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2011年8月13日 (土)

邪馬台国研究の新視点考

 2011年のお盆は邪馬台国研究で明け暮れそうである。かなり書き直した。サイトは以下の通り。

 「れんだいこの新邪馬台国論」 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/yamataikokuco/rendaiconorituron.html

 有益な作業として、魏志倭人伝2千文字を文節毎に分解し、それぞれに№を付した。全部で68小節に区切ることができた。これは聖書研究に使われている手法である。今後は№で云えば、該当箇所が分かるようになる。次に、郡から邪馬台国までの行程を仕分けして№を付した。全部で11行程になった。今後は何行程かを云えば、どこの話かが分かるようになる。次に、れんだいこの新見解ないしは准新見解を別立てで確認した。全部で21になった。精密にすれば優に50を超すだろう。これにより議論が深まれば良いと思う。

 今日発見したこととして次の見解がある。従来、邪馬台国の比定地を廻る論争が絶えないが、それに比べ21ケ国の衛星諸国家の比定が疎かにされてきた。正確には疎かにしたのではなく比定できなかったものと思われる。れんだいこの知る限り四国山上説を唱える大杉博・氏がこれに成功し胸を張ったぐらいのものである。もっとも、それが正しいかどうかは別問題である。

 そこで新たな視点を提供したい。邪馬台国を廻るべ21ケ国の衛星諸国家とは実は、江戸時代の藩屋敷のようなものと考えれば良い。藩屋敷とは、参勤交代制により江戸詰め常設の出先機関として構えることになったのだが、21ケ国の衛星諸国家もこれに似たようなものではないのか。従って、本国が遠国にあったからと云って無理やりにその遠国に比定する必要はない。邪馬台国の周りのどの位置にシフトしていたかを判ずればよい。今となっては跡かたもない場合もあろうし、痕跡が残っている場合もあろう。こうすることで21ケ国比定が弾むことになるのではなかろうか。

 邪馬台国研究上の新発見は時に現われる。宮崎康平氏が「まぼろしの邪馬台国」で打ち出した「海岸線の復元思考論」も然りであろう。榎一雄氏は「放射説」で有名になったが、その前の「国名記述の差異」指摘の方に価値がある。誰も気づかなかった盲点を指摘した。古田武彦氏の「邪馬『台』国ではない邪馬『一』国説」も衝撃であった。これも盲点であった。他にもいろいろあるが、その後の研究を陶冶した意味で上記の説は誰でもが首肯するであろう。れんだいこの「21ケ国の邪馬台国詰め出先屋敷論」もこれに匹敵するだろうか。それは分からないが、これで悩まなくても良くなったと云う意味では今後の研究上の手かせ足かせの一つを取り除いたことになろう。

 云いたいことは以上であるが、せっかくだからもう一つ有益な論点を述べ共認を得ようと思う。一般には邪馬台国論と云われるが、魏志倭人伝上の邪馬台国の記述は一ケ所でしかない。多くあるのは女王国である。あるいは、倭人、倭、倭地が出てくる。この相互規定が曖昧な故に混乱しているので整理しておく。論者の中には、邪馬台国を女王国よりも広域圏に捉えほぼ倭に匹敵させる者もいる。正しくは、倭>女王国>邪馬台国である。女王卑弥呼の所在するところが邪馬台国であり、「21ケ国の邪馬台国詰め出先屋敷」を含むその他同盟諸国が女王国であり、それら以外の諸国も含むのが倭である。こういう書き分けがされていることを踏まえないと議論が混乱する。

 最後にもう一つ。邪馬台国所在地比定論は「九州説、畿内説、その他説」の三通りで議論されていると云うのが正しい。これを「九州説、畿内説」の二大説で括るのは止めて欲しい。それらの論争の欠陥として、邪馬台国を大和王朝前の前王朝として位置づけるのは良いとしても、邪馬台国の延長線上に大和王朝が導かれたとする直接式説が主流であるが、これは百年来の謬論患いである。

 邪馬台国は大和王朝派により滅ぼされたのであり、痕跡さえ消されたのである。いわゆる皇国史観は、この過程を是と説く史観である。戦後は、そういう虚の史観と決別し歴史の実像解析に取り組むべきだったが、一部の専門家に任せてしまった。戦後の学校教育で神話を教えることがなくなり、その時代の知識が白痴にされてしまった。その一部の専門家が邪馬台国論に限りロクな仕事をしていないので、れんだいこの出番となっている。こういう構図が欲しい。

 2011.8.13日 れんだいこ拝

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