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2011年8月 4日 (木)

「立花隆氏にあえて借問す」、「『田中角栄の死』に救われた最高裁」考

 「諸君!」は、渡部論文を、1984.1月号の「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」、3月号の「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」、7月号で「英語教師の見た『小佐野裁判』」に続き、1985.2月号で「立花隆氏にあえて借問す」と題して掲載している。これを確認しておく。

 ロッキード事件の変調が小室直樹、秦野章、俵孝太郎、渡部昇一、
伊佐千尋、石島泰、井上正治氏らにより手厳しく批判され始めると、立花が文芸春秋、朝日ジャーナルを根城にして反論に出ていた。文芸春秋の1983.12月号で「田中擁護のあらゆる俗論を排す」、以下朝日ジャーナル1984.10.12日号の「発言ねじまげるイカサマ論法」、「渡部昇一の『知的扇動の方法』」、同10.19日号の「渡部昇一の『慄然』引用術」、同10.26日号の「渡部昇一の『探偵ごっこ』」、同11.2日号の「渡部昇一の『知的不正直のすすめ』」、同11.9日号の「渡部昇一と『妄想カルテット』」、何号か明示していないが「幕間のピエロたち―立花隆・ロッキード裁判批判を斬る」がそれである。この時の編集長が誰か分からないが、「諸君!」編集長と張りあっていたことになる。

 渡部氏は、次のように判じている。

 「彼は我々が提出した角栄裁判批判の本質的な点には答えようとせず、デマゴーグの手法で人身攻撃することに専心しているのである。人身攻撃を続ければ、その攻撃された人間の言論も無効になるかの如き信念を持っているかの如くに」。


 立花の渡部批判論文の見出しはいずれも煽情的嘲笑的である。その言を鵜呑みにすれば、渡部氏の方が詐欺師に見えよう。しかし、両者の言論内容を精査すれば、一貫して誠実なのは渡部氏の方であり、立花の如きは検察正義プロパガンダの請負人でしかなく、中身で反論できないものだから修辞レトリックで貶しているに過ぎないことが判明する。しかし世の中は妙なもので、この修辞レトリックにヤラレてその気になる手合いが多い。何度も言うが、ネット言論上の「立花是、渡部非」立論者はこの類である。

 渡部氏は、この論文で、立花が朝日ジャーナルから、角栄裁判批判を斬る為に「いくらでも書きたいだけ書いて良いと潤沢なスペースを提供して貰った」ことを明らかにしている。これは朝日ジャーナルの1984.10.12日号の立花自身の弁のようである。立花とこの時の朝日ジャーナルの編集長とはよほど深い絆で結ばれていることが分かる話である。この編集長が誰であるかは追々分かるだろう。この編集長の頭脳には、朝日ジャーナル誌上で立花論文と反立花論文を併載して読者の判断を仰ぐと云う気持ちはさらさらなかったことが分かり興味深い。普通はこういう関係をグルと云う。

 渡部氏は、この論文で、立花に次のように問うている。その1、角栄逮捕の際の容疑が外為法違反であったが、こういう別件逮捕を是認されるのか。その2、検察の首相権限論によると、首相が私企業の商行為に無報酬介入する権利を認めていることになるが、これを是認されるのか。その3、検察の外国経由尋問調書の証拠採用是認されるのか。その4、最高裁の免責宣明書提出を是認されるのか。その5、免責特権付き共犯者証言の証拠採用を是認されるのか。その6、反対尋問なしの共犯者証言の証拠採用を是認されるのか。

 次のように結んでいる。

 「ぜひ、この次は、渡部昇一への悪罵ではなく、冷静に角栄裁判批判を法律的に斬れるものなら斬ってもらいたい。それで立花氏のリーガル・マインドの現状が万人の目に明らかになるであろう」。

 渡部氏の渦中のロッキード裁判批判は一応これで終わっている。他にもあるのかもしれないが、「萬犬虚に吠える」に収録されているのは以上である。補足として「諸君!」1994.2月号に「『田中角栄の死』に救われた最高裁」を著わしている。これについて確認する。

