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2011年8月12日 (金)

「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)発刊の辞

 ご通知申し上げます。れんだいこの学生運動論シリーズ2冊目の「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)が発刊されました。8.15日前後に書店に並ぶと聞かされております。店頭集結、ネット取り寄せ等果敢な行動お待ちしております。書店になければ弾劾してください。

 処女作の「検証 学生運動(上巻)―戦後史のなかの学生反乱」(社会批評社)が世に出たのは2009年2月でした。2年半経過したことになります。結構な発酵期間になりました。どう書くべきか、どこまで書くべきか、それなりの苦心があった故です。実際には、本書通りの内容になりました。以下、発刊の辞を添えておきます。

 本書刊行の思いは「前書き」、「後書き」に記しているので繰り返しません。改めて伝えたいことは、本書が歴史の風雪に耐える著作足り得ているかどうか自問していることです。著者としては、今後の学生運動論は、この「検証学生運動上下巻」を手にせずんば始まらないとの自負があります。まことかウソか、ぜひご確認をお願いいたします。

 書庫を見れば、その人の器量が分かると云う見立てがあります。昔より「琴棋書画」と云われますが、「書」の内には書庫の意味もあるのではないかと思っております。本書が皆様方の書棚に置かれ、そのことで輝きを増すよう念じております。手元に置いて五年後、十年後にもまた味わってやってください。孫子にも伝えてください。

 れんだいこの執筆デビューは、思えば12年前の1999年4月、当時立ち上がったばかりのネットサイト「さざなみ通信」に、ハンドルネーム「れんだいじ」で「
いまおもうこと」と題して投稿したところから始まります。以来、数か所の掲示板に出没し始めました。道中で「れんだいこ」と改名しました。

 その後、「大阪のおじちゃん」にホームページを持つよう誘われ、2000年2月11日、手取り足取りの世話取りして貰いながら「人生学院」、掲示板を立ち上げました。以来十年余経過しております。せっせせっせと書いて参りました。今年2011年、「二八蕎麦」さんの手ほどきでブログとツイッターを開設しました。この両名様に深く感謝申し上げさせていただきます。未だお二人にお会いせぬままですが、機会に恵まれましたら一献傾けさせていただかなければなりません。

 この間、ホームページも掲示板も、今ではブログもツイッターも相当な文量になっています。その時々にれんだいこのアンテナが作動し興味を持ったものを調理しています。手法として、まず閃いたことを書き付けておき、次第にネット等から関連資料を寄せて、追々に構成し直し、最終的にれんだいこ文に整序して行く作法にしております。文を片手間でやる身の者からすれば、それしか方法がないと云うことと、そういう方法が性に合っているのでせう、いつしか身に付けた作法です。そういう意味では、ネット時代が生んだ書き手の一人だと思っております。

 この手法が著作権法に抵触すると云う批判を受け、著作権法とは何ものかの解析にかなり煩わされて参りました。今では、著作権法の説くルールとマナーを遵守し、転載被転載フリーの観点を打ち立てています。戒めとして、著作権法に拠らぬ著作権法以上の規制力で著作権を規制する手合いの文には近寄らないよう心がけています。これで滅法紛争が少なくなりました。現在、面と向かって因縁つけて来る者はいません。過去には次から次と現れ、お陰で論戦力が強くなりました。いつしかいっぱしの著作権論をぶつことができるようになっております。連中が手本にして来た西欧で著作権フリーの動きが強まっているのに、相変わらず著作権槍で森を突いて廻り、自称文明人を嘯いている姿は滑稽です。

 さて、本題です。今のところ2冊の著書でしかありませんが、恐らく今後も刊行が続くと思わます。出版社からのオファーをお待ちしております。何しろ本業が苦しいのと、こっちの方がれんだいこの性に合っており、執筆で飯が食えるなら喰いたいと思っています。テーマは目白押しに控えています。宮顕論から始まり、角栄論、邪馬台国論、中山みき論へと向かい、その後も大東亜戦争論、出雲王朝論、神道論、シオニズム論、イエス論その他その他で優に数百の論考を数えています。その流れは「れんだいこの特選論文集100選」に記しております。

 その論考の一章節で一冊になりそうなものが多く、これを出版するとなると大変なことになります。加えて他にも翻訳あり、書評あり、哲学ノート、随筆もあります。掲示板では「カンテラ時評」が続いています。一体幾らの分量になるのか見当がつきません。れんだいこ脳内では全体が絡んでおり、いわば万華鏡になっています。今後も新たなテーマに取り組み続け、既に書きあげている論考の手直しも続く。そういう流れになっています。この営為は、れんだいこが死ぬまで続くと思われます。

 それらのいずれにも或る特徴があります。後付けで気づいたのですが通説、俗説批判を媒介にしています。これは何も始めから奇をてらって狙ったものではありません。単にれんだいこのアンテナが作動した故に書きつけが始まったに過ぎないのですが、どうやらアンテナの作動具合がそのようになっているように思われます。通説、俗説のデキが良いのであれば何の疑問も湧かさずそのまま学べば良いのですが、実際には違和感を覚える通説、俗説が多過ぎ、これによりれんだいこ文が必要になるようです。そういう風にして紡ぎだされております。その作業は好きこそものの上手なれで、楽しくなければできません。肩が凝るわ目が痛むわを通り越して参りました。

 当然、こたびの「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」も然りです。学生運動論に対する新観点からアヌプロ―チしております。下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析しています。通史の方では流れのポイントを押さえたつもりです。上巻同様に新旧左翼の両方向の動きに目配りしています。既存のものにはない手法で斬新です。

 個々のテーマ解析では重要事件を俎上に乗せました。従来の論考を踏まえつつ、れんだいこ見解を添えました。それぞれ既成論考の閉塞部分の水路を切り開いているつもりです。全体として、学生運動を検証しながら、単に追憶、批判、礼賛するのではなく、どこで道を間違えたのか、どう立て直すべきか、その為に必要な手当ては何かを意識しながら著述しています。この辺りを堪能していただけば幸いです。

 れんだいこの学生運動考の最後は「学生運動への提言」をもって三部作となり完結します。但し、三冊目は今のところ出版の目鼻を立てていません。折を見て再度推敲し、ネットで読んでもらうか、やはり手に取ることができ線引き自在のブック形式にするのか最終的に判断したいと思っております。れんだいこの気分では、ネットで読める程度のものならネットで読めば良い、どうしても手にして対話しながら読み進めたいとするデキのものをブックにすれば良いとしております。三冊目の発刊は今のところ思案中です。

 何せ今更幾ら提言しようにも、当の学生運動の主体が消えてしまっており、どこに誰に呼びかけて良いものやら見当がつかないからです。もう一つの理由として、我々の頃の学生と今時の学生では社会に対するアンテナが違い過ぎるからです。我々の当時には苦学生も当たり前に居て、社会を良くしようと云うのが生活実感でも有り得たし、革命と云う言葉そのものが魅力的でした。今日びの学生にはこうした政治的センスが全く毀損させられています。代わりに経済的動物に成り下がっており、学生運動の話が遠過ぎます。この時代にどう踏み込むべきか腕組み思案しております。

 それはともかく、れんだいこの学生運動論はひとまずこれにて完とします。ぜひ、れんだいこが他のこれと思う著作に対してするように、手にしてデスクなり寝床なりトイレなり車中なりで読み、周りの者にも読ませ語り合ってほしいと思います。特に1950年、60年、70年世代が世代を継いで繋いできた学生運動の余韻を嗅いでほしいと思います。この世代の皆様方におかれましては郷愁を込めて読んでやってください。

 2011.8.12日 れんだいこ拝

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