« 徳球の共産党中央委員人物寸評考 | トップページ | 俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その4 »

2011年5月22日 (日)

原発を廻る不破講話考

 「2011.5.10日付け不破哲三・社会科学研究所所長の原発講話」にコメントしておく。(http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110510_fuwa_genpatsu.html

 この不破講話に対し、毎日新聞の岩見隆夫が5.21日付け「近聞遠見」で「トイレなきマンション」と題して次のようにコメントしている。これにコメントつけておく。

 岩見は、冒頭で「不破哲三社会科学研究所長の<原発災害講義>は出色だった。日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい」。締めで「原子力への理解を深めるためにも、不破講義の一読をおすすめしたい。分量は400字原稿用紙50枚ほど」と述べ、不破講話を推奨している。

 これはまだしも良いとして問題は次の 「菅内閣の対応は本当にだらしなく、政権党として考えられない。しかし、こういう事態をつくり出したのは、2年前まで政権を担ってきた自民党だ。国民的大災害の根源である自民党の歴史的責任に口をぬぐい、今の対応だけを追及して済まそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思う」を何の注釈もなしに引用していることにある。

 これでは、日共が昔から原発反対組であったことになる。実際は、2011.4.22日付け「Re::れんだいこのカンテラ時評921」の「
日共の原子力政策史考」で確認しているが、日共の原発政策論は、岩見が素描したような「元々からの反対論」では断じてない。

 ジャーナリストであれば不破の虚言癖を見抜き、今そう云っている不破が、「社会党と違って何でも反対ではない原発論」を唱え、裏方から推進していた史実を披歴するのが務めだろう。不破の新情勢に合わせた饒舌は病的なもので、こたびの講話にも如何なく発揮されている。それは拉致事件の例とも重なる。あの時も、拉致事件を問題にし続けてきたのは我が党だった論で顰蹙を買った。

 不破論法によれば、「いつも正しい」。なぜなら、その時々で相反する二枚舌を使っているので、つまり両刀使いなので、情勢がA論有利の場合にはA論を、B論有利の場合にはB論を持ち出す名人芸の持主である。それを思えば、褒めるばかりでは何も評論していないことになろう。

 もっとも、岩見自身が同じ癖を持つ。角栄を褒めれば株が上がる場合には角栄持ち上げ論を、貶せば受けが良い場合には角栄金権論を持ち出すと云う風に。この両者はムジナの同類であるからして同病相哀れむで自ずと通ずるのかも知れない。岩見は、不破を擁護することで間接的に自己弁護しているのかも知れない。

 興味深いことは、ここへ来て不破がはっきりと「日本のエネルギーを原発に依存するという政策から撤退するという決断をおこなうことです」と云っていることである。「社会科学研究所所長」としての見解であるので党のそれかどうかは不明であるが、日共が福島原発事故を奇禍として「脱原発」に舵を切ったことになる。結果オーライで云えば、これはこれで良いだろう。

 但し問題は残る。「必要なことは、いまその戦略的な決断をし、その方向に向かってこうやって進んでゆくという国家的な大方針を確立することです」と述べ、早急に転換するのではなく徐々に向かうべし論で規制している。又もや二枚舌癖を発揮していることになる。どこまで行っても煮え切らない不破らしい物言いである。

 もう一つ。政策を転換するのであれば、過去の「原子力の平和利用賛成基本姿勢論」の然るべき根拠を述べ、今や転換の合理性を論証し、自己批判しておくのが筋だろう。これをせず上手に口を廻しているところが不破らしい。思うに、我が社会の上層部はこういう手合いでないと生き残れず、逆に云えば、こういう手合い故に出世してきたということだろう。いつの世もこうなのか、今が特にそうなのかは分からない。

|

« 徳球の共産党中央委員人物寸評考 | トップページ | 俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その4 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/40083123

この記事へのトラックバック一覧です: 原発を廻る不破講話考:

« 徳球の共産党中央委員人物寸評考 | トップページ | 俵孝太郎氏の「田中裁判もう一つの視点」書評その4 »