 
1993.12.16日、角栄が逝去した。角栄の死は、かの有能過ぎる角栄頭脳が1977.2月にロッキード裁判に初出廷以来17年も法廷に縛られたまま、国策捜査-国策裁判により封ぜられたことを意味する。渡部氏は、解析してきた4論文で言及を閉ざしたままであったが、角栄の死に際して8年ぶりに「『田中角栄の死』に救われた最高裁」で追悼したことになる。本稿で再度、嘱託尋問の不正に触れている。渡部氏は、角栄容疑の前段階の問題として、文明国にあるまじき変調な裁判手法の不正義を告発し抜いた。「素人は黙っておれ」に対し、「素人でもこれだけは云わせて貰う」として獅子奮迅の活躍をした。渡部氏はその後発言を封じた。立花はのべつくまなくしゃべり続けた。ここに両者の鮮やかな対比が確認できる。

 渡部氏は、最後に角栄批判に終始纏わりついた金権政治批判について次のように述べている。

 「明らかに角栄氏は自分の政策を実行するためにおカネを使ったので、それによって彼の志は低められたりすることはなかった。(中略) 角栄氏を『金権政治』の始祖と批判するのは簡単だけど、その『金権政治』に、どのぐらいプラスとマイナスがあったのか、後世、それを冷静に見極める必要もあると思うのです。(中略) 『税金政治』と『金権政治』のどちらがいいか。その結論を私たちはまだ手にしていない。これからの問題ですが、私は『税金政治』になれば、政治家になろうとする人で、野望を持った人は少なくなり、政界はますますPTAの集まりのようになってしまうのではないかと恐れるのです。(中略) 政治は結果です。良い結果が生まれれば良い。その為にカネが有効に使われるなら、私はそれも良しとせざるをえないと考える。(中略) 金権政治は民主政治にかかるコストだという考え方を一概に否定することはできません。どんな制度にも悪いところ、危険な要素がある。むしろ、全体的に見て民主制度の下における金権政治は現実に弊害が少ないのです。むろん行き過ぎれば、結果論からみた政治そのものを左右するまでに腐敗もするけれど、そこには選挙があり、司法のチェックも効く。要するに、金権、金権と過度に神経質になるのはどんなものか。と時には考えてみる必要もあるのではないか」。


 渡部氏の角栄を見る眼の眼差しは温かい。この観点に真っ向から対立しているのが立花―日共理論である。この両論、果たしてどちらに軍配を挙げるべきだろうか。

 2011.8.4日 れんだいこ拝

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コメント

経団連花村元事務総長は田中首相について、本人は金を懐に私したとは
いっていなかつた。この発言は角栄氏を責めていなかつた。
東大でもなく、門閥でも、なにもない人間が足場を作るのに、要した努力と金は、無理からぬこと。政策立案能力など、今の政治家かと比較゛すれば、成長期といえ、よほどましだ。 司法取引による、この事件は、発端といい、アメリカの国益にマイナスの判断で立件されたと考えられる。日本の裁判制度、司法の正義の検証を含めて ロッキード事件を立花氏に論じてほしい。ただ金権政治、は悪と云え、この時代に
誰もが、見ていた事を あの時スクープした事は それまでこわくて
批判もできなかった人が 命じられ書いた様な気もしてならない。
立花氏を、どんな相手にも、意見を述べる人物か、わかりません
新聞、マスメディアも 金、権力に弱く
雰囲気を作り 誘導も、奥の院の意向に沿う
今の政治をみていれば、角栄おればと思う


投稿: | 2011年8月 5日 (金) 16時03分

経団連花村元事務総長が「田中首相について、本人は金を懐に私したとは
いっていなかつた」とのこと、もう少し詳しく教えてください。興味があります。

投稿: れんだいこ | 2011年8月 5日 (金) 17時59分

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