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2011年8月20日 (土)

ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し考その2

 大和へ向かった後の大国主の命の履歴を確認したいが史書には全く出てこない。これは記紀然り、古史古伝然りである。代わりにニギハヤヒ(速日)の命が登場する。古事記では邇芸速日命、日本書紀では饒速日命、先代旧事本紀では天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ、あまのほあかり、くしたま、にぎはやひのみこと)、他に天火明櫛玉饒速日命、大物主とも記されている。このニギハヤヒの命の素性を廻って天孫系、出雲系、その他系の三説ある。

 先代旧事本紀」によれば、ニギハヤヒの尊が、「天磐船に乗り、天より下り降りる。虚空に浮かびて遥かに日の下を見るに国有り。よりて日本(ひのもと)と名づく」、「河内国の河上のいかるが峯(みね)に天降りまし」とある。これを仮に「ニギハヤヒの命のいかるが峯降臨譚」と命名する。
その後、大倭国(やまとのくに)の生駒山付近の鳥見(とみ)の白辻山(白庭山)に居を構えている。

 興味深いことは、ここに「日本(ひのもと)」の命名が登場することである。これによると、日本と云う国名は天孫系を是とする皇国史観によって定まったのではなく、それ以前のニギハヤヒの尊の逸話に出てくる国名をそのまま踏襲していることになる。国旗としての日の丸、国歌としての君が代も然りと考えられる節がある。「日の丸、君が代論」の際には、こういうところも押さえておきたいと思う。

 もとへ。ニギハヤヒの尊は、土地の豪族の盟主であった鳥見の豪族・ナガスネ彦(那賀須泥毘古、長髄彦、トミビコとも云う)と和議を結び、ナガスネ彦の妹のミカシギヤ姫(三炊屋媛)を娶り、戦わずして配下におさめている。政略結婚による閨閥的同盟化は大国主の命の得意とする政治手法であり、ここでも確認できる。ミカシギヤ姫は嫁してトミヤス姫(登美夜須毘売)と名乗った。先代旧事本紀には「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊は、天道日女命(あめみちひめのみこと)を妃とし、天上に天香語山命(あめかごやまのみこと)を生む」と記している。二人の間に生まれたのがウマシマジの命(宇摩志麻遅命)であり、物部連、穂積臣、采女臣の祖とされている。

 ニギハヤヒの命は、その後、奈良盆地の東端の三輪山(当時は三諸山)麓に本拠を移して日本(ひのもと)王朝を創始する。記紀は記さず代わりに古史古伝の先代旧事本紀(旧事紀)、「秀真伝」(ほつまつたえ)その他がこの経緯を記しており、これが大和国の始まりとしている。

 但し、この時代をBC101~102年頃のこととして、その時の氏族や部隊の面々の名前を克明に記している。但し、天孫族、国津族の神々を混在させており難が認められる。BC80年頃、ニギハヤヒは65才前後で大和で亡くなり、「櫛玉」を追贈されて「櫛玉(櫛甕玉)饒速日尊」と尊称され三輪山の磐座に埋葬された云々と記している。この記述に信を置けば、大国主の命が国譲り後に大和へ下り邪馬台国の卑弥呼を共立したとするれんだいこの見立てとは時期が合わなくなる。この場合、れんだいこの見立ての誤りとすれば簡単なのであるが、「ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し」にもう少し拘りたい。

 れんだいこには、ニギハヤヒの命と大国主の命が二重写しになってしようがない。ニギハヤヒの命が大国主の命その人ではないとしたら、大国主の命の直系譜の者と推定したい。ニギハヤヒの命を天孫族系に捉え、神武天皇東征に先立つ先発的意味を持つ大和降臨とみなす説もあるが、この説は採らない。国譲り後の出雲王朝系の大国主の命その人か直系譜の者の大和降臨とみなした方が辻褄が合う。

 ニギハヤヒの命が如何に正真正銘の皇統の者であったのかにつき「天孫族と国津族の王権誇示譚」が次のように記している。天孫軍と国津軍の両軍対峙し最後の決戦となった際の金鶏譚によれば、その後段に国津軍の代表たるナガスネ彦と天津軍の代表たるワケミケヌの命が、ニギハヤヒの命と東征神のどちらが正統の王朝なのか確かめる為に双方の神璽を見せ合う場面がある。

 ナガスネ彦がニギハヤヒの命を正統とする証拠の天羽羽矢(あまのははや)と歩ゆぎ(矢箱)を見せ、ワケミケヌの命も同じように見せ譲らなかった云々。これによると、神璽比べでは決着がつかなかった即ち双方が正真正銘の皇統の証となる神璽を持っていた即ちニギハヤヒの命が相当の人物であったことになる。

 「天孫族と国津族の王権誇示譚」はニギハヤヒの命が正真正銘の皇統の者であったことを示している。古史古伝はこの逸話を記しながらも、「天孫族系にして神武天皇東征に先立つ先発的意味を持つ大和降臨」と捉えている。れんだいこは、この捉え方を否定し、「出雲王朝系の大和降臨」として捉えたい。とすれば、これに相応しい者は大国主の命ないしはその直系譜の者としか考えられない。「ニギハヤヒの命と大国主の命の二重写し」が自然な所以である。

 2011.8.18日 れんだいこ拝
 

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