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2011年8月 2日 (火)

渡部昇一著「英語教師の見た『小佐野裁判』」考

 「諸君!」は、渡部論文を、1984.1月号の「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」、3月号の「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」に続き、7月号で「英語教師の見た『小佐野裁判』」を掲載している。これを確認しておく。この時、立花の「立花隆の大反論」が併載されているが、その内容が分からない。強権的な著作権論がなければ、どこかでサイトアップされているのを見つけられると思うが出てこない。残念なことである。

 冒頭、K女子から小佐野賢治氏の裁判闘争に知恵を貸してほしいと頼まれた経緯を明らかにしている。小佐野氏は20万ドル受領容疑その他で裁判に付されていたが、否認していた。クラッタ―証人が「1973年の11月3日、12時より前か後かははっきりしないが、とにかくmidday前後に小佐野氏と会い20万ドルを授受した」と証言していた。但し、小佐野氏は、この時間帯はホノルル経由でロスアンゼルス国際空港に向かうユナイテッド航空114便に乗っており、機中の人であった。到着時刻が4時18分。

 第一審判決(判谷恭一裁判長)は「午後4時半頃もmiddayのうち」と解釈して有罪を宣告した。控訴趣意書で「middayは午後4時半までは及ばない」と主張。高裁で、この点が争われていた。1983.10.14日、渡部氏は鑑定証言者として高裁に出向き、概要「middayは真昼、daytimeは昼間と識別できるが、混同は許されない」と証言した。

 この証言から半年余り、1984.4.27日、控訴審判決(海老原裁判長)が下り、この点について一審と同じく有罪とされた。但し、一審がmiddayを午後4時半まで拡張したのに対し、控訴審では「右供述は単なる記憶違いと見る余地がある」としていた。こうなると、裁判は付け足しでしかなく「有罪は裁判の前から決まっていた」と云うことになる。渡部氏は次のように述べている。

 「有罪としていた根拠が消滅したら、その件については無罪というのが常識というものであろう。しかしロッキード裁判では常識は通用しない。裁判官の強弁と推定とキ弁が通用するのである。(中略)私が垣間見たロッキード裁判は裁判不信を起させるに十分なものだった」。

 本論文は概略以上の短文である。

 ことのついでに小佐野賢治論を書きつけておく。俄か拵えなので十分なものになり得ないが、足らずは追々書き加えて行くことにする。
 「田中角栄と小佐野賢治の刎頚の友考」 

 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/jinmyakuco/osanokenjico.html)

 角栄と小佐野の出会いに就いて、角栄は次のように証言している。

 「昭和22~23年頃、正木亮先生の紹介で小佐野氏を知った。特に小佐野氏と親しくなったのは、私が昭和25年に長岡鉄道の社長に就任、同社のバス部門の拡充に際して国際興行から大量に車両の提供を受けたことからです」(ロ事件検察官調書から)。

 二人は小佐野が大正6年、角栄が7年と云う1歳違いの同年代にして、頭脳優秀ながら出自は貧乏家庭、共に苦労しながら若くして頭角を現していた点で共通していた。その後の進路は角栄が政治、小佐野は実業に向かい「畑」は違ったが肝胆相照らす仲になり生涯の刎頸の交わりとなる。両者の逸材ぶりを見抜いた正木弁護士も偉いと云うことになる。

 両者は戦後日本の在地土着型の登竜者であり、現代世界を牛耳る国際金融資本が手なづけられなかった日本国産の戦後のモンスターであった。れんだいこ史観に照らせばホリエモンなどもこの部類に入る。ここを理解しないと俗流の金権批判に踊らされてしまう。

 角栄と小佐野は陰に陽に提携し助け合ったことは容易に推定できる。恐らく、角栄は小佐野を政商的に利用し、小佐野は角栄の政治能力を行政的に活用したものと思われる。れんだいこの知る圧巻は、角栄がヒモつきになる財界からの政治献金を極力遠慮し、ここ一番では小佐野から用立てていたと思える節がある。当然自力調達した上での話である。今日びの政治家は法によりがんじがらめにされているので、こういう芸当はできないが、当時に於いては金力は権力の必須条件であった。

 関心すべきは、両者は案外と身ぎれいに関係しあっていることである。時に虎の門事件のように(深い事情は分からないが)露骨な稼ぎを生んでいるが、それ以上のものは確認できない。互いの能力を認め合い識見を競っていたと思える節がある。世上の角栄論、小佐野論と大きく違うだろうが、れんだいこの見方の方が正鵠を射ていると思う。角栄式金権論については次のサイトに記している。

 「れんだいこの角栄金権考課評
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/kinkenmondaico/
rendaiconokinkenron.htm)

 角栄と小佐野を利権まみれ的に見る評論が後を絶たない。しかし、それらは下種の勘ぐりと呼ばれるものであり、実態は時代の能力者が必然的に邂逅した出会いだったと思いたい。戦後日本には、こういう角栄と小佐野、ミニ角栄とミニ小佐野が全国各地に輩出したのであり、今その後裔たちが苦しめられている現実こそ嘆きたい。  

 2011.8.2日 れんだいこ拝

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