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2012年3月 9日 (金)

法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その4

 かくてF氏は宮顕疑惑を満開させるに至った。「宮本氏の疑惑(1)(原水爆禁止運動への分裂策動)」で次のように述べている。

 「敬愛する『レンダイコ氏』(私は一面識もないのですが)、は膨大な資料分析の上に立って、『宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した“工作者(スパイ)”であった』との結論を導きました。宮本氏自身にとっても、氏を指導大幹部として戴く日本共産党にとっても、それは、『査問による過失致死、死体遺棄』をはるかに凌駕する大スキャンダルです。共産党の瓦解に直結しかねない醜聞でもあります。当時はまだ、中央委員会議長(当時)野坂参三氏がソビエト時代のロシアでスターリンに日本共産党員を密告したとの事件はいまだ明らかになっていません。

 中曽根氏は、鋭い嗅覚によったのか、それとも親分であるCIAエージェントであり且つ元特別高等警察課長の正力松太郎氏からの示唆があったのかどうかは定かでありませんが、宮本氏に関する胡散臭い情報の確認を米国大使館日本部長との会談で持ちかけました(月刊「世界」一月号)。そして、共産党は、中曽根氏と米国日本部長との会談に震え上がります。当然の帰結として、中曽根氏と宮本氏との間に何がしかの取引があったと想像されます。その傍証の一つが、田中角栄氏に対する執拗な『政治と金』を理由とした攻撃です。そして、ご承知のように、大幅な党勢後退をかこつ現時点ですら、田中氏の政治的系譜につながる小沢一郎氏にデマを交えた執拗な攻撃を展開しています。

 さて、宮本氏が、獄中にあった時点で官憲の手先であったとすると、1945年10月の釈放、翌年の復権証明交付に合点がゆくことをすでに書きました。宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです。実際、戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」。


 F氏はここではっきりと「宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した工作者(スパイ)であったとの結論を導きました」と語っている。続いて「宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです」として、「戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」と問い、宮顕及び宮顕率いる共産党の不審な活動履歴の検証に向かい始めている。

 「そこで、まず、第一に取り上げるのは、原水爆禁止運動への分裂策動です」と述べ、以下、戦後日本の原水禁運動に果たした宮顕率いる日本共産党の分裂策動を縷々検証している。「2011年02月」の「「いかなる国」問題」の末尾で次のように述べている。

 「日本共産党性善観を捨てきれていないかに見える浅井基文氏とは異なり、私は、原水爆禁止運動に分裂を持ち込むことが宮本顕治氏に米国が課したミッションであったと考えています。分裂策動をもっと説得的(欺瞞的に)に主張したかったあの時点で、『いかなる国』問題は、分裂を正当化したい宮本顕治氏に格好の援護射撃となったと、私は考えています。言葉を変えれば、1960年代、世界で唯一の被爆国日本で、思想の左右を問わない全国民一致した『原子爆弾核兵器廃絶』の主張は、核兵器開発をすすめる米国および当時のソ連邦にとって座視できない大きな障害であったのだと思います(その事情はすでに第五福竜丸に関連した記事で書きました)。その障害の壁の高さの半分を切り落とす役割を宮本顕治氏は担わされ、『見事に』それを果たしたのです。そして、浅井氏も次回紹介するブログで半ばそのことを認識しておられるように思えます」。

 「部分的核実験禁止条約」で次のように述べている。

 「私自身は、この条約は地上の人類の命と健康を守るという視点からは、大きな第一歩であったと考えています。1960年代初め、いわば核大国にとっては誰にも邪魔されず核兵器の殺戮能力、破壊能力を磨き上げるために、したい放題でありました。しかし、世界の圧倒的多数の持たざる庶民は、この生命を本源的に破壊する核兵器に強い嫌悪感を示し、廃絶を大きな声で求めていました。米英ソがこの時期にこうした条約を合意した背景には、あわよくば核兵器を三国で独占し、他の国にはそれを持たせないことで以って他国に対する軍事的優位を保とうとの思惑があったでしょう。しかし、すでに書いたように、この条約で、放射能物質が直接に人体に害をなすことを激減させ得ることも事実なのです。

