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2011年6月18日 (土)

「日本改造法案大綱」考その1、北理論の左右判別考

 2.26事件の検証を通じて、事件を起動した青年将校の多くが北一輝の「日本改造法案大綱」をバイブルとしていることを知り、勢い確認したくなった。これまで北を知らぬ訳ではなかったが評論知識に過ぎず著作を読んだことはなかった。これと思う書物はやはり極力原文で読まねばならない。という思いでネット検索したところ「北一輝『日本改造法案大綱』」に出くわした。読み易くする為にれんだいこ文法に則り焼き直すことにした。サイトは「れんだいこ版『北一輝の日本改造法案大綱』」。 

 「北一輝『日本改造法案大綱』」 (http://www7b.biglobe.ne.jp/~bokujin/shiryou1/Nihonkaizou.html

「れんだいこ版『北一輝の日本改造法案大綱』」 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kindaishico/2.26zikenco/ideoroguco/top.html

 やはり原書を読まねばならない。直ぐに気づいたことは、これはマルクス―エンゲルス共著「共産主義者の宣言」の北式焼き直しであり、「北式日本改造宣言」であるということだった。こうまで云うのは云い過ぎであるにせよ、北が同書でマルクス主義の諸理論、諸言説(以下、単にマルクス主義と記す)と徹底的に対話していることは間違いない。北の趣意が「共産主義者の宣言」の日本式適用に力点を置いているのか、マルクス主義を否定せんが為にあれこれ言及しているのか、そこら辺りが今のところ判然としないが、強く意識していることは間違いない。

 判然としない理由は北思想、北史観(以下、単に北理論と記す)が玉虫色になっており一筋縄では解けないからである。玉虫色の一番の要因は北理論が未だ形成途上のものであり確固としたものに定まっていない為であろう。北が絞首刑されずに居たら、その後どのように発展して行き、最終的にどのように纏められたのか、それを見てみたかった気がする。

 はっきりしていることは、史実が見せた如くの「右翼のバイブル」ではないということである。むしろ本来は「マルクス主義の北式理論」として俎上に乗せられるべきものであった。全8章の仕分けとその内容がマルクス主義を強く意識して対話式に書かれたものであることは自明である。「日本改造法案大綱」は、マルクス主義を吟味し、逐一その是非を北式に問い、採るべきものは採り排すべきところは排し北式に焼き直しているところに特徴が認められる。結果的にマルクス主義を「前世紀の旧革命論、旧世紀の革命論」と評して対抗的に北理論を打ち出しているが、述べたようにマルクス主義の否定ではなく、北式創造的発展理論と評すべき余地がある。

 そういう意味では「巻五 労働者の権利」の「労働賃銀」の項の「注二」末尾での「社会主義の原理が実行時代に入れる今日となりてはそれに付帯せる空想的糟粕は一切棄却すべし」の発言が注目されるべきだろう。これによれば、否定しているのは「マルクス主義の空想的糟粕」であり、マルクス主義そのものの否定ではないということになる。北理論の真骨頂は空想的糟粕を棄却するとしながらもマルクス主義のエッセンスを汲み取っているところにあるように思われる。これは何もマルクス主義に対してばかりではない。西欧的なるもの文明の一切に対して、日本的なるもの文明を対置し、これに依拠しながら西欧的なるものの善し悪しを取捨選択すべしとしているように思える。ここに北理論の思想的質が認められると思う。

 北の履歴のユニークなところは、多感な青年期に孫文らの辛亥革革命に共鳴して黒龍会特派員として合流し、革命軍と行動を共にしていたことであろう。中国大陸まで出かけての八面六臂時代、歴史は大きく鼓動していた。「日本改造法案大綱」が執筆されたのは1919(大正8)年、8月、上海に於いてであるが、この当時の情勢は、2年前の1917年10月にロシアに於けるポルシェヴィキ10月革命、その1年後の1918年8月、日本で米騒動が勃発していた。マルクス主義式革命論が世界の新思潮になって押し寄せ始めていた。北は中国革命に身を投じながら、この歴史の鼓動を上海で聞き、やおら日本革命論の創造を企図し始めたように思われる。

  こうして北は「日本改造法案大綱」を執筆し始める。マルクス主義に注目し、これと真剣に向かい合い、北式解答を引き出した。この北式日本革命の青写真草稿が「日本改造法案大綱」である。中国革命に身を投じた者は他にも居るが、北にして初めて中国革命の経験から日本革命を照射したところが真骨頂と云えるであろう。北は、マルクス主義革命の波に連動すべきか、迂闊に乗れないのか、阻止すべきかを問い、相応の熟成練成を経て対抗的な日本革命の書を著わした。これが「日本改造法案大綱」であり同書の歴史的地位ではなかろうか。かく位置づけたいと思う。

