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2012年3月

2012年3月11日 (日)

【三陸巨大震災1周年れんだいこコメント】

 今日は、2011年3月11日午後2時46分発生の三陸巨大震災1周日である。この日に当たり思うことを書き綴っておく。

 最初に云いたいことは、この震災が自然災害にせよ人工地震にせよ初動に於ける不審が多過ぎることである。巷間、一部で人工地震が囁かれているが門外漢のれんだいこには物理科学的意味での詮索ができない。そういう訳で人工地震説に拘ることは止すが、人工災害と読めば容易に解ける不審が数々あることは事実である。

 まず本件の災害情報の不自然な伝達が詮索されねばならない。こたびのような巨大津波の情報キャッチは逸早く伝達されねばならないところ意図的故意に伏せられ、あたかも通常程度の津波的に情報が伝えられている奇怪さが確認できる。ここに不自然さはなかったのだろうか。これにより多くの人命が意図的故意に失われたのではなかろうか。更に云えば、福島原発に於ける津波堤防の無対策ぶりも訝られねばならない。こたびのような高津波は予見できなかったと云うのは誤魔化しであり、正しくは対策を意図的故意に怠っていたと評するべきだろう。誰が何の為にと云う詮索になるが、そういう陰謀が存在していたと読みたい。なぜなら原発地域には超高の津波対策が講ぜられるのが自然であるからである。福島原発には自然でない堤防対策サボタージュが認められる。

 次に、大震災発生、福島原発被災直後の対応が解せない。思い返そう。自衛隊十万人態勢、予備役招集の鳴りもの入りの動員となったが、従来の総務省指揮下の応援ではない。寧ろ自衛隊が主導し、総務省は逆に何もしえなかったと云う体制下で救援活動となった初事例ではなかろうか。費用も相当かかっている筈である。ならば、これは誰が指揮したのか。当時の総務相はこの奇怪さを明らかにせねばならない。片山善博が任に当たっていたが責任重大な任務放棄ではなかったか。

 その自衛隊の為した救援方面の働きは一応良しとしておこう。問題は他方で治安維持的な観点からの交通網規制をしていたことである。高速道路を交通遮断した為に救援物資が届けられなかった奇怪さが伝えられたが、それは明らかに意図的故意の過剰規制であった。被災民に対する灯油、ガソリンの供給規制も思い出させられる。優先的に割り当てさせられるべきところ僅か5リットル何がしかの制限が課せられ、これにより自主的非難ができなくなった。そういう規制が何の為に必要であったのか、誰が指揮したのか、その責任を問わねばならない。

 震災直後から始まる用意周到な関東地方一体の停電規制も想起される。それは家庭用、業務用のみならず電車も止められる交通混乱を招くものであったが、何の為に必要だったのか。その後解除され今日に至っているが、かの時期に本当に必要な措置であったのか大いなる不審が残る。公共広告機構なる事業体の子宮がん検診を始めとする異常なコマーシャルを乱発したのも奇怪である。相当な費用を費やしたと思われるが、かの大混乱時期の宣伝としては異様である。この広告を誰が何の為に流したのか、これも詮索されねばならない。

 ひとまず以上のことを云っておきたかった。初動からして解せない数々の変調さを見せた三陸巨大震災はその後の対応においても変調さのオンパレードである。小泉政治以来の官邸主導が如何なく発揮されたが、官邸が為したことで有益なことは何一つない。民間レベル、自治体レベルでは大いに奮闘努力し貢献しているが、官邸主導政治の為したことは正確な情報に対する隠蔽による悪行政ばかりであった。

 特に福島原発対策の面で顕著になるが、実際のメルトダウンを誤魔化し大丈夫発言で被災民を釘づけにし続けた枝野官房長官のウソ云い続けが記憶に新しい。この御仁は今、経済産業相として日本のエネルギー政策、東電処理の方針を決める最高責任者の地位にある。こういうことが許されるのだろうか。本来であれば、大混乱が予想されようとも被災民を一刻も早くより遠くへ避難させねばならなかったところ10キロ、20キロ圏外辺りでの釘づけを逆指揮した。これを指揮した菅―枝野―時の閣僚責任者は犯罪者であり歴史法廷で罰せられてしかるべきであろう。

 れんだいこは早くより全国各地温泉地旅館への避難を推奨した。民間的動きで一部実現したが、本来であれば政府の音頭指揮により国家を挙げて誘導すべきであったと思われる。政府が為したことは随分遅れての仮設住宅の建設であったが、温泉地避難との併用こそが望まれた政策であったと今も思う。費用的、ポランティア支援的にも効率が良かったと思われる。その仮設住宅建設も地元の建設業者が排除され大手建設業社数社に割り当てられている。その請負金額が適正なのかどうか、利権的にも詮索されねばならないのではなかろうか。

 今日明らかなことは、官邸主導、それによる政府系の各種審議会の議事録不在である。慌ただしい中でのこと故に仕方なかった論では済まされない。国家の最重要権力機関内での会議の議事録不在は犯罪であり、この一事でも責任者は厳罰されるべきだろう。本当に存在しないのか、菅政権全体のデタラメの言動ぶりが明らかになるのを恐れて隠蔽しているのか今も分からない。

 フランス系原発会社アルバがサルコジ大統領の肝煎りで来日したが、彼らが何を対策し、どう貢献し、その後幾らの費用を請求しているのか。数兆円の費用請求が囁かれたが、その後何の音沙汰もない。この真偽もせねばならない。首相官邸上層階に米側要人が陣取り、日本政府を指揮し続けていたことも暴露されたが、その要人は誰で、どういう資格で、何人で、官邸と何をどう打ちあわせ指揮していたのか、これも明らかにされねばならない。この情報そのものがウソなのかどうか真偽をはっきりさせねばならない。

 そういうブザマな官邸政治が如何なく発揮されたのが実際である。菅首相の被災地視察の是非、東電乗り込みの武勇伝も精査されねばならない。これも議事録不在であろうが、菅首相の執った発言、行動が精査されねばならない。東電逃げ出し論の実際の内容も確認されねばならない。この間、原発事故対策に自身の生命の危険を顧みずのサムライ50の活躍も特記されねばならない。消防隊の活躍も光る。これも特記されねばならない。当然全国各地からのポランティアの貢献も光る。

 さて、今現在何が問題なのか。一つはゴミ処理の不手際がある。本来であれば、野焼きを認めて全体量の半減化を為すべきところ通常の法規制限を厳格適用し続け、ゴミ処理の片付け、移転は為されたものの全体量が少しも減少していない。即ち莫大な費用負担のみが続いていると云う奇怪さにある。これは原発事故による放射能汚染の除染対策も然りである。もはやある意味で自然循環に任さねばならぬ割り切りが必要なところ天文学的な費用を投入し続けている。

 今後の福島原発対策も一向に明らかでない。原発を封印するのか修理して再稼働させるのか、東電を国有化して乗り切るのか現下の民営化のまま救済を図るのか、今後の補償問題をどうするのか、今後のエネルギー政策をどうするのか、これらの観点の一切が不明なまま税金が投入し続けられている。福島原発のみならず全国各地の原発の今後の在り方を廻っても政治が指針をだしていないことによる混乱が続いている。原発維持派の論拠は電力不足論であり、ならば代替エネルギー、それも新エコエネ科学技術による転換が無理なのかどうか議論を尽くさねばならぬところおざなりにされている。

 こたび程の大きな三陸巨大震災は本来であれば復興景気が表れるのが自然な経済現象であるところ皆目そういう動きにならない。これは政治の逆走によってそうなっているとしか考えられない。事故直後、震災復興に廻す為と云う名目で建築資材の出荷が止められ大混乱したが、これも市場経済を無視している。この命令を誰が指揮したのか、その責任者は誰なのか、これも明らかにされていない。そういう不自然さが付きまとっているのが三陸巨大震災対応である。

 以上、思いつくままに述べたがまだまだある。被災現地では建築制限が課せられ復興の妨げになっている。これが区画整理事業等の都市計画による一時制限であるならともかく意図的故意の復興の妨げ政策の感がある。なぜなら復興計画青写真の作成が余りにも遅すぎるからである。故にこう窺う以外になかろう。行政されているのは漁民の山の手への移動誘導である。これも馬鹿げてよう。羹に懲りてなまず吹くの例えの愚策でしかなく、海の民は海の側で暮らすのが良いのは当たり前のことであろうに。必要なことは今後の災害時用の避難道路の整備と正確迅速な情報伝達策定だろう。海の民を山へ移動させるのを処方箋とするほど愚昧なものはない。

 阪神大震災の場合、時の村山政権は災発生3日後に小里貞利震災担当相を責任者に立て全権限を与えた。小里震災担当相は、戦後行政における日本の総合開発計画を策定してきた建設省のドンにして田中角栄の懐刀の官僚プレーンの一人である元国土次官・下河辺淳氏を登用し成功裏に復興させた。これに比して三陸巨大震災の場合にはどう対応したのか。松本龍復なる者が震災担当相になり失笑を買ったのが記憶に残っている。ここでも逆走が確認できる。これは偶然なのか、意図的故意の悪政治なのではないのか、こう問いたい。

