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2011年5月

2011年5月29日 (日)

【「大田龍の食べ物学」考

 れんだいこは大田龍の「食べ物学」については知らない。今、年表を見るのに、1970年代のマルクス主義からアイヌ解放運動への転換、その後の再転換による1990年代からの国際金融資本帝国主義批判の間の1980年代に「食べ物学」、「生命学」、「エコロジー」に関する一連の書物を著わしている。以下、これをこれを確認する。

 1980年の「自然観の革命」、「いのちの革命」。1981年の「何から始めるべきか」。1982年の「性の革命」。1984年の「日本の食革命家たち」。1985年の「家畜制度全廃論序説」、「家畜制度全廃論序説―動物と人間は兄弟だった」。1986年の「日本エコロジスト宣言」。1987年の「たべもの学入門」。1988年の「天寿への自然医学─評伝・森下敬一」、「たべもの学第2部~第10部」。1989年の「エコロジー教育学 真人類への進化の途」。

 この間、政治運動的なものとして、1981年に「日本原住民と天皇制」、1982年に「日本原住民史序説」、「日本原住民と天皇制」、1983年に「琉球弧独立と万類共存」、1985年に「私的戦後左翼史―自伝的戦後史」、1986年に「マルクスを超えて」を著わしている。

 ここから判明することは、大田龍は、スターリニズム系マルクス主義運動、続く反スターリニズムとしてのトロツキズム系革命的共産主義運動、続くアイヌ解放運動のその後において、「食べ物、生命、天寿、医学、エコロジー」に関するいわゆる文化運動に沈潜している時期を持ったことになる。ここから一挙に国際金融資本帝国主義批判に転じる訳だが、中間地点に文化運動期を持ったことの意味を考えるべきではなかろうか。大田龍の思想的陶冶を深めたと云う意味でもっと注目されるべきだろう。

 残念ながら、れんだいこは、この時期の著作のどれも読んでいない。ネット検索で「『要望書・陳情書』のトップページへ、ようこそ」(http://32.srv7.biz/)に出くわし、大田龍の「食べ物学」の一端を知ることになった。当該サイトは膨大な量で、なお且つ繰り返しのフレーズが多いことと文章のできが良くない為に読みづらい。これを精査し、肝腎なところだけ抽出して見た。これをサイトアップしておくことにする。
れんだいこサイトは以下の通り。

 「太田龍の食べ物学考」
 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi

 /ootaryunokenkyuco/tabemonogakuco.html

 れんだいこが「目からウロコ」だったのは、ヒトラー率いるナチスドイツの「食べ物学」である。これは、「『要望書・陳情書』のトップページへ、ようこそ」で知ったので感謝申し上げておく。その要点を確認しておく。ヒトラーにせよナチスにせよ「時代の狂気の象徴」として語られることが多いが、それは戦勝国側のプロパガンダによるものであり、実際のヒトラー、ナチスはどうだったのだろうか。これを確認したくなる。その一例として「ヒトラー率いるナチスドイツの食べ物学運動」があるので確認しておく。

 ナチス率いるドイツ第三帝国の時代の1933年、動物保護法が成立している。法律序文は、「動物は人間のためではなく、それ自体のために保護される」と述べている。戦前の1938年、動物保護法改訂版を成立させている。第一条「ドイツの法律は、諸外国のそれとは異なり、動物すべてを保護の対象にする」と規定している。

 その法律の延長線上の法律として、戦後の1972年、当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)は「動物保護法」を改正して、「動物を人間の同胞」と定義している。東西ドイツ統一前、統一後の憲法制定に向けて「動物保護法」を憲法規範に高めることを連邦議会と合同憲法調査会で検討論議している。その結果、どのように明文化されたのかは不詳であるが、こうしてドイツでは「人と動物の共生即ち動物愛護」が強く指針されていることが分かる。

 この流れの創出の功労者がヒトラーであり、その側近の感性であった。ヒトラーは「厳格菜食主義者ベジタリアン」であり且つ「霊能力者、予知能力者、予言者」でもあった。ヒトラーと側近のハインリヒ・ヒムラー(親衛隊 SS指導者、秘密国家警察ゲシュタポ長官)は「動物保護法」と菜食主義の推進に精力的であり、共に親日家であった。「日本人が全人類の命運と存亡を左右するような民族であり、全人類の真の救世主の役割を果たす民族であることを発見」していた。非暴力抵抗運動家にしてインド独立の英雄であるマハトマ・ガンジーはヒトラーと有無相通じていた。両者は、自然の法則に調和して生きることを理想とし、菜食主義、畜産動物屠殺禁止、野生動物屠殺禁止、動物実験禁止、動物虐待禁止思想で一致していた。

 ヒトラーの親日論の一つに、日本が幕末の孝明天皇の代までの1400年間、肉食禁止を政策として来た稀有な国であったことに対する御意がある。1872(明治5)年1月24日、明治維新政府によって食肉が解禁され、家畜が食肉化され始めた。この背後に、国際金融資本ロスチャイルド派による教唆があり、以来日本人はそれまでの玄米を主食とする食生活を捨て、「動物性食品を食べなければ栄養にならない」、「人間は元々肉食雑食動物である」と喧伝され肉食中毒にされた。そうではあるが、庶民の食生活は概ね伝統的な非肉食系の献立を維持しており、ヒトラーはこれにいたく感動していた風がある。

 ヒトラーは次のように警告している。「いずれ人間が大自然から復讐される。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下す」、「たとえ戦争も災害もなくても、人間は21世紀、空気と水と食物の汚染だけで衰えていく。いや、その前に、肉食とアルコールとタバコでも衰える。だから私は肉も食べないし、酒もタバコもやらない。こうすれば、汚染で破滅する者よりは保つのだ」。

