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2011年4月19日 (火)

角栄政治と中曽根政治、福田政治との差異考その1

 2011.3.11日の三陸巨大震災、特に福島原発事故が、れんだいこに田中角栄と中曽根康弘の政治の質の違いを炙り出させた。ここで角栄政治、中曽根政治について再考しておく。爾来、田中角栄については「田中角栄論」、中曽根康弘については中曽根康弘論でそれぞれ考察している。サイトの分量の差は、対象人物の質の差を表象している。ここで、この両者の天敵性について確認しておくことにする。

 その昔、2チャンネル」の「政治版」の「田中角栄part4 」の「名無しさん@3周年」氏の2006.4.28日付け投稿で次のような記述が為されている。これを転載する。

 「角栄は権力を掴み取ることにかけては天下一品だったが、持続させる力は皆無だった。 中曽根は理念のない風見鶏だが、権力というものを知り尽くし、様々な形で利用しながら掌握していく手法は天下一品だった。 角は早々とポシャってしまったが、最後に笑ったのは中曽根であった」。

 これが、角栄と中曽根を評する世間一般の見方なのだろうか。この見立てをどう評すべきか。れんだいこは異見を持つ。この論者は、角栄の政治能力より中曽根のそれの方が優ると云いたいのだろうが事実はどうか。れんだいこ史観によれば角栄の方が数段勝り、中曽根などは風見鶏であちこちするぐらいしか態を為さなかった。

 その関係がロッキード事件を境に逆転する。なぜ角栄が失脚し、中曽根がその後の政局を握ったのか。これには秘密の要因がある。その扉をあけると、角栄が現代世界を牛耳る国際金融資本ユダヤに終始距離を置き、中曽根が身も心もサインアップしていたことが分かる。為に角栄が罠を仕掛けられ、中曽根は如何なる窮地でも救われた。国際金融資本ユダヤは角栄を恐れるあまり失脚せしめた。中曽根は手駒に使うのに按配が良かったので利用され、褒美として大勲位の称号が与えられた。それだけのことである。

 中曽根芸は小泉に踏襲された。中曽根はレーガンと「ロン―ヤス」日米関係を取り持ち、小泉はブッシュと親密な関係を結んだ。これが小泉の歴代3位長期政権の秘密である。決して政治能力の為せる技ではない。中曽根よりもなお忠実に政策忠勤したことによってである。中曽根と小泉は何度も窮地を救われている。そのたびに云いつけられた通りのお仕事を命ぜられ売国奴してきた。それだけのことである。そう読み取ればよいだけのことである。こう読まない「名無しさん@3周年」氏の「角栄の政治能力より中曽根のそれの方が優った」論は何と愚昧なのだろう

 もとへ。田中角栄と福田赳夫の因縁の対決をもって「角福戦争」が云われる。確かに政治手法を廻って相容れざるものがあったので、「角福戦争論」には根拠がある。しかし、両者はハトタカ混交に特質を持つ戦後自民党政治の良き理解と実践者として土俵を同じくしており、その意味で「角福戦争」とは、同じ土俵上での同志的紐帯下での佐藤派相続争いのような観があり壮絶な権力闘争になった。しかし、例えて云えば、角栄と中曽根の関係との比較で言えば「近くて遠い」関係ではなかったか。このことを、越山会の金庫番・佐藤昭子女史は、著書「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」の中で、「角栄の角福戦争論」として次のように語らせている。

 「福田君と私が総裁の座を争うようになったのは、時の状況がそうさせたんで、好んで争ったわけではない。保守本流論からすれば、福田派と田中派は別な河の流れじゃないんだ」。

 田中角栄と福田赳夫の関係は上述の如く受け取るべきだろう。政治観そのものを廻ってもっと本質的な意味でことごとく角栄政治と対立しているのは中曽根康弘のそれではなかろうか。両者は奇しくも同じ大正7年生まれ同士である。余計ながられんだいこの親父も大正7年生まれである。だから、れんだいこは彼らの息子の世代となる。二人の政治は何から何まで見事なほど対比的であり、共に首相まで上り詰めた時代の双壁である。歴史は時にこういう演出をする。

 この「角栄対中曽根の深層での政治的対立問題」は是非とも明らかにしておかねばならないと考える。ボンクラマスコミの不明の見識、愚昧さは「角福戦争」のみ語り、角栄と中曽根は一見相通じているかの描き方を通説としている。「田中曽根政権」なる標語を生み出して得々としている。そういうジャーナリズムを見させられてきたが、それは表層しか見ない凡庸な見解であり、実は、角栄と中曽根は本質的に相いれないものであり、始終地下で暗闘していた。当然、側近取り巻きも然りである。

 戦前の大東亜戦争時代の兵役の肩書からして違う。角栄は新潟県生まれの陸軍上等兵、中曽根は群馬県生まれの海軍主計中尉。中曽根が戦地に赴いたことはなく、実際には女衒のようなことをしていたらしい。ちなみに兵役時代の上等兵的下位の肩書の者で首相になったものは角栄だけである。これが戦後民主主義の為せる技であった。角栄こそは戦後民主主義が生んだ蓮華であった。こう視座を据えるべきであろう。

 興味深いことに、両者の政治の始発からして次のように違う。角栄は、東京大空襲で焼かれた廃墟に佇み、深く戦後復興を思念し、得手とする土木建設から手始めし、その通りの政治家人生を全うした。これに比して、中曽根は、広島原爆を四国の高松から見て、これからは原子力の時代だと直感し、原子力利用を思念し、その通りの政治家人生を全うしている。両者は奇しくも1947(昭和22).4.25日の第23回総選挙で衆議院議員として初当選している。この時の同期に鈴木善幸も居る。

 両者健在の頃は、断然角栄が圧倒していた。角栄が戦後保守系ハト派に在籍しつつ順調に出世階段を昇って行ったのに比して、中曽根はタカ派に在籍しつつ常に傍流の悲哀をこぼしていた。角栄隆盛時代にあっては、中曽根は「三角大福」の中にも入れず、その後塵を拝しつつ軽挙妄動を繰り返していたに過ぎない。角栄は「中曽根君」と呼び、格下扱いしていた。これが史実である。


 2011.04.19日 れんだいこ拝

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