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2011年7月31日 (日)

【渡部昇一著「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」考

 1983(昭和58)年、 10.12日、東京地裁のロッキード事件丸紅ルート第一審有罪実刑判決が下された。主文と要旨のみ下され、要旨文中にはところどころ「略」とされていた。且つ正文は添付されていなかった。元首相を裁く判決文にしては随分失礼な暴挙と思われるが特段に問題にされていない。

 そういう判決文によって田中元首相は、検察側の主張通りに受託収賄罪などで懲役4年、追徴金5億円、榎本秘書も有罪とされた。贈賄側は丸紅社長の檜山広が懲役2年6ヶ月、伊藤宏専務が懲役2年、大久保利春専務が懲役2年・執行猶予4年。田中は直ちに保釈の手続きをとった。

 れんだいこが、ロッキード事件、ロッキード事件裁判、その判決文に注目する理由は、これがその後の国策捜査の嚆矢であると思うからである。この時の「司法の型」が延々とその後も繰り返され、主として戦後日本の在地土着系政治家叩き、潰しに悪用されて行くことになった。これが現在の小沢キード事件まで続いている。「法の番人の上からの法破り」であるが、これが公然白昼罷り通ってきた。この「検察不正」が、先の厚生労働省元局長・村木不当逮捕事件公判で満天下に明らかになり、検察内部が遂に自浄に乗り出し、現在まで揺れに揺れているのは衆知の通りである。

 もとへ。かの時、毎日新聞10.15日付け朝刊が、藤林益三・元最高裁長官に、白根邦男・社会部長のインタヴュー記事が掲載された。その中で、藤林氏は次のように語っている。

 概要「一審が本来のもので、一審にはそれだけの重みがある。法律家が他の雑音にとらわれず判断した結果は尊重して貰いたい。一審判決を軽く考えるのはやめて欲しい。このことは裁判の威信の問題でもある」。


 朝日新聞10.21日付け朝刊が、岡原昌男・元最高裁長官のインタヴュー記事が掲載された。その中で、岡原氏は次のように語っている。 見出しは「一審の重みを知れ、居座りは司法軽視・逆転無罪有り得ない」。

 概要「上級審で逆転無罪となるケースはほとんどなく、一審判決はそれほど思い。今回の田中元首相の居座りは、こうした司法軽視の姿勢をさらに強めるものであり、首相経験者として絶対に許されることではない」。

 既に述べたように、両氏ともロッキード事件、ロッキード裁判渦中の最高裁長官を務めた人物である。幾ら在任中の事件として責任があったにせよ、こう云う場合には「渦中の一人」として発言を差し控えるのが嗜みであろうに露骨に角栄訴追加担コメントしている。これはどういうことだろうか。

 よりによって元首相を裁く特殊な事案であると云う首相職の権威に対して配慮する姿勢が微塵もなく、逆に被告人の控訴を司法軽視と看做して「首相経験者として絶対に許されることではない」と恫喝している。察するに、この元最高裁長官二氏が日本国の最高権威である№1の天皇、№2の首相よりも、より権威のある筋からの差し金に従い、それ故に、こうも威猛々しくコメントしているのではなかろうか。これを逆に云えば、後ろ盾なしには恐れ多い裁判だったのではなかろうかと云うことになる。この推理を否定するなら他にどういう理由が考えられようか。

 秦野法相は、月刊誌「文芸春秋」12月号に寄稿し、角栄の人権擁護の観点から国連の人権宣言の趣旨を援用して、「第一審判決の際の藤林、岡原コメント」を批判した。これに対し、藤林、岡原両氏は、秦野発言に対し「法律のシロウトの云うこと」と反論している。しかし、これも失礼な話である。秦野法相は元警視総監である。その警視総監を「法律のシロウト」呼ばわりする神経が解せない。警視庁が愚弄されておりメンツに関わる初言であるが、警視庁が抗議したのかどうかは分からない。いずれにせよ軽率な暴言には違いない。

 当然、「第一審判決の際の藤林、岡原コメント」は、コメントした藤林、岡原両元最高裁長官だけの問題ではない。それを大々的に取り上げ、「角栄よ観念せよ」的論調を煽った毎日新聞、朝日新聞の記事姿勢も徹底的に批判されねばならない。しかし、当時のマスコミから内部批判が出た形跡がない。否それどころか「角栄よ観念せよ」的論調を競って記事にして、「権威のある筋」からの覚えめでたさを買おうとしていた:ゲスな生態ばかりが透けて見えてくる。

