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2011年8月23日 (火)

神武東征、神武の橿原宮即位譚その6

 ニギハヤヒの義父にして在地の豪族の盟主的地位にあったナガスネ彦(登美彦)を棟領とする国津軍の抵抗は引き続いており、決着が着かず戦線は膠着していた。 天孫軍と国つ軍の闘いは長期戦化した。この時、金鶏が飛んできて天孫軍を勇気づけたとして次のように記されている。

 「遂に二ギハヤヒ―ナガスネ彦が登場し、両軍が対峙することになった。この時、急に空が暗くなり雹(ひょう)が降り始め、そこへ金色の不思議な鵄(とび)が飛んできてワケミケヌの命の弓の先にとまった。鵄は光り輝き雷光のようであった。そのため、ナガスネヒコ軍の軍卒は眩惑され、力戦できなかった。

 ワケミケヌの命は、歌を歌った。『御稜威を負った来目部の軍勢のその家の垣の本に、粟が生え、その中に韮(山椒)が一本混じっている。その韮の根本から芽までつないで抜き取るように、敵の軍勢をすっかり撃ち破ろう』。ワケミケヌの命は兵を放ち、ナガスネヒコの軍勢に急迫させた」。

 これを仮に「金鶏譚」と命名する。この下りは、天孫族と国津族の正規軍の最後の決戦場面を伝えている。両軍対峙で膠着する中、「金色の不思議な鵄(とび)が飛んできてワケミケヌの命の弓の先にとまった」とある。これは陰喩であろうから、天孫族によほど強力な助っ人が登場したと解すれば良い。これが誰であるのかは判明しない。

 こうした局面のどの時点のことか定かではないが、天孫族のワケミケヌの命と国津族のナガスネ彦が次のように遣り取りしている。

 「ナガスネ彦は使いを送って言上した。『昔、天津神の子が天磐船に乗って天より降りてきた。名を櫛玉ニギハヤヒの命と申す。私の妹のミカシギヤ姫を娶り、ウマシマデの命を生んでいる。私はこのニギハヤヒを君主として仰ぎ奉(つかえ)てきた。あなたは自らを天津神の子と称し、この国を奪おうとしているが、そうなると天津神の子が二人いることになる。なぜ天津神の子が二人いるのか。思うに、あなたは末必為信(いつわり、ウソ)をついている。どうしてまた天神の子と名乗って人の土地を奪おうとするのですか。私が思うのに、あなたは偽物でしょう』。

 ワケミケヌの命は次のように返答した。『天津神の子は多く居る。もしニギハヤヒの命が本当に天津神の子であるというのなら、必ずやその印となるものを持っている筈である。それを見せてみろ』。この後、ナガスネ彦が証拠の天羽羽矢(あまのははや)と歩ゆぎ(矢箱)を見せて示した。ワケミケヌの命は、「偽りではない」と答え、ワケミケヌの命も同じように見せ譲らなかった。ナガスネヒコは恐れ畏まったが徹底抗戦の構えを崩さなかった。

 これを仮に「天孫軍とニギハヤヒの命軍の王権誇示譚」と命名する。この下りは、国津系のニギハヤヒの命と天孫系のワケミケヌの命が王権の正統性誇示しあっているところが興味深い。決着がつかなかったと云うことは、ニギハヤヒの命の王権が確かなものであったことを寓意していよう。

 ナガスネ彦が、ニギハヤヒの命を天津神の子として位置づけ問答している下りは脚色であろう。本当は、「なぜ天津神の子が二人いるのか」と問うたのではなく、こう問うたのではなかろうか。「ニギハヤヒの命こそ皇統の命である。あなたがたも皇統だと自称している。どちらが本当の皇統なりや」。記紀はこの真問答を記せず、ここでも捻じ曲げて記述しているように思われる。

 天孫族と国津族の第二の国譲り譚が次のように記されている。この下りの神話は、物部氏の伝承「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)によれば、次のように記されている。れんだいこが意訳する。

 「天孫軍と国津軍の戦闘は長期化し、天孫軍優位のまま膠着状態に入った。国津軍の実権は、ニギハヤヒの子のウマシマチに移っていた。ウマシマチは、天孫族新王朝の要職の地位の約束を得ることでナガスネ彦を殺し、抵抗を終息させた。ここに両者が大和議し、天孫軍と国津軍の合体による大和王朝が創始されることになった。『大和』の由来はこれによる。ウマシマチはその後物部氏として大和朝廷の第一豪族として枢要の地位に有りついていくことになる」。

 大野七三氏の「古事記、日本書紀に消された皇祖神・ニギ速日大神の復権」は、「神武天皇とウマシマジの命の盟約」と題して次のように記している。

 「ウマシマジの命は、父・ニギ速日の尊より継承した大和国の統治権を神武天皇に譲るに当たり、天皇との間に重大な盟約を交わされたことが推察される。1・宮中に皇祖神として、元大和国の大王であり、皇后イスケヨリ姫の父であるニギ速日の尊の御魂を奉斎すること。そして、その祭祀はウマシマジの命及びその子孫が司祭者として行うこと。 2・大和朝廷の歴代の皇后は、ウマシマジの命の子孫・磯城県主(しきのあがたぬし、後の物部氏)の関係者の女性から出自させること。更に、その皇后より誕生した皇子のみが次期天皇になれること。3・大和朝廷の最高職(足尼すくね、大連おおむらじ、大臣おおおみ)は、ウマシマジの命の子々孫々が永久にその職を継承すること。これらの盟約は、先代旧事本紀の物部氏系譜と天皇家系譜によって確かめることができる」。

 これを仮に「天孫族と国津族の第二の国譲り譚」と命名する。この下りは、前半でニギハヤヒの子のウマシマチが「ナガスネ彦を殺し、抵抗を終息させた」としている。後段では、「神武天皇とウマシマジの命の盟約」が記されている。この盟約は記紀には登場せず先代旧事本紀のみが記しているところが興味深い。

 ところで、殺されたとされるナガスネ彦は他の古史古伝の東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)では、ナガスネ彦が東北に逃げ落ち、荒覇吐(あらはばき)族を名乗って津軽地方の王となった云々と伝えている。この記述は興味深い。大和王朝が後々東北蝦夷征伐に向かう流れの裏事情が見えてきそうな話である。

 古史古伝の真贋論争に願うのは、徒な入り口論としての真贋論に留まるべきではなく、よしんば偽書であったとしても内容に於ける吟味も必要ではなかろうかと思うことである。体裁等の形式的な偽書認定に止まるべきではなく、内容における偽書認定の両面から向かうべきではなかろうか。目下の偽書認定が入り口段階の話にされ、一向に中身の精査に向かわないのは疑問である。中身の精査に向かわない為のワナ理論ではないかと義憤することがあるぐらいである。

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