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2011年10月21日 (金)

ジョブズの2005スタンフォード大学卒業式講話

 「スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学2005年卒業式で行われた伝説のスピーチ」を和訳することにする。

 ジョブズ曰く、「君たちは、愛するものを見つけるが良い」

 (これは、2005年の6月12日、スタンフォード大学卒業式に行われたステ―ブ・ジョブスの講演録を原稿化したものです)

 私は、本日、世界に於ける最高の大学の一つであるあなた方の卒業式に同席できたことを名誉と思います。私は、大学を卒業しておりません。本当のことを云えば、私が大学を中退した為に卒業できなかったのです。今日、私は、私の人生から得た三つの話を語りたいと思います。それらは、そんなに大層な話ではありません。単なる三つのお話です。

 
最初の話はご縁についてです。

 私は、入学後6ヶ月でリード大学からドロップアウトしました。その後も、本当に辞めるまで18ケ月ほどもぐりの学生として大学に居残っていました。なぜ、私がドロップアウトしたのでせうか。その理由は私の生まれる前から始まります。

 私の生みの母は大学院生の時、若い未婚のままに身ごもりましたので、私を里子に出すと決めていました。彼女は、大学院を出た人に貰われることを強く希望していました。それで、出産と同時に私を弁護士夫婦に里子に出す段取りにしていました。ところが、私が生まれる直前になって女の子を求めたのです。

 
そういう経緯で、養子縁組をリスト待ちしていた私の両親にお鉢が廻って来ました。真夜中の電話で、「私たちは、予定外の男の子の赤ちゃんを産んでいます。その子も貰っていただけますか」と尋ねられました。両親は「もちろんです」と云いました。

 その後で、私の生みの母は、育ての母が大学を出ておらず、父も高等学校さえ出ていないことを知りました。そこで、彼女は養子縁組の書類へのサインを拒みました。それから数か月後、私の育ての両親が私を大学へ進学させることを約束した時、署名しました。

 17年後、私は大学に入りました。しかし、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。そのせいで、労働者階級の両親の収入のほどんどを大学の学費に使わせてしまいました。半年もすると、私は大学に居ることに何の価値も見出せなくなってしまいました。私には、人生で何がやりたいのか分かりませんでしたし、大学がそれを見つける手助けをしてくれるところとも思えませんでした。なのに自分は大学にいて、親の人生を擦り減らしてまで貯めた金を使い果たさせて脛かじりしている。そういう訳で退学を決めました。

 全てを無にしても大丈夫だと信じていました。その時は、かなり心細かったです。しかし、今振り返ると、私が為した最良の決断の一つでした。というのも、退学した時から、私に関心のない義務授業を受けなくてもよく、私が興味を覚える授業にのめり込むことができ始めたからです。

 ロマンチックなものは何もありませんでした。自分の部屋もなかったので、友達の部屋の床で寝ました。食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、毎日曜夜は7マイル歩いてハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに行きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の好奇心と直感に従うだけの多くの体験が、後になって値段がつけられないものに変わったのです。一例を挙げて話をしてみましょう。

 リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフ(calligraphy、文字芸術)講座が用意されていました。キャンパスを見渡せば、ポスターから戸棚に貼るラベルまでが美しい手書きのカリグラフばかりだったのです。私は退学したので必須授業をとる必要がありませんでした。カリグラフの授業を受けて、それが何たるものであるのか学ぶことにしたのです。私はセリフやサンセリフの書体について習いました。その際に、異なる文章間のスペースに関する様々な手法、素晴らしい印刷術.を学びました。

 それは美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学では把握できないほど緻密なものでした。私はうっとりするような魅力に浸りました。このことが人生に役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時、その知識が役に立ちました。マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しい書体を持つコンピュータが誕生したのです。

 もし私が、大学でのお決まりのコースから寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかったでせう。そして、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎませんので、パーソナルパソコンはこの世にまだ生まれていないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業にのめり込むことはなかったし、パソコンには恐らくあの素晴らしい書体機能がないに違いありません。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもはっきりとした糸筋が見えて参りました。


 
もう一度言います。未来に先回りして機縁を結ぶことはできません。過去を振り返って繋げることができるだけなのです。だから点と点の縁がいつか未来に何らかのかたちで繫がると信じなければならないのです。自分の気概(やる気)、運命、人生、カルマ、何でもいいから何かを信じなければなりません。この手法を決して疎かにしてはなりません。これに随えば、人生はその姿かたちを全く変えてしまうでせう。

 
2つ目は、愛と失意についての話です。

 私は、我が人生に於いて自分が何をしたいのか早い段階で見つけることができたのは幸運でした。実家のガレージ(車庫)で、ウォズと私がアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、アップルは10年間でガレージでのたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。

