2017年2月23日 (木)

吉備太郎の西大寺会陽考その2

 吉備太郎が去年の感動のままに今年も西大寺会陽に行って参りました。去年のブログを補足しておきます。

 7時過ぎに西大寺観音院に着いた。既に終わっていたのか花火の音は聞こえなかった。仁王門に入ると、何と凡そ百名の林グループが揃い踏みして気合の入った行進をしていた。ほぉーこれが林グループかといきなり感動した。

 今年はやや落ち着いて眺めることができた。女太鼓が素晴らしかった。しばらく見取れた。男太鼓の方もドシンドンドンと打ち続けてムードを盛り上げており、その入魂のバチさばきが圧巻だった。笛の音に耳を傾けると、やはりあの時のそれに似ており思わず情景がよみがえった。

 桟敷席の後ろの立見席券を買って入場した。なるほど正面から見えたが、1時間余つま先立ちしたことでふくらはぎがケイレンし、肝腎のときにうずくまってしまった。それはともかく、経堂で裸衆が詰め合う光景はまさに「立錐の余地なし」だった。裸衆が両手を揺れ動かしていた。あれは何の意味か分からなかった。時にドドドッと雪崩落ちていた。ケガしないまま又入り込んでいた。それらを堪能させてもらった。

 私がなぜ今年も会陽に来たのか。その原理が分かった。会陽はお陰渡しであり、最もお陰を受けるのが福男と祝い主。福男は生涯の家門の誉れとなる。次にお陰を受けるのが出場した裸衆。次に裏方。その次に観客だろう。そういうお裾分け構造になって銘々が相応しい立場で福を授かっているのではなかうか。寒いからと云う理由で来ない者には分からない、来てる者には病みつきになるご利益であろう。帰ってから溜り場で見てきたことを話したら、来年は行こうと云っていた。私のような信者を一人ゲットしたかもしれない。

 西大寺会陽の起源は、約1300年前の奈良時代、奈良東大寺の良弁僧正の弟子・実忠上人が創始された修正会(しゅしょうえ)即ち新年の大法会(だいほうえ)を、西大寺観音院を開山した安隆上人(あんりゅうしょうにん)が持ち込んだことから始まる。当時は毎年旧正月から14日間行われていた。

 修正会とは正月に修する法会の意で、十数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に牛玉(ごおう)を供え、観世音菩薩の秘法を修し祈祷を行う。牛玉というのは、杉原や日笠という丈夫な紙に右から左へ牛玉、西大寺、宝印と順に並べて刷ったもので、祈祷を経て満願になると当年の五福(寿、富、康寧、好徳、終年)が授かり、その牛玉を信徒の年長者や講頭に授けた。牛玉をいただいた農家は作物がよく取れ、厄年の人は厄を免れる。これが評判となり年々希望者が増えて行った。

 室町時代の1510(永正7)年、時の住職の忠阿上人が牛玉の紙を宝木(しんぎ)に代え、これを群がる信徒の中に投げ、得た者が五福をいただくようにした。このときより会陽(えよう)と名づけられた。会陽初期の様子を伝える江戸前期の金陵山古本縁起(観音院蔵、岡山県重要文化財指定)では裸と着衣の男が入り交じっている。江戸後期の会陽図では裸衆による争奪戦になっている。この頃より裸衆スタイルとなったのだろう。

 御利益は次の通り。安産(裸で出た男のまわしを安産の腹帯として使用すれば元気な子を産む)、豊作(裸祭りの翌日、本堂の大床の上に上がった土を田畑にまくと豊作になる)、病気平癒(裸祭りに参加した男は風邪を引かない)除厄招福(垢離取場で身を浄め、祭りに参加した男は厄を除き福を招く)。 

 西大寺会陽の行事は凡そ19日前の事始め式に始まる。会陽の安全を祈る法会があり、別室では宝木削りに使用する道具が磨かれる。3日後、宝木の原木を受け取りに行く「宝木取り儀式」が深夜から未明にかけて行われる。高野山真言宗別格本山金陵山/西大寺(岡山市東区西大寺中)の世話役を担う使者9名が、観音院本堂で読経後の深夜0時、伝統に従って法被を着て草鞋に手甲脚絆、菅傘をかぶり、手に提灯を持ち観音院の西方4キロ離れた如法寺無量寿院(同広谷)に向けて出発する。

 道中無言で約35分ほどで到着し、持参した「挟箱」(はさみばこ)に大石賢映副住職(35歳)から原木2本を納めてもらって引き返す。観音院では同日午前9時半から、原木の「宝木削り」が世襲の棟梁によって厳かに執り行われ、2本の宝木(長さ約20cm、直径約4センチ)に仕立てる。会陽の二週間前、「修正会」(しゅしょうえ)が本尊千手観世音の宝前で開白され、結願(けちがん)となる刻まで山主以下十余名の僧侶により国家安穏、五穀豊穣、万民豊楽を祈念厳修する。本番が間近に迫るにつれ、お経を唱えながら身を清める水垢離行をする裸衆が増え始める。

 2017.2.18日、508回目となる西大寺会陽が同観音院で開催された。今年は初めてインターネット動画で中継される。カメラを本堂の天井と境内南側の石門の上の2カ所に設置し、配信は18日午後3時ごろから始め「子ども会陽」なども映す。午後10時のクライマックスの宝木投下、翌午前0時頃の本堂裏手の牛玉所殿(ごおうしょでん)で福男が宝木を納める「祝い込み」の様子まで配信する。

 会陽当日は午後3時20分、小学生による「少年はだか祭り」で幕を開ける。今回で46回目。小学生約280名が参加する。1、2年生は宝餅、3,4年生は五福筒、5、6年生は宝筒を奪い合う。その後、学芸館高校生、ダンス部などによる演舞奉納、地元の女性和太鼓グループの演奏で祭りムードを盛り上げる。うらじゃ踊り連「蓮雫」(れんげ、2010年結成)が「奉納演舞」に登場し踊りを披露する。午後7時頃、近くの吉井川河川敷から花火約3千発が打ち上げられる。8時頃より裸衆が境内を練り歩く「地練り」が本格化する。午後10時、修正会が結願し、本堂の御福窓から宝木が投げ込まれ祭りがクライマックスを迎える。

  会陽を報じた地元紙・山陽新聞の1面写真の見出しは「裸衆1万人の渦 西大寺会陽」。祝い主は、フジワラテクノアート、トヨタカローラ岡山。宝木を獲得したのは高原グループの浮田昌宏(41)、浮田明成(41)、光本友彦(41)の幼馴染組。高原グループは初めての獲得。もう1本は林グループの木村慎太郎(37)、小倉晴生(37)、重松龍太(19)。林グループは昨年に続く12回目の獲得。

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2017年2月13日 (月)

【「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説

 本稿が未投稿だったので投稿しサイトアップしておく。課題は「『れんだいこ、れんだいこ史観』の由来と解説」である。

   「れんだいこ史観」とはれんだいこの史観であり、れんだいこが勝手に命名しただけのことである。ますます判明しつつあるが、世の歴史観、歴史論と相当に隔絶している。例えば、最近、明治維新を評する視座に於いて様々な是非論が登場している。中には我慢の限界を超えるような幕藩体制万歳論まで登場し持て囃されている。残念ながら、私論は既成のどの論とも一致しない。且つ我が輩の政論の方がはるかに正鵠を得ていると自賛している。為に区別する意味で自ら銘打っている。

 それは何も明治維新論ばかりではない、田中角栄論、中山みき論、邪馬台国論、古代史論、古史古伝論、学生運動論、大正天皇論、文革論、大東亜戦争論、ヒットラー論、イエスキリスト論、ユダヤ教論、著作権論、原発論、囲碁論等々数え上げればキリがない。恐らく逐一挙げれば課題が数百に上ろう。

 これに興味を覚える者が居て、検索で知ったのだが、「れんだいこ史観とは何か」を廻るやり取りをしている(「れんだいこ史観」)。噂になるだけでもあり難いことである。言い添えておくが、著作権を主張して、俺に黙って論ずるとはけしからん、挨拶せぇ、引用転載するなら使用料払えなどとは口が裂けても云わない。ここら辺りからして昨今の権利病とは隔絶している。ジャスラック的音楽著作権なぞ、ない方がよほど文明的先進的と思っている。ここの観点が世の識者と全く違う。

