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2011年9月 2日 (金)

津田左右吉学説考その2

 もとへ。津田史学をどう受け止めるべきだろうか。これが本稿の本題である。れんだいこは次のように考えている。もっとも今時点では津田氏の書籍を読んでいない。諸氏の評から透けて見えてくる津田史学を前提にして批評する。

 津田氏は、当時の皇国史観に立ち向かった稀有の学者であった。多くの者が皇国史観を鵜呑みにし、或いは皇国史観が御用学故に批判することの不利益を思い面従腹背で上手に世渡りしている折柄に於いて、堂々たる皇国史観批判諸説を開陳した。ここに津田史学の意味と価値がある。

 次のように評されている。

 「津田史学は、古事記、日本書紀の記述間の食い違い、あるいは相互矛盾をとりあげ、記紀に記されている神話は天皇制が確立した第29代欽明天皇の時代の頃、即ち6世紀の中頃以後、天皇家の権威を高める為に大和朝廷の万世一系の皇統譜を正当化しようとする政治的意図に従って作りあげたものであると説いた。 端的に云えば、神話は机上でつくられた虚構創作であり史実を記した歴史ではないとした 」。

 戦後、皇国史観否定が時代の流れとなり、これを批判していた津田史学が学界に迎えられた。津田自身の戦前における弾圧の経験が軍国主義に屈しなかった進歩的学者と持ち上げられ歴史学者の泰斗の評を得た。唯物史観を戴くマルクス主義派が津田史学を支持するようになり、津田史学が第二次世界大戦後の歴史学の主流となった。津田は、敗戦による価値観の転換を体現する歴史学者の代表となった。これにより記紀記述を代表とする日本神話を軽視する流れが生まれた。日本のマルクス主義歴史学はこの系譜から生み出されている。

 但し、津田氏の皇国史観批判スタンス即ち記紀神話批判スタンスの荒唐無稽論は良いとして、本来はその先に向かわねばならない筈のものではなかったか。記紀神話の裏に秘められたる筆法による歴史記述をどう嗅ぎ取るべきか、これが問われていたのではないのか。この問いに対し、津田史学はどう立ち向かおうとしていたのだろうか。津田史学がここに及ばないとすれば片手落ちではなかろうか。

 記紀の編者達の能力をどう見るかによることになるが、編者達は時の御用学者、御用史家として云われるままに荒唐無稽説を記したのであろうか。れんだいこはそうは看做さない。荒唐無稽の部分は逆に荒唐無稽を浮き上がらせる形にしており、史実とは違うことを裏メッセージしているようにも思える。

 19世紀の文献批判学者達が古代ギリシャ神話のイリアス、オデュッセイアなどをホメロスの空想の所産でありお伽噺に過ぎないとしていた折柄、学者としてはアマチュアのシュリーマンが神話の中に潜む真実に魅せられて遂に伝説のトロイアを見つけ、都市トロイアの存在を証明した。この例は、荒唐無稽論者の方が荒唐無稽であることを逆証左した。

 例えば皇紀2600年問題に繫がる「辛酉年春正月庚辰朔」などが典型である。明らかに詐術しているのであり、こういう場合、詐術批判で済ませてはならない。なぜ詐術しているのか、真相はどうなのかへ関心を向かわねばならない。他の下りも同様である。

 記紀編纂時点で伝承が混乱しており混乱のまま記述している場合もあろう、時の政権の正統性を引き出す為に不都合記述を削除し、有利な記述を更に脚色している場合もあろう。いろんな筆法がなされているであろうが、これを読み解くのが仕事であり荒唐無稽批判するのは入り口の話でしかない。

 繰り返すが、記紀神話の荒唐無稽批判の次には真相の史実を探ろうとせねばならない。これが引き続きの学問的営為となるべきであろう。津田史学は荒唐無稽批判の次に何を営為したのだろうか。ここが知りたいところだが見えてこない。荒唐無稽の個所を荒唐無稽と批判しても、当たり前過ぎる批判に過ぎない。仮に津田史学が記紀神話の荒唐無稽批判で事足りているとしたら、それは時の皇国史観批判に於いてのみ意味があり、それ以上のものではないと断ぜざるを得ない。

