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2011年10月

2011年10月21日 (金)

ジョブズの2005スタンフォード大学卒業式講話

 「スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学2005年卒業式で行われた伝説のスピーチ」を和訳することにする。

 ジョブズ曰く、「君たちは、愛するものを見つけるが良い」

 (これは、2005年の6月12日、スタンフォード大学卒業式に行われたステ―ブ・ジョブスの講演録を原稿化したものです)

 私は、本日、世界に於ける最高の大学の一つであるあなた方の卒業式に同席できたことを名誉と思います。私は、大学を卒業しておりません。本当のことを云えば、私が大学を中退した為に卒業できなかったのです。今日、私は、私の人生から得た三つの話を語りたいと思います。それらは、そんなに大層な話ではありません。単なる三つのお話です。

 
最初の話はご縁についてです。

 私は、入学後6ヶ月でリード大学からドロップアウトしました。その後も、本当に辞めるまで18ケ月ほどもぐりの学生として大学に居残っていました。なぜ、私がドロップアウトしたのでせうか。その理由は私の生まれる前から始まります。

 私の生みの母は大学院生の時、若い未婚のままに身ごもりましたので、私を里子に出すと決めていました。彼女は、大学院を出た人に貰われることを強く希望していました。それで、出産と同時に私を弁護士夫婦に里子に出す段取りにしていました。ところが、私が生まれる直前になって女の子を求めたのです。

 
そういう経緯で、養子縁組をリスト待ちしていた私の両親にお鉢が廻って来ました。真夜中の電話で、「私たちは、予定外の男の子の赤ちゃんを産んでいます。その子も貰っていただけますか」と尋ねられました。両親は「もちろんです」と云いました。

 その後で、私の生みの母は、育ての母が大学を出ておらず、父も高等学校さえ出ていないことを知りました。そこで、彼女は養子縁組の書類へのサインを拒みました。それから数か月後、私の育ての両親が私を大学へ進学させることを約束した時、署名しました。

 17年後、私は大学に入りました。しかし、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。そのせいで、労働者階級の両親の収入のほどんどを大学の学費に使わせてしまいました。半年もすると、私は大学に居ることに何の価値も見出せなくなってしまいました。私には、人生で何がやりたいのか分かりませんでしたし、大学がそれを見つける手助けをしてくれるところとも思えませんでした。なのに自分は大学にいて、親の人生を擦り減らしてまで貯めた金を使い果たさせて脛かじりしている。そういう訳で退学を決めました。

 全てを無にしても大丈夫だと信じていました。その時は、かなり心細かったです。しかし、今振り返ると、私が為した最良の決断の一つでした。というのも、退学した時から、私に関心のない義務授業を受けなくてもよく、私が興味を覚える授業にのめり込むことができ始めたからです。

 ロマンチックなものは何もありませんでした。自分の部屋もなかったので、友達の部屋の床で寝ました。食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、毎日曜夜は7マイル歩いてハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに行きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の好奇心と直感に従うだけの多くの体験が、後になって値段がつけられないものに変わったのです。一例を挙げて話をしてみましょう。

 リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフ(calligraphy、文字芸術)講座が用意されていました。キャンパスを見渡せば、ポスターから戸棚に貼るラベルまでが美しい手書きのカリグラフばかりだったのです。私は退学したので必須授業をとる必要がありませんでした。カリグラフの授業を受けて、それが何たるものであるのか学ぶことにしたのです。私はセリフやサンセリフの書体について習いました。その際に、異なる文章間のスペースに関する様々な手法、素晴らしい印刷術.を学びました。

 それは美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学では把握できないほど緻密なものでした。私はうっとりするような魅力に浸りました。このことが人生に役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時、その知識が役に立ちました。マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しい書体を持つコンピュータが誕生したのです。

 もし私が、大学でのお決まりのコースから寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかったでせう。そして、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎませんので、パーソナルパソコンはこの世にまだ生まれていないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業にのめり込むことはなかったし、パソコンには恐らくあの素晴らしい書体機能がないに違いありません。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもはっきりとした糸筋が見えて参りました。


 
もう一度言います。未来に先回りして機縁を結ぶことはできません。過去を振り返って繋げることができるだけなのです。だから点と点の縁がいつか未来に何らかのかたちで繫がると信じなければならないのです。自分の気概(やる気)、運命、人生、カルマ、何でもいいから何かを信じなければなりません。この手法を決して疎かにしてはなりません。これに随えば、人生はその姿かたちを全く変えてしまうでせう。

