渡部昇一理論考
以上、ロッキード事件絡みの渡部5論文を見てきた。これをどう評するべきか。ネット上で「立花が鎧袖一触、論破した」なる評が流布されているが、如何に為にする立花ヨイショ論であることか。そういう手合いに限って法律論を小難しく解説しているが、中身が空疎なことを隠すこけおどしに過ぎない。今後は本稿も検索に登場するだろうから良い按配に中和したつもりである。それにしても、本件に拘わらず知らぬ者を誑かすニセ評が罷り通っているので、見つけ次第に成敗せねばならない。
れんだいこの渡部昇一論を披歴しておく。思うに、渡部氏は実に面白い人物である。学者的良心に於いて一言居士であり学究的に深い。そこから生まれる政治的な知的感性が良い。「朝日新聞VS渡部の教科書問題」、ロッキード事件に於ける言及はその白眉の論考である。興味深いところは次のところにある。当人は体制側の保守言論の士として自ら位置付けているが、れんだいこの見るところ、その重心は定まっていない。つまり、本人の保守的言論士の思いとは別に案外そうではなく本来の左派精神に繫がる面を持っているように思われる。正確には、1970年代までの戦後日本の歩みを肯定する体制擁護論者とみなすべきではなかろうか。実はここに渡部氏の鋭い知的感性があると見立てたい。
仮に、日本の戦後体制をプレ社会主義的なものだとみなせば、どういうことになるのか。渡部氏本人は自ら保守系の論者として自己認識しているのではあるが、実はプレ社会主義体制の護持派でもあるということになりはすまいか。れんだいこが評すればそういうことになる。これを逆に云えば、多くの左派もんが角栄批判に興じてきたが、その角栄が戦後プレ社会主義体制の最も有能な牽引者であったと仮定すれば、その角栄を最も悪しざまに批判し続けた自称左派もんこそ最も反社会主義な言論士であり、戦後プレ社会主義体制の壊し屋と云うことになる。
れんだいこ史観によれば、ロッキード事件というのは実に奇妙且つ味わいのある事件であった。それは、表見保守にして真実は左派であった田中角栄政治をどう評するかが問われていた。角栄は首相の座にまで上り詰め、辞任後も隠然とした権勢を示していた。これに対し、角栄を捕捉し、日本を捕捉する為に現代世界を牛耳る国際金融資本が用意周到にワナを仕掛け断固たる鉄槌を下したのがロッキード事件であった。
しかし、幾ら国際金融資本の絶対指令とはいえ、当時の日本政界は角栄―大平派が牛耳っていた為に日頃の子飼い派だけでは勝ち目が薄かった。故に、表見左派にして真実は国際金融資本の御用聞きであった日本左派運動をも総動員して、つまり右から左まで駆り立て角栄訴追の大包囲網を敷き、これにマスコミの言論大砲を加えることによって事件化することができた。当然、角栄派も応戦する。ロッキード事件は、両者が攻防した戦後史上最大の政治事件となった。
そういう意味で、ロッキード事件は、このドラマの登場人物の表見ではなしの真実の右派左派を見分けるリトマス試験紙足り得ている。角栄擁護に回った者こそ戦後日本のプレ社会主義を守る者たちであり、そういう意味で当人の意識は別として本能的に左派であり、角栄批判に回った者こそ、当人の意識は別として本能的に右派である。否正しくは右派と云うより国際金融資本帝国主義の走狗と云うべきだろう。凡俗の歴史観からは導き出せないが、れんだいこ史観からはこういう見立てが必然になる。
この時、黙っておれないとして登場した渡部氏の果たした役割は本能的に左派のものであった。氏がロッキード事件に於いて果たした役割は戦後日本民主主義のプレ社会主義的なものが壊されて行くことに対する義憤であった。氏がそのことを自覚していないところが滑稽なだけの話である。氏のロッキード事件批判、角栄に対する温かい眼差しはそういうものであったと確認しておきたい。
渡部氏はその後も正義の論を述べ続けて行くことになる。どのような政論を述べているのかにつき風評的なもの以上は知らないが、一言しておけば、国体論に於いて透徹した歴史観は持っていないように思える。教科書問題、ロッキード事件に於ける国体護れ論は正しかったが、その他の面においては皇国史観を突き抜ける国体論を持ち合わせていないことにより凡庸な保守系言論士になっているようにも見受けられる。これについては氏の他の論考を読んでいないので、これぐらいの感想に留めておく。
これと対極的に、平素左派圏界隈に出没し、ロッキード事件の牽引者として登場してきた立花とは何者か。背後に胡散臭いものを感じ取るのはれんだいこだけだろうか。史実は、その立花が奏でる検察正義論ジャーナルが持て囃され、表見左派が彼を支持し、以来日本のジャーナリズムをすっかり変質せしめてしまった。それまでの冤罪告発ではなく、180度転換して検察正義を後押ししたり煽る構図ほど愚劣なものはあるまい。このニセモノ左派たちの政治遊びが政治にせよ評論にせよ今日まで続いていると見立てたい。そろそろお仕舞いにせねばなるまい。
最後に。この過程で確か「渡部VS立花のshall論争」があった筈である。これを確認しようとしたが、ネット検索からは全く出てこない。実際にあったのに出てこないのは何か裏があることが多いので余計に気にかかる。どなたか該当サイトを紹介くだされば、ついでに考察しておきたい。当時の印象として、「shall」の解釈を廻って、立花が渡部氏の本業である英語学に於いて堂々と論争していた記憶がある。れんだいこは、立花の裏に彼を教唆し知恵を授ける者の影を感じていた。それは「立花論文の一事万事の型」を示していた。こういうところを確認したいと思っている。どなたかご教示お願いしたいと思う。これにて「渡部昇一理論考」をひとまず完とする。立花については以下のサイトで考察している。本稿の格納庫も示しておく。
「立花隆論」
(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/mascomiron/tachibanatakashiron/tathibanatakashiron.htm)
「反立花論客(渡部昇一、石島泰、井上正冶)考」
(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokkidozikenco/kakueihihanhatoshijihaco/hantathibanaco.html)
2011.8.5日 れんだいこ拝
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