 ヒトラーのこの言には次のような裏意味があるのではなかろうか。日本の肉食禁止令の政策意図ははっきりしないがヒトラーの場合には、国際金融資本帝国主義派のネオシオニズムイデオロギーに対する明確なアンチの意思があった。即ち、肉食に伴う動物殺生は、ネオシオニストから見ればユダヤ人以外は準家畜であり、家畜殺生は準家畜殺生に繫がる。この悪の食物連鎖を断ち切る為、肉食禁止、動物愛護に向かった形跡が認められる。つまり、ヒトラーの親日論、動物保護法には深い思想的裏付けがあったと云うことになる。

 こうして、ナチス率いるドイツ第三帝国は、国際金融資本帝国主義派のネオシオニズムイデオロギーに基づく「選民主義によるユダヤ人の自然支配、他民族支配」的政治政策に基づく肉食主義、その為の家畜の飼育、それに伴う虐待、動物実験等々に抗議し、人と動物の共生的社会を創造しようとしていた、ということになる。

 こういうことを知ると、「ヒトラーの狂気」とはどこまでが本当の話で、どこからが戦勝国側のプロパガンダか分からなくなる。ユダヤ人屠殺のホロコースト然りで、どこまでが本当の話で、どこからが戦勝国側のプロパガンダか分からなくなる。大成功を収めたベルリンオリンピックの精華をも再確認したくなる。

 歴史の史実は変わらないが歴史の論評は幾らでも細工される。故に、我が目と耳と頭脳で得心しない限り迂闊には通説を信じる訳にはいかない。こういうことを改めて教えられたのが「大田龍の食べ物学」であり、今後ゆっくり読ませて貰おうと思う。

 2011.5.29日 れんだいこ拝

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2011年5月23日 (月)

俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その4

 「俵孝太郎氏の『田中裁判もう一つの視点』書評その1」で、俵氏の「裸の共産党」(日新報道出版部、1972.5.25日初版)がユニークな日本共産党論を述べていることに触れた。それは間違いではないのだが、「日本共産党を普通の市民政党として捉え、むしろ営利商売的な株式会社として位置づけ、それぞれの党幹部を会社的肩書で評論していたと記憶する」としていたのは、より正確には、「日本共産党のすべて」(サンケイ新聞出版局、1973.7.25日初版)に於いてであった。こう訂正し確認しておく。

 「裸の共産党」は次のように記している。概要「党員拡大にせよ機関紙拡張にせよ大衆募金にせよ、“宮本日共”は目標を中央で査定、数字を割り当て、完全達成を求めるやり方をとってきた。この目標達成は県、地区、末端組織という各段階での団体目標と党員一人一人の個人目標に細分化され、たえず集約、点検を重ねることによって為し遂げられていったが、これは県を一事業部、地区を大型販売店、末端組織を小売商店、党員をセールスマンに置き換えてみれば、まさに近代経営学の教科書通りの目標管理と云って良い。しかもこの目標管理方式は、党員の拡大や資金づくりの面ばかりでなく、選挙の票固めにも日常活動にも適宜採用され、“宮本日共”全体を通ずる一つの特色とさえなっているのである。経営多角化と云い目標管理と云い、高度経済成長時代の日本の経営が採用した手段をいち早く政党の分野にとり入れたのが共産党だということは、皮肉な現象になっている」。

 俵氏は、宮顕の近代経営学手法による党運営を賛辞的に評しているのだが、これが宮顕の逆鱗に触れた。宮顕はなぜ怒ったのか。それは、近代経営学と親疎にしている己の素姓が知れるからであろう。どこから見ても社会主義、共産主義的な共生感覚なぞなく、党中央を資本とする資本主義的党運営を党内に敷いているカラクリが暴かれたからである。ちなみに、宮顕の奥の院盟友たるナベツネも、読売新聞拡販に同じ手法を使って業績を伸ばしたことで知られている。こういうところから「お里が知れる」ことになる。この二人を結ぶ線は何なのだろうか。

 ところで、「日本共産党のすべて」がズバリ次のように記している。概要「日本共産党を株式会社になぞらえて論ずるのは、日共にとっては『歪んだレンズに写されたピンボケの写真』を見せられるように、我慢できないことであるらしい。日共を株式会社になぞらえたのは、私が昨年春に書いた『裸の共産党』が最初だろう。私はこの本で、日共の他党とは段違いに整備された組織形態、まことに機能的で効率の高い組織運営を『積極的評価』して、日共は高度経済成長の旗手である大企業と共通したすぐれたマネジメントを採用することによって躍進した、と分析した。これに対して、赤旗は、『日本共産党の本質を歪める比喩―俵氏の日本共産党論に関して―』という、党外からの論評に対するものとしてはまことに異例の反論を掲載した」。

 続いて、日共の幹部組織の機溝解析した後、次のように比喩している。「中央委員会議長は会長、幹部会委員長は社長、同副委員長は副社長、書記局長は専務、常任幹部会委員は常務、幹部会員は重役、そして党本部の専門部長は部長、都道府県委員会の委員長は支社長といったように、相応の序列と職務分担をもって、まさに株式会社―大企業並みのトップ・マネジメント体制を敷いているのが日共の人事の特徴といって、差し支えあるまい」。

 赤旗がこの比喩に応えたのか無視したのかは定かではないが、まことに的確な描写ではなかろうか。これによると、日共党組織は、宮顕時代になって一般の企業組織と瓜二つの構造に変質させられたことになる。その組織体制が良いか悪いのかの判断は別にして、革命論なぞはお飾りに過ぎず本質は単なる口先商売的臭いを濃厚にし始めたことぐらいは確認しておくべきだろう。れんだいこ史観によれば、共産党が日共化して以来、かくも革命商売政党と化したと云うことになる。党が幹部を養う為の営利体であるからして口先三寸士ばかりを育成し、諸事アリバイ闘争化するのも無理はない。議会進出も高給就職先として送り込まれているにすぎないと云うことになる。その就職口にありつこうとして党中央に対するゴマすりが横行していると思えばよい。これが日共の内実であろう。党中央の耳たこ正義論が食傷され、人民大衆が口舌の徒輩の弁を聞き捨てるのも尤もということになろう。