 要するに万事においてデタラメである。デタラメと紛らわしい班目春樹(まだらめ はるき)が内閣府原子力安全委員会委員長(第8代)。防衛大学校長の五百旗頭真を「復興構想会議」の議長に据えたが最初の会議で発したのが「弔い合戦と増税論」と云う天然ボケを登用している。他にも原子力行政推進派のバカヅラがテレビに一斉登場し愚昧な専門的知識を弄んでいた不愉快な記憶が残る。

 省庁再編行政改革と云いながら新官庁を作り続け会議に次ぐ会議をしているが議事録もない会議の為の会議を重ねている。この無駄ガネも合わせれば結構な金額になろう。もうこれぐらいで良いだろう。全てがバカバカし過ぎる。このバカバカしい政治が唯一しゃかりきになったのか陸山会事件を捏造しての小沢バッシングである。もうこうなるとあほらしい。

 最後に。こたびの災害を奇貨として東北人は絆を保った。これは古来よりの日高見国の培っている歴史的伝統であり如何なく発揮されている。東北人のこの気質が今後の日本再生の力になりますよう頑張れ負けるなとエールしたい。今こそ助け合い共和国の創造に向けて邁進しよう。

 2012.3.11日 れんだいこ拝

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2012年3月 9日 (金)

法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その4

 かくてF氏は宮顕疑惑を満開させるに至った。「宮本氏の疑惑(1)(原水爆禁止運動への分裂策動)」で次のように述べている。

 「敬愛する『レンダイコ氏』(私は一面識もないのですが)、は膨大な資料分析の上に立って、『宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した“工作者(スパイ)”であった』との結論を導きました。宮本氏自身にとっても、氏を指導大幹部として戴く日本共産党にとっても、それは、『査問による過失致死、死体遺棄』をはるかに凌駕する大スキャンダルです。共産党の瓦解に直結しかねない醜聞でもあります。当時はまだ、中央委員会議長(当時)野坂参三氏がソビエト時代のロシアでスターリンに日本共産党員を密告したとの事件はいまだ明らかになっていません。

 中曽根氏は、鋭い嗅覚によったのか、それとも親分であるCIAエージェントであり且つ元特別高等警察課長の正力松太郎氏からの示唆があったのかどうかは定かでありませんが、宮本氏に関する胡散臭い情報の確認を米国大使館日本部長との会談で持ちかけました(月刊「世界」一月号)。そして、共産党は、中曽根氏と米国日本部長との会談に震え上がります。当然の帰結として、中曽根氏と宮本氏との間に何がしかの取引があったと想像されます。その傍証の一つが、田中角栄氏に対する執拗な『政治と金』を理由とした攻撃です。そして、ご承知のように、大幅な党勢後退をかこつ現時点ですら、田中氏の政治的系譜につながる小沢一郎氏にデマを交えた執拗な攻撃を展開しています。

 さて、宮本氏が、獄中にあった時点で官憲の手先であったとすると、1945年10月の釈放、翌年の復権証明交付に合点がゆくことをすでに書きました。宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです。実際、戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」。


 F氏はここではっきりと「宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した工作者(スパイ)であったとの結論を導きました」と語っている。続いて「宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです」として、「戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」と問い、宮顕及び宮顕率いる共産党の不審な活動履歴の検証に向かい始めている。

 「そこで、まず、第一に取り上げるのは、原水爆禁止運動への分裂策動です」と述べ、以下、戦後日本の原水禁運動に果たした宮顕率いる日本共産党の分裂策動を縷々検証している。「2011年02月」の「「いかなる国」問題」の末尾で次のように述べている。

 「日本共産党性善観を捨てきれていないかに見える浅井基文氏とは異なり、私は、原水爆禁止運動に分裂を持ち込むことが宮本顕治氏に米国が課したミッションであったと考えています。分裂策動をもっと説得的(欺瞞的に)に主張したかったあの時点で、『いかなる国』問題は、分裂を正当化したい宮本顕治氏に格好の援護射撃となったと、私は考えています。言葉を変えれば、1960年代、世界で唯一の被爆国日本で、思想の左右を問わない全国民一致した『原子爆弾核兵器廃絶』の主張は、核兵器開発をすすめる米国および当時のソ連邦にとって座視できない大きな障害であったのだと思います(その事情はすでに第五福竜丸に関連した記事で書きました)。その障害の壁の高さの半分を切り落とす役割を宮本顕治氏は担わされ、『見事に』それを果たしたのです。そして、浅井氏も次回紹介するブログで半ばそのことを認識しておられるように思えます」。

 「部分的核実験禁止条約」で次のように述べている。

 「私自身は、この条約は地上の人類の命と健康を守るという視点からは、大きな第一歩であったと考えています。1960年代初め、いわば核大国にとっては誰にも邪魔されず核兵器の殺戮能力、破壊能力を磨き上げるために、したい放題でありました。しかし、世界の圧倒的多数の持たざる庶民は、この生命を本源的に破壊する核兵器に強い嫌悪感を示し、廃絶を大きな声で求めていました。米英ソがこの時期にこうした条約を合意した背景には、あわよくば核兵器を三国で独占し、他の国にはそれを持たせないことで以って他国に対する軍事的優位を保とうとの思惑があったでしょう。しかし、すでに書いたように、この条約で、放射能物質が直接に人体に害をなすことを激減させ得ることも事実なのです。

 このとき、宮本顕治氏が率いる日本共産党は、この条約が部分的であるがゆえに、核廃絶の一歩足りえないとして、猛烈に反対したのです。共産党の反対論拠はまさにこの一点だったのです。この強烈な反対は、日本共産党内にまず大きな分裂をもたらします。生え抜きの、獄中十数年、厳しい拷問を繰り返し受けたため片耳が聞こえなくなっていたという志賀義雄氏と氏に同調する参議院議員がソ連派分派を党内に形成したとして激しい罵倒を浴びつつ除名されました。不破氏が語る共産党史は、この部分核停にかかわるいくつかのエピソードを例証しつつ、『日本共産党のソ連共産党からの干渉に対する勇気ある拒絶』として描き出します。そしてこれが、契機となり、共産党は『自主独立』を党是として訴えるようになります。不破氏が語るこの時期の党史では、部分核停についての注意深い分析はほとんど無く、ひたすらソ連共産党の干渉・介入への反発にほとんどの語が費やされていることがわかります。

 当時の日本共産党の主張に一貫して欠落するものは、『三大核大国が、自ら人体に害をなす実験を中止することを決意させたのは、世界の人々の強烈な反核要求におされた』、言い換えれば世界の人々、とりわけ被爆国日本での思想の左右を問わない全国民的な日本国民の戦いの成果でありそれへの評価であったと思います。何がしかの意図から、そうした全世界人民の要求を、日本共産党は軽視ないしは無視したのだと私は思っています。そうした軽視・無視を反映して、日本国の原水爆禁止運動にも多大な影響を与えています。部分核停を是とするか否とするかで運動内に意見の違いが生じてしまったのです。原水爆禁止運動を日ソ共産党の対立に置き換えてしまうことでもって、日本の原水爆禁止運動の分裂の萌芽が生じたのです。そして、翌年、事態を一層複雑にする新たな事件が起きました
」。

 2011年03月」の「「いかなる国」問題(最終回)」末尾で次のように述べている。

 「前回書いたことの繰り返しになりますが、世界で唯一の被爆国である日本、その日本で思想・信条の違いを超えた全国民の一致した核兵器廃絶の主張は、核兵器保有国には極めて鬱陶しいものであったはずです。だからこそ、それをなだめるべく第五福竜丸事件では大金を日本に供与するなど、日本の世論に神経質であったのです。と、同時にこの一致した日本国での主張・声を分断するべく核保有国からさまざまな働きかけが日本の原水爆禁止運動にあったのだろうと思います。従って、そうした働きかけに乗ぜられたのが日本共産党だけであったなぞと、言うつもりはありません。総評にも、宗教団体にもあったのでしょう。その働きかけに乗り、ことさら異を唱えるグループもあったのかもしれません。

 しかし、私が、長々と書いてきたことは、『共産党もこうした働きかけに乗せられ、結果として原水爆禁止運動分裂に加担した』という視点は誤っているということです。むしろ、分裂させる口実を探していたのです。その口実として、部分核停への評価にことさら異をたてたのです。その不自然さを取り繕うべく、ソ連邦共産党の介入をことさら強調しているのが、志位演説なのです。こうして、共産党は、原理原則を建前として、見事に米国戦争勢力の思惑に自らを適合させていったのです。まさに、1945年10月に、殺人犯である宮本顕治氏を保釈したことの見返りを戦争勢力核保有国は、ここに得たのです」。


 F氏は次に、「宮本顕治氏が米国と日本の支配勢力の走狗であったもう一つの証である(と、私が考えている)、「新日和見主義」事件の問題を次に考えてみたいと思います」と述べている。実際には割愛されて、「2011年06月」の「『共産党の余命3年』論」で次のように述べている。