 
2つ目は、愛と失意についての話です。

 私は、我が人生に於いて自分が何をしたいのか早い段階で見つけることができたのは幸運でした。実家のガレージ(車庫)で、ウォズと私がアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、アップルは10年間でガレージでのたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。

 私たちは初期の最高傑作であるマッキントッシュを発表しました。私が丁度30歳になった時、私は会社をクビになりました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は、私と一緒に会社を経営できる有能な人を幾人か雇いました。最初の1年やそこらはうまくいっていました。しかし、会社の将来ビジョンについて意見が分かれ、ことあるごとに次第に仲たがいに陥ったのです。取締役会を開いた時、彼に与し、私は30歳にして会社を去りました。公然と追放された感じでした。私が大人になってからの人生のすべてを注ぎこんで来たものが消え去ったわけで、打ちのめされました。


 
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の信用に傷をつけてしまい、私に手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことをお詫びしました。まさに社会的落伍者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。

 しかし自分が序々にではありましたが切り開き始めていたものをまだ愛していました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社では排斥されましたが、私はまだ仕事を愛していたのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。 

 
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生に起こった最良の出来事だったのだということが分かって参りました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。

 
その後の5年間に、私はネクスト、他にもピクサーという会社を設立しましたし、後に妻となる素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の心臓部の役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。

 
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失ってはなりません。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛していたからだと確信しております。あなたがたも自分が愛しているものを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じことです。

 
誰しも仕事が人生の大きな割合を占めるようになります。本当に満足を得たいのであれば、進む道はただひとつ、それは自分が立派な仕事だと信じる事をやることです。偉大な仕事を為し得る唯一の方法は、その仕事を愛することです。もし見つからないなら探し続けなさい。坐り込んでしまってはいけません。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものです。そして、愛する仕事というのは素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに次第次第に自分を高めてくれるものです。だから、それを見出すまで探し続けねばなりません。座り込んでしまってはなりません

 
3つ目は、死についての話です。

 私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そのうちにあなたに最も相応しい在るべき姿になれるでせう」。これには強烈な印象を受けました。それ以来、33年間過ぎました。私は毎朝鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることが私が本当にやりたいことだろうか?」。それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと、私は変革の時を知ります。

 
自分がもうすぐ死ぬと云う状況を想像することは最も大切な方法です。私は、人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、そういうもののほとんどが、死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつか必ず死ぬと知っておくことが、失うものに脅えて先案じし落とし穴に嵌まることを避ける、私の知る限りの最善策です。みんな裸なのです。裸のままにあるべきです。思うままに生きてはいけない理由は何もありません。

 1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓に腫瘍がくっきりと映っていました。私はその時まですい臓が何かも知りませんでした。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月であることを覚悟しなさいと言いました。医師は、家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では死の準備をしなさいと云う意味です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけという意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけという意味です。それは、さよならを告げるという意味です。

 
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると、医師が顕微鏡で細胞を覗くと声を挙げたそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 
これは私がもっとも死に近づいた瞬間です。この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死という言葉がよく使われているけれども単に純粋に知的な概念だった頃よりも、多少は確信も持って語ることができます。

 誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。誰も死を逃れられた人はいません。それはそうあるべきだからです。なぜなら死は生の唯一最高の発明品だからです。死は生のチェンジエージェントだからです。古いものは新しいものに道を開くのが明らかです。いまの時点で新しいものであっても、いつかは古くなり消え去るのです。あまりに芝居がかった表現ですが、それが真実なのです。

 
君たちが持つ時間は限られている。他の人の人生に自分の時間を費やすことはありません。ドグマ(教条)に捉われてはいけません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が他の人の意見の雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従う勇気を持つことです。心や直感というのは、あなたがたが本当に望んでいるものが姿かたちになることを知っているのです。他のあらゆるものが二次的なものなのです。

 
私が若い頃、「全地球カタログ」("The Whole Earth Catalogue )という目を見張る出版物があって、私と同世代の者にはバイブルのように扱われていました。それは、ここからそれほど遠くないメンローパークに住むステュアート・ブランドによって作品化されたもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもデスクトップもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような本で、理想主義的で素敵なツールと優れた気づきに溢れていました。

