« 皇紀2600年考その2 | トップページ | ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その1 »

2011年8月17日 (水)

皇紀2600年考その1

 「出雲王朝と邪馬台国を結ぶ点と線考」を愚考する。その始まりは「皇紀2600年問題」となる。これが新邪馬台国論とどう関係するのか。

 戦前の1940(昭和15)年2月11日、日本政府は、皇紀2600年祝祭行事を盛大に挙行した。ここでは、これに悶着つけようというのではない。ひたすら初代天皇即位年月日の真実を探ろうとしている。余りにも史実と離れ過ぎていると思うからである。

 皇紀2600年とは、日本神話上の天孫族による東征に基づく大和平定後の橿原宮での初代天皇即位(践祚)記念を云う。この栄誉を担ったのが神武天皇であり、御年52歳、神武天皇御代は76年、127歳にして崩御云々とされている。ちなみに神武天皇の即位前の名は古事記では「神倭伊波礼琵古命」、日本書紀では「神日本磐余彦尊」。「かむやまといわれひこのみこと」と訓読みされる。神武天皇は漢風諡号(しごう)であり「始馭天下之天皇」(はつくにしらすすめらみこと)とも称されている。

 神武天皇即位年月日につき、日本書紀は「辛酉年春正月庚辰朔」と記している。これを西暦で計算すると紀元前660年2月11日になる。れんだいこはこれに疑問を持つ。この際、神武天皇実在、非実在は問わない。初代天皇の即位日をのみ問題にしようとしている。

 記紀神話によると初代天皇の即位は大和平定後のことである。「大和平定後」がなぜ紀元前660年2月11日になるのか、これが解せない。そこで、「初代天皇の即位日=紀元前660年2月11日」の真否を確かめたい。繰り返すが、これは神武の問題ではない。大和平定後の初代天皇の即位日の問題である。初代天皇の即位日を日本書紀が何故に「紀元前660年2月」になるように「辛酉年(神武天皇元年)春正月即位日」と記したのかを問おうとしている。この辺りの日本書紀の記述はどこまでが真実でどこからが詐術なのか、これを問いたい。

 思うに記紀神話の説く「大和平定後の初代天皇の即位」は史実であろう。故に、ここは問わない。問うのは、「大和平定後の初代天皇の即位」の年月日である。日本書紀の「辛酉年春正月庚辰朔」は明らかにオカシイ。なぜなら、中国史書各書が紀元3世紀に所在したと記している邪馬台国の取り扱いができなくなるからである。「辛酉年春正月庚辰朔」は、そういう難題を孕(はら)んでいる。

 このことを、邪馬台国研究者はもっと大々的に指摘すべきではなかろうか。畿内大和説の側からすれば無論のこと、九州説、その他説でも事態は変わらない。なぜなら、九州説、その他説であろうとも、邪馬台国後の大和王朝建国史を前提としているからである。大和王朝建国後の邪馬台国論をぶつ者は一人として居るまい。

 即ち、日本古代史の流れを検証すれば、「大和平定後の初代天皇の即位日」は必ずや邪馬台国後の即位でなければ辻褄が合わない。然るに、その邪馬台国が紀元3世紀に確かめられると云うのに、日本書紀は何故に邪馬台国史よりはるか900年も遡(さかのぼ)る昔の「紀元前660年2月11日」になるような「辛酉年春正月」に初代天皇となる神武天皇の即位を記述したのだろうか、ここが訝られねばならない。

 考えられることは、「辛酉年春正月即位」の読み解きにおいて、戦前の皇国史観系政府及び歴史学会が間違っていたと云うことである。これを仮に「読み解き間違い説」と命名する。それならば今からでも改めて計算し直せば良い。然るべき論拠を添えて「新皇紀2600年」を打ち出せば良い。戦後になっても特段に動きがないと云うことは興味がない為だけではなく、読み解きが間違いなく「紀元前660年2月」になる故ではなかろうか。この場合、日本書紀が何故に900年にも及ぶ時差を記したのかを問わねばなるまい。この議論は尽くされているのだろうか。これを誰かが解明せねばならない。

 考えられることはもう一つ、魏志倭人伝を代表とする中国史書各書が記す邪馬台国が捏造記載であった可能性である。こうなると、邪馬台国について記す中国史書全冊を偽書とせねばならないことになる。これを仮に「邪馬台国記述偽書説」と命名する。しかしながら、邪馬台国に関する下りの中国史書全冊を偽書とするならば中国側も黙ってはおるまい。中国歴代史家の責任問題に発展し、場合によっては日中間の国際紛争になりかねまい。現代日本の史家にそこまで主張する度胸があるだろうか。偽書説が当っている場合なら許されても、暴論ともなると謝罪が要求されることになろう。

 これをどう読むべきかが問われている。れんだいこは第三説を唱えたい。第三説とは、「辛酉年春正月庚辰朔」が歴史考証的に「紀元前660年2月11日」になるならば記述間違いであるとして、初代天皇の即位日を邪馬台国平定後の何日かに訂正せねばならないとする説である。これを仮に「日本書紀記述詐欺説」と命名する。詐欺とするのは、日本書紀の記述「辛酉年春正月庚辰朔」に意図的故意の詐術を認めるからである。

 これを古事記で確認したいところである。古事記では、初代天皇の即位日をどう記述しているのだろうか。これを知りたいが分からない。推定として、古事記は日本書紀が記しているような即位日を記していないことが考えられる。もし記しているのなら、日本書紀ではこう古事記ではこうとする併記が常用なところ、日本書紀の記述する即位日しか知らされないからである。

 神武天皇の即位前の名前につき、古事記では「神倭伊波礼琵古命」、日本書紀では「神日本磐余彦尊」と記し、その履歴を記している。つまり、古事記は、神武天皇について記しているにも拘わらず、即位日の記載を避けているのではなかろうかと思われる。れんだいこには断言する知識がないので、その通りとか、そうではないかくかくしかじかと記述しているとする、どなたからかのレクチャーを頼みたい。

 2011.8.17日 れんだいこ拝

|

« 皇紀2600年考その2 | トップページ | ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その1 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 皇紀2600年考その1:

« 皇紀2600年考その2 | トップページ | ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その1 »