« ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その2 | トップページ | 神武東征、神武の橿原宮即位譚その1 »

2011年8月20日 (土)

ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その3

 「ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し」を、ニギハヤヒが葬られたと云う三輪山の縁起伝説から確認してみたい。

 先代旧事本紀(旧事紀)は、ニギハヤヒ=大物主として奈良県桜井市三輪の大神神社の祭神であるとしている。且つ記紀が編纂される7世紀末頃までは天照大神が男神であったとした上で尊崇されていたこと、天照大御神を女神とするのは記紀編纂時における改竄であると断罪している。ここではこの吟味をしないが天照大神=男神説は大いに成り立つと見立てる。記紀は共に天照大神を天孫系の女神として記しているが、皇紀2600年問題に繫がる神武天皇即位年と同様、詐術している可能性がある。天照大御神は元々国津系の最高神であり、その称号を天津系が取り入れている可能性が強い。

 もとへ。大神神社は、大物主大神、大己貴神、少彦名神を主祭神としている。識別すると主祭神は大物主大神であり、大己貴神、少彦名神を配祀していると捉えることができる。先に「大和の三輪山のオオミワの神である大トシの神」とする記述もあるので、元々は大トシの神が主祭神であり、後に大物主大神へ移行していると考えられる。大トシの神を大物主大神とする記述もあり史書間で混乱している。いずれにしても、大神神社は出雲王朝との関わりが深いことが垣間見える。

 ところで、大己貴神は大国主の命の別名である。大物主大神はニギハヤヒの尊である。仮説であるが、 れんだいこは、ニギハヤヒの尊は大和へ向かった大国主の命の大和入り以降の別名ではないかと見立てている。少彦名神は、大国主の命と力を合わせて国づくりした神である。してみれば、大神神社は、出雲王朝に於いては大国主の命、その大和入り後の名のニギハヤヒの尊(大物主大神)と少彦名神を祀っていると云える。即ち、大神神社は出雲王朝の大国主の命と少彦名神を祀っていることになる。

 大神神社の縁起には、イクタマヨリ姫(ヤマトトトヒモモソ姫)と「高貴なるお方」との縁結び譚が語られている。古事記の崇神天皇7年の条では、大物主大神の末裔である意富多多泥古(大田田根子)譚が語られている。それによると、崇神天皇の御世に疫病が流行り人心が定まらなかった。この時、大神神社が永らく荒んでいたらしく、その崇(たた)りとの託宣が有り、大物主神の末裔である「意富多多泥古(大田田根子)」を八方手を尽して探し出し、これを祭祀主として御諸山に迎えたところ国が平安になった云々。

 この逸話は、大和王朝時代に、出雲王朝―邪馬台国の御代を粗末にして来たことによる崇(たた)りが記されていること、出雲王朝―邪馬台国系の末裔を迎えることにより人心が安定したことを知らせている点で貴重である。大和王朝史の底流に出雲王朝―邪馬台国勢力の処遇を廻る暗闘があり、これを見ないと流れが見えない。

 日本書紀の崇神天皇10年9月の条では、倭迹迹日百襲媛の命(古事記では夜麻登登母母曾姫の命)譚が語られている。そこで同女の「出雲系を暗示する高貴なるお方」との縁結び譚が語られている。その逸話の結びに「姫は悔いて、どすんと腰を着いた拍子に箸で陰部を突いて亡くなられた。姫は大市に葬られ、箸墓と名付けられた」と記されている。「悔いて」、「どすんと腰を着いた拍子に」、「箸で陰部を突いて亡くなられた」は全て暗示的表現であるが、これを仔細に解説するのも一興であるがここでは触れない。末尾の「箸墓古墳の被葬者が倭迹迹日百襲媛の命」と記していることが貴重である。

 その箸墓古墳が紀元3世紀頃に築造された古墳であることが現代考古学で判明しつつある。これらの神話譚を踏まえると、大国主の命即ち大物主大神(ニギハヤヒの命)と倭迹迹日百襲媛を結ぶ線が見えるように思われる。全て仮定ではあるが、こういう推論が可能と云うことである。

 倭迹迹日百襲媛の命=卑弥呼とする説がある。倭迹迹日百襲媛が葬られたのが箸墓古墳であり、その箸墓古墳が魏志倭人伝に記す卑弥呼の墓であると云うことになれば、そういうことになる。この説がよしんば間違いであろうとも、倭迹迹日百襲媛と卑弥呼―その後継者台与が非常に近い関係であり、同じ出雲系政治圏のほぼ同時代の人物であることは、墓の年代論で推定できる。

 少なくとも、ここに「出雲王朝と邪馬台国を結ぶ点と線」が見えると窺うべきではなかろうか。次に「日本の国体史を貫く出雲王朝と邪馬台国の点と線」を確認する必要があるが、ひとまず筆を置くことにする。

 2011.8.20日 れんだいこ拝 

|

« ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その2 | トップページ | 神武東征、神武の橿原宮即位譚その1 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/41291601

この記事へのトラックバック一覧です: ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その3:

« ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その2 | トップページ | 神武東征、神武の橿原宮即位譚その1 »