 ちなみに、当の角栄は判決に激怒した様子を伝えている。

 概要「判決では、嘱託尋問で聞いたコーチャンの証言ばかりが取り上げられている。こんな馬鹿なことがあったら、誰もがみんな犯人にされてしまう。最高裁が嘱託尋問などという間違ったものを認め、法曹界を曲がった方向に持っていってしまったんだ。この裁判には日本国総理大臣の尊厳もかかっている。冤罪を晴らせなかったら、俺は死んでも死にきれない。誰がなんといってもよい。百年戦争になっても俺は闘う」(佐藤昭子伝他)。

 この日の夕刻、田中の秘書である早坂茂三が「田中所感」を読み上げた。

 概要「本日の東京地裁判決は極めて遺憾である。違法な行為がなかったことを裁判所の法廷を通じて、証明することが厳粛な国民の信託を受けている者としての義務である。私は無罪の主張を貫く為に直ちに控訴した。遠からず、上級審で身の潔白が証明されることを確信している。私は総理大臣の職にあったものとして、その名誉と権威を守り抜くために、今後とも不退転の決意で闘い抜く。私は生ある限り、国民の支持と理解のある限り、国会議員としての職務遂行に、この後も微力を尽くしたい。私は根拠の無い憶測や無責任な評論によって真実の主張を阻もうとする風潮を憂える。わが国の民主主義を護り、再び政治の暗黒を招かないためにも、一歩も引くことなく前進を続ける」。


 渡部氏は、この時点で、炯眼にも次のように述べている。

 「田中角栄氏の主張する通り、彼は本当に5億円はもらっていないのかも知れない、と云う見地からこの判決を見てみると、つまり田中収賄という予断なしで見てみると、首をかしげたくなるような重大なカ所が幾つかあるし、裁判の様相は一転して暗黒めいてくるのだ」。


 渡部氏は続いて、藤林、岡原両名に対し、法の番人の元最高トップたるものが一審の重みを語るが故に間接的に三審制の意義を否定しているところにも問題ありと批判している。これ又炯眼であろう。次のように述べている。

 「元最高裁長官たちは田中裁判への予断を述べ、三審制軽視論をぶった。これは憲法の精神に真っ向から反するものであるのに、その憲法の最高の番人だった人たちが、そんなことを云っても平気な世論の動向であると考えられたのであろうか。そうとすればこれは司法の堕落であり腐敗である。二人の元最高裁長官は大新聞のインタヴューに誘われて晩節を穢したと云うべきではないか。(中略)司法の節操はここに破れたり、と云うべきであろう」。


 故に、「角栄よ徹底的に争え」として次のように述べている。

 「『世論』を離れて田中裁判を冷静に見ると、これは実に恐ろしい要因を含んでいる。田中氏には絶対第一審で服してもらっては困る。徹底的に二審、三審と闘い抜き、そしてこのロッキード裁判が含有している恐ろしい諸要因を国民の前に明らかにしてもらわなければならない」。

 ロッキード裁判の検察司法の乱暴さは目に余る。この点については追々確認して行くことにする。渡部氏が中でも批判し抜いたのが、免責特権付きの外国人証言に対して反対尋問する機会が与えられぬまま証拠採用され、有罪とされたことに対してであった。次のように述べて結んでいる。

 「それを聞いた文明国の人は、百人が百人、千人が千人、万人が万人、一人残らず日本はそんなに野番国であったのか、と仰天することであろう。我々はそんなに国の恥を世界の目に晒すことはないのである」。


 こうした渡部氏の論調に小室直樹氏の識見が作用していたようである。「同氏は田中裁判に関連した本も二、三冊書いておられるし、いろいろのところで発言もしておられるから」、「小室氏が田中裁判について書かれた本を以前に読んだ時は、ただ『面白い指摘だな』と思っただけであったが、司法界に、あるいは日本全体にみなぎる『予断』という点に気付いた今では、『やはりそうだったのか』と改めて慄然とするのである」と述べており、注目していたことが分かる。

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