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2011年6月26日 (日)

「日本改造法案大綱」各論考その1、政治改造論(天皇制考)

 「大綱」はまず政治改造論から説き起こしている。ここでは第1章「国民の天皇」の天皇論の要点を確認する。最初に天皇の位置に言及して、曰く「国民信仰の伝統的中心」、「国民の総代表」、「現代民主国の総代表として国家を代表する者」、「国家の根柱たるの原理」と述べ、ここに天皇制の本質と基盤を見出している。

 「日本国民の国家観は国家は有機的不可分なる一大家族なりという近代の社会有機体説を、深遠博大なる哲学的思索と宗教的信仰とにより発現せしめたる古来一貫の信念なり」とも述べ、ここに天皇制の論拠を見出している。これを仮に「象徴天皇制論」と命名する。これが北理論の白眉の第1政策である。北式天皇制論に於ける政治的活動を制約し、文化的象徴制の面を濃くしたものが戦後憲法に取り入れられていると考えられる。

 留意すべきは、これも「マルクス主義の北式改造」に由来していると考えられることである。俗流マルクス主義の王朝打倒論に反対し、堂々と天皇制護持論を打ち出していると読むべきだろう。北理論の場合、殆ど全て俗流マルクス主義との理論的確執から生まれていることを窺うべきだろう。北理論は全般にわたってマルクス主義の北式改造を試みており、結果的に反対の政策を打ち出しているが、北式革命の青写真即ち国家改造論を提示していると解するべきであろう。

 北は、1923(大正12)年の「改造法案」改題刊行に際して内容に若干の修正をしている。最も重要なものとして、「天皇は第三期改造議会までに憲法改正案を提出して改正憲法の発布と同時に改造議会を解散す」としていた規定を削除して次のように書き換えている。本文「国家改造議会は天皇の宣布したる国家改造の根本方針を討論することを得ず」。

 これによれば、天皇の絶対主義的権限を打ち出しているように思われる。してみれば、北理論は、天皇の権限と地位を「君臨すれども統治せず」式に留めるのではなく、天皇の神格化と絶対主義権限化を強めることにより能動的な政治的役割を果たさせようとしていることになる。

 その理由として、注4で「かかる神格者を天皇としたることのみに依りて維新革命は仏国革命よりも悲惨と動乱なくして而も徹底的に成就したり。再びかかる神格的天皇に依りて日本の国家改造はロシア革命の虐殺兵乱なくドイツ革命の痴鈍なる除行を経過せずして整然たる秩序の下に貫徹すべし」と述べている。これによるとフランス革命、ロシア革命の動乱的事態による流血、ドイツ革命の遅滞を防ごうとして、天皇制にこのような意味と役割を負託せんとしていることが分かる。逆に天皇制強化に向かおうとしていることになる。

 北は他方で、「皇室財産の国家下附」の項目を設け、「天皇は自ら範を示して皇室所有の土地山林株券等を国家に下附す」、「皇室費を年約三千万円とし、国庫より支出せしむ。但し、時勢の必要に応じ議会の協賛を経て増額することを得」としている。これによれば、政治的には天皇制を強化するが、経済的にはむしろ皇室財産を制限しようとしていることになる。日本一の財産王としての絶対主義王政的な天皇制ではなく、財政的に議会に婚と炉―される天皇制を展望していることになる。これも戦後憲法に取り入れられているのは衆知の通りである。

 北は続いて天皇親政クーデター発動論を打ち出している。北史観によれば、日本は明治維新によって天皇を政治的中心としたる近代的民主国となったにも拘わらず、財閥や官僚制、それに尻尾を振っておこぼれや名誉を得ようとする政党政治家によってこの一体性が損なわれ、天皇制が捻じ曲げられているとした。この弊害を取り除かなければ幕末維新―明治維新以来の流れが全うしないとして天皇大権クーデターを発動し、あるべき天皇制の姿に戻すことを目論んでいる。

 北式クーデター論がこのように位置付けられていることを確認しておく必要があろう。それは、幕末維新―明治維新以来のいわば永続革命の夢を求めており、その方法として天皇親政クーデター発動論を主張していることになる。これは天皇の政治利用論である。その是非はともかく北の天皇制論が制度そのものの盲信パラノイア的なものではないことが分かる。

 留意すべきは、この手法も明らかにマルクス主義的階級闘争論に掉さしているところに意味がある。西欧的な革命はよしんば階級闘争論で遂行されようとも、日本には別途の日本式革命があり、それは「天皇親政型の政治革命」であるとして対置していることになる。その是非はともかく、マルクス主義式階級闘争論に代わる革命論として維新論を提起している点が注目されるべきだろう。

 なお、北式クーデター論は、ナポレオンクーデター、レーニンクーデターと等値させており、次のように述べて是認している。概要「クーデターを保守的権力者の所為と考うるは甚だしき俗見なり。クーデターは国家権力即ち社会意志の直接的発動と見るべし。その進歩的なるものにつきて見るも国民の団集そのものに現わるることあり。日本の改造に於いては必ず国民の団集と元首との合体による権力発動たらざるべからず」。

 ちなみに、北はマルクス及びマルクス主義に対して次のように述べている。但し、23年の改題刊行にあたって、この部分が削除されているとのことである。「マルクスの如きはドイツに生れたり雖も国家なく社会をのみ有するユダヤ人なるが故にその主義を先ず国家なき社会の上に築きしといえども、我が日本に於いて社会的組織として求むる時、偏に唯国家のみなるを見るべし。社会主義は日本に於いて国家主義そのものとなる」。

 これによれば、マルクス主義の国家無用論はマルクスのユダヤ人性によるものであり、本来の社会主義理論に於いては国家無用論は必然とならない、むしろ国家社会主義として達成されると指摘していることになる。歴史の軍配は、北理論の方に挙げているのではなかろうか。

 このことと関連させて、北は、民族主義、国家主義を打ち出している。マルクス主義の階級闘争論を一定認めつつも、民族主義、国家主義を溶解していることにつき次のように批判している。「階級闘争による社会進化は敢えてこれを否まず。しかし、人類歴史ありて以来の民族競争国家競争に眼を蔽いて何のいわゆる科学的ぞ」。

 これによると、北は、マルクス主義的階級闘争論は認めよう、但し、民族問題、国家問題に眼を塞いではならないとしていることになる。ここにも、北とマルクス主義の観点の差が見て取れる。しかして、これまた歴史の軍配は北理論の方に挙げつつあるのではなかろうか。これを北理論の白眉の第2政策と見立てたい。

 問題として、この民族主義、国家主義が自国利益中心の排外主義に陥ることなく世界と協調平和的なものとして創出できるかどうかであろうが、北理論はここを解明していない恨みがある。我々が知りたいのは、排外主義に陥ることのないような形での各国の伝統文化に根差した多様な民族主義、国家主義が有り得るのかどうか、有り得たとして戦後憲法の説く国際協調平和主義に連動するのかどうかということであるが、これについては考察していない。

 以上、簡略であるが北理論の天皇制論として確認しておきたい。

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