 俵氏が同書を書いたのは1972年から73年の丁度、角栄政権の時代に当たる。この時代、宮顕共産党は議会進出史上の絶頂期であった。1972.12.10日の第33回衆議員総選挙で、14議席から38議席(愛知1区の革新共同の田中美智子を加えると39議席)、京都1区で2名当選を果たした。特に首都圏で全員が上位当選を果たし、マスコミは「自共対決時代到来」と名付けた。この頃の俵氏の日共分析である。この党が今後勢力を増すのか足踏みするのか後退するのかの見極めを念頭に置いて解析していることになる。

 
俵氏は玉虫色に述べているが、史実は、この時を頂点に以降じりじり後退局面を迎え現在に至っている。敗北するたびに捲土重来を繰り返し、それでいて責任者の誰一人も責任をとらず、次回の挽回を期すのが真の責任の取り方なる論で遣り繰りしている。丁度今、民主党の岡田幹事長が同じ言を弄している。この御仁は、よほど赤旗を読み過ぎて被れたのか、背後の指示勢力が同じで教本通りの弁を請け売りしているのかのどちらかであろう。これ以上はもう云うまい。これにて「れんだいこの俵孝太郎氏の日共論解析考」を完結させることとする。

 ところで、2011.5.22日、れんだいこブログに「波」氏から次のような情報が寄せられた。真偽不明で確かめようがないが重大ニュースである。これを確認しておく。
 概要「不破は自民内閣の官房機密費を毎年500万円貰って、戦後CIAが創った自民党と大資本に買収されていた。2~3年前に週刊誌で中曽根康弘元首相と『友好的』な会談をしたのは、その恩義からであろう。志位陸軍中将孫の志位和夫共産党現委員長も、自民内閣の官房機密費を毎年500万円貰っている上に、2009年12月にロックフェラー独裁支配下の傀儡オバマ米大統領から『核兵器全廃協力金』の名目で100万ドルの賄賂を、自宅へ訪問した米大使館員から受取って、米帝に買収された。東京地検は24時間見張っているので政治資金規正法違反・外為法違反・収賄・脱税の容疑で立件する方針だったが、物的証拠を確保できなかったので立件を控えている。自・公・みんな・社民・共産その他野党の党首と幹部らは、みんなトカゲ座レプティリアンの変身体である」。

 この話は、金権政治批判で田中角栄、小沢一郎を厳しく政治訴追している者の裏の正体を明らかにしている点で重要である。この情報を片鱗さえ伝えないマスコミも同じ穴のムジナと云うことになる。通りでグラマン事件、リクルート事件がスル―され、ロッキード事件、小沢キード事件ばかりが執拗に追及される筈であるということになる。してみれば、この情報は現代政治の裏舞台を暴く貴重な証言と云うことになる。問題は、これをどう証明するのかにある。極秘情報は秘されるので確かめようがない。しかしながら参考情報ぐらいには留めておくべきであろう。

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2011年5月22日 (日)

原発を廻る不破講話考

 「2011.5.10日付け不破哲三・社会科学研究所所長の原発講話」にコメントしておく。(http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110510_fuwa_genpatsu.html

 この不破講話に対し、毎日新聞の岩見隆夫が5.21日付け「近聞遠見」で「トイレなきマンション」と題して次のようにコメントしている。これにコメントつけておく。

 岩見は、冒頭で「不破哲三社会科学研究所長の<原発災害講義>は出色だった。日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい」。締めで「原子力への理解を深めるためにも、不破講義の一読をおすすめしたい。分量は400字原稿用紙50枚ほど」と述べ、不破講話を推奨している。

 これはまだしも良いとして問題は次の 「菅内閣の対応は本当にだらしなく、政権党として考えられない。しかし、こういう事態をつくり出したのは、2年前まで政権を担ってきた自民党だ。国民的大災害の根源である自民党の歴史的責任に口をぬぐい、今の対応だけを追及して済まそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思う」を何の注釈もなしに引用していることにある。

 これでは、日共が昔から原発反対組であったことになる。実際は、2011.4.22日付け「Re::れんだいこのカンテラ時評921」の「
日共の原子力政策史考」で確認しているが、日共の原発政策論は、岩見が素描したような「元々からの反対論」では断じてない。

 ジャーナリストであれば不破の虚言癖を見抜き、今そう云っている不破が、「社会党と違って何でも反対ではない原発論」を唱え、裏方から推進していた史実を披歴するのが務めだろう。不破の新情勢に合わせた饒舌は病的なもので、こたびの講話にも如何なく発揮されている。それは拉致事件の例とも重なる。あの時も、拉致事件を問題にし続けてきたのは我が党だった論で顰蹙を買った。

 不破論法によれば、「いつも正しい」。なぜなら、その時々で相反する二枚舌を使っているので、つまり両刀使いなので、情勢がA論有利の場合にはA論を、B論有利の場合にはB論を持ち出す名人芸の持主である。それを思えば、褒めるばかりでは何も評論していないことになろう。

 もっとも、岩見自身が同じ癖を持つ。角栄を褒めれば株が上がる場合には角栄持ち上げ論を、貶せば受けが良い場合には角栄金権論を持ち出すと云う風に。この両者はムジナの同類であるからして同病相哀れむで自ずと通ずるのかも知れない。岩見は、不破を擁護することで間接的に自己弁護しているのかも知れない。

