宮沢 賢治の「雨ニモマケズ」考
詩人、童話作家の宮澤賢治(1896(明29).8.27日―1933(昭和8).9.21日)の「雨にも負けず」の詩を急に確認したくなった。(原文はカタカナ文であるが却って読み難いので、れんだいこ文責で表記替え、段落替え編集した)。
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 慾はなく 決して瞋(いか)らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋に居て 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って恐がらなくてもいいと云い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと云い 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 |
宮澤賢治が生まれ育った岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市)は震災、津波の多い土地柄であった。賢治が生まれた1986(明治29).8.27日の約2ヶ月前の6.15日に「三陸地震津波」(理科年表No.281)が発生している。誕生から5日目の8.31日には秋田県東部を震源とする「陸羽地震」(理科年表No.282)が発生している。賢治が死亡した1933(昭和8年).3.3日にも「三陸沖地震」(理科年表No.325)が発生している。
賢治と震災はよほど縁があったことになる。同時に、三陸地方が昔より震災、津波被害を受け易い土地柄であることが分かる。幼少時代の賢治は、人民大衆が天災、冷害などによる凶作により困窮する姿を目撃しながら育っており、これが人間形成に大きく影響したと見られる。
現在、三陸地方は三陸巨大震災に喘いでいる。恐らく宮澤賢治が詠った「雨二モマケズ」が心の中に生きているのだろう、被災民は粘り強く耐えつつ伝統的な協同精神を発揮して適応せんとしている。「雨二モマケズ」が希望の歌になり明日への展望を模索していることだろう。そういう気づきから、この詩を確認したくなった。
良い詩である。賢治の信仰と生きざまは浄土真宗から日蓮宗へと転じているようであるが、どういう精神行程によったものだろうか。浄土宗系の彼岸主義、日蓮宗系の此岸主義の差により、此岸主義的現実救済を良しとしたのだろうか。
れんだいこには、賢治の根底にあったものは仏教的慈愛に基づく精神と云うより、もっと歴史的に古い縄文的地霊の古神道的共同精神であり、これが息づいており、こういう詩ができているのではないかと窺う。どちらでも良いが、互い寿命のある身、助け合いの精神が大事と云う諭しであろう。
付言しておけば、この地方に賢治時代にはなかった原発問題と云う新たな災害が来襲しており、この難問は未だ解けない。今後も予断を許さない。賢治が生きていたらどう詠うのだろうか。願うらくは天災対策でも大変なこの地域に、これ以上変な人工災害までもたらしてくれるな。
2011.4.21日 れんだいこ拝
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コメント
御意にござります。
最後の付言部分につきまして、とおりがけは次のように考えています。
原発事故放射能汚染による健康被害は人災公害であり、賢治の時代それ以前にも鉱毒流出など水の汚染による広汎な健康被害は存在しました。
戦前は足尾銅山鉱毒事件(田中正造が扱いました)が有名であり戦後は水俣病有機水銀・豊島ダイオキシンが著名ですが同種の公害人災は古事記日本書紀の時代以前先史時代から世界中で発生しています。
「賢治時代にはなかった原発問題と云う新たな災害」ととらえるのではなく戦後発生の企業公害事件のひとつとして捉えて、水俣病発生責任者チッソの企業責任を被害者国民が厳しく追及したごとく、東電と保安院の原子炉外臨界生成放射性核物質放出拡散公害発生者責任を東北関東地方在住の放射能汚染被害を受けた国民がこぞって裁判で厳しく追及してゆくべきと考えております。
ご吟味のほどよろしくお願いいたします。とおりがけ拝
母乳に
投稿: 通りがけ | 2011年4月22日 (金) 08時07分
母乳に放射性物質が検出されたという報道がありました。
放射性核物質には指紋があり、どこの原子炉の臨界で発生した核物質かということが特定できます。
それを利用して福島第一原発由来のものであれば母子に対してまず国が広島長崎被爆者に配ったと同じ被爆者手帳をもれなく交付して健康被害に対する医療福祉受給を国の責任で確保する。これは先に述べた地震津波被災者証および放射能被曝避難者証とは別個に配られるべきものです。なんとなれば前2証は戸籍法に基づき総務省国土交通省財務省(戸籍は納税の基本)管轄、被爆者手帳は医療保険福祉保険法に基づき厚生省管轄業務となるからです。
公害による健康被害に対しては国が治療費を全額負担し総額を発生責任企業に対して全額請求し強制的に国庫へ支払わせるのが当然となります。これを全額支払わない企業は脱税犯罪と同等の犯行を犯したとして情状酌量の余地なく実刑厳罰に処せられます。
母乳中の放射性核物質が福島原発由来の核物質であると判明した場合、東電の母乳汚染企業責任が厚生省行政責任とは別個に企業単独で問われます。ちょうど森永砒素ミルク事件(豊島ダイオキシンと同じく中坊公平が担当)のミルク製造企業のように。東電に製造物賠償責任いわゆるPL法にもとづく個別賠償責任があり訴訟では全敗します。福島原発由来の放射性核物質で母乳汚染を受けた被害者は全員が東電を訴えるべきです。
投稿: 通りがけ | 2011年4月22日 (金) 09時05分
確かに戦前の足尾銅山鉱毒事件も酷いものでした。但し、れんだいこの捉え方では、原発被害は比較にならない途方もない規模のものになります。僅かに広島、長崎で垣間見ておりますが、今後は二の矢、三の矢が襲来するでせう。そう云う風に仕掛けられている気がします。
投稿: れんだいこ | 2011年4月22日 (金) 19時38分