「日本改造法案大綱」各論考その4、経済改造論(市場制社会主義考)
「大綱」は次にいわば今日的な市場制社会主義論の先駆け理論を提起している。所有論のみならず産業形態論についても然りで卓越した見解を披歴している。俗流マルクス主義の如くな産業、事業の国有制理論を否定し、逆に民間的な事業活動の旺盛化を推奨している。その上で、「私人生産業の限度を資本壱千万円とす。海外に於ける国民の私人生産業また同じ」、「私人生産業限度を超過せる生産業は全てこれを国家に集中し国家の統一的経営と為す」と述べ、所有理論に於けるアイデアと同じような「私産限度制」を指針させている。これが北理論の白眉の第9政策である。
北理論が「私人的生産業」を認める理由として、「国民自由の人権は生産的活動の自由に於て表われたるにつきて特に保護助長すべきものなり」と述べ、自由権の範疇で是認している。「マルクスとクロポトキンとは未開なる前世紀時代の先哲として尊重すれば可」と述べている。この辺りはマルクス主義がどう云おうと惑わされることのない確固とした北の分別だったように思われる。歴史は、北の認識方に軍配を挙げたように思われる。
但し、「改造後の将来、事業の発達その他の理由によりて資本が私人生産業限度を超過したる時は全て国家の経営に移すべし」として大資本の国有化を指針している。その理由として、大資本化すると社会性を強め始めることにより国有化の方が相応しいことになり、故に転化させるべしとしている。企業が国家を超えるのは危険であるとして、国家の安寧秩序の観点からも国有化すべしとして次のように述べている。「積極的に見るとき大資本の国家的統一による国家経営は米国のトラスト、ドイツのカルテルをさらに合埋的にして国家がその主体たるものなり。トラスト、カルテルが分立的競争より遙かに有埋なる実証と理論によりて国家的生産の将来を推定すべし」。
主要産業について混合経済体制論を打ち出し、公営事業と半官半民事業体、民営事業の適宜な仕分けを理想としている。本来これは「共産主義者の宣言」ではそうなっていたものを、その後の俗流マルクス主義が勝手に国有化オンリー論を打ち出した経緯があり、北の仕分け論の方がむしろ「共産主義者の宣言」の指針通りであるのは皮肉なことである。これが北理論の白眉の第10政策である。
戦後憲法下での日銀の下での都市銀行、地方銀行と云う系列体制、国鉄に並列する形での民間電鉄体制等々を想起すれば良かろう。「親方日の丸式、護送船団方式」と云うことになるが、この仕組みが中曽根式民営化論によって毀損される前の1970年代までの日本経済の型であったことは衆知の通りである。
「大綱」は「大資本家、大地主の独占排除」を打ち出している。「経済的貴族、黄金大名の権益独占を打破すべし」と述べ、概要「現時大資本家、大地主等の富はその実社会共同の進歩と共同の生産による富が悪制度の為に彼等少数者に蓄積せられたるものであるから社会に返還させるのは当然」と云う。言わずもがなであるが、少数者への富集中の排除を主張している訳で、私有財産制そのものの否定を唱えているのではない。これが北理論の白眉の第11政策である。戦後憲法下での公正取引委員会の役割などが北理論に基づいていると考えられよう。
興味深いことは、現在、旧社会主義国がこぞって市場制社会主義論に向かおうとしていることであろう。先だっては遂にキューバが事業の国有制から市場制に転換する決議を見せた。旧ソ連、東欧諸国、中国然り。長い社会主義実験の廻り道をして漸く北式市場制社会主義論に戻った感がある。但し、これらの諸国が市場制社会主義論に転換したのか正真正銘の資本主義に向かい始めたのかは定かではない。しかし、今頃になって市場制社会主義に向かうとすれば、もっと早くに北理論に真摯に耳を傾け検討すれば良かったということになるのではなかろうか。
「大綱」は次に、 「国家の生産的組織」として、銀行省、航海省、鉱業省、農業省、工業省、商業省、鉄道省の7省を挙げ、それぞれの役割を記している。一々尤もな省ではある。「国家の非生産的組織」については言及していないが仮に外務省、自治省、法務省、厚生省、労働省を付け加えれば、戦後憲法下の省体制とさほど変わらない。
続いて「莫大なる国庫収入」の項で、次のように述べている。「生産的各省よりの莫大なる収入はほとんど消費的各省及び下掲国民の生活保障の支出に応ずるを得べし。従って基本的租税以外各種の悪税は悉く廃止すべし。生産的各省は私人生産者と同一に課税せらるるは論なし」、「塩、煙草の専売制はこれを廃止し、国家生産と私人生産との併立する原則によりて、私人生産業限度以下の生産を私人に開放して公私一律に課税す」、「遺産相続税は親子権利を犯すものなるをもって単に手数料の徴収に止む」。
これによると「基本的租税以外各種の悪税は悉く廃止すべし」とある。「国家生産と私人生産との併立する原則」を打ち出しており、「私人生産業限度以下の生産を私人に開放」ともある。今頃の言葉で云えば要するに規制緩和であろう。1980年以降の規制緩和が外国資本の参入の規制緩和であって、国内の民間事業に対しては規制強化に向かっているのは見事なお笑いと云うことになろう。
北理論のこれらにつき、れんだいこに異存はない。若干の手直しと精緻さを追求すればなお面白いと思う。
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