 興味深いことは、ここへ来て不破がはっきりと「日本のエネルギーを原発に依存するという政策から撤退するという決断をおこなうことです」と云っていることである。「社会科学研究所所長」としての見解であるので党のそれかどうかは不明であるが、日共が福島原発事故を奇禍として「脱原発」に舵を切ったことになる。結果オーライで云えば、これはこれで良いだろう。

 但し問題は残る。「必要なことは、いまその戦略的な決断をし、その方向に向かってこうやって進んでゆくという国家的な大方針を確立することです」と述べ、早急に転換するのではなく徐々に向かうべし論で規制している。又もや二枚舌癖を発揮していることになる。どこまで行っても煮え切らない不破らしい物言いである。

 もう一つ。政策を転換するのであれば、過去の「原子力の平和利用賛成基本姿勢論」の然るべき根拠を述べ、今や転換の合理性を論証し、自己批判しておくのが筋だろう。これをせず上手に口を廻しているところが不破らしい。思うに、我が社会の上層部はこういう手合いでないと生き残れず、逆に云えば、こういう手合い故に出世してきたということだろう。いつの世もこうなのか、今が特にそうなのかは分からない。

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2011年5月14日 (土)

徳球の共産党中央委員人物寸評考

 徳球は、1950年党分裂時、中央委員の寸評を遺している。これが面白いので確認しておく。

 1950.4.28-30日、第十九回中央委員会総会が開かれ、徳球系執行部が提起した「当面する革命における日本共産党の基本的任務について」議案を廻り喧々諤々の議論が巻き起こった。結局、志賀、宮顕、神山、蔵原、亀山、袴田、春日(庄)、遠坂良一等はテーゼ反対を表明して排除された。こうして中央委員会は事実上分裂した。この時、徳球は次のような党中央委員寸評をメモ書きしている。非常に多様な草案批判の特徴を三グループに分類した上で個々にその特徴をあげつらい次のように素描している。   

神山について  「同志神山の批判は特徴を持っている。それは彼が知っているであろうと思われる共産主義に関する一切の知識を概念的に配置しておいて、これと異なるものをすべてとらえて論評を加えている。なかなか才人に見える。だが、そういうことが必要であろうか。私は否という、というのは事実上これでは論評になっていないからである。我々は一定の目的に向かって論議しているのである」。
志賀について  「彼の根本的な態度だが、それは彼の云うところの『プロレタリア国際主義』である。私は特に『彼の云うところのプロレタリア国際主義』という。なぜなら、それが『ウォール街的国際主義』に傾いているからである。彼は日本の革命を外国の人民勢力に頼って行おうとしているからである」。
宮顕について  「同志宮本の批判は、全体を通じてみて、いわゆる、ブルジョア学者的である。自分の書いているテーゼが実行されるかどうかは問題ではない。彼の考えていることが全面的に言葉に表現されているかどうかが、同志宮本にとっては一番重大な問題なのである。ブルジョア学者的であり、自分が権威だと思う文献によってものごとを処理している」。
蔵原について  「彼もやはり文献主義者であり実際を知らない。この意見書が何よりもそれを物語っている。‐‐‐この反対論にはこうした子供らしさがみなぎっている。彼の権力や革命の性質等に関する反対論も、こういう態度から出てきていると考える」。「子供らしい言い分」。
袴田について  「彼の批判は、一般の批判者と異なった特徴を持っている。それは実践についての強い主張である。だが一体、それは誰がやるのか? 彼自身はこれをやる責任を免除されているのか?を聞きたいのだ。‐‐‐同志志賀その他の人々の云うこととはまるで反対になっている。だが行動は一緒だ。これが反幹部活動の特徴である」。
遠坂について  「(総括を先に述べ)これはほとんど論評に値しないほど抽象的な論議に陥っている」。
亀山について  「彼はまったく気が狂っているのではないか」
春日(庄)について  「彼の批判は、いわゆる左翼的跳ね上がり屋を代表している」、「何か欲するところがある」。

 徳球のこの辛辣な同志批判コメントに対して、所感派の連中も驚き、その撤回、取り消しが賢明であるとする杞憂意見が為されている。「徳田のこの悪罵が分裂の傷口を広げ、いわゆる国際派の分裂活動を促進し、反対者を多くした」と伝えられている。

 れんだいこが在席していたら「面白いではないか」と受け止め、気難しい排斥屋の論理を斥けただろう。下手な配慮で「もの云えば唇寒し」にするより、徳球に見倣って他の中央委員もそれぞれの党中央委員寸評を出せば良いではないか、その方が却って有益なのではないかと反論していただろう。

 「徳球の同志批判コメント」を確認する。まず神山評。神山の博学ぶりを「なかなか才人に見える」と揶揄している。実践的に何ら寄与しない博識ぶりであることを鋭く衝いている。志賀評。志賀のプロレタリア国際主義が常に外国の権威に基づいているヒモつきであることを揶揄している。「ウォール街的国際主義に傾いている」と見抜いている。鋭いと思う。

 宮顕評。宮顕の左派運動に於ける異邦人性を鋭く衝いている。「彼の考えていることが全面的に言葉に表現されているかどうかが、同志宮本にとっては一番重大な問題なのである」と述べ、特殊な狙いを持って党中央簒奪を窺っていることを警鐘している。蔵原評。蔵原も又宮顕同様に左派運動に於ける異邦人人士であることを鋭く衝いている。その言を「子供らしい言い分」として相手にしていない。袴田評。袴田の言行不一致性を鋭く衝いている。得体の知れなさを感じ取っている。遠坂評。「抽象的な論議に陥っている」癖を見抜いており、この御仁の左派運動に於ける異邦人性を鋭く衝いている。