 
スチュアートと彼のチームは 「全地球カタログ」 を数冊発行しました。ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうどあなたがたの年代だった頃です。最終号の裏表紙には、朝早い田舎道の写真が載っていました。それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていました。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉でした。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。

 「餓えた者であれ、愚か者であれ」(Stay Hungry. Stay Foolish)。

 ご清聴ありがとうございました。

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2011年10月16日 (日)

「ホツマ伝え」共同研究の勧め

 れんだいこが「ホツマ伝え」研究に手を染めてかれこれ1カ月を越す。同書の重要性がますます分かりかけてきた。にも拘わらず、その研究となると遅々として進まない。凝り性のれんだいこが集中して取り組んでも、やりたいこと全体の1割にも至らない。他のことができなくなるので、この辺りで一服させることにする。

 研究が進まないのは全篇40綾(文)と云う内容の膨大性のせいだけではない。この程度の分量であれば、れんだいこは既に「共産主義者の宣言」その他で為したように、さして難しくはない。「ホツマ伝え」訳文案出の困難性の真因は、全篇40章(文)の文の確定がままならぬところににある。

 元々がホツマ文字と云う世にも珍しい宇宙の交互作用を象った図象文字で記されており、和歌体文が二列に配置された形式で延々と続いている。この二歌を一行毎に組み替えるところから始めたところ、ネット上にアップされているものは一括文であるので、これを一から解(ほぐ)さねばならない。これには相当の労力が掛かり難儀している。

 
それから後に次のような作業が待ち受けている。現代日本語訳を作りだす為には、その前作業として、まずホツマ文字原文を確認せねばならない。その為には、ホツマ文字の一字毎をコピー可能な状態で使えるようにならないと編集替えできない。

 既に発表されているのかも知れないが、その利用に際して煩瑣な手続きが必要なようである。これではいけない。せっかくの労でホツマ文字を記号化したのであれば無料サイトアップし、誰でも利用できるようにして普及させるのが本望ではなかろうか。先人の労が却って報われるのではなかろうか。箱にしまい込むようなことでは勿体なかろう。いずれ誰かが取り組み、ジョブズ的精神で公開するようになることを思えば、先行者がオープンにするのが合理的ではなかろうか。一刻も早くこれを簡便に誰でも利用できる状態にしてくれることを願う。

 
次に、これの万葉仮名訳文に目を通さねばならない。次に、これのひらがな文、カタカナ文に目を通さねばならない。次にこれを日本古文に書き直さねばならない。その際には精密な審査が必要と思う。目下の翻訳はかなり悪訳な箇所が見られる。不明なところはカタカナ表記にしておき、今後の解明に待つべきではなかろうか。

 この際、れんだいこは、ホツマ伝え原文の元々は縦書きの巻物であったと思うので、現在公開されているような二文形式に捉われず、文意毎の文節に区切り替えすることにした。この方が、「ホツマ伝え」和歌文の鼓動が生き生きと伝わると確信するからである。これにより非常に読み易くなった

 
次にこれを現代日本文に書き直さねばならない。最後に注釈付きの解読書に焼き直すと云う作業が必要となる。現在、ネット上から学びとれるのは、それぞれこの行程の一部でしかない。上記の行程を比較対照的に積み重ねておらず、為に凡そ学問的域に入っていない。厳密さに欠けており、いわゆる私製入門編の類に留まっている。尤も、これあればこそ、れんだいこの意欲が増したのであるから感謝を申し上げるのが先ではあるが。

 そこで、れんだいこは提言したい。上記の行程をみんなが手分けして詰める作業がいる。これを著作権フリーでサイトアップするのが良い。本来であれば、れんだいこがまず1綾(文)のひな型を示し、共同者の手を借りて他の綾(文)でもそのようにして貰いたい。当然、そうして生み出されたものは共同成果物であり、人民大衆的に無償無通知転載可で利用されるべきものである。

 原文をこのように確定させてから翻訳過程に入ることになる。訳を生みだす過程で、パソコン上に先行者の労作を転載し、原文と読み比べながら手直ししていくのが生産的である。れんだいこ訳ができれば、先行者の訳文をも併載し、比較対照できれようにしておけば有益だろうと思う。ところが、先行者の研究物には決まって著作権規制の文言が入っており、為に転載が面倒くさいことになっている。