 ここで、簡略に「れんだいこ」命名の背景事情について述べておくことにする。

 まず「れんだいこ」とは何か。いろんな意味があるが、その一は冗談風であるが「れんこんだいこん」を縮めたものである。れんこんは見通しの良さを示し、だいこんは滋養を表わしている。つまり、「れんだいこ」は、見通しの良さを賜り、味わえば為になるという二つの意味を挺している。

 その二は、「連太鼓」の意である。れんだいこの奏でる思想、政論を共に太鼓を叩くようにして世に広めようという呼びかけの意味が込められている。これにより自ずと各地の太鼓舞踏にも親近感を覚えるようになっている。その三は、「連帯子」である。れんだいこと連帯し、何事かを企て世の改良、改革、革命、回天に向かおう、命に限るある身であることを踏まえ歴史に良い種、実を残しておさらばしようという意味が込められている。

 れんだいこは当初「れんだいじ」のハンドルネームで「
さざなみ通信」に初登場した。かの時の「れんだいじ論文」の輝きは今も失われていないと自負している。が、数々の問題提起にも拘らず好評する者が少ない。と云うか、斬新過ぎてまぶしいのだろうか、そもそも議論されることが少ない。議論前の難癖反応にはお目にかかるが、与太もんに関わって得することがないので無視している。その癖、それほどでもない論考を褒め合いしてお茶を濁している例が多い。そういうものを見て見ぬ振りをしている。

 ネット界にデビュー時には数ケ所のサイトに出入りしていたが、いづこもいつの間にか中座してそのままになっている。れんだいこが辞去した分、それらのサイトで喧々諤々が進んでいるのならまだしも良いのだけれども。

 「れんだいじ」は、故郷の蓮台寺にちなんでつけたハンドルネームであり、これはこれで大事にしようと思っている。その「れんだいじ」を何度も唱えるうちに「れんだいこ」が生まれ、こっちの方が更に気に入ったので、今では「れんだいこ」ネームの方を愛用している。これを「れんだい子」と受け取り、如何なる妙齢の美女ならんと懸想し胸をときめかす者もあるらん。そう受け取られるのが嫌ではなくむしろ面白がっている。ざっと以上が「れんだいこ」の由来と解説である。このところ発信不足なので本稿で中継ぎしておく。

       「れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ

       2017.2.13日 れんだいこ拝

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2016年12月12日 (月)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その4、南京大虐殺事件考

 さて、「神仏参り、信仰、祈念の効能考その1、その2、その3」を受けて「南京大虐殺事件考」をしておく。どう結びつくのかは後で述べる。本稿は気が滅入るほど重いけど、やはり言わなければならないと決意して書き上げる。

 南京大虐殺事件の通説は、「先の大東亜戦争で日本軍は、台湾、朝鮮、支那、その他行く先々で乱暴狼藉の限りを尽した。その最たる例が南京大虐殺事件であり、調子乗り事件が百人斬り事件である」と教えている。これにより、「西の横綱級大虐殺がナチスによるユダヤ人大虐殺500万人、東の横綱級大虐殺が日本軍による支那人大虐殺50万人」と喧伝されて今日に至っている。これは本当の話だろうか、これを愚考したい。

 これを「その通り」と唱和し、これによりナチスと日本軍断罪を満腔の怒りで糾弾すればするほど人道的で民主主義的で或いは左派的であるとして口角泡を飛ばす競い合いをして来たのが戦後民主主義者である。私は30歳頃までそっちの陣営に居たのでよく分かる。だが年の功と云うべきか次第に日本の格式、伝統の質の高さに目覚め、やがてそれが日本耽美主義に靡き始め、そうなると日本的伝統をないがしろにする戦後民主主義論を鵜呑みにできなくなり、その発展系としていつしか「西の大虐殺論、東の大虐殺論」を眉唾し始めるようになって今日に至っている。

 そのきっかけは次の知勇者の啓蒙による。「南京大虐殺事件」については、1973年、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリストの鈴木明・氏が、TBS在職中に執筆した「南京大虐殺のまぼろし」で狼煙を上げた。同書は、第4回(1973年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。これに対し、事件肯定派から手厳しい批判を浴びせられ今日に至っているのは衆知の通りである。

  「ホロコースト」については、西岡昌紀医師が、雑誌マルコポーロ1995.2月号の「ホロコースト50周年」記念特集で「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」を発表し狼煙を上げた。これに対し、ナチス犯罪追求のユダヤ人組織サイモン・ヴィーゼンター(略称SWC)が猛然たる抗議を仕掛け、雑誌マルコポーロ廃刊、花田編集長解任、マルコポーロ発行元の文芸春秋社の田中社長辞任、同社は80名以上の大規模な人事異動を余儀なくされた。これも衆知の通りである。

 通説は未だに両説を袋叩きにしている。しかしながら、れんだいこは両氏の説に軍配を挙げる。その理由を以下に記す。これを解くのには、れんだいこ史観が必要となる。これを披瀝して一考を賜りたいと思う。ここでは「南京大虐殺事件」のみ採り上げる。「果たして日本人は、云うところの敗戦投降万歳している兵士、無辜の人民大衆に対し、大虐殺事件を起こし得る民族だろうか」、ここを原理的に問いたい。ここまでの「神仏参り、信仰、祈念の効能考」で見てきたように、幼少より「氏宮-氏子思想」で育られて来ている日本人をして、敗者に対する「無慈悲無惨な虐殺」、「婦女子に対する凌辱殺害」なぞできないのではなかろうか、こう問いたい。

 「無慈悲無惨な虐殺」、「婦女子に対する凌辱殺害」に興じられるのは、人を人と思わず畜生視する傲慢選民主義で育っている国際ユダ邪系だけではないのか。事実はこうではないのか。世界の諸国民は概ね平和的で、経済活動もシルクロード交易を編み出しており、そういう歴史を連ねている。それに比して、国際ユダ邪系の犯罪こそがどぎつい。彼らにこそ「無慈悲無惨な虐殺、婦女子に対する凌辱殺害、強奪、搾取」がついて回っている。あたかも一手専売の感がある。この系は、手前たちはホロコースト被害を子々孫々まで糾弾し、それを口にする裏側で今でもアラブ(イスラム)、アフリカ、その他諸地域で「ガザ・ホロコースト」を続けている。これはよそ事ではない。やがて「日本ホロコースト」の日も近い。

 日本は、従軍慰安婦問題でも謝罪行脚させられ続けているが、どこの世界に管理売春の方が凌辱虐殺よりも罪が大きいなどとする理屈があり得るだろうか。「虐殺よりも管理の方が加害的に重責」なる倒錯論理を弄ぶのが国際ユダ邪の特徴である。こういう理論に慣れると必ず精神が変調する。そういう精神変調者が国際ユダ邪指導部、その各国イエスマンを占めており、連中により世界が弄ばれているのが現状だ。

 もとへ。日本の問題に限って論ずるが、仮に南京大虐殺事件があったとしようか。その場合でも、その犯罪者は「元々の日本人即ち縄文日本人」(仮に単に「縄文日本」と表記する)ではない。なぜなら、「縄文日本」ならば、勝負のケリをつけるまでは戦うが、勝負のケリをつけた後の乱暴狼藉は少なくとも「控えめ」にしかしない、できない、頃合の手打ちを良しとして後は和合に向かう。そういう風に教育されており、それは既に日本人の遺伝子になっている。してみれば、仮に南京大虐殺事件が史実だったとすれば、「縄文日本」の立場からは異様なあるまじき事件だったことになる。

 仮にそれが史実なら、「縄文日本」の手によるものではないと考えたい。出てくる結論は、日本人化されていない帰化系もしくは不良系の者の手による犯罪だったことになる。実際には、逃亡支那兵の物資略奪に伴う「ついでの凌辱殺生」もあったようである。あるいはこちらの線が大いに考えられる。即ち、国際ユダ邪が、用意周到な戦後糾弾対策として、「傭兵によるヤラセ的な凌辱殺生」を仕掛けていたのではなかろうか。あるいは、「これに呼応する陸軍犯罪」もあったのかもしれない。そういう訳で、元日本兵士証言は厳密に精査されねばならない。なぜなら国際ユダ邪的戦後風潮の長期マインドコントロール下にあっては日本軍犯罪証言が誘導的に自然発生することも考えられるからである。日誌といえども改竄されている場合もないとは云えない。