 「宮本顕治氏の日本共産党破壊活動の検証として1970年代に共産党青年部(民主青年同盟、通称『民青』)を襲った新日和見主義批判なるものを考察しようと考えていました。しかし、その後、日本の政治状況に関心が移り、なかなか考察を開始できずにいました。そんな折、一週ほど前に、以下に転載するような議論がネットをにぎわしました。いささか、旧聞に属しますが、この類はコピペをしておかないと、消えてしまうと思い全文を以下に転載します。これを書いた論者がどういう方なのか私は知りません。しかし、的を射た指摘に満ちており、私も大いにコメントをしたいのですが、腱鞘炎余後という事情のため、それは後日にします」。


 こう記した後、日本共産党の党員推移状況、赤旗の紙数推移状況、苦しい財政状況を解析した上で次のように確認している。

 「日本共産党中央委員会は、政治資金報告書に記載義務のある財政数字以外はひた隠しにしているため、現在どれだけの資産が残っているのかは不明である。だが、余裕がなくなりつつあるのは確かだ。すでに地方機関では、赤字に耐えかねて専従職員の解雇まで行われている」。


 末尾を次のように述べて締め括っている。

 「もちろん党内でも危機感は強い。2013年の参議院選と都議会選を乗り切れるか。年に2の大型選挙をやれる財政的体力など、もはやない。しかし、選挙は放棄できない。崩壊を先送りにするには、赤字を垂れ流す日刊のしんぶん赤旗の発行停止と政党助成金の受け取りしかない。しかし、歴史と伝統のある赤旗の発行停止はこれまで外部に隠してきた党の危機を世に知らしめることになる。政党助成金も、受け取る他党をさんざん批判してきたのだ。今さら受け取れば、やはり財政危機を世間に公表することになる上に、党員の誇りをも奪い取る。想像してほしい。これまで党員は政党助成金を「『思想及び良心の自由』を踏みにじる憲法違反の制度」であり『政党を堕落させる腐食源』とまで言ってきた。そんな党が政党助成金をもらってしまえば、党員は支持者に合わせる顔がない。そうなれば、いくら党に忠実だった党員でも指導部の責任を追及するであろう。

 日本共産党はこれまで党本部は常に正しいとして、いくら選挙で負け続けても指導部は責任を問われなかった。それが初めて、党指導部の責任を問われることになる可能性が極めて高い。この恐怖感が、党の対応を遅らせている。いや、対応がされないままにしていると言っても過言ではない。タイトルの『余命3年』は決して大げさな煽り言葉ではない。今、我々は日本共産党史の最終章をリアルタイムで目撃している
」。

 「共産党余命3年論」は興味深い。但し、この問題の深刻さは次のことにある。仮に共産党が3年後に解党したとして、現下の宮顕―不破系党中央は痛苦煩悶するだろうか。ここが肝腎なところである。実際は逆で、表向きはともかく裏では、去る昔の六全協での宮顕の党中央登壇で始まった日本共産党変質化の成功裡の完結として祝意し合うのではなかろうか。なぜならそういう請負こそが彼らの仕事だったからである。夢にもそのような仕掛けを思わない純朴党員は哀れである。党員ばかりではない、この間、日共の変質をマルクス主義の教条文を引き合いに出しながら説いて回った諸家が無数と云えるほどいる。しかし、日共の変質、その後の緩慢なる解体を請負として引き受けている党中央問題として捉えない批判の薄っぺらさを恥ずべきではなかろうか。彼らの尤もらしい批判なぞ日共産党中央には馬の耳に念仏に過ぎなかったのではなかろうか。こういう場合、日共の変質を説いて回った諸家こそ当人の自負とは別に無能と評されるべきではなかろうか。そういう批判は諸家の単なる自己悦楽に過ぎないとも評せるのではあるまいか。

 もう一つ。日本共産党の台所事情がそれほど苦しいとしたら、どうしても関心を払わねばならない次の疑問が出てくる。日共式選挙運動の特徴として全選挙区に立候補させる戦略戦術を採用して今日に至っているが、この間の供託金没収は一体幾らになっているのだろうか。天文学的な金額に及んでいる筈である。党財政が苦しいのに何故に供託金お供えが続くのか。この奇怪を問わねばなるまい。

 没収金は企業会計で云えば純利の吐き出しである。如何なる優良企業でも負担に耐えない純利の吐き出しを為し得る秘密は何なのか。その金はどこから工面されているのだろうか。果たして党員、支持者の個人献金だけで賄っているのであろうか。案外と政治とカネを廻って「キレイ潔癖清潔」を売りにして来た共産党が裏で怪しい資金ルートを持っていると云うことになりはしまいか。この不正を誤魔化す為に去る日に、党会計のチェックを従来の中央委員会預かりではなく幹部会預かりにしたと云う規約改正が必要だったのではなかろうか。この秘密が暴露された時、この党が終わるのではなかろうか。それでも続くとしたらお化けであろう。

 2012.3.9日 れんだいこ拝

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2012年3月 8日 (木)

法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その3

 F氏は、「時事ネタ(共産党の小沢いじめの根源的理由)」で次のように述べている。

 「私は、前回のブログで『殺人の責を全うせず、さらには、殺人を犯しながら復権を執拗に求めた宮本氏、そしてそれを政治的思惑のために、あえて見て見ぬ振りをした当時の日本国支配者米国占領軍の邪な思惑を推測しています』と、書きました。この文にこめた私の考えは、『宮本氏には復権が叶う』との確信があったのではないかと想像するからです。何故なら、治安維持法に加え、過失致死罪、死体遺棄罪などが併合されて獄舎に繋がれていたにもかかわらず、その殺人に関する責任を問われずに、したがってその責任を全うせずして宮本氏は出獄を許されたわけです。釈放を認めたからには、当局側には最早『復権を認めない』との論理は成立しなくなります。しかし、治安維持法下という特殊な政治環境にあったから、『殺人(実際には過失致死とは言え)事件も無かったことにし、その責任を問わない』との論理が、後世検証されるかもしれないことを決定者であった米国占領軍は注意深く検討したはずです。事実、1976年1月の国会では、まさにこのことの不明朗さが指摘され、政府に調査をせまる国会での論議がありました。実際、『治安維持法下という特殊な政治環境』という理屈が通るのであれば、治安維持法下での特別高等警察による残虐極まりない拷問と虐殺についても法的にはなんらの処罰を課せられないばかりでなく、その残虐さを後日論難する論拠も失うことになります。共産党が指弾する特別高等警察の残虐はいわば二重基準の論理といわれても仕方ないことです。

 宮本氏の釈放を検討した際、米国政府と占領軍には、大日本帝国による政治犯の暴力的弾圧という犯罪を棒引きにするべく、いわば相殺を図ったとの見方はありえるのかもしれません。実際、戦後の政府ないしは米国が法的手続きにのっとって、特別高等警察による過酷な拷問・取調べを調査したとの話は聞きませんから、それなりに宮本氏の『殺人事件を記録から抹消』したことと釣り合いが取れているのかも知れません。

 ところで、松本清張氏による『日本の黒い霧』などが記すところによれば、戦争直後のさまざまな謀略と思しき怪事件の数々は、終戦直後数年間での米国占領軍による占領政策のあからさまな変更に起因しています。それらの多くは「左翼勢力」による事件として当時大いに喧伝されました。しかし、これらの事件は、戦争直後ではなく、それから数年後のことです。いずれ『左翼勢力を利用する時期が来る』との分析があったとしても、それが、まさに日本国のポッダム宣言受諾からわずか数ヶ月の短期間、つまり国際情勢の帰趨も定かでないこの時期での、宮本氏釈放の主たる理由であったとは思いがたいでしょう。

 とすれば、『宮本氏の即時釈放』は、占領軍のシナリオには、早くから(日本国のポッダム宣言受諾・全面降伏以前から)既に書き込まれていたと思われます。既に書いたように1945年10月、治安維持法で獄舎にあった志賀義雄、徳田球一氏らが釈放されます。彼らが直ちに疲弊した日本国民を結集して一大政治運動・闘争を巻き起こすであろう事は誰の目にも明らかでした。当然占領軍はそうした事態を深く認識・予測していました。さて、この一大政治闘争、生活と基本的人権を求める一般国民の大闘争は、大日本帝国の息の根を完全に止めるという視点からは占領軍にとって歓迎されると同時に、一方では、その大闘争が先鋭化することの危惧をも併せ抱いていたはずです。松本清張氏は、氏の著作の中で占領軍司令部内のGSとG2の対立を描いています。

 もし、宮本顕治氏が文字通り、徳田球一氏らと共に疲弊国民の闘争を力づける存在であったとするなら、占領軍は、上記危惧を理由として宮本氏の釈放を決定しなかっただろうと考えます。そうした決定をしないことによって、一部左翼が抗議をしたとしても、宮本氏には『釈放を獲得できない厳然たる事由』があるからです。『殺人事件との併合罪であるから、釈放できない』との一言です。しかるに、宮本氏は釈放されているのです。つまり、宮本氏は、疲弊国民の闘争を鼓舞し、ひいては占領軍による日本国支配を危うくする存在とみなされていなかったとの推論が可能となります。