 北は本書を書いた目的と心境について、概要「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ、本書執筆に至った」と述べているとのことである。この言辞が事実とするなら、どう評すべきか。既に述べたように、マルクス主義を批判一蹴しながらマルクス主義に依拠していると云う二面性を見せているのが北理論の特徴であり、マルクス主義が否定されているとも云えるし受容されているとも云える玉虫色になっている。はっきりしていることは、この言をもって「右翼のバイブル」と看做すのは早計と云うことであろう。同書の片言隻句でもって「右翼のバイブル」とするのは字面主義に陥っているのではなかろうか。「右翼のバイブル」とするには同書がよほどマルクス主義に拘り過ぎていることが却って不自然過ぎよう。

 「日本改造法案大綱」の本当の狙いはマルクス主義の否定ではなく、マルクス主義の生硬な適用を拒否して、北式改造による焼き直しを通しての日本革命の展望だったのではなかろうか。どう焼き直したのかと云うと、マルクス主義の人民大衆救済的理論面を受容しつつ、当時のマルクス主義が国際共産主義運動と云う名の下での実はコミンテルン指導下の一元的な世界支配主義運動であるに過ぎないことを喝破して、これを危ぶんだ。むしろ各国の歴史や伝統に即した多元的なマルクス主義であるべきとして、運動の軌道を在地土着的なものへ転換せしめた。その巧拙は別として、当時に於いて早くも自律的なマルクス主義運動を企図したのが北であった点で、その功績は大きいと位置づけるべきではなかろうか。

 北の真意をれんだいこ式に解説すれば、北自身が明瞭には述べていないので意訳し過ぎることになるがこうなのではなかろうか。即ち「国際金融資本が裏で糸を引き操る国際共産主義運動の環としての徒なマルクス主義ボリシェヴィキ派革命に乗ぜられるのではなく、むしろこれに対抗して、在地土着的な日本式維新革命論を生み出す必要がある」。この観点から北式にマルクス主義を改造し、全8章にわたって政策提案したのが「日本改造法案大綱」であると窺うべきではなかろうか。

 特徴的なことは、在地土着的内発的な日本革命の在り方を訴求した結果として「天皇制維新革命論」を提起しているところであろう。北は、国際共産主義運動の環としての下僕的な日本革命に対抗して日本文明的質を称揚し、「四海同胞の人道を世界に宜布せんとする」大アジア主義を掲げ、日本を環の主軸とする世界維新運動を展望している。これに天皇制が噛み合わされていると云うのが北式理論の構図であろう。この巧拙は別に論ずることにする。

 史実は、「日本改造法案大綱」は「右翼のバイブル」と化したのであるが、それは当時の左右両翼の見識の低さを証するものでしかないのではなかろうか。「右翼のバイブル」と化したことにつき根拠がない訳ではない。天皇制親政政治論、国家主義論、ク―デター論、戒厳令強権政治論、アジアの盟主としての日本論、大東亜共栄圏構想論、西欧列強の植民地化戦争に抗する為の逆攻勢戦争論等々により、この限りにおいて根拠が認められる。

 但し、れんだいこが同書を読む限りにおいては、本質は断じて右翼の理論ではない。むしろ「在地土着的に焼き直された北式マルクス主義革命論による日本革命」を展望しており、そう云う意味でマルクス主義の変種理論として位置づけられるべきように思われる。つまり、「日本改造法案大綱」は「右翼のバイブル」のみならず、そのままでは使えないものの「左翼のバイブル」となっても何らおかしくはない代物(しろもの)であったように思われる。

 或る事象が逆に評されて歴史に通用した例は決して珍しいことではない。戦後日本の最優良にして最高の有能政治家であった田中角栄を「諸悪の元凶」視して政治訴追して行った例も然りであろう。あるいは古事記、日本書紀であれほどまでに出雲王朝を記しているのに過小評価されるのも然りであろう。野坂や宮顕や黒寛の如く日本左派運動の撲滅人が名指導者の如く奉られたまま生を終えるなども然りであろう。北式理論も、この仲間入りしているように思われる。「北理論の左右判別考」が、北理論解析の際の最初の仕事となった。更に言及したいことを追々書きつけて行く予定である。

 2011.6.18日 れんだいこ拝

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コメント

昭和天皇自身が、あれは偽装された共産主義だと喝破していたのではないでしょうか。
最近の研究では、共産主義の脅威と戦うためにアメリカ軍には日本占領を続けてほしいと昭和天皇自身がのぞんでいた、ということが言われていますが、その共産主義とはソ連のことではなく、「右からの社会主義」を支持した日本の民衆のことではないでしょうか。

投稿: shn(一条駿) | 2011年6月19日 (日) 22時17分

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