 「ホツマ伝え」は手前の創文でもないのだから、その研究に徒に著作権規制を持ち込むのはいかがだろうかと思う。仮に魏志倭人伝を私製解読し、これに著作権を被せているのと同じで愚昧ではなかろうか。新解釈に著作権を被せるなどもってのほかである。もっと堂々と公開し、みんなで総力挙げての解読が望まれているのではなかろうか。

 先行者の解読文をみんなで一時共有し、なるほどと思う新訳が生まれればこれを共有し、という具合で解読を進めていくのが生産的ではなかろうか。下手な著作権論に被れるとこれができず為に学問の進歩が止まる。このことをきつく指摘しておきたい。そもそも我々の僅か数十年の生の営みに著作権規制を持ち込み、互いの利用を牽制するなどというのは精神の貧困の極みであろう。

 
そういう手続きを得て、「ホツマ伝えのれんだいこ訳」を市井に提供したいのだが、今はまだその段階ではない。この道中を公開すれば、著作権強権派の批判を浴びる。れんだいこはかって酷い目にあわされ懲りており、連中と関わること自体が嫌なので控えざるを得ない。しかしそれは、れんだいこ一人の作業になることを意味しており、非常に生産性が悪くなる。早く徒な著作権規制のない日が訪れることを願う。

 
付言しておけば、れんだいこは印税収入を否定しているのではない。それは著作者の糧であるから認められるべきである。問題は、ネット上の著作物はネットに晒した瞬間から、所定のルールとマナーさえ守れば利用されるのを当たり前と云う風に分別せねばならないと思うのに、リンク掛けにも事前通知承諾が必要とする者がいるぐらいだから推して知るべしだろう。

 れんだいこの著作「検証学生運動上下巻」は、資料的なものはネットに満載し、いつでも読めるようにしている。その為に売行きが落ちているのかどうかは分からないが、もし落ちているのなら値打ちがない故と思っている。刊行本では、ネット文を絞り込み、相対的に著者見解の比重を高め、且つ読み易くなるよう工夫した。ブックは手軽に持ち運びできるので、どこででも読める。アンダーラインも自在にできるメリットがある。そういう訳で、ネット本と書籍本は共存できると思う。今後はこう云う風に上手に使い分けられるべきではなかろうか。

 
さて、「ホツマ伝え」が何故に重要なのか。それは、「ホツマ伝え」の原本は、古事記、日本書紀のいわゆる記紀前に著されている最古の日本史書と思われることにある。且つ記紀が大和王朝の正史的位置づけを狙いとして、いわば御用的に編纂されているのに比して、大和王朝に滅ぼされた側の、いわば縄文日本王朝時代の日本国家、日本精神、日本習俗を伝えていると思われることにある。

 その「ホツマ伝え」も大和王朝の権威に迎合して折衷させているくだりもあり、「ホツマ伝え」が下敷きにした文書こそ真正の古古代日本の歴史書であると思われる。しかし、これはもう存在しない。「ホツマ伝え」は、その古古代日本の歴史書と記紀文書との間に立つ歴史的文書と云う位置付けになるのではなかろうか。

 
れんだいこは既に、新邪馬台国論の扉を開けている。それによると、邪馬台国の聖地は畿内大和の三輪山であり、大和王朝創建派の外航族の渡来により滅ぼされた。実際には出雲の国譲り同様に両者の激闘の決着がつかず、最終的に和睦する形で大和王朝が創建された。

 記紀神話が、外航渡来族の大和王朝創建の正義性を説き、その御代の神聖化を多く語るのに比して、「ホツマ伝え」は、外航渡来族によって滅ぼされた側の、かって先行的に存在していた出雲―三輪王朝の御代を偲び語っている。ここに「ホツマ伝え」の画期的価値が認められるのではなかろうか。「ホツマ伝え」は古史古伝の範疇に入れられているが、その中でも白眉の一級文書なのではなかろうか。

 「ホツマ伝え」は日本の原ふるさとを偲ぶいわばバイブルである。「ホツマ伝え」はこれに値する人類共有財産にするべき世界的名著であると確信する。内容については別サイトに譲るが、紀元前後時代の古文書が日本に遺されていることを誇りに思い、且つその内容の高度性を共認したいと思う。