 しかし、それだけの、いわば消極的な理由で、殺人事件の当事者である宮本氏を釈放したとは考えにくいことです。むしろ、占領軍側には釈放した宮本氏を『使う』意図があったのではなかろうかとの思惑があったと考えるのが自然です。殺人犯の刑期を全うせずしての釈放には占領軍内部で慎重な検討があったに違いありません。反対者も少なくなかったろうと思います。その反対を押し切り、かつ後世になされるかもしれない歴史検証への危惧も押し切って宮本氏を釈放する決断をしたことになります。とすれば、占領軍司令部内での釈放推進派には、反対派を黙らせることができる強い説得材料があったに違いがありません。宮本氏が占領軍軍支配に敵対しないとの確かな証(あかし)があったのだろうと思います」。


 F氏はここで、中曽根に政治利用される宮顕その人の解析に向かっている。宮顕の戦後の釈放と復権証明書の背景にある政治的陰謀を嗅ぎ分けしようとしている。結論として、戦後共産党運動を指導することが予見された府中グループの徳球―志賀派への対抗として宮顕を政治利用する為に府中グループより一日早い出獄が用意された可能性を窺っている。「宮本氏が占領軍軍支配に敵対しないとの確かな証(あかし)があったのだろうと思います」と述べており、宮顕の胡散臭さを指摘している。

 「ロッキード事件を転機とした共産党のあからさまな変節」で次のように述べている。  

 「中曽根氏も当然上記のような疑問を抱き、なにがしかの想像をしたはずです。あるいは、親分であるCIAエージェントの正力氏から何がしかの事前情報を得ており、その確証を得ることが日本部長との話し合いの目的の一つであったかもしれません。かくして、中曽根氏は、1976年2月6日の米国大使館での会談で、宮本氏釈放決定に関する米国占領軍内部での検討経緯、および宮本氏の『出自』にたんぽされたものについて照会したのでしょう。当時の中曽根氏の主要な関心は、P3Cでの自らに降りかかってくるやも知れぬ醜聞攻撃を田中角栄氏の金脈醜聞にすり替えることであったはずです。そして、中曽根氏の政治的スタンスは『田中角栄氏の政治スタンスとは真反対』です。正力松太郎氏の側近としての立場からしても、それは、米国の意向に強く沿ったものであったはずです。

 以前にも書きましたが、この大型スキャンダルを田中金脈問題にすり替えるにあたって、当時昇竜の勢いにあった共産党の追求力を利用することを、中曽根氏は目論んだのです。実際に中曽根氏が米国大使館で宮本問題でどのような情報を得たのかは定かでありません。しかし、共産党にしてみれば、中曽根氏から『米国国務省日本部長と宮本事件のことで話したよ』と、耳打ちされるだけで、それの重大性は、震え上がっるような衝撃であったと思われます。とりわけ、当事者たる宮本氏にとっては。かくして、以後、共産党を率いる宮本氏は、田中角栄追及を先鋭化を党の主要方針とさせてゆきます。共産党の売りの一つとして、『金にきれい=清潔』であることが強調されるようになります」。

 F氏はここで、中曽根が宮顕のリンチ事件、戦後の釈放と復権証明書過程の胡散臭さを嗅ぎ取り、これを強請(ゆすり)の種として「当時昇竜の勢いにあった共産党の追求力を利用することを、中曽根氏は目論んだ」と推定している。宮顕は中曽根の強請(ゆすり)による角栄糾弾請負の取引に応じ、「かくして、以後、共産党を率いる宮本氏は、田中角栄追及を先鋭化を党の主要方針とさせてゆきます」と分析している。

 「ロッキード事件と共産党で次のように述べている。

 「前回、不破氏が、『60年余の間に支配勢力が共産党の前進を3回に亘って妨げてきた』と語ったことを書きました。氏はそれを反攻と呼びます。50年代の反攻については説得力があります。松川事件、三鷹事件、菅生事件など不可解な事件が発生し、それらを共産党になすりつけるキャンペーンが張られたからです。しかし、残る二つにはそうした背景を見ることができません。1980年の反攻に先立って、月刊誌『文藝春秋』での立花隆氏による連載『日本共産党の研究』(1974年)あるいは、1976年の民社党委員長(当時)春日一幸氏による国会質問などで宮本事件が大きな話題になりました。これらは『共産党のイメージを著しく損なった』のであり、まさにこれぞ反動勢力による反攻であると不破氏は語ります。実際、創価学会などは『人殺しの共産党委員長』といったビラを夜陰に乗じて配布することがありましたが、当時の大手新聞、朝日、毎日、そして読売新聞ですら、『治安維持法を容認するような議論は謹まねばならない』との論陣をはり、立花氏、春日氏の主張に乗じて『暗黒の戦前を是認』する論調には批判的でありました。

 今にして思えば、当時の大手報道機関は『宮本問題をあえて大騒ぎしないこと』でもって、共産党に貸しをつくり、共産党を国際金融資本の意向に従わせる戦略をとったのではないかと思えます。何故なら、『暗黒の戦前の容認』と『宮本氏による殺人の贖罪』とはまったく次元の異なる話であったにもかかわらず、当時はその違いを峻別せず、むしろ意識的に混同させることで、いわば恩を共産党に売ったのではなかったか」。

 ここも黙って拝聴することにする。続いて次のように述べている。

 「さて、共産党の側からあからさまに国際金融資本への屈服表明をしたのが2001年の夏の共産党創立79周年での講演でした。『共産党は、“唯我独尊”“党利党略”か?」と題する下記の投稿で、不破氏が行った講演の概要が紹介されています。

 (引用開始、http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/455.html)

 共産党に好意的な人々は、共産党が『純粋すぎる』ので、結果として傍から見ると唯我独尊、党利党略に映るのだと、この批判を『美化』する。『純粋すぎるのか否か』を判断するのに格好の資料が下記である。2001年7月のK党創立79年記念講演会で、不破委員長(当時)は、衝撃的な演説を行った。『ロックフェラと家族ぐるみの付き合いをするほどに緊密な関係にあった盛田昭夫氏を、資本家の鑑であると礼賛し、ホロコーストについて、“ユダヤ人、ジプシー、ポーランド人、ロシア人、チェコ人、スロバキア人を はじめとする何百万という人々が、人間の頭にかつて浮かんだことのないような最大の絶滅行動〔大虐殺〕の犠牲となった”と言及した上で、その責任を未だに言及し続けるドイツ政府を褒めちぎった』。

 世界の富の半数以上を占有しつつ、一層の金儲けのために世界を戦争に駆り立てる国際金融資本勢力への戦闘放棄を高らかに宣言した瞬間が、2001年7月なのである。当然の帰結として、歪んだシオニズムが言論の自由を奪っていること、さらには、常に戦争の火種を作っていることなどの厳然たる事実について一切言及せず、むしろ彼らのスピーカとなることを高言した瞬間でもあった。共産党の唯我独尊、党利党略は、大多数庶民の利益・要求に背を向けて、国際金融集団に唯々諾々付き従う実態を隠蔽するポーズなのである。とすれば、今回の小沢問題での足場は、政権交代阻止勢力の一翼たることを、ご主人様に認めて頂く事の上にある。そうしてこそ、迫り来る総選挙でも細々と生きながらえ、後退すれども幹部連の首はご褒美としてつながりつづける。(引用おわり)

 この講演をきっかけに、共産党はせっかくの社会党票の受け皿足りえず、一気にもとの右下がり傾向に落ち込んだのです。実は大変興味深いまさに具体的な、労働者を犠牲にして国際金融資本に仕えんとする事例があり、それが、下記のHPに詳述されています。http://kinpy.livedoor.biz/archives/51506769.html 上記は、石川島播磨重工を舞台とした共産党員の戦いを共産党中央が押さえ込んだという信じ難い話です。ここでは、読者に上記を読んでいただくことで持って、記事内容を紹介することは致しません。いずれにしても、富を独占し大多数の国民を貧困と生活苦に追い込んでいる支配勢力との戦いをやめてしまったことが、深刻な後退の理由であって、それは反攻とは言いません。一般庶民とはかけ離れた現状認識、それに基づく党の方針が庶民からは見放されたことが、低落の重要な一要因なのです。しかし、それにとどまらないもっと深刻な後退理由があるのですが、それは後刻書きます。
 
 ホロコーストに関してはすでに繰り返し書いてきました。600万ものユダヤ人をガス部屋で殺害したとの『お話』は、物理的に不可能であり、文字通り荒唐無稽であることを繰り返し書いてきました。これが国際金融資本の背後で世界支配を操るための道具であったことも書いてきました。しかし、不破氏はその筋書きにあえて抗弁せず、それを是認する歴史観をここで表明したのです。昨今、性懲りも無く、自らを『清潔な党』として売り込みつつ、小沢氏を『政治を金まみれにした張本人』として共産党は、大手マスコミ産業と口を揃えて、小沢氏を激しく非難しています。これで、支持の回復を図りたいとの主観的希望が見て取れますが、それは、実は支配勢力(国際金融資本)に対する忠誠の証をたてる示威でもあるのです
」。