 よって結論は、史実的に精査検証して、是認、否認の両派の見立てをすり合わせて後に、したたり落ちる知恵の如き史実となし得るものにのみ立脚して言論化せねばならないと云うことになる。東の南京大虐殺事件も西のホロコーストもそういう意味では精査検証不足のままにプロパガンダ性の高い国際ユダ邪式反戦平和論の見地から奏でられているものであって、我々はそういう架空説教に頼らない自力の反戦平和論を構築せねばならないと考えている。

 私の見解によれば、日本の戦時下犯罪は西欧列強のそれと比べて案外と少ない。逆に概ね善政を敷いたことで好評価されている例こそが珍しくない。あたかも、帰化系、不良系、国際ユダ邪系日本人の手による犯罪に対して、それを償うかのように概ね善政で応える「縄文日本」の働きが刻まれている。この例は枚挙にいとまない。こういうところにも注目すべきだろう。

 日本人は、こういう「縄文日本」と帰化日本人、不良日本人との混成である。加えて国際ユダ邪の子羊になるのか、面従腹背するのか、抵抗するのか、無関心なのかの四派から成っている。このどちらの系が支配権を持つかで世の中が大きく変わる。例えて云えば、戦後から角栄政治までが「縄文日本」政治であり、それ以降から今日までが「反縄文日本」政治である。「反縄文日本」政治を特質とする現代日本政治は、国際ユダ邪に言われるがままの日本破滅方向政治を勤しむ。それを国際貢献と礼賛している。正確には国際ユダ邪貢献でしかなかろうに。

 だから、促されるがままに自衛隊を南スーダンに派兵し、戦死すればするほどよくぞ国際貢献してくれたと随喜して滂沱する。福島原発が爆発し、未だに手に負えないのに原発再稼動、原発輸出に励む。狂っているのだが、痴呆症と一緒で狂っていることが分からなくされている。こういう連中が国会に与野党共々屯しており、それも不正選挙によって選出された議員がほとんどと云うおまけつきである。あほらしやの鐘が鳴る。

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2016年11月25日 (金)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その3、キリスト教解禁と山伏修験道弾圧の相関考

 知られていないが、明治政府は山伏修験道を徹底的に弾圧している。なぜここまで叩いたのか、その理由、事情を考察せねばならないのではないのか。政治運動で事足り派には理解不能であろうが、精神界の抗争も実は立派な政治運動である。と云うか、最も根源的な政治運動と云うべきかも知れない。これも、れんだいこ史観の一つである。と云う観点から、明治政府の山伏修験道弾圧事情を解析しておく。

 山伏修験道弾圧事情に、明治新政府に忍び寄った国際ユダ邪の陰を見て取ることができる。この頃既に然り、その後はなおのこと、日本政治が国際ユダ邪に操られている線が窺われる。巧妙に隠されているが、それは彼らの統治手法としてのスティルス(stealth)術によるものである。明治維新政府が目指した中央集権的国家、その日本型統治形態としての天皇制祭政一致国家化は実は近代化でもなんでもなく、日本の歴史的伝統的政体を国際ユダ邪式植民地化に都合の良い政体に変質せしめたものだったのではないのか。これに合わせて形成された近代天皇制国家神道も然りで、表見は幕末の国学や尊王思想の流れで生み出されたもののように見えるが、その実は国際ユダ邪の好む政策物でしかなく、国学や尊王思想の流れを逆手取りして生み出した狡知術によるものではないのか。

 山伏修験道排撃はこの流れから発生しているのではなかろうか。山伏修験道は日本独特の神道と仏教の混淆宗教であり、これが在家的であるが故に下々一般大衆にまで奥深く食い込んで日本精神を形成させていることからして、これの手強さを認識し、これを排撃せずんば国際ユダ邪式植民地化が首尾よく進展しないことを思想的に熟知しての山伏修験道排撃ではなかったか。してみれば、国際ユダ邪の正面の思想政策が近代天皇制国家神道の創出であり、裏のそれが山伏修験道排撃であったと、こう構図すべきではなかろうか。近代天皇制国家神道と山伏修験道排撃とはかように裏合わせの関係になっているのではなかろうか。

 これを確認するのに、1868(慶応4)年3月の太政官布告(通称「神仏分離令」、「神仏判然令」)。1870(明治3)年1月、詔書「大教宣布」。この頃、仏教施設の破壊運動、即ち廃仏毀釈運動が全国的に組織されている。廃仏毀釈による主な廃寺は、平等寺(大神神社別当寺)、大御輪寺(大神神社神宮寺)、内山永久寺(石上神宮別当寺)、白雲寺(京都愛宕神社神宮寺)、中禅寺(筑波山神社関連寺院)、福昌寺 (鹿児島市) (薩摩藩島津氏の菩提寺)等々。

 廃仏毀釈により破却された神塔は、與杼(よど)神社宝塔、上野東照宮本地塔、秋葉権現多宝塔、久能山東照宮五重塔、紀州東照宮三重塔、北野天満宮多宝塔、石清水八幡宮大塔、鶴岡八幡宮大塔、江島三重塔、諏訪大社五重塔(上社)、三重塔(下社)、吉備津神社三重塔、日御碕神社三重塔、多宝塔、足助八幡宮多宝塔、石清尾八幡宮多宝塔、金比羅大権現多宝塔、室明神社多宝塔、天野神社多宝塔、平野熊野神社多宝塔等々。歴史的名声のあるパワースポットが集中的に狙われていることが分かる。

 1872(明治5)年1月、梓、巫女、市子、憑き、祈祷、狐下げ等の所業禁止。同年2月、太政官布達第58号「神官給禄定額ヲ定ム」で官社以下の神官の給録を制定する。これらは修験道狩りの前座となる。9.15日、太政官布達第273号で「山伏の道、修験道は今後いっさい廃止する」修験道廃止令が発布された。これにより、本山派修験、羽黒修験は天台宗に、当山派修験は真言宗に所属するものとされた。「修験道廃止令」以降、公には山伏は存在しなくなり、真言宗、天台宗のいずれかに属するか、神官となるか、帰農するしかなくなった。

 さらに追い打ちをかけるように明治政府は、山伏の収入源であった行為を禁止する命令を相次いで出している。これにより、修験道は一宗としての活動が禁止された。明治政府は、このように山伏修験道を弾圧した。これにより凡そ17万人とも18万人とも云われる山伏たちは帰俗を促され、あるいは天台、真言の僧侶、神職に転ずることを余儀なくされた。修験道につき、より詳しくは「別章【<A href="http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/nihonshindoco/yamabushisyugendoco/yamabushisyugendoco.htm" target="_top"><B>山伏修験道考</B></A>】」で確認する。

 他方でこの年、プロテスタント史上、最初の受洗者12名が洗礼を受けている。翌1973(明治6)年、「切支丹邪宗門禁制高札」が撤去され、横浜公会を母体とした「日本基督公会」が発足している。これより日本キリスト教の公式合法布教が始まっている。

 思えば、大政奉還後に成立した明治新政府による「国粋主義による神道擁護&仏教排撃」なる通説は虚説であり、真の狙いは山伏修験道をターゲットにして引き起こされた騒動だった感がある。それは、戦国期に侵入したキリスト教イエズス会の宣教師バテレン活動によるキリシタン大名を唆(そそのか)しての神社、寺院の焼き討ち史と重なっている。戦国期の神社、寺院の焼き討ちが明治初期にも起り、これが「廃仏毀釈運動」の正体であったと解するべきではなかろうか。なぜなら、幕末の国学や尊王思想の線から仮に近代天皇制国家神道が生まれたとした場合に、神仏分離令までは出しても、寺院や仏像等の破壊焼却までは起り得ないからである。「廃仏毀釈運動」はそれとは別の奥の院指令と窺うべきではなかろうか。なぜなら、本来の日本神道は、自然現象を敬い、その摂理から学ぶ八百万の神を見出す多神教であり、神仏共生で一向に構わない共存性を特質とするからである。排他的暴力は、それをやらせた司令塔が別に居たと考えるべきではなかろうか。