 
れんだいこの「ホツマ伝え」研究は、現在のTPP騒動を前に始められている。恐らくそれは、日本の農政が民営化により滅ぼされる危機感を前にして、護るべき日本の根拠の旅になっているのではないかと思っている。これを読み易くして、現代政治家にツメの垢を煎じるようにして読ましてやりたいが、ハンドラ―ズの仰せのままに蠢く輩には通じないだろう。してみれば、これに抗する側に提供したい。精神のエートスとして味わうべきだろう。

 参考までに、れんだいこサイトを記す。なかなか進まない、今後はぼちぼち書き直していくことにする。

 「ホツマツタヱ考」
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/jyokodaico/hotumatutaeco/top.html)

 2011.10.16日 れんだいこ拝

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2011年10月 7日 (金)

2011.10.6日、小沢初公判での小沢どんの意見陳述文

 「2011.10.6日、小沢初公判での小沢どんの意見陳述」が確認できたので、これを公開しておく。「憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ」氏の「小沢魔女狩りの最終局面、小沢公判での小沢一郎の意見陳述はゴロツキ検察へのまさに宣戦布告。その意見陳述全文」と日本一新の会の「小沢氏冒頭陳述全文」を参照した。これは歴史文書となるだろう。それにしても、小沢どんのこういう訴えを支援するのがジャーナルであるところ、難癖をつけて批判する得体の知れない正義がばっこし過ぎていよう。エエ加減にセンカイと怒鳴りつけてやりたい。

 「小沢魔女狩りの最終局面、小沢公判での小沢一郎の意見陳述はゴロツキ検察へのまさに宣戦布告。その意見陳述全文」

 (http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2011/10/post-8d29.html

 2011.10.7日 れんだいこ拝

 今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の起訴状への見解を申し上げます。指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。

 百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件(政治資金収支報告書)では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載に当たる事実はありません。ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。

 また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。

 以下にその理由を申し上げます。

 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。贈収賄、脱税、横領などの実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがあります。

 だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても、実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。

 それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。

 もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。

 この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。

 オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。

 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。

 衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。

 議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。

 日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。

 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。

 まだ間に合う、私はそう思います。裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。

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2011年10月 4日 (火)

平松式超電導発電機

 滋賀県草津市に住む大工を生業とする平松敬司(73歳)さんが画期的な超電導式発電機を考案した。素人の知恵が玄人を上回った事例である。れんだいこは理系に弱いので意を尽くして説明することはできないが、これを確認する。私も平松さんを見習い、考案するなり著作するなりして何がしか世の中に貢献しつつ飯が食えるようになりたいと思う。

 発想はライトをつけて自転車を漕いだ時の重さだった。一日の仕事で疲れた体にはキツかった。回転する磁力板がS極とN極の因果によりコギングトルクという抵抗現象を生み、回転負荷がかかる為に発電機がスムーズに回転せずペダルが重くなると云う現象だった。これがどうにか軽くならないかと常々思っていた。

 平松さんは、定年後、長年の懸案だった自転車ペダルのふみこみを軽くする研究をしてみようと思い立った。欲得で始めたのでない、世の中に利便をもたらそうとする至情から始まったことが分かる。これが平松式超電導発電機の元一日となった。この時点では、それが発電機革命に繫がるとは夢にも思わなかったであろう。ここから平松式エジソン物語が始まる。

 近くの自転車屋で自転車ライトの発電機を貰い分解したところ、磁石とコイルが結び付けられているだけの簡単な仕組みだった。平松さんは、自転車ペダルの発電機抵抗を軽くしようとの一念で思いを凝らし始めた。或る時、「磁石を二つ並べたらどうなるのだろう」と着想した。二つの発電機の位置を変え、磁石特有のS極とN極の調整を試み始めた。試行錯誤の末に抵抗感が低減される感触を得た。「これはいける」と確信したと云う。奥さんに頼み込んで老後の蓄えを注ぎ込んだ。旦那の心意気に応じた奥さんも偉い。

 昔の仕事仲間に声をかけたところ、電気職人の松下誠一さん、金属職人の関田明さんらが呼応した。こうして3年間試作品を作り続けた。真ん中に1本の軸を通し、その中に磁石を取り付けた回転円盤を4台取りつけ、これを回転させることで電気を発生させる装置ができた。当初の二つが四つになった。回転円盤上には磁石を相対させ、磁石同士の引きあう力により回転が重くなるのに対処する為、互いの磁石の位置を微妙にずらすことで抵抗をやわらげ常に回転方向に引っ張るように力が働くよう工夫し始めた。これにより回転がスムーズになる。