 ここも黙って拝聴することにする。「(時事ネタ)中曽根氏の照会(3)」で次のように述べている。

 「終戦直後、殺人事件の犯人として獄舎につながれていた宮本顕治氏を、一介の政治犯として釈放する決断に際し、占領軍が担保したものは何であったか? 多分、米国政府公文書館に関連する資料が秘匿されているのだろうと思います。そして、中曽根氏が1976年2月6日に、敢えて米国担当官に尋ねたことからわかるように、米国CIA日本人エージェントである正力松太郎氏ですら、その資料には触れることができていなかったようです。1974年―76年当時の大方の論調は『宮本氏が共産党を守りたいとの一心で心ならずも小畑氏の殺害にいたってしまったのであり、そのこと自体は誠に不幸な事件であった』というものでした。現在の共産党もその論調に乗じて、宮本事件と聞くとヒステリックに反共攻撃というセリフで以って反応します。したがって、中曽根氏から傷害致死をチクチクと突かれようと真っ向から反撃できるはずでしたが、すでに書いたように共産党の反応そして対応はまったく異なっていました。中曽根氏は上記共産党の表向きの主張とは異なる『何か』を得ようとして、米国大使館日本部長に宮本事件を照会したのです。2009年7月ごろであったでしょうか、中曽根氏は不破氏と対談しています。紙上に掲載されなかった対話でこの事が話題になったか否かはさだかでありません。現時点では、この『何か(something secret)』を知ることができません。

 しかし、それを推察するに格好の考察がHPで閲覧できます。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/miyakenco/rinchizikenco/rinchizikenco.htm このレンダイコ氏の考察は誠に衝撃的です。1945年10月に釈放される以前、つまり獄中にあった時期、宮本氏は既に官憲が左翼に送り込んだスパイであったというのですから、まずは眉唾と思う人も少なくないようです。しかし、上記HPはその考察に膨大な資料文献を渉猟・読破しており、読後には強い説得力で、その結論に納得させられます。実際、このように考えると、殺人罪との併合罪で獄舎に繋がれていた宮本氏が治安維持法犯としてのみ釈放され、半年後には、その殺人犯としての罪も復権証明の発布でもって消滅してしまうことの謎が、まずは氷解します。そして、であればこそ、1976年、事情を薄々感知していた中曽根氏が米国政府からあわよくば真相証拠を得て、宮本氏と氏が率いる共産党に揺さぶりをかけた事情も呑み込むことができます。実際、中曽根氏の思惑通り事は進んだのです。繰り返しますが、共産党はその際の出刃包丁にひるみ、P3C追及をやめ、以後は中曽根氏の仇敵である田中角栄氏とその思想的系譜に繋がる小沢一郎氏の追及にまい進するのです。そしてこのことが、中曽根氏とその背後にある国際金融資本への忠誠の証しともなっているのです。いずれ、書きますが共産党の検察糾弾忌避にもそのことがまざまざと見て取れるのです。

 それはさておき、このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃は、1995年1月の雑誌『マルコポーロ』廃刊事件に匹敵するものでした。この廃刊雑誌の一記事では、第二次世界大戦の末期ナチスがしでかしたとされる「ユダヤ人600万の虐殺、とりわけアウシュビッツでの大量ガス虐殺」は物理的にありえないことを論証したものでした(西岡昌司氏)。宮本事件とマルコポーロ事件が私に教えてくれたことは、『巨大な虚偽は、真実としてまかり通る』、というかってヒトラーが言ったとされる歴史の真実でした。ここでは、この考察を裏付けると思われる一二の出来事を検討してみたいと思います。それらは、宮本氏の釈放から21世紀初頭までの氏の活動履歴からとりだした事柄です」。

 F氏はここで、れんだいこの宮顕論、日共論の観点に賛意を表し、「このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃」は、西岡昌司氏の通説ホロコースト論批判に匹敵すると激賞している。当事者のれんだいことして、この評に感謝申し上げておく。

 2012.3.8日 れんだいこ拝

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2012年3月 7日 (水)

法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その2

 F氏の「共産党失望から疑惑への経緯」の旅は続く。「時事ネタ(ロッキード事件(2))」は次のように述べている。

 「もうひとつの疑問は『中曽根氏による米国・国務省日本担当官への照会事項に宮本顕治氏問題が含まれていたことが、何故共産党による田中角栄叩きにつながるのか明瞭でない』という疑問です。 

 私は、ほとんどTVを見ませんが、例外が、水戸黄門、鬼の平蔵、そして国税調査官窓際太郎であり、これらについては、録画し、食事時にそれらを楽しんでいます。豪商とつるんだ支配者が悪行非道をつくし金欲・権勢欲を満たすのですが、ドラマの最後で、この悪行・非道が暴かれるいう筋書きです。この筋書きが現在日本列島にそのまま置き換えられています。小沢一郎氏が『豪商とつるんだ支配者』という筋立てです。そして、30数年前にこの悪役を引き受けさせられたのが田中角栄氏であったというわけです。

 しかし、田中角栄氏の事跡、主張を読み返してみるに、さらには、先の民主党代表戦での小沢一郎氏の主張を見聞するにおよび、政治家をステレオタイプで一括りに見ることが正しい認識とはならないこともあるらしいと思うに至った次第です。先日、読者のお一人が、私をして小室直樹氏の記憶を呼び覚まさせてくれました。氏は『政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい』と、TVで70年代末に公然と言い放ち、田中角栄氏の政治家としての卓抜さを見抜き、氏の無罪を主張しました。小室氏は知る人ぞ知る、時代をこえた政治学者(氏は何々学者の範疇を超えた稀有の知識人ですが)でしたが、先年、惜しむらくは他界されておられます。

 小室氏が指摘するように、『集めた金の提供者が誰であるか、それは何に使われたのか』この二点が明らかにされるのであれば、その額の多寡は大きな問題とはなりえません。私が上に書いた、水戸黄門に登場する悪家老は、権益を独占することを許した悪豪商越後屋の存在を、密会した料亭で『お主も悪じゃのう』と言いつつ隠し続けます。そして、悪家老が集めた金は、自らの栄達に費消されますから、当然それは秘匿されます。そこには、藩、および藩領民の安穏な生活はもとより、幕府の陰険な改易などの諸策に抗っての健全な藩経営の視点はありません。山本周五郎が描く伊達騒動の主人公である原田甲斐は、藩経営にしっかりとした理念を有する例外的な家老であり、それは例外中の例外であったわけです。

 そうした視点に照らして、角栄氏の主張をざっと振り返ると、1972年7月に首相になると直ちに9月に訪中し、日中国交正常化を実現、年が明けて9月にソ連を訪問し領土問題が日ソ共同の案件を確認するなど、日本国の国益に根ざしつつ戦後の不正常な社会主義諸国との関係をただすことに力を注いでいます。さらには、同年10月に突然発生したオイルショックから、日本のエネルギ問題の安定した解決のために、外交的にはイスラエル支持をアラブ諸国支持に転換し、米国石油メジャへの過度の依存状態からの脱却を図ります。こうした、諸策はいかなる国の支配からも独立した、日本国の主権国家を目指すものであったのです。ここには明確な日本国経営の視点を見て取ることができます。これに関して日本列島改造論は日本国を土建国家に変貌させるものだとの議論がありますが、これも誤解に満ちたものであることがわかります(いずれ、書きます。たとえば、月刊誌「新潮45」、2010年7月号」田中角栄特集号)」。

 F氏のこの観点は貴重である。かっての角栄バッシングと現在の小沢バッシングに通底している金権批判の流れに対してステレオタイプな批判であるとしている。その論拠として小室直樹氏の政治家論を説いている。小室理論を通して角栄の再評価に向かっている。

 「ロッキード問題と、共産党および中曽根氏」で次のように述べている。まず「http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/486.html」の下記の下りを引用している。

 「ロッキード事件の真実・おさらいロッキード事件について、ポイント的なものを挙げると。
 証拠はすべて米国側にあり、米国側の証人を日本の裁判所に呼んで、偽証罪を適用することを前提にして証言させない限り、裁判そのものが成り立たない。
 民間の航空会社が航空機の選定をする際に、政治家に職務権限は無い。
 しかし、軍用機は別である。児玉誉士夫はCIAのエージェントで、ロッキード社のセールスマンだった。防衛庁が国産化を検討していた次期対潜哨戒機が、ロッキード社のP3Cに変更された。当時の防衛庁長官は中曽根康弘である。
最高裁は嘱託尋問調書には証拠能力がないとし、事実上の田中角栄無罪判決を下している。
 内閣総理大臣は国家元首であり、国家元首が任期中に行った決定について裁判所が裁くことは出来ない。内閣総理大臣の決定は国家による決定、また国民による決定だからである。裁判官は国民の代表ではない。国会で追及するのが筋である。