 近代天皇制国家神道は、現天皇を現人神として崇拝し、天皇による祭/政/軍を一体化した国家体制を精神的に鼓吹したが、その理論構図が奇しくも国家による一神教化となっている。こういう一神教化は八百万の神々の共存共生を前提としている日本神道、日本精神と合致していない。近代中央集権国家も近代天皇制国家神道も外来物でしかない。正しくは、国際ユダ邪好み中央集権国家、国際ユダ邪好みの近代天皇制国家神道と見なすべきだろう。

 こう捉えないような学問や政論ばかりが流され、わざわさにスコラ的に難渋にされ、その一知半解をそのままに受け入れ御用聞きする者をして人材登用される道筋が拵えられている。そうであるが故に、それによって出てくるのはいつも決まって「粗脳故のお粗末権力者」ばかりである。この「粗脳故のお粗末権力者」は偶然に生み出されているのではなく、敢えて言えばこういう仕掛けにより養殖増産されているのではなかろうか。

 日本の社会は、上に立つ者をして、そういう「粗脳故のお粗末権力者」を据えながら、下々が何とかやりくりして来た歴史である。三百年に一回ほど、「有能故の善政権力者」が登場する。この異能鬼才者の登場があるからこそ今日の日本にまで辿り着いている訳であるが、こたびの日本列島原発屋敷化、その生体実験国家化は、永久に「有能故の善政権力者」の登場を塞ぐことになるかもしれない。それ故に、今なら辛うじて間に合うかもしれない期待で、脱原発派にしてゼツなる「有能故の善政権力者」を請う訳である。

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2016年11月17日 (木)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その2、日本のお参り好きは誇るべきこと

 ところで、日本にはこういう参り場所の密度が世界一高い、つまり神社寺院数が世界一多いのではないかと思われる。他でかくも多い国があれば自ずと知れるであろうが、私が知らないということは、他にはないからだと思われる。しかも、明治維新政府の宗教政策でかなり権力的乱暴に整理され廃社廃寺されてなおそうなのである。これを確認するのに、キリスト教の解禁との絡みで捉えればなお能く見えてくる。即ち、キリスト教については禁教から開教に展開していく。これに反して、国内の神道、仏教、幕末創始宗教に対しては統制色を強めている。1871(明治4)年の全国神社の5段階格付けによる整理統合、1906(明治39)年の内務省神社局による「神社合祀令」により、神社数は19万社から12万社に激減、7万社が取り壊されている。その昔は村ごと町ごとに複数の神社があって、その土地土地を守護していたのであろうが、原則一村一町一社に向けて淘汰整理されていったようである。

 それがどうしたという者も居るだろうが、れんだいこは、これほど神社寺院が多いことは日本の誉れ、誇りであると思っている。日本神道の産土(うぶすな)信仰のお陰だと思っている。諸外国にもあるにはあるだろう。キリスト教は教会、ユダヤ教はシナゴーグ、イスラム教はモスク、中国の儒教では廟と云う、そういうものが無数にあるだろう。それは、人と云うものは、こういう参り場所を持たずには生きられない脳構造していると云うことではなかろうかと解している。その数に於いて秀でて日本に多いということは、それだけ精神文明が発達しているということではあるまいかと思っている。

 その昔、日本にキリスト教と云う名のユダ邪教式キリスト教が伝播してきたことがある。時は、日本史上の戦国時代であるが、戦国大名は、新しい神観もさることながら、鉄砲と火薬を求めて争って帰依した。ところが、一定の信徒を形成したキリスト教がやったことは、日本在来の神社仏閣の破壊であった。これが我が国におけるいわゆる淫祠邪教(いんしじゃきょう)、野蛮宗教視の始まりである。この時、彼らは、本籍ユダ邪教を丸出しにして、選民主義の教えに則り邪教撃つべしとして焼き討ちし始めた。日本在来の神社寺院は堪え、相手が何者かを見定めた後、排撃して行った。

 これは理の当然であろう。なぜなら、日本の宗教の作法は共存共生型であるからである。日蓮式の唯我独尊程度ならまだしも許容できようが、自派のみ正しく敵対党派は全て殲滅すると云う思想とは共に天を戴くことができなかった。そういう思想的な根本的対立事情もあって、その後鎖国へと導かれることになった。これにより世界史の潮流から遅れることにもなったが、日本が独立自存し得た功績も多かろう。

 世界史を見よ。近代に入って、世界は、西欧列強の植民地支配の波に襲われた。まずアフリカが侵略され、インド、東南アジア全域が支配下に組み込まれた。その波が北米、南米に及び、オーストラリア諸島にまで及んだ。この間並行的に極東アジアが狙われ、清国、台湾、沖縄、朝鮮が籠絡された。そして最後が日本になる。この時点で地球上に残っていた独立王国はハワイと日本のみであった。そのハワイがやられ、最後が日本となった。ハワイ王のカラカウア王が秘密裏に日本に助けを求めてきた時、その秘密外交は国際ユダ邪に筒抜けにされていた。既に日本政府はその程度に籠絡されていた訳である。哀れなのはハワイ王でその後、薬物中毒にされ廃人にされた。これが世界の近現代史の流れである。

 それはともかく、日本は直接植民地にされることなく何とか持ちこたえた。これは何故にそうなのか。れんだいこは、武力の強さによって自衛できたのではないと思っている。日本が営々と歴史的に積み上げ継承してきた日本的思想、宗教の秀逸さによってではなかろうかと思っている。ならば、日本的思想、宗教とはどういうものか。それが面白い。何と、日本的思想、宗教には文字化された教本、例えば聖書(バイブル)のようなものがない。あるのは祝詞、他には所作、作法、様式があるばかりで、日本人個々が悟り体得する式のものとなっている。これが逆に凄いと云うことになる。なぜなら、姿かたちが見えないので、そういうものを壊しようがないからである。日本的思想、宗教は、文字式思弁を超えており、それ故に時空を超えて生き続ける高次なものである。常識的には逆であるが、この場合には逆も又真なりと云えるのではあるまいか。

 そういう秘密の思想的宗教的思惟もしくは感情の豊潤さこそ日本の宝であり、神社寺院がこれを護持生育せしめてきているのではあるまいか。神社寺院には、ああろしろこうしろいうものがない。されど、不文の文が生きており、参詣者を感応せしめる神聖さを保持している。且つこの神聖域は日本列島の隅々に配置されており、我々が容易に参拝できるようになっている。それは氏宮氏子の関係から始まる。個人的家族的な七五三、元服、結婚式、その他その他。共同体的な年々参り、年々祭り。この仕組みはかなり高度にして文明的なのではなかろうか。かく窺うべきではなかろうか。

 その日本的思想的宗教的思惟が21世紀を迎えて俄然注目されつつある。それは、西欧に発する産業革命以降の工業化が自然を支配する思想に導かれて地球環境を破壊してきており、遂には原子核爆発科学に行き着き、これより地球の生態系そのものを危うくすることになったからである。つまり科学の発展を御せないところまで定向進化させて混迷を深めつつある。この局面から過去を振り返ったとき、自然との共生を図りながら産業を維持して来た日本思想、日本宗教としての神道的思惟様式が見直されることになる。これを述べれば紙数を増すばかりなので控えることにするが、今後はむしろ高度に発達していると考えられる日本思想的宗教的思惟様式を主潮流とすることによって世界秩序が再編されねばならず、それによってのみ地球が救われるのではなかろうか。

 神社寺院巡りは、そういう課題をも内包しているように思われる。してみれば、神社寺院で世界平和を祈念するのは至極似合う話だと云うことになる。神社寺院巡りを軽視する風潮があるとすれば、その者たちこそ軽薄の誹(そし)りを免れまい。戦後民主主義教育はこの面で軽薄であった。神社寺院巡りを軽視する風潮を意図的故意に助長してきた。そういう意味で、戦後民主主義擁護論には片手落ちの感がある。国際ユダ邪配下のウヨどもによる日教組批判には同調しないが、このことを日教組自身が内部から理論切開し、日本古来の固有の文化伝統を正しく評価しつつ国際対応化する理論を生み出さねばならないと思う。そういう見直しの機運が起こることを願うものである。そういうことを考える次第である。