 このとき、宮本顕治氏が率いる日本共産党は、この条約が部分的であるがゆえに、核廃絶の一歩足りえないとして、猛烈に反対したのです。共産党の反対論拠はまさにこの一点だったのです。この強烈な反対は、日本共産党内にまず大きな分裂をもたらします。生え抜きの、獄中十数年、厳しい拷問を繰り返し受けたため片耳が聞こえなくなっていたという志賀義雄氏と氏に同調する参議院議員がソ連派分派を党内に形成したとして激しい罵倒を浴びつつ除名されました。不破氏が語る共産党史は、この部分核停にかかわるいくつかのエピソードを例証しつつ、『日本共産党のソ連共産党からの干渉に対する勇気ある拒絶』として描き出します。そしてこれが、契機となり、共産党は『自主独立』を党是として訴えるようになります。不破氏が語るこの時期の党史では、部分核停についての注意深い分析はほとんど無く、ひたすらソ連共産党の干渉・介入への反発にほとんどの語が費やされていることがわかります。

 当時の日本共産党の主張に一貫して欠落するものは、『三大核大国が、自ら人体に害をなす実験を中止することを決意させたのは、世界の人々の強烈な反核要求におされた』、言い換えれば世界の人々、とりわけ被爆国日本での思想の左右を問わない全国民的な日本国民の戦いの成果でありそれへの評価であったと思います。何がしかの意図から、そうした全世界人民の要求を、日本共産党は軽視ないしは無視したのだと私は思っています。そうした軽視・無視を反映して、日本国の原水爆禁止運動にも多大な影響を与えています。部分核停を是とするか否とするかで運動内に意見の違いが生じてしまったのです。原水爆禁止運動を日ソ共産党の対立に置き換えてしまうことでもって、日本の原水爆禁止運動の分裂の萌芽が生じたのです。そして、翌年、事態を一層複雑にする新たな事件が起きました
」。

 2011年03月」の「「いかなる国」問題(最終回)」末尾で次のように述べている。

 「前回書いたことの繰り返しになりますが、世界で唯一の被爆国である日本、その日本で思想・信条の違いを超えた全国民の一致した核兵器廃絶の主張は、核兵器保有国には極めて鬱陶しいものであったはずです。だからこそ、それをなだめるべく第五福竜丸事件では大金を日本に供与するなど、日本の世論に神経質であったのです。と、同時にこの一致した日本国での主張・声を分断するべく核保有国からさまざまな働きかけが日本の原水爆禁止運動にあったのだろうと思います。従って、そうした働きかけに乗ぜられたのが日本共産党だけであったなぞと、言うつもりはありません。総評にも、宗教団体にもあったのでしょう。その働きかけに乗り、ことさら異を唱えるグループもあったのかもしれません。

 しかし、私が、長々と書いてきたことは、『共産党もこうした働きかけに乗せられ、結果として原水爆禁止運動分裂に加担した』という視点は誤っているということです。むしろ、分裂させる口実を探していたのです。その口実として、部分核停への評価にことさら異をたてたのです。その不自然さを取り繕うべく、ソ連邦共産党の介入をことさら強調しているのが、志位演説なのです。こうして、共産党は、原理原則を建前として、見事に米国戦争勢力の思惑に自らを適合させていったのです。まさに、1945年10月に、殺人犯である宮本顕治氏を保釈したことの見返りを戦争勢力核保有国は、ここに得たのです」。


 F氏は次に、「宮本顕治氏が米国と日本の支配勢力の走狗であったもう一つの証である(と、私が考えている)、「新日和見主義」事件の問題を次に考えてみたいと思います」と述べている。実際には割愛されて、「2011年06月」の「『共産党の余命3年』論」で次のように述べている。

 「宮本顕治氏の日本共産党破壊活動の検証として1970年代に共産党青年部(民主青年同盟、通称『民青』)を襲った新日和見主義批判なるものを考察しようと考えていました。しかし、その後、日本の政治状況に関心が移り、なかなか考察を開始できずにいました。そんな折、一週ほど前に、以下に転載するような議論がネットをにぎわしました。いささか、旧聞に属しますが、この類はコピペをしておかないと、消えてしまうと思い全文を以下に転載します。これを書いた論者がどういう方なのか私は知りません。しかし、的を射た指摘に満ちており、私も大いにコメントをしたいのですが、腱鞘炎余後という事情のため、それは後日にします」。


