北半島の最北端にある大間町、恐らくこの辺りは津軽と云われるのだろうと思われるが、「山に行けばワラビ、ゼンマイなどの山菜。山葡萄、スグリなどの果実。川ではアユ、ヤマメ、イワナ。海はウニ、アワビ、スズキ、イカ、ソイ、ブリ……」と誇りにされている自然の幸に恵まれた地である。その豊かな自然ゆえに下北半島全体が国定公園に指定されている。そういうところを狙い撃ちするかのように原発屋が策動している。

 1980年代初頭、(株)電源開発による原発建設計画が持ち上がった。1984年12月、町議会が原子力発電所誘致を決議した。大間町議会は議員定数10人で佐藤亮一さんが唯一の反対派議員だった。2008.4月、国から原発設置許可が出される。翌5月、事業者である(株)電源開発が大間原発の建設工事を開始した。

 この時、原発建設予定地には176人の地権者がいた。たった一人を除く地権者175人が買収工作に屈した。熊谷あさ子さん(1938年-2006年)が応じなかった。これを仮に「津軽あさこはうすの闘い考」と命名して確認しておく。彼女は、「畑は売るな」という父の遺言を守り、原発の執拗な土地交渉を頑としてはねのけた。2億円の金額が提示されたが次のように述べて拒否している。金では動かず、祖国と守るべき共同体を知る、要するに歴史目線を持つ津軽姫だったのではなかろうかと拝したい。      

 「10億円積まれても土地は売らない」、「お金の問題ではない」、「きれいな空気ときれいな水ときれいな海があれば、人間はみな平和に暮らしていける」、「大間の海はマグロやコンブ、ウニ、アワビ…ここで採れないものはないという宝の海です」。

 札束で懐柔することができないとわかると、原発推進グループのお家芸とも云える車による尾行、ヤクザによる説得、脅迫状、町長の圧力…が始まった。あさ子さんはこれにひと通り見舞われた。彼女は村八分状態にされながらも土地売却を拒否し続けた。大間原発の建設が進まなかったのは「津軽あさこはうすの闘い」の賜物である。この闘いがなければ2011.3・11以前に完成し稼働していたはずである。そうすればどうなっていたのか。広瀬隆・氏は講演で次のように述べている。

 「万が一、大間原発が大事故を起こしていたなら、今ごろ青森、北海道はもとより、日本全土は壊滅的な被害を受けていただろう。フルMOX原発の事故による放射能汚染被害はウラン原発の比ではないのだ。仮定の話とはいえ、ある意味、熊谷あさ子さんは日本を崩壊から救った恩人であるといってもいい」。

 原発拒否に失敗した側の福島・飯舘村の酪農家・長谷川健一さんはこう述べている。

(「◎ マガジン9による、大間レポート」)(http://www.magazine9.jp/genpatsu/120808/ )        

 「私たちは(原発事故によって)すべてを失ってしまった。将来に絶望して自殺した友人もいる。大間の人たちは私たちの姿を見てほしい。原発がどんなものか、事故が起きたら、そこに住む人たちがどんな報いを受けるのかを」。 

 大間原発は、「津軽あさこはうすの闘い」の為に、当初予定されていた場所から位置をずらして建設せざるを得なかった。2006.5.19日、あさこさんは、所有地にログハウスを建て「あさこはうす」と命名し、引っ越し準備中に畑で倒れ大間病院に入院、そのまま帰らぬ人となった(享年68歳)。死因が「ツツガムシ病」と発表されたが下北地方でツツガムシ病で死者が出たのは40年ぶりという。変死と見なすべきだろう。

 原発の建設予定地の中に「あさこはうす」がポツンと残された。この頃、夫の海外赴任で長く外国暮らしが続いていた長女の小笠原厚子さんが帰国する。母が原発建設に反対し闘っていたことを知った。「娘に心配をかけたくなかったのでしょうね」。母の思いは娘に引き継がれ、母が遺した「あさこはうす」に月の半分住み、自宅のある北海道北斗市との二重生活を続けている。「あさこはうす」と原発との距離はわずか250m。土地の周りには鉄条網が張り巡らされ、約1キロの細い道を通って辿りつく「あさこはうす」の入り口には電源開発の監視小屋があり人の出入りがチェックされている。さながら「青森県大間町の三里塚闘争」の趣がある。

 事故が起これば一衣帯水の被害者になる函館市民が「津軽あさこはうすの闘い」を支援している。大間原発に対する北海道民の関心が高く海を越えた支援の輪が広がりつつある。現在、「ストップ大間原発道南の会」を母体にする「大間原発訴訟の会」(竹田とし子代表)が建設差し止めを求めて提訴、係争中である。