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2016年11月10日 (木)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その1、人はなぜお参りするのか

 れんだいこは、このところ忙(せわ)しく神社仏閣参りする。その意味で初詣は欠かさない。今日も、このところ三年間立て続けの奈良県桜井市の大神神社へ詣でて来た。その道中で、車を運転しながら考えた。なぜ人は神社仏閣参りするのか、その効能をどのように了解すべきなのかと。こう設問しながら運転し続けるうちに或る考案を得た。つまり、こういう理由によってではないかと。以下、それを公表して評を仰ぐことにする。

 神社仏閣参りは、ご利益(りやく)お陰(かげ)思想に基づくものである。これにつき、参らない者はともかくとして、参る者には異論はあるまい。問題は、「ご利益お陰を頂く」のはどういう理由によってか、その理論と構造を明らかにせねばならないことにある。ありていには、詣でるところの客体の神仏そのものがご利益お陰の御本尊であり、これを詣でることにより御本尊の徳のお裾分けを頂くことができると考えられているのではあるまいか。故に効能あらたかな神社仏閣を見聞しては足繁くお参りすることになる。

 しかしながら、れんだいこは違う観点を持っている。結果的にはそうは変わらないのであるが、信仰、祈念のあり方の理論と構造が違う。どこがどう違うのかと云うと、効能あらたかな神社仏閣参りするのは良いとして、ご利益お陰を受けるのは、そこに信仰祈念する主体としてのこちら側の参り方によってではなかろうかと思っている。つまり、客体の問題ではなく主体の問題ではなかろうかと考えている。あるいは客体50%、主体50%のお陰で丁度上手く釣りあっているとすべきではなかろうか。

 では、主体としての参り方とはどういうものか、何故にご利益お陰を頂けるのか。これを説き明かしておく。神社仏閣参りには「願掛け」がつきものであろう。これには誰しも異存あるまい。この「願掛け」にこそご利益お陰の秘密があると考える。というのは、人は、「願掛け」によって脳内の集中力と整理力を高める。次に、これを強く祈願することによって脳に焼きつけ「念」を生む。お百度参りはその最たるものである。そうすると、脳は、焼きつけられた映像の具現化に向けて自動作動し始める。脳生理はそういう風に仕組まれている。それは丁度、負傷によって傷ができると自然に傷口を塞ぎ始める皮膚生理と同じである。これを仮に「願掛け念力論」と命名しておく。願掛けも念力も大事とするこの理を知ることが大事である。

 この生理現象を持つのが良いのか、持たざるのが良いのか。れんだいこは、「良い願掛け」なら持つべきであると考える。「悪い願掛け」は「人を呪わば穴二つ」の教えにあるように、追って我が身にも害を及ぼすから避けるのが良い。これに対して、「良い願掛け」ならばフェアな精神による限り特段に人を傷つけず「夢が実現する」訳だから為すべきである。人の向上心とか克己心、励行力は全て「良い思いの願掛け」から始まる。この思い即ち信念は強い方が良い。よって信念を持たないなどは論外である。これは自明なことではなかろうか。これが、「お参りの効能の理」の真相なのではあるまいか。

 こう述べても、お参りに行かない人も居るだろう。そういう人に次のことを説いて聞かせよう。強い思い、信念、願掛けなら、特段に神社仏閣参りしなくても、どこでもできるのではなかろうかと云う問いが残る。これに対して、れんだいこは然りと答える。そう、できる。そういう意味で、縄文のはるか昔の御代より一家のうちにのんのんさま、稲荷様、こうじん様、後に仏様をしつらえて、朝夕に供え物をして拝をしてきている習慣がある訳である。これは理に適っている。墓参りもある。何気ない儀礼でしかないように思われているだろうが、実際には相当のお陰を頂いていると考える。

 ならば、格別に神社仏閣参りすることにはどういう効能の理があるのか。これを思案してみたい。答えは、物事にはおあつらえの舞台があった方がより効果が高まることを知れば良い。神社仏閣は「願掛け」の効果を増す為に、その舞台装置を専門的に考究し尽くしたプロの匠の技によって設営されている。これを利用させて貰わぬ手はなかろう。もし、この意義を否定するのなら、凡そ世の中の演出(だしもの)や照明等々の舞台効果をも否定せねばなるまい。人は、そういうものによって更に効果が高まり感応するという共振性を持つ生き物である。故に、何事にも工夫が凝らされている。これを無下に否定してはなるまい。

 ここでは神社を例に挙げるが、その舞台効果を考えて見よ。まず、前座として参道がある。次に鳥居がある。次に本参道がある。参道には小石が敷き詰められていたり、清浄に整地されているのが通例だ。その両側には木々が茂っている。杉の木の木立が並ぶ例が多い。入り口にさしかかると両側に口が開いている獅子と口が閉じている狛犬が配置されている。阿吽の呼吸の「ア」と「ン」を象っていると云われる。これをくぐって本殿に近づくと手洗い場がある。龍の口と竹の筒から浄水が流されており、ここで手を洗い口をそそぐ。そして本殿に参る。大広場があり清澄な空気が漲(みなぎ)っている。樹齢ン百年、千年の木が立っている。大きな岩石、奇石がある場合もある。本殿正面には注連縄(しめなわ)が横に張られている。賽銭箱が用意されており、任意のお供えをする。大きな鈴が中空に据えられており、綱が垂れている。これを二度三度揺すって礼拝をして柏手を打つ。ここで祈念を凝らす。

 これが終わるとおみくじ売場へ向かう。お札、その他諸々の記念品が並べられている。本もある。お気に入りのものがあれが買えば良い。次に、祈祷をお願いしたくなれば神主か巫女に頼めば良い。祈祷の席に進むと式次第がある。神主がお払いをした後、祝詞をあげる。巫女が舞う。太鼓と笛が伴奏され、巫女が鈴を鳴らす。ササキを奉納する。この厳粛なひと時が心地良い。

 こうして参拝を終える。後は自由である。本殿の奥には大抵の場合、奥つきと云われる元宮がある。これを更に登れば古代の祭祀場に辿りつく場合が多い。これを参れば、なおお陰があると思われる。元宮、更にその奥の祭祀場はとりわけて霊力の強い磁場となっている。かなりの難所を越えるのが通例で、時間の制約もありいつも詣でる訳には行かない。

 これはざっとになぞった参拝風景であるが、これら全ての仕掛けと演出には高度な知恵と謂われがある。それを知るも良し知らぬも良しであるが、一朝一夕にできたものではなく、ン千年の知恵が盛り込まれていると窺うべきであろう。こういう参り場所に参らないとすれば、その人は、参らない浅はかさを惜しむべきであろう。れんだいこは、そのように考えている。

 もう一つ参拝効能を書き加えておく。神社仏閣は空き地であればどこでも良いとして建立されている訳ではない。その土地の守り神が鎮まるところの最高適地を風水的に見定めて、そこに建立している。これにより、そこへ参拝する者は空気がおいしいとか、風が清清しく心地よいとか、静けさが心を安らげるとか、これらにより頭痛が一時的にせよ治ったとか、その他諸々の病状に改善の気配を感じて帰路につくことになる。この効能がすばらしい。こういうお陰をも貰う。これに温泉の湯治療法が連携すればなお効果的になる。理屈ではないこういう陰徳を受ける。これらが「神仏参り、信仰、祈念の効能」である。戦後民主主義はこういうことを教えなかったが、教えられなくとも年相応に至れば自ずと気づき身につけるべきである。

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2016年10月29日 (土)

れんだいこの「五箇条の御誓文」考

 れんだいこの久しぶりのブログ「土人、シナ人発言問題」の書き込み途中で気になった「五箇条の御誓文」につき言及しておく。日本国体の近現代史的霊言が「五箇条の御誓文」であり、日本人自らの手になるオリジナルアイデンティティー短文憲法として位置づけられると思う。

 ちなみに、我が史観によれば、明治憲法には国際ユダ邪の右派系の色が認められ、戦後憲法には国際ユダ邪の左派系の色が認められる。但し、戦後憲法には縄文日本的叡智も相当に含意されているので、その限りでの評価を惜しむものではない。本来、我々が依拠すべきはものは我が国固有の知性で宣言された「大祓いののりと」、「聖徳太子の17条憲法」、「豊臣-徳川政権のバテレン追放令、鎖国令」、そしてこの「五箇条の御誓文」であろう。