 亀山評。狂人扱いしている。れんだいこがこの意味を詮索するのにこう云う意味ではなかったか。亀山の政治理論、行動履歴、党中央内の立ち位置からすれば徳球系所感派に与するべきなのに、この時期こともあろうに自身の政治的立場と明らかに違う宮顕糸と行動を共にしている不自然さを揶揄しているのではなかろうか。そういう意味から云えば当たっているからである。気がふれている意味での狂人論ではなく、敵と味方を取り違える狂人性を揶揄しているのではなかろうか。

 春日(庄)評。「いわゆる左翼跳ね上がり屋であり、出世機会主義的傾向を持つ」癖を見抜いている。これも鋭い。中西功についての論及がないのをどう理解すべきだろうか。徳球は、「中西意見書」の提出を正々堂々認可しており、その左派性を案外と評価していたのではなかろうか。或いは完全に無視していたのかも知れないが前者と受け止めたい。

 以上、なかなか面白い徳球コメントだった。その後の共産党史は徳球コメントが危惧していた通り最悪の宮顕―蔵原―袴田―遠坂コンビに奪権されて行くことになる。そして今日ある通りの似ても似つかぬ共産党即ち日共化する。あれこれ思えば、徳球コメントを深く味わうべきだろう。

 2011.5.14日 れんだいこ拝

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2011年5月13日 (金)

「反立花論客三銃士」考

久しぶりにロッキード事件を振り返る。今までに言及し得なかった面を確認しておく。政治が面白くなくなると、時間がもったいないので角栄に立ちかえる癖があるようである。

 1984(昭和59)年と云えば、前年の東京地裁第一審有罪実刑判決を受けロッキード事件公判闘争の最終局面である。この時期、ロッキード事件の正義性を廻って、訴追派の雄たる政治評論家の立花隆に立ち向かう論客が登場した。上智大学教授(専攻は英語文法史)の渡部昇一、弁護士の石島泰、九州大学名誉教授の井上正冶である。これを仮に「反立花論客三銃士」と命名したい。

 中でも、渡部氏が公開論争、論戦を繰り返している。ふと、これを振り返りたくなった。一体、どのような内容のやり取りだったのだろうか。当時の熱っぽい雰囲気から逃れて、今静かに振り返るのも一興ではなかろうか。と思い、ネット検索してみたが異常に出てこない。マシなものとしては、れんだいこのサイトが紹介されているぐらいのものである。他は「立花是、渡部非」を巧妙に云い繕うロクデナシものばかりである。この連中によって
次のように評されている。 

 「同裁判を、『田中角栄を陥れるための暗黒裁判』だとする渡部を、立花が徹底的に批判した。両者の論争はすさまじく、互いに相手の人格を否定するような激しい言葉の応酬があったが、理は圧倒的に立花の側にあり、渡部は完膚なきまでに叩きのめされたと評されている」。


 この評が適切なものであるのかどうかを検証したい。れんだいこの観点ははっきりしており逆の立場で次のように評したい。

 「ロッキード事件を冤罪視する者は皆無だった。かの時代に角栄を擁護するのは袋叩きにあう恐れがあった。政財官学報司警軍の八者機関の上層部、これに加えて政党が右から左まで野合して角栄糾弾の一大包囲網を敷いていた。その時代に、角栄を糾弾する立花に立ち向かう勇気の持主が登場した。それが渡辺昇一であった。一つ間違えたら大学教授の椅子すら失いかねない。それぐらい危険な立場から登場し立花に論争を仕掛けた」。


 この両論のどちらに軍配が挙げられるべきか。いずれにせよ「立花―渡部論争」に対する学的考察が為されているように思えないので、じっくり腰を据えて確認しようと思う。但し、今のところ資料と時間が揃わぬ為、アウトライン的なスケッチにとどめ仕込みの段階としておく。

 1984.1月号諸君に渡部昇一「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」が登場した。この時期、文芸春秋、朝日ジャーナルが立花を寵児として持ち上げ、論客第一人者として一種独壇場になっていた。これに「もの申す」の声を挙げた格好となった。

 それにしても、諸君の異色な立場が分かり興味深い。諸君は3月号でも渡部昇一「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」を掲載した。同7月号で、立花隆「立花隆の大反論」、渡部昇一「英語教師の見た『小佐野裁判』」、同8月号で、匿名法律家座談会「立花流『検察の論理』を排す」、伊佐千尋・沢登佳人「『角栄裁判』は宗教裁判以前の暗黒裁判だ!」、同9月号で、立花隆「再び『角栄裁判批判』に反論する」、「『角栄裁判』論争をどう思いますか?」と題するアンケート特集が掲載されている。

 渡部氏は後に「万犬虚に吠える―角栄裁判と教科書問題の誤謬を糺す」(PHP研究所、1994.4.1日初版)を刊行している。ロッキード事件の下りの論文の見出しは次の通りである。「角栄裁判は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」、「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七カ条」、「英語教師の見た小佐野裁判」、「角栄裁判に異議あり!」、「立花隆氏にあえて借問す」、「田中角栄の死に救われた最高裁」。たかが、これだけの情報を集めるのにも骨が折れる仕掛けになっている。そういう意味で「反角栄政治網」が用意周到に敷かれていることが分かる。この現象は一事万事で、何も言論界だけのことではなかろう。