 れんだいこは、津田史学の記紀神話荒唐無稽批判を受け入れる。だがしかし、ならば真相はどうだったのかを次に引き受ける。津田史学が何故にこの姿勢を持たなかったのかを訝る。この姿勢を持たない津田史学とは何ものか。ここに疑惑を宿さない訳にはいかない。

 以上は、津田氏の著書を読んでないままの評である。実際に読めば、津田史学の本意は皇国史観的歪曲を政治利用する近代天皇制批判の為に記紀神話批判を策したのであり、日本神話の否定自体が目的であったのではないと理解することができるのだろうか。実際の津田史学については知らないので舌鋒が鈍るが、津田史学はかく理解される時にのみ価値がある。単に日本神話否定論を唱えていたとしたら歴史の屑かごに入れられるべきであろう。

 日本のマルクス主義歴史学然りであり、本来であれば戦後は古代史解明の貴重な資料として非皇国史観的理解による日本神話研究に精力的に取り組むべきであった。日本神話否定、却下に向かうべきではなかった。史実は、津田史学の最も悪しき方向へ舵を切ったことになる。そういう意味で、れんだいこの日本神話研究こそ、日本マルクス主義歴史学が誤った学的態度の今時の軌道修正に向かう営為であるということになる。誰かかく共認せんか。

 2006.12.3日、2011.9.2日再編集 れんだいこ拝

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コメント

お晩です、ヌイアモシリです。れんだいこさん、お邪魔いたします。


「日本マルクス主義歴史学が誤った学的態度の今時の軌道修正に向かう営為であるということになる 」

何で日本マルクス主義歴史学なんていう言葉が出てくるのでしょうか。
いや、出してきてもかまわないが、抽象的レベルでいうと、5W1Hを基本に置く、これで当面十分な基本的方法態度じゃないでしょうか。


シュリーマン原則、即ち、神話・説話に何らかの歴史的事実が反映されているのではないか、そして考古学など隣接諸学の裏づけ。記紀解読もこの原則的態度を貫くべきとだとは今や正面から否定する人はいないんじゃありませんか。


戦前の皇国史観、これユダヤ・キリスト教聖書の一言一句そのままそっくり史実と信じる一派と同じ。戦後の皇国史観は津田左右吉を教祖に担いだ。敗戦によって一夜にして価値観が変わった。人々は津田説に飛びついたのだ。皇国史観または近畿大和朝廷一元論に対する真の批判無しに。荒唐無稽でばっさりと切り捨てただけなのだ。


シュリーマン原則が実証主義であるとすれば、大王の墓と目されている巨大墳墓の、礼をもってする学術調査発掘が未だに許されない、というのは日本が文化国家であることを疑わせるものだ。


言葉たらずの尻切れトンボですが、今日はここまでとさせていただきます。
(なお、歴史学が主題だと当然思っていますが、日本思想史上の本居宣長の国学や水戸学派を突破するのにも実証主義は有効だと考えています。)

投稿: ヌイアモシリ | 2011年9月 3日 (土) 01時18分

ヌイアモシリさんちわぁ。れんだいこブログに対する賛意のコメントなのか批判なのか分かりかねていますが、一応津田史学論として書いている点を踏まえてくだされば有り難いです。

 「5W1H」に対する「5W1HRP」は、れんだいこ特有の発見であり、ここは卓見として評価してくれた方が有り難いです。「抽象的レベルでいうと、5W1Hを基本に置く、これで当面十分な基本的方法態度じゃないでしょうか」では無視されたことになります。「5W1HRP」は、やはり凄い発見なのです。発見者のれんだいこが自賛するので変なことになりますが、むしろヌイアモシリさんにこう述べて欲しいところです。

投稿: れんだいこ | 2011年9月 3日 (土) 09時18分

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