日本史は歴史上の最重大な節目にまことに的確な歴史言葉を生み出し、これを伝えて行く知恵がある。こちらの方を習えばよほど有益で、それから次にあれ、次にそれと云うようにして行くのが望ましいのだが、実際にはこういう大事なものを学ばず、やっちもないものばかり習うので、学問すればするほど小難しく云う癖だけ覚え実際には役立たない偏屈行き止まり人間が増産されている。これが意図的故意に仕掛けられているので心せよ。こう説くのがれんだいこ史観である。さて本題に入る。

  1868(慶応4、明治元)年、3.14日、新政府は政治方針として「五箇条の御誓文」を公布した。明治天皇が、天神地祇御誓祭を催し、京都御所紫宸殿に公卿、諸侯以下百官を集め、天地の神々に誓うという形式で維新の基本方針を明らかにした。内容は次の通りである。
   

 一ッ、広く会議を興し、万機公論に決すべし 

 一ッ、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし 

 一ッ、官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、

          人心をして倦まざらしめんことを要す  

 一ッ、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし  

 一ッ、知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし

   我が国未曾有の変革を為さんとし、朕身を以って衆に先んじ、天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの趣旨に基づき協心努力せよ

 実際の朗読は三條実美が行い、神前に向かって奉読した。三条実美が御誓文を読み上げる光景を日本画家の乾南陽が描き、昭和3年に旧土佐藩主の山内家が明治神宮に奉納している。これが明治神宮外苑聖徳記念絵画館で展示されている。その内容を確認しておく。

  御誓文1「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。前段の「広く会議を興し」が議会、国会設置に繋がっていると拝察したい。後段で「万機公論に決すべし」とある。要するに正々堂々と議論せよと云うことであろう。これに照らせば、議会での「おざなりのダベリング」、「常習的強行採決」は御誓文違背の嘆かわしい事態であり空洞化であろう。

 ところで折柄のTPPを見よ。審議そのものが秘密交渉、文書は黒塗り尽くめである。おまけに交渉内容を漏洩したる者が罰せられる仕掛けになっている。果たして、このような審議、法案が認められるべきだろうか。これを牛耳るのが世界を跨ぐ国際ユダ邪である。この連中のやることはかような卑怯姑息陰謀マルチ舌の悪事ばかりである。さようなものは資格からして端から無効と宣言したい。よりによって、このTPP推進派が原発派でもある。この連中は国際ユダ邪の対日教書の政策請負に専念し、その売国見返りに己の立身出世利権を得て偉ぶる連中である。早晩歴史処罰されるべきだろう。

  御誓文2「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」。前段の「上下心を一にして」とは即ち上に立つ者も下に立つ者も公ごとに対しては相協力することを云う。この公意識の高さは世界史上珍しいほどのものであり称賛されこそすれ卑下されるものではなかろう。後段の「さかんに経綸を行うべし」の「経綸」とは「生活意欲及び経済活動」を指しており、これを活発にせよとの意味になる。言わずもがなであるが上下の経綸であって、上の者が地位と権限を利用して私腹を肥やして良いことを意味しない。

  御誓文3「官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」。これもズバリであろう。前段の意味から、「官武一途庶民に至るまで」各自が夢と志が持てる社会であることを要請している。これは、角栄政治の頃までの1970年代には確かにあった夢であり志であり社会であった。後段の「人心をして倦まざらしめん」とは政治の信問題であり、人民がうんざりするような政治を堅く戒めていると拝すべきであろう。

  御誓文4「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」。ここはやや問題のある内容である。前段の「旧来の陋習を破り」の「旧来の陋習」が何を指しているのか。後段の「天地の公道に基づくべし」も然りで、何をもって「天地の公道」としているのか定かではない。御誓文発布前の国体状況は、文明開化の名の下で国際ユダ邪狡知学が導入される折柄であった。これに転換せよとの意味に取れる。ところが、当時は仮にそう思えたにせよ、今日に於いては国際ユダ邪学のデタラメぶり、破綻が明白である。故に、御誓文4は言葉通りに「天地の公道に基づくべし」を核として拝し直しするべきであろう。

   御誓文5「知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし」。ここも少々議論を呼ぶ。前段の「知識を世界に求め」は、この文言で国際ユダ邪学に誘導しようとしている。後段の「大いに皇紀を振起すべし」は、天皇制の鼓舞である。ここでの問題は、結果的に本来の天皇制の鼓舞ではなく、国際ユダ邪が利用し易いような方向への天皇制の鼓舞となったところにある。本来の天皇制は、善政志向の、日本神道精神に導かれて言霊的祈り、念の力をも取り入れる独特の日本式国体政治手法として評価されるべきものである。戦後憲法では象徴天皇制、文化概念天皇制的に規定されたが、これは本来の天皇制に近いものである。但し、天皇の国事行為をもう少し狭めることが必要だろう。

  一言しておけば、文明開化路線に乗って導入されたマルクス主義は、日本式天皇制を西欧的な君主制と同視し、その打倒意志を強めれば強めるほど正義的革命的として来た。それは誤りと認めるべきではなかろうか。明治天皇、昭和天皇の好戦政策は、国際ユダ邪に手玉に取られて乗せられたものであって、日本天皇制史上の汚点と見なすべきで天皇制固有のものではない。かく了解すべきだろう。この謂いが不満なら検証すればよかろう。論争しても良い。

  以上、ざっと「五箇条の御誓文」を確認したが、これが、鎖国から開国への大転換を計った際に、日本国体が統治者に対し言い聞かせ約束させたものである。幕末維新時の国体頭脳は、世界史的潮流からして国際ユダ邪との接触交流が免れないことを覚悟し、日本国体に対し、これだけはどうしても守らせたいとして煮詰めた文言を創出した。それが簡にして要を得た「五箇条の御誓文」である。かく拝する必要があろう。その違背は許されないとすべきだろう。

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2016年10月23日 (日)

日本土着民考その3

 我が日本史の特性をこう了解する時、大阪府警機動隊員の「土人発言」が如何に残薄なものであるのか透けて見えてこよう。「土人発言」は、国際ユダ邪派の「先進文明国史観」に導かれるとき侮蔑的に用いられるが、日本史の特性に照らすとき、「土人」は「土着民」と言い換えられ、さらに「縄文原日本人」ともなり、その優秀さ故に真逆な光芒を放つことになる。それが証拠に、現代日本に至る言語としての日本語、統治の仕組み、文化伝統、生活様式等々は、この「縄文日本」時代に創造生成されている。大和王朝以降、今日までの日本史は、外航派と「縄文日本」派が一方で相和し協力提携、他方で反発拮抗しながら高度な文明を築いてきたところに特徴がある。このことに思いを馳せねばなるまい。

 こういう深層の真相の歴史を学ぶことが学びであり、かく学べば学ぶほど賢くなる。逆に「土人発言」に見られるような受け売りは脳死学問である。故に学べば学ぶほど脳が痴呆化する。最近はそういうインテリが多い。著作権網がこれに援交しており痴呆症肥大に一役買っている。今や日本支配体制を構成する政財官学報司警軍の八者機関の上層部はこういう連中の巣窟と化している。長年の秘密結社儀式活動の悪影響で精神と知能が破壊されている。件の機動隊員は、そういう連中によって仕掛けられている学問を鵜呑みにせず、「土人、シナ人」発言につき「侮蔑的な意味があるとは知らなかった」などと下手な言い訳せずに、早くれんだいこ史観から学びユダ邪学の汚染から脱け出してくれんことを願う。

 なお、いわゆる公人論に言及しておく。公務員は公けの為に資する義務と責任を負っているとすべきであるが、その公務員が、日本国民に対して、「土人、シナ人」呼び捨てにするのは聞き捨てならない。そうすると何か、お前は、国際ユダ邪に資する為に雇われていることを承知し、日本国民に対し「土人、シナ人」と呼び捨てにすることを当然と居直るつもりであるか。今や自衛隊と警察はそのように隊員教育し、隊員はそれを鵜呑みにしてしまっているのだろうか。東京の石原慎太郎、大阪の松井一郎ならともかくも、そこまで国際ユダ邪に丸め込まれて義理立てすることはあるまいに。