 れんだいこは、この時期の渡部昇一氏の言論意欲を高く評したい。歴史の審判は、俗論の立花軍配から渡部軍配へと差し替える日が近いと思う。ちなみに、この時期の角栄擁護、ロッキード事件そのものへの疑惑スタンスをとった論者を確認しておく。順不同であるが、戸川猪佐武、早坂茂三、小室直樹、太田龍、馬弓良彦、新野哲也、渡部昇一、石島泰、井上正冶、秦野章、古井喜實、蜷川真夫、小林吉弥、砂辺功、鵜野義嗣、岩崎定夢、松下三佐男、俵孝太郎、中野士郎、内海賢二、渡辺正次郎、山本七平、林修三、会田雄次、谷沢永一、浅利慶太、小堀桂一郎、勝田吉太郎、屋山太郎の面々である。三浦康之、青木直人、木村喜助、相沢正、小山健一等々が続く。最近では角栄の番記者を務めていた増山榮太郎氏も好意的に回顧しつつある。

 やや中立的に久保紘之、北門政士、水木楊、大下英治、宮崎学等々。田原総一朗はロッキード事件疑惑で名を売り、その後大きく右旋回したことで知られている。角栄擁護派を正確に見れば曖昧な者も居ようが、概ねこれらの論者が有能だったことになる。ここに挙がらない者は端から言論レースに出る素養がないことを物語っている。その俗物どもが、その後の言論界を牛耳り今日に至っているので、政界同様の貧相さを免れ難いのは当然である。

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2011年5月 2日 (月)

俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その3

 「マスコミの検事主張丸のみ報道ぶり」批判の勢い余って、「宮顕戦前履歴のリンチ査問致死事件」について次のように述べている。

 「たとえば現共産党中央委員会議長、宮本顕治被告の事件に関しては、逮捕され、起訴された当時、いわゆる記事解禁を受けて検察側の主張をマル写しにした断罪記事を大々的に載せ、宮本被告を殺人者扱いしたが、その後公判の経過で例の『リンチ事件』が殺人の名には値しないものであることが明らかになっても、これを報道しようとはしなかった。宮本被告は、最上級審で傷害致死と判決されたのだが、マスコミが検察側の一方的主張をもとに伝えた『リンチ殺人』の汚名は、容易なことでは消えずに長く残されたのである」。

 (れんだいこ評) 俵氏のこの指摘はいただけない。と云うか本書の値打を大きく毀損している。そもそも俵氏の「宮顕戦前履歴のリンチ査問致死事件」についての認識が狂っている。当事件は、不屈の再建を担い続けた戦前共産党の最後的解体に繫がる事件であり、党内スパイ摘発と云う流布されている通説に反して真相は、スパイ派の宮顕派が党内最後の労働者派の中央委員・小畑氏をスパイ容疑で査問リンチし続け、隙を見つけて逃亡を図った小畑氏を査問側が寄ってたかって押さえ込み圧殺したと云う査問過程上の殺人事件である。その際、宮顕は主犯であり、抑え込みの役割からみて小畑圧殺の直接的下手人でもある。これが真相である。これを冤罪理解せんとしている俵氏の惜しむべき軽薄性が見て取れる。

 むしろ俵氏は気づかねばならない。俵説に立っても、ならばそういう履歴を持つ同類の宮顕がなぜ、角栄に対しては冤罪であることをゆめ想定せず率先的に角栄批判に興じているのか、そのアンバランスさを疑惑すべきではなかろうか。この観点から、日共宮顕式のロッキード事件徹底糾弾運動のウソ性に疑惑を投ずるべきではなかろうか。これをしているようには思えないので俵氏の軽薄性のみが残る結末となっている。あるいは、このくだりをわざわざ挿入言及することで間接的に日共宮顕批判をしているのかもしれない。そういう節も読み取れる。この場合にはまま許される。

 れんだいこのこのカンが当たり、読み進めて行くと次のような記述に出くわした。「宮顕戦前履歴のリンチ査問致死事件」についての誤認識はそのままながら、次のように述べている。

 「私などは将来疑い深いし、疑獄事件はえてして裁判の結果無罪判決、つまり検察の敗北に終わり易いものであり、かっての帝銀事件のように、検察のファッショと云われてもやむを得ないような空中楼閣的『事件』もあることを承知しているから、無邪気に検察の嫌疑を最終事実とすることはできない。仮に検察の嫌疑を最終事実とするなら、共産党の宮本委員長はリンチ事件殺人犯だし、松川事件は共産党のしわざ、創価学会の池田会長は買収の選挙犯罪者にされても仕方ない筈である。ならば共産党や公明党は、骨身に徹して検察の嫌疑を鵜呑みにしまいと注意してしかるべきなのに、この際検察の嫌疑の当否を疑ってみる考え方は持ち合わせていないらしい。マスコミや世論は、なおさらのことである」。  

 (れんだいこ評) そういうことである。共産党はかっての共産党ではなく今や日共と呼ばれる看板騙しのヌエ政党である。そういう政党だからであろうが、「宮顕戦前履歴のリンチ査問致死事件」については冤罪、角栄の首相犯罪については有罪の二枚舌を平気で使い分けている。この両事件での舌の使い方を比較してみるのも面白かろう。

 本書執筆当時に騒動化しつつあったグラマン疑惑について、ロッキード事件と比較して次のように述べている。

 「百数十日にわたった航空機疑惑(グラマン疑惑)の捜査が終結し、事件の全貌が明らかになったとは云えぬまでも、その輪郭はほぼ浮かび上がってきた。一言に云って、事件の表面化はロッキード事件が先だったが、事件の発生そのものは今回の航空機疑惑の方がはるかに古く、ロッキード事件は替え歌、ロッキード事件で現に刑事被告人の座にある田中角栄氏は単なる替え歌の歌い手、航空機疑惑こそ元歌、そして時効と職務権限と金銭授受の趣旨のカベによって刑事訴追とは関係なくて済んだのが松野頼三氏、あるいは松野氏の背後に潜む単数か複数かはさておいて保守政権のまさに奥の院に座す『巨悪』こそが元歌の歌手と云うことが、はっきりした。(中略) 

