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2011年8月 1日 (月)

渡部昇一著「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」考

 「諸君!」は、渡部昇一論文を、1984.1月号の「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」に続いて3月号でも「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」を掲載している。これを確認しておく。

 冒頭で、軍人勅諭の一節「世論に惑わす政治に拘らずただただ一途に己が本分の忠節を守り」云々を挙げ、日本の司法もこの伝統を守るべきところ、戦前の軍部がこの戒律を犯したと同様にロッキード事件に於いて暴走し始めていることを危惧している。

 「第一審判決の際の藤林、岡原コメント」がその典型であるとして、ロッキード事件の渦中の最高裁長官が引退後に於いて判決文にコメントすることが異常かどうかを「公開質問の1」としている。岡原発言は藤林発言に比して更に露骨に恫喝的であり、これが裁判に予断を与える恐れがあるのではないかと云う点を「公開質問の2」としている。

 次に、日本の刑事訴訟法、検察法にない米国式の嘱託尋問制を採用し、しかもその嘱託尋問に米国では当然視されている証人に対する反対尋問の権利を奪った上での一方的な云い勝ち云い得証言を採用していることにつき、岡原元最高裁長官の見解を仰ぐとして、これを「公開質問の3」としている。

 そういう曰くつきの嘱託尋問により証拠採用するに当り、事前に検察総長の「免責宣明書」(1976.7.21日)に続いて最高裁決議(1976.7.24日)まで提出していることにつき、これが適正なものなのかどうか岡原元最高裁長官に問うとして、これを「公開質問の4」としている。

 続いて、「第一審判決の際の藤林、岡原コメント」が一審判決を絶対視させ結果的に三審制を軽視している発言内容につき、元最高裁長官の識見を問うとして「公開質問の5」としている。加えて「第一審判決の際の藤林、岡原コメント」が、角栄訴追のエールと化して政治的意味合いの強い発言となっていることにつき、識見を問うとして「公開質問の6」としている。

 次に、立花隆の「被告人田中角栄の闘争―ロッキード事件傍聴記」(朝日新聞社、1983年刊)の嘱託尋問を廻る記述で、概要「(嘱託尋問には適法手続きでやや問題があるが、田中被告側にも問題があり)反対尋問のテストつきの嘱託尋問を新たにやり直そうではないかという主張を本気ですることができない。それをすれば、自分たちに不利な証言が法的に完全に固まってしまうからである」と記述していることに対して、そのウソを暴いている。

 渡部氏は、田中被告側が1982.2.10日付けで反対尋問請求を正式に東京地裁に提出していたこと、それが同年5.27日付で請求却下されているとして、立花式の「田中被告側が反対尋問により藪蛇になることを恐れてビビった」なる論が悪質なデマであると批判している。渡部氏はかの東京裁判でさえ反対尋問を認めていたことを伝え、ロッキード事件の捜査手法の異常性を批判している。

 この下りは、デマを平然と書く立花、その立花を「知の巨人」とあがめるマスコミの知性の空恐ろしさが透けて見えてくる話である。これを踏まえて、「元最高裁長官たちにお尋ねしたい。今回の裁判で反対尋問を必要なしとして却下したひとは正当であったとお考えかどうか」として、これを「公開質問の7」としている。

 最後に、違法性承知のなりふり構わぬ田中角栄訴追派の魂胆の正義性を問い、「目的は手段を神聖化する」ことができるのどうかを問うている。渡部氏は例として戦前軍部の反乱将校が引き起こした5.15事件、2.26事件を例にして是非を問おうとしている。渡部氏のスタンスは、反乱将校の決起を法治主義遵守の立場から非と論じ、ロッキード事件に於ける司法当局の手法を同様なものとして批判している。その上で、次のように述べている。

 「個人的に田中角栄氏を好きであろうと嫌いであろうと、また彼が賄賂をとった可能性に対する自分の心証が白であろうと黒であろうと、それには関係なく田中氏に控訴・上告をやり続けてもらえようお願いし、明々白々な憲法違反や刑事訴訟法逸脱のない上級審の判決を期待するより仕方がない」。

 これが渡部氏の終始一貫した論調である。政治的中立を重んじ、事の是非以前の問題として手続き民主主義の重要性を説いていると窺うことができる。このように説く渡部氏の論理論調のどこに非が認められようか。如何にも学者的に理路整然としていると看做すべきではなかろうか。

 ここで、渡部氏が立花論法のデマゴギー性を鋭く衝いたことから、この後、「渡部VS立花論争」が始まる。これからそのサマをも見て行くが、既述したようにネット検索では「立花是、渡部非」見解のものが圧倒的に多い。れんだいこは、どう読めばそういう結論になるのかが不思議でさえある。渡部氏のどこが間違いなのか、れんだいこにはさっぱり分からない。恐らく立花派と渡部派には頭脳の配線コードで交わらない何か先天的なものがあるのかも知れない。しかし待てよ、世の中には「どっちもどっち」で済ませられる場合、済ませられない場合がある。本事案は済ませられない事案であり曖昧にする訳にはいかない。

 ここでは、立花の「被告人田中角栄の闘争―ロッキード事件傍聴記」記述にある「嘱託尋問の再チェックを田中被告人側が恐れたなる論」の正否を吟味し白黒つけねばならない。これがウソであるとすると、立花は平気で詐術する異常言論士であると云うことになる。前述したが、そういう御仁が「知の巨人」なる誉れを得、自他ともに自負し通用してきたが、そろそろ地に落とさねばなるまい。「知の虚人」であることを知らせたいと思う。

 れんだいこ的には、立花が角栄評価を終始デタラメにしたまま今日を迎えていることもあり、この際、立花が角栄研究をしたように、れんだいこが立花研究をしたいと考えている。立花が角栄研究を否応なくしたように、れんだいこも否応なくするハメにあっている。なぜなら、ロッキード事件以来の日本ジャーナルの変調の嚆矢が立花より始まると看做しているので、どうしてもこの関門を越さねばならないからである。

 2011.8.1日 れんだいこ拝

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