 私たちは初期の最高傑作であるマッキントッシュを発表しました。私が丁度30歳になった時、私は会社をクビになりました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は、私と一緒に会社を経営できる有能な人を幾人か雇いました。最初の1年やそこらはうまくいっていました。しかし、会社の将来ビジョンについて意見が分かれ、ことあるごとに次第に仲たがいに陥ったのです。取締役会を開いた時、彼に与し、私は30歳にして会社を去りました。公然と追放された感じでした。私が大人になってからの人生のすべてを注ぎこんで来たものが消え去ったわけで、打ちのめされました。


 
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の信用に傷をつけてしまい、私に手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことをお詫びしました。まさに社会的落伍者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。

 しかし自分が序々にではありましたが切り開き始めていたものをまだ愛していました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社では排斥されましたが、私はまだ仕事を愛していたのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。 

 
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生に起こった最良の出来事だったのだということが分かって参りました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。

 
その後の5年間に、私はネクスト、他にもピクサーという会社を設立しましたし、後に妻となる素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の心臓部の役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。

 
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失ってはなりません。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛していたからだと確信しております。あなたがたも自分が愛しているものを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じことです。

 
誰しも仕事が人生の大きな割合を占めるようになります。本当に満足を得たいのであれば、進む道はただひとつ、それは自分が立派な仕事だと信じる事をやることです。偉大な仕事を為し得る唯一の方法は、その仕事を愛することです。もし見つからないなら探し続けなさい。坐り込んでしまってはいけません。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものです。そして、愛する仕事というのは素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに次第次第に自分を高めてくれるものです。だから、それを見出すまで探し続けねばなりません。座り込んでしまってはなりません

 
3つ目は、死についての話です。

 私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そのうちにあなたに最も相応しい在るべき姿になれるでせう」。これには強烈な印象を受けました。それ以来、33年間過ぎました。私は毎朝鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることが私が本当にやりたいことだろうか?」。それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと、私は変革の時を知ります。

 
自分がもうすぐ死ぬと云う状況を想像することは最も大切な方法です。私は、人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、そういうもののほとんどが、死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつか必ず死ぬと知っておくことが、失うものに脅えて先案じし落とし穴に嵌まることを避ける、私の知る限りの最善策です。みんな裸なのです。裸のままにあるべきです。思うままに生きてはいけない理由は何もありません。

 1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓に腫瘍がくっきりと映っていました。私はその時まですい臓が何かも知りませんでした。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月であることを覚悟しなさいと言いました。医師は、家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では死の準備をしなさいと云う意味です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけという意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけという意味です。それは、さよならを告げるという意味です。

 
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると、医師が顕微鏡で細胞を覗くと声を挙げたそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 
これは私がもっとも死に近づいた瞬間です。この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死という言葉がよく使われているけれども単に純粋に知的な概念だった頃よりも、多少は確信も持って語ることができます。

 誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。誰も死を逃れられた人はいません。それはそうあるべきだからです。なぜなら死は生の唯一最高の発明品だからです。死は生のチェンジエージェントだからです。古いものは新しいものに道を開くのが明らかです。いまの時点で新しいものであっても、いつかは古くなり消え去るのです。あまりに芝居がかった表現ですが、それが真実なのです。

 
君たちが持つ時間は限られている。他の人の人生に自分の時間を費やすことはありません。ドグマ(教条)に捉われてはいけません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が他の人の意見の雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従う勇気を持つことです。心や直感というのは、あなたがたが本当に望んでいるものが姿かたちになることを知っているのです。他のあらゆるものが二次的なものなのです。

 
私が若い頃、「全地球カタログ」("The Whole Earth Catalogue )という目を見張る出版物があって、私と同世代の者にはバイブルのように扱われていました。それは、ここからそれほど遠くないメンローパークに住むステュアート・ブランドによって作品化されたもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもデスクトップもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような本で、理想主義的で素敵なツールと優れた気づきに溢れていました。

 
スチュアートと彼のチームは 「全地球カタログ」 を数冊発行しました。ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうどあなたがたの年代だった頃です。最終号の裏表紙には、朝早い田舎道の写真が載っていました。それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていました。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉でした。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。

 「餓えた者であれ、愚か者であれ」(Stay Hungry. Stay Foolish)。

 ご清聴ありがとうございました。

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コメント

 これと思う味わい文を時に翻訳しております。既成のものはどこか分かりにくいところがあります。れんだいこ訳が分かり易いのではないでせうか。これは先行訳を貶しているのではありません。先行訳があればこその賜物であり、その労を労っております。以上、一言添えておきます。

投稿: れんだいこ | 2011年10月21日 (金) 20時18分

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