 中曽根との関連では、防衛庁長官時代に、その職務権限に直結する、対潜哨戒機(P3C)導入に絡み、ロッキード社からの賄賂が行われたのではないかという説がある。しかし、民間機の導入にからみ、田中が賄賂を受け取ったという話にすり替わった。他国における、ロッキード事件も軍用機受注が舞台になったものである」。

 上述の観点に対して、F氏は末尾で次のように補足している。

 「ロッキード事件の主役は二人おり、もう一人が中曽根康弘氏であったのです。そして、このP3Cの話がいつの間にか、トライスタ購入の話の背後で見えなくなってしまったのです。このP3Cにかかわる購入経費は旅客用航空機経費に比べて一桁から二桁大きいといわれます。それに中曽根氏が深くかかわっていたとの噂が当時から囁かれていたのです」。

 F氏のこの観点は貴重である。但し、「ロッキード事件の主役は二人おり、もう一人が中曽根康弘氏であった」と評するのはまだ甘い。正確には、「ロッキード事件の主役は二人であるが、中曽根犯罪が角栄にすり替えられたのがロッキード事件の本質であり、角栄冤罪、中曽根こそ真犯人」とする観点を披歴しても良かったのではなかろうか。

 「ロッキード事件と中曽根康弘氏(3)」で次のように述べている。

 「日本政府には、児玉誉士夫を通じて30億円が渡されたとされていますが、その児玉氏は不可解な死を遂げています。また、田中角栄氏に渡されたとする5億円については、その渡し方のあまりの不自然さから(詳論はしませんが)、現在では、その5億円の授受はなかったのではないかとする考えが一般的です。しかし、当時の私の記憶は、『石川衆議院議員が、まだ小沢一郎氏の秘書であったころ、全日空ホテルで水谷建設のある役員から袋に入った五千万円を受け取った』との、共産党機関紙赤旗、およびTBS報道と重なるものでした。両者とも現在にいたるまで、証拠を掲載ないしは報道していません。先日、朝ズバに出演した森ゆう子参議院議員のこれに関する指摘にたしてTBSは一切の回答をしていません。現実には、この水谷建設役員の供述は、獄舎につながれており、出獄したい一心の精神的状態に検察が付け込んで得た供述であることがわかっています。実際、この五千万円については、小沢氏関連の事務所を一年半かけての捜索にもかかわらず証拠が発見されていません。そのため、石川氏を起訴したにもかかわらず、訴因変更という、あってはならない事態に検察は追い込まれ、裁判そのものが成り立たなくなっているのです。この小沢ー石川事件の経緯を田中角栄氏への嫌疑と重ねるにつけ、同様の無理筋の逮捕・起訴がなされたであろうことが想像されます。それでは、何故、田中角栄氏にこうした無理筋のいわばでっち上げ犯罪がかぶせられ、それに日本共産党が加担したのでしょうか?」。

 F氏はここで、「角栄冤罪、中曽根こそ真犯人」の観点から、現在の小沢キード事件の構図をロッキード事件に当てはめて、そういう疑惑の構図における日本共産党の加担問題を採り上げている。これをどう解析するかで駄文ともなり白眉ともなる。「中曽根氏と共産党(3)」で次のように述べている。

 「しかし、そんな単純な構図ではなかったようです。今にして思えば、この田中叩き、共産党叩きは、はるかに政治的に高い意図からなされていたらしい事が見えてくるように思っています。田中叩きが主であって、そのための補強策として共産党叩きがあったのです。それは一つの標的に向けた、つまり『田中追い落とし』のための一側面であったのです。

 その鍵は、一つは、田中角栄氏の米国の頭越しの日中国交正常化であったと思いますが、もっと重大であったのが、オイル危機をきっかけとした日本独自のエネルギ問題解決への模索であったろうと私は思っています。田中氏は、独自につまり米国の強い影響力下のオイル・メジャーから脱却し、日本国の自らの意思でエネルギを確保するためにアラブ諸国との連携を強めることを決断したのです。そのためには、従来の日本国政府の国是でもあったイスラエル擁護の政策の転換が不可欠でありました。1970年代、このようないわば大胆な政策転換が看過されるはずがありません。現時点で冷静に考えれば『アウシュビッツの600万ユダヤ人ガス殺戮』は到底ありえないことであったということが、ドイツ国においてすらほぼ暗黙に了承されていることですが、40年前はそうした事のへの疑問を提起することすらタブーでありました(2006年5月14日記事)。http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51301695.html  上記記事に書いたように、疑問を呈しただけで、雑誌が廃刊されるというようなとんでもない事件が、ドイツではなく日本国で起きているのです(1995年、「マルコポーロ」廃刊事件)。私は、軽々しい陰謀論に与するつもりはありませんが、田中角栄氏はまさにその禁忌に触れたのだと思っています」。

 ここは黙って拝聴することにする。続いて「1970年中盤の政治」で次のように述べている。

 「1973年10月に第四次中東戦争が勃発し、直ちにそれは、日本国にはエネルギ枯渇として跳ね返ってくる重大問題でした。日本国の最高責任者としての田中角栄氏が米国の意向に従ってイスラエル支持一辺倒では、日本国の自立した経営は成り立たないと判断したであろう事はまっとうでありました。ここには『反ユダヤ、反イスラエル』なぞといった偏狭な思惑があったとは思えません。ひたすら、日本国民を守りたいとの一心であったろうと、現時点では、私はそのように思います。イスラエルに立ち向かうのではなく、一辺倒から、中立に軸足を変え国益を模索せんとの思いであったのだろうと思っています。

 しかし、当時の日本の宗主国米国は、そこに危険な臭いを嗅ぎ取ったと思われます。これをなんとか妨げねばならぬと米国は考えたはずです。米国にとって幸いであったのは、政府与党の幹事長に、CIA代理人である正力松太郎氏子飼の中曽根氏が就いていたことです。 ロキイード事件での日本側の対応に際して、中曽根幹事長が米国大使館での国務省・日本部長との面談で『宮本顕治氏のスパイ査問事件』をまず話題にした(1月20日記事)。根底には、米国側の田中角栄排除に呼応した中曽根氏側の陰湿・陰険な思惑があったと見るのが至当でしょう。

 当時、日本共産党は昇竜の勢いでした。当選した議員は後日『赤い貴族』として指弾される津久井湖畔別荘の住人はともかく、多くは、実績豊かな弁護士、地域医療で尊敬を集める医師、地方住民の声を代弁する地方議会議員といった有能多彩な人材でありました。こうした議員が国会の場で、米国を名指しで糾弾し、米国企業の日本国支配を暴くような事態を看過することはできません。そこで、出てきたのが、二正面作戦、つまり、田中を追い落とし、共産党をしてその追い落としに加担させるという高度な戦略(戦術?)であったのです。その加担せしめる取って置きのネタが『宮本スパイ殺人事件』であったのです」。

 F氏はここで、ロッキード事件における日本共産党の角栄糾弾加担問題の背景に「宮顕スパイ殺人事件問題」が関わっており、このアキレス腱を利用されることにより懐柔されたとする観点を打ち出している。

 「2011年01月」の「中曽根当時自民党幹事長の米国国務省担当官への問い合わせ」で次のように述べている。ここでロッキード事件勃発時における中曽根の奇妙な動きと、それによる角栄糾弾に向けての「宮顕スパイ殺人事件問題」をネタにしての日本共産党の利用と云う陰謀に触れている。

 「月刊誌『世界』(岩波書店、2011年1月号)に『秘密解除・ロッキード事件』なる論文が掲載されました。副題は『momikesu』、『kurusii』と付されています。寄稿者は朝日新聞記者で報道局に所属します。本論と関係しませんが、東京大学工学部卒業といいますからやや毛色の変わった記者なのかもしれません。上記の副題は中曽根幹事長自身の言葉として、米国政府ホワイトハウスの内部文書に記載されているものです。昨年2月に朝日新聞のスクープ記事として公表され世間が『大変驚き』かつ事情の一端を知るものには『さもありなん』と思わせました。

 1976年2月4日、米国議会公聴会で、ロッキード航空機社から日本国をふくむ4つの国の政府要人に巨額の金が渡ったとの疑惑が明るみに出ました。この2日後、中曽根幹事長は在日本国・米大使館を訪ね、米国国務省の日本部長と接触し、情報の取得を行ったわけです。上記の副題『もみけし』、『苦しい』は日本側政府高官の心情を吐露したものと受け止めらました。「こうした事件の詳細が明るみに出ると、日本政府は大変『くるしい』事態に追い込まれる。なんとか『もみけせないものか』という本音を米国政府要人に漏らしてしまい、あろう事か、その本音が米国政府内部文書に明記され残ってしまったというのです。

 このこと自体、驚くべきことですが、私の強い関心を惹きつけたのは、国務省日本部長との会談で中曽根当時幹事長が真っ先に触れたのは『日本共産党のスパイ査問事件』だったとされている」(同月刊誌116頁中段)です。この論文の筆者の奥山氏はこのことをそれほど奇異には受け取っていないようです。というのは、1976年1月27日(国務省部長との接触の一週間前)に春日一幸当時民社党委員長が国会で『宮本事件』を取り上げ、真相解明を政府に迫っていました。共産党に『ロッキード醜聞』という自民党攻撃のための強力な武器を与えてはならないという中曽根氏の『政局観』ではなかったかと、奥山氏は分析します。