 それはともかく東京維新の石原、大阪維新の松井がこれほど国際ユダ邪盲従であることを思えば、明治維新なるものの国際ユダ邪盲従性をも吟味すべきではなかろうか。即ち、国際ユダ邪が対日政治に容喙するとき、「維新」なる用語を専らにする癖があるのではなかろうか。こういう用語が使われ始めたとき、我々は背後に国際ユダ邪の暗躍を認めるべきではなかろうか。この呪縛から抜け出す叡智を創造せねばなるまい。

 ところで、この際、沖縄戦争の際の沖縄人の自決死につき言及しておく。大東亜戦争末期の沖縄戦争の際、多くの沖縄人の自決が刻印されているが、これを上官の命令による強制死として告発する正義運動がある。仮にそうであるのなら、その上官告発、その上官をして自決命令せしめた当時の軍部の責任告発をすべきであろう。但し、それだけでは片付かない問題があるように思われる。あれは縄文魂的自決であり、飛び込みの面があったような気がしないでもない。もとより手前は生き延び部下には自決を命令した上官が居ないとは思わないので検証して行くべきだろう。但し逆の例もあるとしたい。特攻隊の自決も同様のもので縄文魂の為せる敢闘だったのではなかろうか。この辺り、歴史を複眼的総合的に解析、理解せねばならぬのではなかろうか。

 沖縄戦争を語るとき、専ら強制自決か自主自決かを論議することにのみ没頭するのは片手落ちである。本来は、沖縄戦争が如何に有能に「縄文日本」的に戦い、その結果として焼殺、焦土にされてしまったのか。この時の戦いぶりが本土決戦に向かう流れにおいて、連合国側に「ノーモアウォー」気分を醸成させた。そういう沖縄戦争の悲劇と敢闘ぶりを検証することの方が主となるべきであり、その一コマとして自決問題を語るのが筋ではなかろうか。

 戦後日本が靖国神社に参拝するのも良い。戦死者の御霊がそこに祀られている以上は参拝するのが公務であり為政者は参拝すべきと考える。但し祀られる御霊の公平性を促したい。もう一つ、国際ユダ邪の指図に従い再度戦争に向かうのは言語道断と考える。不戦の誓いとして参拝すべきと考える。なお、沖縄戦争被害者の御霊にも手を合わすべきであろう。広島、長崎の被爆者の御霊にも、全国各都市の空爆被害者の御霊にも。そういうことを要求しない戦後民主主義論のあぁ如何に残薄なことか。政府高官の靖国神社参拝の政治的利用が如何に許し難きことか。そういう井戸中歴史観から出藍し本来の歴史論を創出してみたい。

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2016年10月22日 (土)

日本土着民考その2

 先のブログまでが前半である。ここからもう一つの観点から掘り下げてみたい。近代日本史が、徳川政権残存派、天皇制国粋主義派、文明開化開国派と云う名の国際ユダ邪派の寄り合い三派連合で推移し、次第に文明開化開国派ワンサイド政権へと化して行ったにせよ、世界の諸植民地のように国際ユダ邪来襲にひとたまりもなく殲滅されなかったところに日本の偉大さがある。むしろ一時的には一度も二度も跳ね除けた歴史を持つ。世界史的に見て、今この栄誉にあるのは日本、ベトナム、キューバの例があるのみではなかろうか。大和民族のこの能力をもっと称えるべきと思う。「大和民族のこの能力」に沖縄人が関係している。このことを共に悦び重視したい。これはどういう意味だろうか。以下、これに答える。

 れんだいこ史観によると、日本の大昔は「元百余国」と云われるような日本列島津々浦々に棲み分けする部族国家だった。この部族国家が次第に束ねられ、緩やかながらも結合する部族連合国家となったのが出雲王朝御代だった。他所では神無月、出雲では神有り月となる旧暦10月、各地の部族王が出雲に集まり合議政治する慣わしを確立していた。会議後、各地の文化、技芸を披露し称えあった。今日に伝わる「お国自慢」の伝統はこの時以来のものである。時代的には起源前後、更に下って邪馬台国の紀元3世紀頃まで続いた。文明的には弥生時代であるが、後の渡来系大和王朝時代と区別する為に、この時代までを敢えて仮に「縄文日本」(又は「原日本」)と命名しておく。

 この「縄文日本」時代、いわゆるアイヌ人が羽振りを効かせていた。このアイヌ人が知る人ぞ知る日本式美男美女の系統である。記紀に登場する三輪の長脛(すね)族はその代表で、名の通り脛の長い美丈夫の王家族だったように思われる。ちなみに、アイヌ人と琉球人のルーツが同じもしくは近いことがDNA解析で判明している。人だけでなく犬もそうとのことである。日本列島には、このアイヌ人のほかにも様々の人種が生息していたと思われ、これらを合わせて縄文人と云う。

 「縄文日本」の人たちの特徴は割合と混血を好むところにあったように思われる。その様は「より選れた遺伝子」を求めての交合であり、それが王族間の場合には同時に部族同盟を意味していたように思われる。以降、この混血を通して原日本人が生成されて行くことになる。この頃の「縄文日本」の版図を現在の日本地図に当て嵌めれば、北は北海道から南は沖縄まで、即ち今日の日本の如くの範囲で「縄文日本文明」を創造し共生的に満喫していたように推定できる。

 邪馬台国時代の紀元3世紀頃、外来外航族が渡来し、王権の簒奪を図った為、内乱状態に陥った。結果的に「縄文日本」が滅ぼされ、大和王朝に向かうのがその後の日本史である。記紀の記す出雲の国譲り譚、魏志倭人伝の記す邪馬台国滅亡譚はこの辺りの消息を語っていると思料したい。

 こうして大和王朝になる。この時よりの日本を、それまでの「縄文日本」と識別する為に「弥生日本」(「新日本」)と命名できようが、「縄文日本」の時代が既に弥生時代なので、「縄文日本」の呼称はあり得ても、「弥生日本」と云う表現は適切を欠くように思われるので使用しない。「新日本」も同様に後世は常に「新日本」になるので使いづらい。よって、これよりは初期大和王朝御代、奈良朝御代、平安朝御代云々で良いと思う。

 問題は、この「大和王朝」の呼称の不思議性である。何故に漢字で「大和」と書くのか。何故にこれを「ヤマト」と訓読みするのか。この問題に対する正面からの然るべき考察を知らない。これに、れんだいこが挑む。れんだいこ史観によれば、「大和」は正に的確に付与された当て字訳と読む。即ち、出雲王朝を国譲りさせ、邪馬台国を滅亡させる渦中は、記紀神話に記されている如くの苦心惨憺たる茨の道の建国となった。それまでの為政者であった出雲王朝派、邪馬台国派の能力が高く、その権威が強靭で、抵抗が止まなかった。両者疲弊の色が濃くなり妥協するしかなくなった。双方徹底抗戦派はあったものの、それぞれの主流派が最終的に大同団結和睦の道を択び新王朝を創出した。この過程を総括して最も的確であろう言葉として「大和」を案出し、新王朝名に充てたのではなかろうか。

 それだけではない。「大和」の読みは、漢音であろうが訓読みであろうが「ヤマト」とは読めない。それを「ヤマト」と訓読みすることを諒とした。これにも叡智が働いている。即ち、大同団結和睦の時の約定で、新王朝が前政権の邪馬台国の国名を継承し、漢字で「大和」と書いて「ヤマト」と読むことを諒とした。即ち、新政権は、前任統治者の国名を排除して新しい国名を案出して新国家声明するのが世界史的通例のところ、前任統治者の国名を継承し、そのことで政権の連綿性、正統性を付与する道を選択した。

 それは、前任国家の出雲王朝、続く邪馬台国の治世能力、文化伝統能力が高かった為と考えられる。国名としての「大和」、その読みとしての「ヤマト」にはこういう裏歴史事情がある。天照大御神の継承も同様と思われる。天照大御神は外来外航族の祖神ではなく元々「縄文日本」の祖神にして最高神であり、国名同様に権威を継承し利用したものと思われる。