 「大間原発に反対する大MAGROCK」なる反核ロック・フェスティバルが「あさこはうす」で開催されている。八戸在住のYAM(山内雅一)さんが立ち上げ、武藤北斗さん(当時は宮城県石巻在住。現在は大阪に移住)、冨田貴史さんらが中心となって活動している。全国から数百名規模の若者が集まり、反核ロック・フェスティバル、大間原発反対集会を挙行している。

 2013.6月の大MAGROCK集会で厚子さんはこう訴えた。             

 「母の7回忌を済ませ、なんとしてもこれ以上原発を増やしていけないと改めて決意しました。地元での活動には限界があるのでこれからは全国の皆さんに支援をお願いしたい。大間原発のことをまだほとんどの人は知らないのでなんとか関心をもってもらいたいのです。野田首相は『国民の生命・財産を守るために大飯原発を再稼働した』と言いましたが、守らなければならないのは子供たちの命と健康であり、財産というのは子供たちのことです。これからの日本を背負っていく子どもたちをこれ以上不幸にさせてはなりません。経済よりも何よりも生命が一番なんです。日本は海に囲まれている国。大きな津波が来たらどうしようもない。そこに一番危険なものが建っていたらどうなるか。地震も津波も自然災害です。でも、原発は違う。前もって防ぐことができるんです。それはすべての原発をなくすことです。今、『あさこはうす』の土地に水を引き、菜の花を植えて一面の菜の花畑にして、子供たちが自然の中で自由に遊べるような場所にしたいと考えているんです。母が最後まで守ろうとしたこの土地を私が引き継ぎ、原発が世界からなくなるまで頑張っていきたいと思います」。            

 2013.7.19日、小笠原厚子さんが片道15時間、夜行バスで駆けつけ、毎週金曜日の脱原発抗議行動で声をあげた。国会前と官邸前でスピーチして帰路についた。

 「現在、大間原発の工事は(全体の)半分も進んでいません。昨年(2012年)10月に燃料棒を入れる容器はできましたが燃料棒そのものは入っていません。まだ大間原発は『ただの箱』なのです。今ならまだ間に合うんです。これがもし大間原発が稼動してしまったら、(日本に設置される原発は)54基から55基となり、また私たちは子どもたちに負の遺産を残すことになります。もうこれ以上、原発は要りません。子どもたちが安心して将来生活していけるように――その道筋をつけるのが私たち大人の責任です。何としても、子どもたちが安心して暮らしていける社会を作るために、私たちが協力して原発をなくして行きましょう。私の母は、海を守るために、家族を守るために、そして自然を守るために土地を守って来ました。いま、私は母の遺志を継いで、その土地を守っています。まだ大丈夫です。これから改めて、みんなが声を合わせて原発反対の声をあげて行きましょう。地元ではなかなか声をあげられない人もいます。福島の原発事故以前は、『今さら反対しても…』、『どうせ原発はできてしまうのだろう…』、『どうしようもねーべや』等の声も聞かれましたが、事故後は違います。言葉には出さなくても、心の中で『原発はやっぱり要らない』、『原発は危険だ』と言いたい人はたくさんいます。ただ、原発関連の仕事で生活しているために、おもて立って声をあげられない人がいるのも事実です。ですから、こうして官邸前、国会前でみなさんが『大間原発反対』、『大間作るな!』と声をあげ続けて下されば、その大きな声は必ず大間に届くはずです。どうかこれからもよろしくお願いします!。大間はフルMOXの、世界で初めての原発です。もちろん(株)電源開発も、まだフルMOXについては初めてです。この大間で原発が稼動して事故が起きれば、土地、海、動物たち、そして私たちの生活のすべてが破壊されます。私たちはふるさとを失うことになります」。 

 2011.7月、ツイッター登録「あさこはうす(公式) 」。       

〠〒039-4601 青森県下北郡大間町字小奥戸396 あさこはうす」
 カンパなど/郵便振替口座 02760-3-66063 「あさこはうすの会」宛て
 (
asakohouse.cocolog-nifty.com/blog/
 

 あさこはうすで汲み上げていた地下水が枯れてしまい(注:原発工事の関連か?)、「水」に不便しているとのこと。電気は自家発電しているとのこと。水の送り先は上記住所へどうぞ。※宅配便の業者によって送り先・電話番号が必要な場合、小笠原厚子さんの携帯番号〔090-9528-4168〕を記入してくださいとのこと(ご本人承諾済)。

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