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2011年6月19日 (日)

「日本改造法案大綱」考その3、北式維新の歪みと限界考

 そういう効能を持つ「国家改造案原理大綱」であるが、北式維新論を手放しで礼賛することはできない。その特徴を一言で云えば建軍主義であろう。これに日本型天皇制論が絡んでいる。日本型天皇制論とは、イタリアの伝統的な古典的政治論としての元々の意味での祭政一致的なファシズムのようなものであり、巷間で唾棄されている強権政治形態としてのファシズムではない。北理論は、日本型天皇制ファシズムによる建軍主義に基づく維新論を唱え、そのようなものとしての日本型革命を展望していると云う構図を見せている。その是非を論ずればキリがないので割愛するとして、北理論の歪みと限界を確認しておくことにする。

 北式維新論の歪みとは、その建軍主義論の陥穽に起因している。北によれば、日本文明の上下紐帯的質が西欧的侵略主義に対抗し得るものであるとして、日本文明の汎アジア化、世界席巻化を企図して、それが為に好戦主義理論を生み出している。建軍主義は好戦主義の戦略戦術理論となっている。しかし、ここで考えなければなるまい。幕末維新から明治維新を経ての日本の近代化過程で発生した好戦主義そのものが、北が拒否する西欧思想そのものによって造られたものではないのか。

 これをもっと精密に云えば、幕末維新から明治維新の過程で大手を振って侵入した国際金融資本帝国主義こそが戦争と革命の震源地であり、その為の軍資金として国債を乱発させ、消費税のような大衆課税を宛てさせ、にも拘わらず財政危機に陥らせ、そうすることで裏から金融コントロールする形で各国を籠絡させると云う支配の方程式を編み出している。これを思えば、北式好戦主義論は、そのお膳立てにまんまと乗っているのではないのか。

 北理論は、西欧的侵略主義に対置させて日本文明の質論を唱えているが、結果的に、その日本文明の質論を通して建軍主義、好戦主義と云う国際金融資本帝国主義の戦略戦術に乗せられている。日本文明の質論は、果たして北のように建軍主義、好戦主義へと繋げるものだろうか。本来の日本文明の質論は、それでもってアジアの団結と平和を求め、西欧列強の植民地政策に対抗する為に使われるべきものであって、北式建軍主義、好戦主義が導き出される必然性はない。

 北理論は、西南の役で散った西郷どんの維新論を悪しき方向に転じているのではないのか。当然その他の抵抗主義論、反戦平和論等も考えられるところ敢えて、国際金融資本帝国主義の策略に乗っているところが臭い。そういう意味では、北ほどの思想家をしても時代の事大主義に陥っていると思わざるを得ない。北自身にそういう事大主義的な気性があるのかもしれない。これが北式維新論の歪みであると思う。

 この北式維新論の歪みはそのまま北理論の限界に繫がっている。北理論の限界とは、北が国際金融資本帝国主義論を獲得していないことに見て取れる。これにより北理論の総体が足元を掬われる結果に導かれているように思われる。尤も、北の時代、今日の如くな国際金融資本帝国主義論はなかった。それ故に、北がこの理論に基づく戦略戦術を打ち出しえなかったことを咎めることはできない。

 興味深いことは、北は、直に国際金融資本帝国主義論を語ることはなかったものの、驚くべきは手探りで国際金融資本帝国主義論の数歩手前まで論を張っていることである。「英国は全世界に跨る大富豪にして露国は地球北半の大地主なり」なる言説が一例であるが、そういう言い回しでもって欧米的な西欧列強による支配の狡猾さ、悪辣さを見抜き警鐘乱打している。それに対抗せんが為に日本を維新革命の根拠地とする世界席巻論を打ち出している。が、述べたように容易に帝国主義国家の仲間入りでしかない好戦論へ誘われている。

 北は、この辺りをもう少し極めるべきであった。北にあと少しの寿命があり、執筆活動が許されたならば日本で初めて国際金融資本帝国主義論を説いた第一人者に成り得ていた可能性があると思われる。そういう意味で、北の早世が惜しい。同じような早世組に幸徳秋水、大杉栄が居る。幸徳は大逆事件の咎で1911(明治44)年に、大杉は関東大震災に乗じて甘粕事件で1923(大正12)年に、北一輝は2.26事件の首謀者として1937(昭和12)年に処刑された。れんだいこの判ずるところ、「幸徳秋水、大杉栄、北一輝」の三名こそは、日本左派運動の真正の有能者であり、日本近代思想の中で国際金融資本帝国主義論の扉を開けかけていた異能士であった。それ故に理不尽な処刑が強制された、このことにより戦前の日本の思想家の能力の背丈が著しく低くなったと思わざるを得ない。誰か、かく共認せんか。

 ところで、国際金融資本帝国主義論は比較的新しい理論であり、大田龍をもって嚆矢とする1990年代の所産理論である。太田氏は国際金融資本帝国主義論とまでは述べていない。こう述べたのはれんだいこであり、故に造語責任はれんだいこにある。大田氏が国際金融資本論を説きながら、それに帝国主義論を結びつけなかったのは、「西欧列強の各国ごとの不均等発展による市場争奪が戦争原因とする理論」を要とするレーニン式帝国主義論に拘泥しており、帝国主義をして各国ごとの政体分析に留めるのを常識としていたことに起因しているように思われる。

 れんだいこは、国際金融資本そのものが裏国家でありと看做しており、これに帝国主義を規定したとして何ら問題ないとして垣根を取り払い、造語することに成功したと自負している。その国際金融資本帝国主義の支配イデオロギーがネオシオニズムであり、哲学がユダヤ教タルムードである。その他エトセトラで構成されている。これが近代から現代を支配する支配思想である。

 もとへ。北には、このような史観がない。ここに北理論の致命的な欠陥が認められる。北は、この欠陥を抱えたまま建軍主義且つ日本型天皇制ファシズムによる維新革命論を唱え、それが2.26事件の暴発を生み、それが北自身を絞首刑へ導く結果になった。その背景には、北及び2.26事件決起青年将校らが国際金融資本帝国主義論へと至らぬうちに「若葉のうちに、その芽を摘まれた」と思わねばならない。

 そういう意味で、2.26事件に連座し処刑された北は、2.26事件との関わり故に責めを負い処刑されたのではない。かの程度の容疑であれば禁錮刑で足りて居たものを即断で処刑されているところに意味がある。その理由は、早晩、北思想が国際金融資本帝国主義派の陰謀を嗅ぎ分け、警鐘乱打して行く危険性があった故に始末されたと判ずる以外にない。

 北は、国際金融資本帝国主義者に無警戒なまま国際金融資本帝国主義者によって処刑された。その北の2.26事件連座時の公判に於ける弁明を確認したいが分からない。北は、どのように罪を被りあるいは容疑を否認したのだろうかを知りたい。

 北の公判記録は探せば手に入るのか歴史の表に出ないよう秘されているのか分からない。もし公開されているのなら、どなたかがサイトアップして欲しい。インターネット上に出てくる情報は政治論に限って云えば軽薄な類のものしかなく、肝心要のものは厳として規制されている気がしてならない。当然、基準は国際金融資本帝国主義にとって好ましいか好ましくないのかである。そうとしか考えられない。我々は、そう云う情報コントロール下に置かれており、そういう意味での表見民主主義の上で安逸させられていると思うべきであろう。

 2011.6.19日 れんだいこ拝

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