 これらの一部始終が「大払い祝詞」(おおはらいのりと)に詠われており代々受け継がれて今日に至っている。これこそが日本国体憲法である。続く憲法が明治維新の際に発布された「五箇条のご誓文」である。「大払いの祝詞」、「五箇条のご誓文」軽視すべからずの理の所以がここにあり、日本国憲法論を論議する際には必須のもの足りえている。これに照らして見れば、近時の憲法改正論の中身が何と空疎なことか。

 別章【大祓いのりと考】</FONT></B></FONT><BR>
       (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/nihonshindoco/noritoco/noritoco.htm)<BR><BR>
 もとへ。大和王朝建国時に日本史の特異性、不思議がある。要するに、外来外航種族が「縄文日本」征服の為に来襲したものの、ワンサイド支配にはならず、旧王朝との大同団結和睦によって辛うじて王権を簒奪することができたと云う珍事が記録されている。和睦であるから当然、旧王朝派の取り込みが特徴となる。これにより旧王朝御代の言語、政治宗教としての神道、礼儀作法、生活習慣、風俗等々がそのまま横滑りで受容されることになった。これが皇統譜の連綿性に関わっており、前王朝と新王朝が継続した道を遺したと云う意味で、これに従う限り万世一系は真実と云うことになる。とはいえ、新王朝は、以降、外来派と旧王朝派の協調と確執を繰り返しながら悲喜劇の歴史を綿々とさせて行くことになる。この辺りは記紀その他史書の記す通りのところである。

 件(くだん)の機動隊員は、日本史のこの香気を嗅いで匂うべきである。どうせ上官からご都合主義的なアンチョコ歴史を教えられ、その気にさせられているだけのことだろうから、今からでも遅くない本当の日本史を学び直せ。どこでどう学べばよいのか分からないだろうから言っておくが、れんだいこサイトを何から何まで丹念に読めば良いオホンエヘン。ここまでをその2とする。

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2016年10月21日 (金)

日本土着民考

 2016.10.18日午前9時30分頃、沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設工事が進むN1表ゲート前で、これに抗議する市民が対峙し、大阪府警から派遣された20代の男性機動隊員が、この反対運動に参加していた芥川賞作家の目取真俊氏に対して、フェンス越しにかなり強いヤクザ口調で、「触るな、くそ。触るな、こら。どこつかんどんじゃ、ぼけ。黙れ、土人(どじん)」と発言。別の機動隊員が「黙れ、シナ人」と発言。これが、「機動隊員による沖縄人に対してのヘイト用語発言事件」になり詮議されている。

 10.19日、沖縄県の翁長知事が、県庁で「言語道断で到底許されない」と強く非難した。安倍政権の菅官房長官も同日の記者会見で、「警察官が不適切な発言を行ったことは大変残念だ」と語った。10.20日、警察庁の坂口正芳長官は定例の記者会見で「機動隊員の発言は不適切で、極めて遺憾だ」、「今後このような事案の絶無を期すとともに、適切な警備を行うよう指導を徹底していきたい」と語った。

 ところが、機動隊員派遣お膝元の松井大阪府知事が、10.19日、自身のツイッターで、「ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と労いコメントし、翌日のぶら下がり会見でも「相手もむちゃくちゃ言っている。売り言葉に買い言葉。鬼畜生のように隊員個人を叩くのはどうか」と述べ、改めて隊員を擁護した。翁長知事が大阪府知事のコメントに激怒!、「沖縄県民への配慮が足りないのではないのか」と強く批判して物議を呼ぶオマケまでついた。

 以下、この「土人発言」に対して、れんだいこ式に解析評論しておく。案外と重要な問題が宿されていると窺うからである。この「土人」表現が、極めて癖のある且つ歴史性のある且つ国際ユダ邪問題に密接不可分なものであると思うからである。表現の自由を極力広く取って構えようとするれんだいこは、本件を、ヘイト用語使用による非難ではなく、原理的に粉砕してみたいと思う。御意の士が現れんことを願う。件の機動隊員の目に触れんことを願う。

 一般に、「土人」という言葉は、「未開原住民」的ニュアンスで蔑視的に使われている。典型的な例はアメリカンインディアンであろう。戦後日本生まれの子供は、私がその一人であるが、嫌と云うほど西部劇を見せられ、抵抗するインディアン撃退劇を正義の出来事の如くに脳裏に焼きつけられた。この時、無意識下で洗脳、即ち「先進国の白人が原住民を退治し馴致することは正義であるとする」史観を流し込まれたように思う。これによって正視し得ていたのではなかろうか。これを仮に「先進文明国史観」と命名する。

 この史観によって、紀元16世紀頃より世界植民地分割征服戦争が始まった。この戦争を背後で主導していたのが国際ユダ邪と仮命名されているところのユダ邪系国際金融資本、及びこれに合体するところのネオシオニズム系ユダ邪教、そのタルムード教、ユダ邪教に馴致されたところのキリスト教等々の勢力だった。これが近代世界史の流れである。

 この波は日本にも及んでいた。早くは日本史上で戦国時代と云われる16世紀に関わっている。ユダ邪教に馴致されたところのキリスト教のイエズス会系宣教師がトップバッターとして鹿児島に上陸し、手に聖書、口で反逆、背に鉄砲、軍艦を従えて来襲してきた。歴史教科書はこう記さないが、元帝国のそれがハード、イエズス会のそれがソフトと云う違いはあるが共に「来襲」とみなすべきだろう。

 歴史的には、この時の日本政治の政権を担った織田、豊臣、徳川の三家の舵取りが極めて有能で、外交的にも軍事的にも日本侵略を許さず撃退することに成功し鎖国へと結実した。鎖国後、国際ユダ邪に対する警戒心を緩めることになったが、致し方なかった面もあろう。歴史教科書はこう見立てないが、それは現行の歴史教科書が国際ユダ邪ナイズされているからである。

 日本史上、次の来襲が江戸時代幕末の黒船来航である。この時、天下が激論し、尊皇攘夷か国際ユダ邪受容かを廻って激論した。結果的に、織田、豊臣、徳川の三家政治のようには撃退できず、幕末維新から明治維新へと流れ込んで行った。但し、この明治維新は、徳川政権残存派、天皇制国粋主義派、文明開化開国派と云う名の国際ユダ邪派の寄り合い三派連合で推移して行くことになった。この三派連合が次第に溶解し、国際ユダ邪派のワンサイド政権へと化していくのがその後の日本史である。この流れが時に揺り戻しはあるものの2016年の今日まで続いている。かく日本史の流れを確認しておきたい。

 さて、件の土人発言であるが、例の機動隊員が、沖縄人に対し、「この土人めが」と発言した時の真意を問題としたい。彼の土人発言は、上記分析に照らせば、余りにも文明開化開国派が盲従する国際ユダ邪派の「先進文明国史観」をそのまま受容し過ぎていないだろうか。国際ユダ邪派にとっては、国際ユダ邪派以外の世界の諸民族は牛馬犬猫の類のゴイムなる存在であり、煮て食われようが焼いて食われようが、その者たちをそのように扱うのが神から選民された国際ユダ邪派の義務であり権利であるとする。この目線上に土人が居り、殺戮しようが陵辱しようが馴致しようが我々の自由と云うまことに得手勝手好都合な論理構造式を引き下げている。

 れんだいこ史観は、国際ユダ邪派に殲滅され、あるいは馴致された原住民、即ち土人が未開野蛮であったと判定しない。今日の如くの核兵器、原発、その他化学生成物による地球汚染の時代にあっては、概ね自然と共生しつつ原始的に生活していた生態の方が寧ろ本質的に賢かったのではなかろうかとさえ思えてくる。衣食住が自然素材で自然と共生してきた彼らの文明の方が高等だった気がしないでもない。国際ユダ邪派の狡知は、いわゆる「賢こバカ」ではないかと思えてくる。

 こう考える私からすれば、例の機動隊員の「土人発言」が「先進文明国史観」に毒づけられた卑しい史観に基づいての暴言であるのは自明である。国際ユダ邪の目から見れば彼もまた土人の側であるのに、いずれブーメラン的に我が身に突き刺さってくるのに土人批判に興じて悦に入っている。お粗末と云うか思想愚人である。ここまでをその1とする。本稿はここまでとしたい。

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