« 野田政権に対するれんだいこ書簡その2、ブラジルとの合弁事業「セラード農業開発協力事業」考 | トップページ | マスコミによる閣僚発言の政治主義的歪曲記事報道考 »

2011年9月 9日 (金)

野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考

 「野田政権に対するれんだいこ書簡その1、角栄政治の真髄を知れ」、「野田政権に対するれんだいこ書簡その2、セラード農業開発協力事業考」に続き「野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考」を発信しておく。

 野田首相が、如何なる意味で「どじょう政治」を詠ったのかは定かではない。民主党代表選の演説で、相田みつを氏の作品句「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」を引用し、ここから野田式どじょう政治論が生まれているようである。これを教えたのが輿石と云われており、どじょうが取り持つ縁により野田政権発足に伴い幹事長に抜擢されている。

 れんだいこは、相田みつを氏の文句よりも「どじょう」そのものに興味を抱いている。野田の「どじょう論」は「どじょう」になぞらえての「どじょう政治」として云われているが、当然「どじょう精神」、「どじょう文化」、「どじょう経済」といろんな風に使うことができる。野田が本気で、こういう意味合いを持つ「どじょう」を掛け声しているのなら面白い。

 巷間、野田は、松下政経塾上がりの増税論者、反小沢として知られている。こたびの組閣を見る限り、この線からの大臣、副大臣、政務官が多数登用されている。その片方で、非増税論者、親小沢として知られている大臣、副大臣、政務官も登用されている。つまり、本来成り立ちにくい相反する二勢力を見事に混成させたのが野田政権の特徴となっている。これを仮に「どじょう組閣論」と命名する。

 この技を為し得る者は政界広しと雖も目下は野田一人かも知れない。野田は、この混成を「どじょう」と表現し、天才バカボン親父の言を真似て「これでいいのだ」と自負しているように見える。理屈は合っているように見える。

 しかし、こうなると、いずれ、本来成り立ちにくい相反する二勢力の衝突の日が訪れることになる。その日が近いのか遠いのか、それはまだ分からない。早くも前原系が右から揺さぶりに出ている兆候が認められる。問題は、「どじょう論」の神通力がどこまで効くかにかかっているように思われる。その効能次第で政権の長短が決まるように思われる。

 「どじょう組閣論」について論ずれば、鳩山政権も相反する二勢力のバランスにシフトしていた。ただ、鳩山政権の場合にはパワーバランスとして反小沢と親小沢を並列的に取り混んでいただけなのに対し、野田政権の場合には反小沢と親小沢を混成的にしているところに違いが認められる。つまり、野田首相は混合せしめる神通力を持っており、その言葉が「どじょう」なのではなかろうかと思われる。この言葉の魔力を見染めた野田は偉いと云うことになる。

 問題は、野田自身が、この「どじょう政治」をどこまで本気に育み、貫徹させるのかにあるように思われる。この元一日の日の誓いを忘れず、政治と政局を御して行けるのかと云うことになる。

 興味深いことは、れんだいこの理解する「どじょう論」によれば、野田のこれまで掲げてきた政治論、政策論は「どじょう論」によって自ずから変更を余儀なくされ、野田自身が自己否定を伴う脱皮を要請されることになるだろうと予見できることである。野田は、この自己否定の道へ進むことができるのだろうか。れんだいこの興味はここにある。

 れんだいこ式どじょう論によれば、「どじょう」とはまさに「土壌」であり、泥臭い土の中にまみれて生命を育む生き物である。この生き物は、見栄とか格好とかの金魚的な鑑照とは真逆の生活実利的な地味な生き物である。政治論で云えば、上部構造的大将論ではなく下部構造的兵卒論になる。野田は、「どじょう論」を口にすることで、政治の視座を下部構造的兵卒論に据えると表明していることになる。下部構造的兵卒論とは人民大衆論とほぼ等値の概念である。してみれば野田は人民大衆政治論を唱えていることになる。

 加えて、「どじょう」とは河川の地底に潜み泳ぐことで在地土着精神を表象している。してみれば、「どじょう政治」とは在地土着政治を表象している。政治に於ける在地土着性の肝要さは今日ほど要請されている時はない。多くの政治家が与野党問わずジャパンハンドラ―ズの指揮指令に服し宦官化していることは衆知の通りである。つい先日、前原が日本の国政の機密情報を米国政府公館に公然と売り渡している機密文書がウィリークスにより暴露された。

 これは何も前原に限る話ではあるまい。野田の「どじょう政治論」は、この売国奴政治に対する決別の叛旗となる可能性を秘めている。野田当人に果たしてその見識があるのかどうかは分からないが既に意識の基底で呟いていることになる。れんだいこが野田政治に注目する所以である。

 意識と云うものは長い練磨を経て熟成されるのが普通だが、突然にひょういする場合もある。これを宗教者の場合には神がかりと云う。或いは天啓と云う場合もある。野田の場合にはどちらか分からないが、政治的マヌーバーではなしに生涯を貫く赤い糸となることを願う。

 但し、最新情報で鉢呂経産相の「死の街発言」に対し、「不穏当な発言だ。謝罪、訂正してほしい」なる批判をしている。この早くも守りに入っている調子からすれば野田に期待するのは無理かもしれない。たまさかの「どじょう論」だったのではないかと思う。

 2011.9.9日 れんだいこ拝

|

« 野田政権に対するれんだいこ書簡その2、ブラジルとの合弁事業「セラード農業開発協力事業」考 | トップページ | マスコミによる閣僚発言の政治主義的歪曲記事報道考 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

面白かったです。「どじょう」を土壌政治、土着派、角栄政治に持っていく辺り、楽しい。鉢呂大臣を使いこなせるといいですが。

投稿: sizimi | 2011年9月10日 (土) 08時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/41597188

この記事へのトラックバック一覧です: 野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考:

« 野田政権に対するれんだいこ書簡その2、ブラジルとの合弁事業「セラード農業開発協力事業」考 | トップページ | マスコミによる閣僚発言の政治主義的歪曲記事報道考 »