 しかし、中曽根氏が米国大使館を訪ねた2月6日の時点では、日本政府高官に30億円が渡されているとの報道が大きく主要新聞でなされているのです。いまさら宮本事件という共産党の『「アキレス腱、弱み』に付け込んで、共産党を黙らせようとしたところで、その効果は知れています。『宮本事件』で脅迫された共産党が『だんまりをきめこむ』という構図はあまりにも『見え見え』です。むしろ、共産党をして、より戦闘的たらしむる方策が利得が大きい。と、中曽根幹事長は判断したと思われます。つまり、共産党をしてより徹底的にかつ先鋭的に『田中角栄元首相をたたかしむる』ことによる利得がはるかに大きいことを中曽根幹事長は瞬時に判断したと思われます。なぜなら、これによって、醜聞は航空機醜聞に焦点があたり、より疑惑の大きいP3Cから国民の関心を逸らすことができます。さらには、第四次中東戦争によるオイルショックを経験した日本国民の苦渋の体験を踏まえ、日本国が取るべきスタンスは、イスラエルから距離をとり、中東に接近するという大胆な政策転換を阻止できるからです。もちろん、これに加えて中曽根氏の氏自身の首相願望実現もあったに違いありません。

 米国大使館では上記のような多面的な検討があったと想像します。ましてや、中曽根氏は米国CIAのエージェントであった正力松太郎氏の側近です。そのあたりの呼吸の全ては、中曽根氏の腹のうちに収まっていたであろう事は想像に難くありません。何故なら、中曽根氏の意向は即、米国すなわちCIAの意向に忠実に沿ったものだからです。共産党をけしかけて、田中非難を激烈にやらせる最も有効な鞭が宮本問題であり、代償の飴が田中角栄氏スキャンダル情報(しかし、あの榎本五億円事件受け渡しですら現実にはありえないとされている)の提供であったと私は思っています。1945年10月に『治安維持法の該当犯罪者で且つ殺人犯』である宮本氏を政治犯としてのみ認識した『米国占領軍の判断』に、疑問を抱き、そのことについての真相を中曽根氏は米国政府の口から得たかったのであろうと私は想像しています。つまり米国占領軍は宮本氏の『殺人犯としての主罪』に目を瞑ったのです。

 1976年2月6日の会談で中曽根氏がそれについての米国政府からのお墨付き(真相)確証を得たのか、否かは定かでありません。しかし、これについての傍証がいくつかあります。まずは、一つ思い出すことがあります。私の亡母がフアンでもあった共産党正森成二氏が米国でのロッキード事件調査から帰国しての羽田での記者会見の第一声で『この醜聞には航空機よりはるかに規模の大きいP3C問題がある。国会では、これを追及したい(大意)』と語っています。しかし、共産党の国会での追及は田中金脈一点張りでありました。もう一つが、1974年の立花論文『日本共産党研究』です。すでに書きましたが、田中角栄氏を叩く右手で共産党を左手でたたいていることです。共産党についての論述は大方真実を衝いていました。当然共産党は、自己の保身のために対処を思いあぐねます。月刊誌『文化評論』に宮本氏の茶坊主であった小林氏(故人)による長大な論文『弱い犬ほど吠える』といった品性のかけらも無い反論が公開されましたがおよそ、説得力にかけるものでした。

 こうした環境の中で、何がしかの中曽根氏からの救済策が共産党に提供されたと想像するのは不自然ではありません。つまり共産党には、『中曽根氏をP3C醜聞で追及せず、角栄氏の航空機醜聞に矮小せざるを得ない、つまり付け込まれても仕方が無い弱点』があったのです。それぞ、まさに宮本殺人事件であったのです。終戦直後に、宮本氏が自らの意図せざる殺人について罪に服していたにもかかわらず、(誰ぞ[=米国占領軍]の手助けを得て)、出獄、および復権を要求せなんだら、後世に生きる私たちは宮本氏の理想に燃えた純粋な心意気を信じたでしょう。しかし、事の経緯は違っていました。殺人の責を全うせず、さらには、殺人を犯しながら復権を執拗に求めた宮本氏、そしてそれを政治的思惑のために、あえて見て見ぬ振りをした当時の日本国支配者米国占領軍の邪な思惑を推測するのです。私は、共産党の変節についてこれまでもいくつか書いてきました(たとえば「松本五郎氏」)。さらにこの際、いくつかこれからも加えておきたいと思います(歴史的検証のため)。こうしてみると、政局にからんだ夫々の政党の利得勘定はそれなりに深いものがあると思います」。

  F氏のこの見解は、れんだいこの分析とハーモニーしている。と云うことは、「ロッキード事件の犯罪本質は寧ろ中曽根にあり、角栄は冤罪である。にも拘わらず、角栄糾弾のロッキード事件として喧伝され、これに日本共産党が加担した。これを陰謀したのも中曽根及び中曽根の背後勢力である」とする観点につき、れんだいことF氏が存在することになった。このことの意義が大きいと思う。

 実は、れんだいこの立論はもっと強烈である。即ち、中曽根により宮顕リンチ事件のアキレス腱が突かれ、ロッキード事件の主犯追撃を中曽根から角栄に捻じ曲げさせられたと看做すよりも、中曽根と宮顕は元々同じ穴のムジナであり一朝事あれば裏同盟し合える仲間であるという前提に立って、中曽根が宮顕のリンチ事件の古傷に言及したところ宮顕が一も二もなく中曽根陰謀に加担したと云うのが実相ではなかろうか。

 これをシナリオしたのが中曽根なのか米国側の奥の院だったのかは定かではない。米国側が宮顕のリンチ事件を持ちだして宮顕率いる共産党を徹底利用すると云う点で陰謀合意したことも十分考えられる。何より反角栄で米国側と中曽根と宮顕の三者の政治的利益が一致していたと推測したい。この互いの政治的思惑の解析も恐怖深いところであるが本稿の趣旨ではないので触れないことにする。

 2012.3.7日 れんだいこ拝

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2012年3月 6日 (火)

法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その1

 2012.3.4日、ネット検索で「法螺と戯言」を見つけた。サイト管理人を仮にF氏と命名しておく。F氏は、れんだいこの宮顕論、リンチ事件考を踏まえた上で更に自身の見聞を加えた価値ある宮顕論を展開している。れんだいこの所説を好意的に言及しているので謝意も込めて確認する。「法螺と戯言」の全文はサイトで確認していただくとして、れんだいこに関わりのある部分、宮顕論上の秀逸な観点に特化して引用し、れんだいこコメントを付けることにする。F氏文を読み易くする為にれんだいこ文法に則り若干アレンジするものとする。腹の足しになる議論を心がけている本稿は合格するだろうか。 

 F氏は、「2010年02月」のブログの「時事ネタ(ロッキード事件)」で次のように述べている。

 「かれこれ40年近く昔の事件になります。あの頃、純粋(言い換えれば無知)な私は、『札束で頬を叩いて意のままにする宰相』についての過度の気嫌いから時の総理大臣田中角栄氏のスキャンダル失脚を好ましく眺めていました。しかし、時の経過の中で、あの事件が角栄氏の政界放逐を目論んだ一大政治陰謀の一場面であったことを知るに至りました」。

 「2010年12月」の「ロッキード事件と中曽根康弘氏(3)」で、当時のF氏のスタンスを次のように述べている。

 「1960年代から70年代にかけて、私は軽薄な左翼学生でありました。そうした軽薄思考の学生には、田中角栄氏と正力ー渡辺恒雄―中曽根氏はどちらも反動右翼であり、抗う対象でありました。前回掲載した簡単な年表に見るように1974年に月刊誌文藝春秋上で立花隆氏が田中角栄氏の金脈に関する連載を開始した際は、『それいけ、それいけ』と喝采したものです。ところが、立花氏は、ロッキード事件が米国上院で議論されるまさにその時期に『日本共産党の研究』と題する連載を開始するのです。共産党信者であった私は、この立花氏の連載に驚くと同時に、この連載は文藝春秋誌のいわば左右バランス感覚のなせるものであったのだろうと自らを納得させたわけです。つまり右の田中を叩き、ついで左の共産党を叩くというわけです」。

 これによると、1970年代までのF氏は「共産党信者であった」ことが分かる。そのF氏が共産党に失望し、のみならず疑惑を抱くようになった経緯が以下に立論されている。これを確認する。

 F氏の「共産党失望から疑惑への経緯」に、朝日新聞2010年2月12日付け(奥山俊宏、村山治)記事「ロッキード事件 『中曽根氏がもみ消し要請』 米に公文書」(米ミシガン州のフォード大統領図書館所蔵 )が大きく関係しているようである。同記事は、ロッキード事件当時の中曽根幹事長の奇妙な言行を暴露している。この文書は1976年2月20日、ジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写しであり、米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管されており、2008年8月に秘密指定が解除されたことから知られるようになった。この記事と共にF氏の「共産党失望から疑惑への経緯」への旅が始まる。

