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2011年5月29日 (日)

【「大田龍の食べ物学」考

 れんだいこは大田龍の「食べ物学」については知らない。今、年表を見るのに、1970年代のマルクス主義からアイヌ解放運動への転換、その後の再転換による1990年代からの国際金融資本帝国主義批判の間の1980年代に「食べ物学」、「生命学」、「エコロジー」に関する一連の書物を著わしている。以下、これをこれを確認する。

 1980年の「自然観の革命」、「いのちの革命」。1981年の「何から始めるべきか」。1982年の「性の革命」。1984年の「日本の食革命家たち」。1985年の「家畜制度全廃論序説」、「家畜制度全廃論序説―動物と人間は兄弟だった」。1986年の「日本エコロジスト宣言」。1987年の「たべもの学入門」。1988年の「天寿への自然医学─評伝・森下敬一」、「たべもの学第2部~第10部」。1989年の「エコロジー教育学 真人類への進化の途」。

 この間、政治運動的なものとして、1981年に「日本原住民と天皇制」、1982年に「日本原住民史序説」、「日本原住民と天皇制」、1983年に「琉球弧独立と万類共存」、1985年に「私的戦後左翼史―自伝的戦後史」、1986年に「マルクスを超えて」を著わしている。

 ここから判明することは、大田龍は、スターリニズム系マルクス主義運動、続く反スターリニズムとしてのトロツキズム系革命的共産主義運動、続くアイヌ解放運動のその後において、「食べ物、生命、天寿、医学、エコロジー」に関するいわゆる文化運動に沈潜している時期を持ったことになる。ここから一挙に国際金融資本帝国主義批判に転じる訳だが、中間地点に文化運動期を持ったことの意味を考えるべきではなかろうか。大田龍の思想的陶冶を深めたと云う意味でもっと注目されるべきだろう。

 残念ながら、れんだいこは、この時期の著作のどれも読んでいない。ネット検索で「『要望書・陳情書』のトップページへ、ようこそ」(http://32.srv7.biz/)に出くわし、大田龍の「食べ物学」の一端を知ることになった。当該サイトは膨大な量で、なお且つ繰り返しのフレーズが多いことと文章のできが良くない為に読みづらい。これを精査し、肝腎なところだけ抽出して見た。これをサイトアップしておくことにする。
れんだいこサイトは以下の通り。

 「太田龍の食べ物学考」
 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi

 /ootaryunokenkyuco/tabemonogakuco.html

 れんだいこが「目からウロコ」だったのは、ヒトラー率いるナチスドイツの「食べ物学」である。これは、「『要望書・陳情書』のトップページへ、ようこそ」で知ったので感謝申し上げておく。その要点を確認しておく。ヒトラーにせよナチスにせよ「時代の狂気の象徴」として語られることが多いが、それは戦勝国側のプロパガンダによるものであり、実際のヒトラー、ナチスはどうだったのだろうか。これを確認したくなる。その一例として「ヒトラー率いるナチスドイツの食べ物学運動」があるので確認しておく。

 ナチス率いるドイツ第三帝国の時代の1933年、動物保護法が成立している。法律序文は、「動物は人間のためではなく、それ自体のために保護される」と述べている。戦前の1938年、動物保護法改訂版を成立させている。第一条「ドイツの法律は、諸外国のそれとは異なり、動物すべてを保護の対象にする」と規定している。

 その法律の延長線上の法律として、戦後の1972年、当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)は「動物保護法」を改正して、「動物を人間の同胞」と定義している。東西ドイツ統一前、統一後の憲法制定に向けて「動物保護法」を憲法規範に高めることを連邦議会と合同憲法調査会で検討論議している。その結果、どのように明文化されたのかは不詳であるが、こうしてドイツでは「人と動物の共生即ち動物愛護」が強く指針されていることが分かる。

 この流れの創出の功労者がヒトラーであり、その側近の感性であった。ヒトラーは「厳格菜食主義者ベジタリアン」であり且つ「霊能力者、予知能力者、予言者」でもあった。ヒトラーと側近のハインリヒ・ヒムラー(親衛隊 SS指導者、秘密国家警察ゲシュタポ長官)は「動物保護法」と菜食主義の推進に精力的であり、共に親日家であった。「日本人が全人類の命運と存亡を左右するような民族であり、全人類の真の救世主の役割を果たす民族であることを発見」していた。非暴力抵抗運動家にしてインド独立の英雄であるマハトマ・ガンジーはヒトラーと有無相通じていた。両者は、自然の法則に調和して生きることを理想とし、菜食主義、畜産動物屠殺禁止、野生動物屠殺禁止、動物実験禁止、動物虐待禁止思想で一致していた。

 ヒトラーの親日論の一つに、日本が幕末の孝明天皇の代までの1400年間、肉食禁止を政策として来た稀有な国であったことに対する御意がある。1872(明治5)年1月24日、明治維新政府によって食肉が解禁され、家畜が食肉化され始めた。この背後に、国際金融資本ロスチャイルド派による教唆があり、以来日本人はそれまでの玄米を主食とする食生活を捨て、「動物性食品を食べなければ栄養にならない」、「人間は元々肉食雑食動物である」と喧伝され肉食中毒にされた。そうではあるが、庶民の食生活は概ね伝統的な非肉食系の献立を維持しており、ヒトラーはこれにいたく感動していた風がある。

 ヒトラーは次のように警告している。「いずれ人間が大自然から復讐される。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下す」、「たとえ戦争も災害もなくても、人間は21世紀、空気と水と食物の汚染だけで衰えていく。いや、その前に、肉食とアルコールとタバコでも衰える。だから私は肉も食べないし、酒もタバコもやらない。こうすれば、汚染で破滅する者よりは保つのだ」。

 ヒトラーのこの言には次のような裏意味があるのではなかろうか。日本の肉食禁止令の政策意図ははっきりしないがヒトラーの場合には、国際金融資本帝国主義派のネオシオニズムイデオロギーに対する明確なアンチの意思があった。即ち、肉食に伴う動物殺生は、ネオシオニストから見ればユダヤ人以外は準家畜であり、家畜殺生は準家畜殺生に繫がる。この悪の食物連鎖を断ち切る為、肉食禁止、動物愛護に向かった形跡が認められる。つまり、ヒトラーの親日論、動物保護法には深い思想的裏付けがあったと云うことになる。

 こうして、ナチス率いるドイツ第三帝国は、国際金融資本帝国主義派のネオシオニズムイデオロギーに基づく「選民主義によるユダヤ人の自然支配、他民族支配」的政治政策に基づく肉食主義、その為の家畜の飼育、それに伴う虐待、動物実験等々に抗議し、人と動物の共生的社会を創造しようとしていた、ということになる。

 こういうことを知ると、「ヒトラーの狂気」とはどこまでが本当の話で、どこからが戦勝国側のプロパガンダか分からなくなる。ユダヤ人屠殺のホロコースト然りで、どこまでが本当の話で、どこからが戦勝国側のプロパガンダか分からなくなる。大成功を収めたベルリンオリンピックの精華をも再確認したくなる。

 歴史の史実は変わらないが歴史の論評は幾らでも細工される。故に、我が目と耳と頭脳で得心しない限り迂闊には通説を信じる訳にはいかない。こういうことを改めて教えられたのが「大田龍の食べ物学」であり、今後ゆっくり読ませて貰おうと思う。

 2011.5.29日 れんだいこ拝

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