 航空機疑惑のキーポイントの一つである『海部メモ』は、十年も前から流布されているが、検察はこれを久しく怪文書扱いし、ニセ物視してきた。ロッキード事件の捜査の際に、それより古く発生していた航空機疑惑の関連資料が、有森国雄氏と云うキーパーソンの存在もあり、検察の手に入っていなかった訳はないのに、どういう訳か、検察はロッキード事件だけに焦点を絞り、同時並行してメスを入れてもいいはずの航空機疑惑については、放置してきた。そして、その中で、いわば元歌歌手の一人である松野頼三氏は、福田派を代表して送り込まれた『クリーン三木』政権の政調会長として、ロッキード事件の真相の徹底究明、関係者の責任の徹底追及を、声高に叫んでやまなかった」。 

 (れんだいこ評) その通りである。俵説の「ロッキード事件替え歌、グラマン事件元歌」論は表現も面白く且つ鋭く見抜いている。それにしても、元歌の松野、中曽根が見逃され、替え歌の角栄のみが徹底追及されたロッキード事件とは何だったのだろうと云う原点疑惑が残されていることになる。これにはしゃいだマスコミ、日共の胡散臭さも銘記されねばなるまい。

 本書の結びはこうである。

 「『大衆はつねに神のごときものだ』という言葉を、私は冒頭で述べたように、世論、大衆の判断は常に正しいものだという風には、理解しない。大衆はしばしば操作されるし、容易く間違う。日本人のように、熱しやすく冷めやすい民族、集団としての思考や行動になじみ、全体主義の政治の下にあったことが久しい国民では、なおさらのことであろう。しかし、世論や大衆をもてあそぶ者は、いつか必ず痛烈なしっぺ返しを受け、返り血にまみれる。その作用を通じて、大衆は『神のごときもの』になりうるのだと、私は思う」。 

 (れんだいこ評) 良い言である。

 2011.5.2日 れんだいこ拝

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俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その2

 以下、本書の白眉部分を抜き書きして確認しておく。

 秦野章氏の角栄擁護論を是認エールしている。これを確認する。「あとがき」で次のように述べている。

 「ロッキード事件と『田中裁判』についての私の考え方は、政治的にきわめて不公平な形で処理されてはいないか、法律的にきわめて不適正なやり方で裁かれてはいないか、というに尽きる。(中略) 私は自分の八年間の仕事の一部をまとめたこのささやかな一冊が、言論の機能を通じて国家の基盤の安泰を保とうとする一つの試みであると自負するものである」。

 (れんだいこ評) これが本書の眼目と云うことであろう。

 目新しい論点として、ロッキード事件時の最高裁判事の岡原、最高裁長官の藤林両氏の一審判決直後のコメント「一審有罪判決は重みのあるもので、二審以降の判決は事実審ではなく一審を審査するためにうるものであって、一審が有罪と出た以上、三審の確定判決までは無罪の推定で行くべきだと云うのは誤り」なる主張に対して次のように批判している。

 「岡原、藤林両氏は、週刊誌で、秦野発言を『法律のシロウトの云うこと』と云っているが、秦野氏も警視総監も務めた刑事警察のベテランである。岡原氏は、思想検事上がりであって、秦野氏以上に刑事事件について、法的にも実際的にも知っているとは思われない。藤林氏に至っては、会社法の専門家だそうで、刑事事犯にはそれこそ『シロウト』だし、三木政権下の最高裁長官として、ロッキード社のコーチャン、クラッタ―に対する検察の不起訴宣明という政治的措置を、なんの法律的な権限もないのに最高裁として保証するという、おそらく将来にわたって最高裁の汚点として論争の対象になる行為を敢えてした責任者である。こういう立場であれば、本人もコメントを避けるのが元裁判官としての常道だろうし、コメントを取るほうも、最低限微妙な立場を読者にわからせる注をつけるべきだろうに、それもせず、元最高裁長官の肩書を事大主義的に使って、いかにも大権威が公正な批評をしているようにみせかけているのである」。

 (れんだいこ評) 全くの正論であろう。

 秦野氏の「政治家に古典道徳の正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」の名文句を次のように補足して庇っている。

 概要「秦野氏の言は『政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚をくれというのに等しい』と云う風にマスコミに紹介されているが、全文を読んでみると明らかに違う。秦野氏はまず、マックス・ウェーバーの古典的講義『職業としての政治』をひき、政治家に問われるのは結果責任であることを説く。善意でやったことでも失敗すれば悪い政治で、結果が良くなければ政治家は評価されないというのは、常識と云ってよい。その上で秦野氏は、政治家を評価するポイントしては、業績や、政策、能力など、色々あるのだということを言った上で、政治家の評価基準として、正直や清潔さなどという古典的徳目のみを取り上げるのは、八百屋で魚を求めるようなもの、と云っているのである」。

 (れんだいこ評) 俵氏の云おうとすることは分かるが、ややまだるっこい。秦野氏の言の要約としての「政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚をくれというのに等しい」はさほど問題があるとは思わない、否簡潔明快にしている要約だと思う。そう受け止めたうえで堂々と「政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚をくれというのに等しい」を議論すれば良い。「倫理」の質が問題になるが、政治家の本業は政治能力であり倫理基準ではないことを積極的に確認すれば良いのではなかろうか。れんだいこには、この方がよく分かる。