 文書によると、1976年2月4日、ロッキード事件が米議会で暴露され、与野党いずれも政府に真相解明を要求し始めた。2月18日、三木首相は「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。 その日の晩の中曽根の怪しい行動が記されている。中曽根が米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼している。

 中曽根は、三木首相の事件の徹底解明方針とは逆に、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」、「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と発言している。 中曽根の怪しい行動は翌19日の朝にも確認できる。この日、一晩考慮した中曽根は「もみ消すことを希望する」と伝えている。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書かれている。文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明にされている。

 上述の朝日記事を読み流した者は多いが、F氏は、ここから中曽根疑惑の眼を点灯させる。以来、ロッキード事件論、角栄論、中曽根論、宮顕論、日本共産党論、小沢キード事件論、現代政治論へと思考の旅を続けて行くことになる。

 中曽根疑惑につき、「時事ネタ(ロッキード事件(2)」で次のようの述べている。

 「それにしても爆弾級の情報でした。当時、米国にロッキイード事件の調査に行った共産党代議士の正森成二氏が帰国後の談話で、『トライスタ売込みよりもっと巨大な金がP3C対潜哨戒機売込みで動いている』と語っていたことが思い出されます。その額たるや、トライスタ関連での金とは一桁違うといわれていました。この売り込みに日本側で直接に関わったのが中曽根元首相であり、児玉誉士夫であったわけです。だからこそ、中曽根氏は、自分への疑惑を追及されることを防ぐべく、田中角栄氏を人質に差し出し、自分はその罪を免れたわけです。政治とはそういうものとはいえ、その陰湿・悪質な行為は許しがたいものがあります。そして、この超大疑惑に東京地検特捜部はなんら手をつけなかったのです」。

 「2010年09月」のブログの「時事ネタ(ロッキード事件)」で次のように述べている。

 「私は、40数年前の若かりし頃、日本共産党を応援しておりました。この党の躍進後退にかっては、一喜一憂しておりました。この党の代議士に日本国を真に憂い、国民の僕として働くとの気概を、主観的にかぶせ思い込んでいたのです。そして、この党を支えてきた地方議会議員、医師、弁護士などにそうした人材の存在を確かに確認してきました。何人かの国会議員は温かい目を持ち、私の信頼に応える議会活動をされておられました。しかし、全体としては、この組織を束ねる指導部には、日本を米国からの隷従から解き放ち、『国民生活を安定させるための戦術・戦略を構築する』能力と、意欲がないことが判明しました。むしろ、日本を危機に追いやる勢力に『意図』的に加担することでもって生き残りを目論む姑息さを見てきました(詳しくは、いずれ、機会をみて書きます)」。

 何と正確にも、「この組織を束ねる指導部には、日本を米国からの隷従から解き放ち、『国民生活を安定させるための戦術・戦略を構築する』能力と、意欲がないことが判明しました。むしろ、日本を危機に追いやる勢力に『意図』的に加担することでもって生き残りを目論む姑息さを見てきました」と証言している。先に共産党信者であったF氏を確認したが、いつしか共産党に失望と疑念を向け始めたことが分かる。

 「2012年12月」のブログの「中曽根氏の宮本顕治氏についての照会」で次のように述べている。

 「この書類を発見した朝日記者の手によるとおもわれるのが『世界』の論説です。この記事にまことに興味深い表現があるのです。『翌六日、東京にいた国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根が接触した。事前に表敬のために予定されていた接触だったが、話題はロッキードになった。駐日大使館から国務省にその日のうちに送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されていた。それによれば、中曽根がまず触れたのが日本共産党の『スパイ査問事件』だったとされている」。 

 このブログの何が大事かと云うと、F氏が、ロッキード事件勃発最中に中曽根が「宮顕のスパイ査問事件」に言及していることを重大視し、中曽根が何故に「宮顕のスパイ査問事件」に触れたのかにつき正当な疑問を発しているところにある。当該論文を読んだ者は多いのに多くの者は疑問をわかさず通り過ぎている。それに比べF氏は由々しき疑問を感じたと云う訳である。F氏の謎解きの旅の圧巻部分である。

 F氏は、中曽根がわざわざ持ち出した「宮顕のスパイ査問事件」に興味を覚え、同事件の再確認へと乗り出したようである。その結果、共産党の戦前の党中央委員査問致死事件の主犯として収監されていた宮顕の戦後の釈放過程に疑義を唱えている。釈放前は「わずか4ヶ月強とはいえ、宮本氏は網走刑務所に服役中でした」と正しく認識している。「わずか4ヶ月強とはいえ」は、俗説の宮顕神話「網走獄中長期収監説」を一蹴している。その上で次のように述べている。

 「1945.10.4日付けでGHQの「民権指令」により10.10日期限で獄中政治犯の釈放を占領軍は指示し、事実、治安維持法絡みの被告は10.10日に一斉に釈放されました。この時の指示は純正政治犯のみを対象としており、宮顕や袴田のように刑事犯を併合している場合には適用されなかったのです。(レンダイコ氏ブログより、引用)。しかも宮本氏の釈放が一日早い10月9日であることも謎であるとレンダイコ氏は指摘しています」、「レンダイコ氏が指摘するように上記の経過には多くの胡散臭さが残っています。しかし、私が注目するのは、中曽根氏がロッキード事件の『もみけし』に先立って宮本事件に触れていることです」。
 「渡邉恒雄回顧録 ( 伊藤 隆, 御厨 貴, 飯尾 潤 (中央公論新社、2004年))によれば、CIAエージェントとして、いまや日本中に知れ渡っている正力松太郎氏に中曽根氏を引き合わせたのがナベツネであると氏自ら語っています。なにせナベツネは自ら正力氏の走り使いであったと上記本で自慢げに語っているのですから。正力氏、中曽根氏のどちらも警察官僚です。私は、宮本氏にかかわる秘事は当然のことながら中曽根氏に引き継がれているのであろうと想像していました。しかし、どうもそうではなかったようです。もしかすると、CIA 下っ端エージェントの正力氏には宮本氏にかかわる真相・秘事は明かされていなかったのではないか。そして、中曽根氏は自らの鋭い嗅覚で、『宮本復権』に占領米国軍司令部・米国政府がかかわっていたであろう事を察知し、冒頭の質問となったのだろうと思います。

 一方、ナベツネは正力氏との日常の接触から何がしかの感触を得ていたのではないか?それを思わせるに十分な記載が上記の本で触れられています。ナベツネは学生時代つまり東大駒場の共産党新人会で相当の回数宮本氏と遭遇していますが、二人の会話は、いつもスパイ談義なのです。それは、後日の邂逅でも再度、スパイ談義です。当時、ナベツネには不明朗な金の授受からスパイの嫌疑をかけられていました。ナベツネは自らのススパイ嫌疑にかこつけて、宮本氏の秘事を署ルんでいると暗に揺さぶりをかけていたのではないかと思われるのです。1970年代、この事件の顛末は皆さんも知るとおり、共産党の『田中角栄たたき』に結実したのです」。

 ここで、れんだいこが登場している。これにより、F氏が、れんだいこの日本共産党論、宮顕論、不破論を読んでいることが分かる。その上で、れんだいこの立論に共感していることが分かる。このことが「れんだいこ検索」にヒットし、れんだいこがF氏を知るきっかけになり、れんだいこがお返しの本ブログを書いていると云う次第である。情報はかくして世界を回り戻りつ又回ると云うことが分かり興味深い。

 F氏は、「時事ネタ(ロッキード事件(2))」で次のように述べている。

 「前回の記事に、このブログを読んでくださっている方から質問やら、コメントやらをいただきました。まずはレンダイコとは何か?という質問です。レンダイコとは下記のホームペイジ上で鋭い政治評論をなされている方です。http://www.gameou.com/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron.htm れんだいこ氏の本名、生い立ちについて、私は何も知りません。しかし、氏の宮本顕治論は、広い資料および文献の渉猟が窺われ、それに基づく深くかつ論理的考察には大きな説得力があり、引用しました」。

 これによれば、無名のれんだいこの所説を引用する意図が訝られ質問されたようである。その返答として、「氏の宮本顕治論は、広い資料および文献の渉猟が窺われ、それに基づく深くかつ論理的考察には大きな説得力があり、引用しました」と答えていることになる。御立派である。れんだいこが有名無名に拘わらず、れんだいこ立論に値打ちがあり、値打ちがある以上紹介すると開き直っている公正さが素晴しい。今でこそれんだいこは「検証学生運動上下巻」の執筆者として知る人ぞ知るの半有名人になっているが、この当時はもっと無名である。無名の人物の所論を紹介するのは勇気のいることである。感謝申し上げたい。この後に更に素晴しいれんだいこ好評価の弁を開陳してくれているが、それはそのケ所で確認することにする。

 2012.3.6日 れんだいこ拝

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