 各円盤上の磁石の位置をどう適正化するかの見極めが肝腎だった。軸から見て均等な角度でずらすことで磁石が引き合う力を相殺させることができることが分かり、遂に「磁石4連式手回し式発電機」が完成した。見かけは単なる手回し発電機でしかないが、家庭のエアコンを動かすことができた。これを特許申請した。現在、国際特許を出願し審査中とのことである。

 但し、これでハッピーになれたのではない。これからが大変だった。要するにどう認知され、売り込めるかが課題となった。世上の常として、日本で発明されたものが日本では評価されず外国で認められて初めて日本人が見直すと云う倣いがある。「磁石4連式手回し式発電機」の歩みはどうなったか。

 平松さんは、民間の試験機関に依頼して性能認定を得た。その解析データを元に大手の機械メーカー、自動車メーカー10社、大学の研究機関7社に持ち込み、事業化を提案したが門前払いされた。元大工の畑違いの発明に耳を貸す者はなく、「素人が止めとき」と云われた。多くの者はここであきらめる。だが平松さんは違った。と云うか神の導きのような幸運を得る。これでダメならあきらめようと最後の望みを託して京都大学の学生課に電話した。「電気に詳しい先生に見ていただきたい発電機があるのですが、ご紹介いただけないでせうか。宜しくお願いします」と告げたところ、たまたまその場に工学部電気工学科の中村准教授がいた。超伝導や電気機器の専門家だった。その中村先生に電話が渡され、「発電機なら、私少しだけ詳しいですけど....」。これが運命の出会いとなった。

 平松さんが中村先生を訪ねることになった。中村先生は、持ちこまれた発電機のハンドルを回した。回転の軽さに驚いた。装置の中身を見て永久磁石の位置を少しずつずらしているのを確認した途端、「コロンブスの卵」的発想であることを直感した。中村先生は後に、「回転機を生業としている私も目からウロコのところはありました。小さな一歩だけれど、着実な一歩だというところはありました」と述懐している。但し、「これは既に研究済みの原理だ」と思ったと云う。ところが、過去の特許を調べたところ、隅から隅まで確認しても見当たらなかった。

 後日、コンピューター解析したところ、平松式発電機の発熱ロスが少なくエネルギーを効率よく電気に変換していることが判明した。発電機を8台並べると磁石の抵抗がゼロになることも分かった。「長年、科学者たちが気付かなかった夢の超電導に近づく画期的な発明」となった。オシロスコープで波形を観測すると、キレイな山形の波形を表示しており、コギングトルクのロスのギザギザの波形とは全く違っていた。低回転でも電気が取りだしやすいことも分かった。異常振動や騒音等が少ないメリットもあった。発熱ロスの少なさは従来の発電機の弱点である制御装置や廃熱装置を不要にさせ、発電機革命の可能性さえ秘めていた。発電装置の簡略化が見込め、電気自動車や風力発電などに応用できる。

 平松式超電導発電機がこれまでの発電効率を8%以上向上させることも分かった。中村先生は次のように述べている。「発電の仕組みに関しては火力発電でも原子力発電でも基本的に同じ原理で成り立っており、モーターの高率を1%上げると、日本の電力事情を考えると、100万キロワットクラスの発電機が一基不要になるほどの省エネ効果があると云われている。目からウロコの発想だが、どうして今まで誰も気づかなかったのか。各分野への広がりが期待できそうだ」。

 2011.5月、中村准教授が、茨城県つくば市で開かれた春季低温工学・超電導学会で平松式超電導発電機を発表したところ、国内外の企業からオファーが殺到した。現在、実用化に向けて開発が進んでいると云う。2011.5.31日、京都新聞が取り上げた。同9.18日、TBS系テレビ番組「夢の扉」でも取り上げられた。実演で400ワットのライトと家庭で使うエアコンを作動させて見せた。

 最後に平松さんの弁を確認しておく。「大阪城でも秀吉が建てたんとちゃう。大工が建てたんや」、「自分を応援してくれた全ての人を笑顔にしたい」、「世界最先端で世界最新のものができる」。うーーーん凄い。れんだいこは、発明よりも人間学的な興味を覚える。

 2011.10.4日 れんだいこ拝

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