 「秦野発言」に対するマスコミの論評の不公正さについて次のように批判している。 

 「秦野氏の云う『マスコミによる人民裁判』とは、まさにこういう手口による、問答無用の、ファッショ的断罪であって、大方のマスコミは、田中角栄氏に対するばかりか、その異様なあり方を正当に批判した秦野法相に対しても、まさに批判されたその通りの手口で、不当無法に逆襲しているのである。また野党も、自民党内の一部政治家も、党利党略、派利派略からか、それとも生来のズサンな頭脳で大方のマスコミの詐術を見抜けないのか、マスコミの重ね重ねの誤りに便乗して、秦野氏追及の構えを見せているのである。みっともよい図とは到底いえない。(中略)全文を読んだ人の中には、秦野発言はもっともだ、新聞はこの発言の報道の仕方を含めてやり方が汚い、という声ばかりで、秦野発言批判の声は、さっぱり出てこなかったという。秦野法相だけでなく、最近の新聞のあり方に対して、強い不満と批判を持っている人は、多いのだろう」。

 (れんだいこ評) マスコミのエエ加減さはロッキード事件論評を嚆矢とするのではなかろうか。問題は、この偏向が何を基準にしているかであろう。秦野氏も俵氏も触れないが、背後に国際金融資本の情報操作があり、この良からぬ勢力に教唆されてオウム返しに紙面を作っている論調仕掛けの不正さに求めるべきではなかろうか。その後の言論は、これを請負う言論屋であり言論家ではないと云うことである。

 検察の論告求刑「懲役5年、追徴金5億円判決」に対するマスコミの異様な過熱報道について次のように批判している。

 「三審制が確立されている日本の裁判で、判決が確定するどころか、下級審の判決にさえ至らない論告求刑の時点で、裁判制度に疎い者には断罪が下されたと錯覚を与えるような紙面をわざと作り、そうした錯覚の上に多分に乗っかかりつつ、議員辞職、政界引退という本来確定判決が出て有罪となったのちにはじめて生じる問題をいち早く迫ると云うのも、異常というほかない。司法の独立、裁判の尊重、そして最終的に有罪が確定する以前の被告人の人権の保障、こういった日頃唱えているお題目はきれいさっぱり忘れてしまって、一切の民主的、人権的手続きを無視した前近代的論法で、ひたすら断罪し糾弾してやまないのは、単に偏向しているとか、大衆に迎合しているとかいう以上の、格別の背景を感じさせさえするのである」。 

 (れんだいこ評) 俵氏の指摘は尤もな良識のものである。末尾の「格別の背景を感じさせさえする」と述べているが、何を見つめていたのだろうか。

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俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その1

 2011年の5月連休に何か一冊読もうとしていたら、元産経新聞記者にして政治評論家の俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」(時評社、1984.12月初版)が目に飛び込んできた。途中まで読み、その後別の読書に向かったままなので、この機に読み直すことにした。その評を「2011年の5月連休記念評」として綴っておくことにする。

 俵氏になぜ注目するのか。それは、俵氏が、れんだいこの看做すところ、政治評論家として戸川猪佐武氏に続く炯眼の持ち主であることによる。今、こういう政治評論家がまるっきり居ないのが寂しい。探せば居るのであろう故、テレビ等にニュースキャスターとして登場する言論士と云う限りと云う意味に限定しておく。逆の御用粗脳評論家は掃いて捨てるほどおり胸糞が悪い。辛坊だの三宅だの森本だの竹中だの国際金融資本べったりのお銚子もん評論家が我が世の春とばかりに電波ジャックしている。

 もとへ。炯眼評論家の大番頭の一人であった戸川氏(早大政経学部)が自民党史総論に詳しいのに対し、俵氏(東大文学部)は日共の批評に明るい。俵氏に対する個人的感概で云えば、他の評論家の誰よりも早く共産党の変質としての日共化を見抜いており、「裸の日本共産党」(日新報道、1972年)を著わし、日本共産党株式会社論の視点で異色の評論をしていたと記憶する。

 俵氏は、凡庸評論家が日共を通説の革命政党の視点で捉え、不破式ソフト路線への転換を「衣の下に鎧が見える」式の痛くもない腹を探っていたのに対し、いち早く革命路線を放棄した普通の市民政党として捉え、むしろ営利商売的な株式会社として位置づけ、それぞれの党幹部を会社的肩書で評論していたと記憶する。目下、その斬新さに注目し購入手続きしているところである。ことほど左様にユニークな視点を持っているのが俵史観の特徴である。付言すれば、この観点が宮顕の怒りを買い、このことをどこまで自覚しているかは分からないが為に陰に陽にいたぶられることになった形跡が認められる。

 そういう眼力、履歴を持つ俵氏の田中角栄論、ロッキード事件論を確認しておく。俵氏の非凡さは、日本の戦後政治史を当人ははっきりは主張していないがハト派対タカ派の抗争軸に於いて捉え、戦後日本史のこの流れを是認しており、故にそういうハト派政治の総帥であった田中角栄を好意的に批評しているところにあるように思われる。為に、法を捻じ曲げてまでの為にする角栄批判に耽る法曹、ジャーナルに対して、法治主義の原則から警告批判していると云う構図に立っている。

 俵氏の評は、1970年代の在りし日の日本の客観評論として恋しいものとなっているように思われる。かの頃までは日本の言論界はまだしも健全であった。健全論調を張る政治評論家が干され始めてより、日本は政治も評論も全てが二級、三級、五級と次第に資質を劣化させて行くことになった。

 俵氏はもとより体制是認側であり左派言論士ではない。ではあるが粗脳軽薄頑迷な左派言論士よりよほど眼力確かな評論をものしている。日本の戦後政治におけるハト派政治を是認しており、ハト派政治の指導の下での日本の正成長的発展を謹賀している。この批評眼こそ貴重なのではなかろうか。この点で戸川史観と通底しており、この視点を持つ批評家がロッキード事件以降次第に逼塞させられ今日に至っているのが恨めしい。れんだいこ評はこれが総論であり、これでほぼ云い足りているので追加しない。

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