 こう記した後、日本共産党の党員推移状況、赤旗の紙数推移状況、苦しい財政状況を解析した上で次のように確認している。

 「日本共産党中央委員会は、政治資金報告書に記載義務のある財政数字以外はひた隠しにしているため、現在どれだけの資産が残っているのかは不明である。だが、余裕がなくなりつつあるのは確かだ。すでに地方機関では、赤字に耐えかねて専従職員の解雇まで行われている」。


 末尾を次のように述べて締め括っている。

 「もちろん党内でも危機感は強い。2013年の参議院選と都議会選を乗り切れるか。年に2の大型選挙をやれる財政的体力など、もはやない。しかし、選挙は放棄できない。崩壊を先送りにするには、赤字を垂れ流す日刊のしんぶん赤旗の発行停止と政党助成金の受け取りしかない。しかし、歴史と伝統のある赤旗の発行停止はこれまで外部に隠してきた党の危機を世に知らしめることになる。政党助成金も、受け取る他党をさんざん批判してきたのだ。今さら受け取れば、やはり財政危機を世間に公表することになる上に、党員の誇りをも奪い取る。想像してほしい。これまで党員は政党助成金を「『思想及び良心の自由』を踏みにじる憲法違反の制度」であり『政党を堕落させる腐食源』とまで言ってきた。そんな党が政党助成金をもらってしまえば、党員は支持者に合わせる顔がない。そうなれば、いくら党に忠実だった党員でも指導部の責任を追及するであろう。

 日本共産党はこれまで党本部は常に正しいとして、いくら選挙で負け続けても指導部は責任を問われなかった。それが初めて、党指導部の責任を問われることになる可能性が極めて高い。この恐怖感が、党の対応を遅らせている。いや、対応がされないままにしていると言っても過言ではない。タイトルの『余命3年』は決して大げさな煽り言葉ではない。今、我々は日本共産党史の最終章をリアルタイムで目撃している
」。

 「共産党余命3年論」は興味深い。但し、この問題の深刻さは次のことにある。仮に共産党が3年後に解党したとして、現下の宮顕―不破系党中央は痛苦煩悶するだろうか。ここが肝腎なところである。実際は逆で、表向きはともかく裏では、去る昔の六全協での宮顕の党中央登壇で始まった日本共産党変質化の成功裡の完結として祝意し合うのではなかろうか。なぜならそういう請負こそが彼らの仕事だったからである。夢にもそのような仕掛けを思わない純朴党員は哀れである。党員ばかりではない、この間、日共の変質をマルクス主義の教条文を引き合いに出しながら説いて回った諸家が無数と云えるほどいる。しかし、日共の変質、その後の緩慢なる解体を請負として引き受けている党中央問題として捉えない批判の薄っぺらさを恥ずべきではなかろうか。彼らの尤もらしい批判なぞ日共産党中央には馬の耳に念仏に過ぎなかったのではなかろうか。こういう場合、日共の変質を説いて回った諸家こそ当人の自負とは別に無能と評されるべきではなかろうか。そういう批判は諸家の単なる自己悦楽に過ぎないとも評せるのではあるまいか。

 もう一つ。日本共産党の台所事情がそれほど苦しいとしたら、どうしても関心を払わねばならない次の疑問が出てくる。日共式選挙運動の特徴として全選挙区に立候補させる戦略戦術を採用して今日に至っているが、この間の供託金没収は一体幾らになっているのだろうか。天文学的な金額に及んでいる筈である。党財政が苦しいのに何故に供託金お供えが続くのか。この奇怪を問わねばなるまい。

 没収金は企業会計で云えば純利の吐き出しである。如何なる優良企業でも負担に耐えない純利の吐き出しを為し得る秘密は何なのか。その金はどこから工面されているのだろうか。果たして党員、支持者の個人献金だけで賄っているのであろうか。案外と政治とカネを廻って「キレイ潔癖清潔」を売りにして来た共産党が裏で怪しい資金ルートを持っていると云うことになりはしまいか。この不正を誤魔化す為に去る日に、党会計のチェックを従来の中央委員会預かりではなく幹部会預かりにしたと云う規約改正が必要だったのではなかろうか。この秘密が暴露された時、この党が終わるのではなかろうか。それでも続くとしたらお化けであろう。

 2012.3.9日 れんだいこ拝

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