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2012年5月12日 (土)

第一章 倫理体系としての武士道(Bushido as an Ethical System)

 武士道(Chivalry)は日本の国土に咲く固有の花であり、それを象徴するのは桜である。それは我が国の歴史の標本として保存されている古代の徳の干乾びた見本ではない。武士道は今なお我々の中に力と美の活ける対象として生き続けている。それは触れて感知できるような姿や形を帯びていないが、道徳的雰囲気の香気であり、我々をして今なおその効能呪文下にあることを自覚せしめている。

 それを生みかつ育てた社会状態が消え失せて既に久しい。しかし、かって存在し今はなき遠き星たちがなお我々の上にその光線を投げ続けているように、封建制度の子たる武士道の光は今なお我々の道徳の道を照らしており、その母たる制度を生き残らせている。この問題をパークの言語(英語)で言及し得ることは私の愉快とするところである。バークは、ヨーロッパ的規範である騎士道が棺桶に納められ顧みられざりし時に、騎士道を感動的に称賛し続けていることで衆知されている人である。

 ジョージ・ミラー博士の如き学識の深い学者が、騎士道もしくはそれに類似の制度は、古代諸国民もしくは現代東洋人の間にはかって存在しなかったと躊躇なく断言しているとあらば、極東に関する悲しむべき知識の欠乏が明らかである。しかしながら、このような無知はおおように(amply)見過ごしても良い。なんとなれば、この善良なる博士の著書の第三版が発行されたのはペリー提督が我が国の鎖国主義の戸を叩いていたのと同じ年であるからである。

 その後十年以上を経て、我が国の封建制度が最後の息を引き取ろうとしていた頃、カール・マルクスは、その著「資本論」に於いて、封建制の社会的政治的諸制度研究上の特殊の長所(advantage)に関し、当時封建制の活きた形はただ日本に於いてのみ見られると述べて読者の注意を喚起した。私も同様に西欧の歴史及び倫理研究者に対し、現代日本に於ける武士道の研究へと誘ってみたい(invite)と思う。

 ヨーロッパと日本の封建制及び騎士道間の歴史的な比較論は興味あることではあるが、これを詳細に亘って立ち入ることは本書の目的ではない。私の試みはむしろ、第一に我らが騎士道の起源及び淵源、第二にその特性及び教訓、第三にその民衆に及ぼしたる感化、第四にその感化の継続性、永久性を述べることにある。これら諸点の中、第一はただ簡単かつ大急ぎに述べるに止める。私は、読者をば、我らが国史の紆余曲折せる小路にまで連れ込むことになるであろう。第二の点はやや詳細に論じよう。けだしそれは国際的な倫理学及び比較政治学の研究者をして、我らが国民の思想及び行動の手法について興味を覚えしめるだろうからである。残りの点は余論として取り扱うことになるであろう。

 私が大雑把にシヴァリ―(Chivalry)と訳した日本語は、その語源に於いて騎士道(Horsemanship)と訳すよりも多くの含蓄がある。武士道(Bu-shi-do)は、字義的には闘う貴族たる武士がその職業に於いてと同様に日常生活に於いても仕える道である軍人的騎士道を意味している。これを一言で云えば、「騎士の掟(Precepts)」即ち武門としての「誇り高き義務」(ノーブレス・オブリージュ noblesse oblige)である。かく字義を明らかにした以上、これからこの語を原語で用いることをお許し願いたい。

 原語を用いることは又次の理由からも都合が良い。即ち、かくも究極的にかつ独自的にして、精神と性格の或る鋳型(cast)を生み出し、それがこれほど特殊的にして地方的なるものである教程は、その特殊性の記章(badge)を面上にも帯びておらねばならない。それ故、幾つかの用語は、民族的特性を極めて印象的に表現する国民的な音色を持っている。それは、最善の翻訳者をしても、その真(justice)を写しだす(scant)ことは困難である。敢えて為せば却って(positive)不正不満なものにしてしまう。誰か、ドイツ語のゲミユ―ト(Gemüth)の意味を能く翻訳し得ようか。あるいは、英語のゼントルマン(gentleman)とフランス語のジャンティオム(gentilhomme)とは言語的に極めて近接しているが、この二つの言葉の持つ味の差を感じない者があるだろうか。

 武士道は道徳的諸原理の法典(code)であって、騎士が遵守すべきことを要求され、もしくは指導されているものである。武士道は成文化された法典ではない。せいぜい数十年数百年に亘って口伝により、もしくは数人の有名なる武士もしくは学者の筆に由来するものである。むしろそれは語られず書かれざる法典である。ほとんど全てが極められた功業からなる力強い規定法(sanction)となっている。不言不文であるだけ新鮮に心に銘板(tablets)されている。それは、いかに有能なりといえども一人の人の頭脳により紡ぎだされたものではない。いかに著名なりといえども一人の人物の生涯に依拠するものではない。それは、数十年数百年に亘る武士の実践(career)から汲みだされたものが組織的に(organic)発達したものである。

 恐らく、道徳史上に於ける武士道の地位は、政治史上に於けるイギリス憲法の地位と同じであろう。しかるに、武士道には大憲章(Magna Charta)もしくは人身逮捕状(Habeas Corpus Act)に比較すべきものさえないのである。17世紀初めに武家諸法度が制定されたのであるが、その13カ条は主として婚姻、居城、同盟等に関するものであって、教訓的な規定はほんの僅かだけ触れられているに過ぎない。それ故に、我々は明確な時と場所を示して、「ここに武士道の源泉がある」と云うことができない。

 それは封建時代に於いて自覚せられたものであるから、その起源は、時に関する限り封建制と同一であると見て良かろう。しかし、封建制そのものが多くの糸(threads)によって織り成されているのであり、武士道もその錯綜せる性質を分かち合っている。イギリスに於ける封建制の政治的諸制度はノルマン征服の時代に発していると云われるが、日本に於いても、その勃興は12世紀末の源頼朝の制覇と時代を同じくしていると云い得るであろう。しかしながら、イギリスに於いて、封建制の社会的諸要素は遠く征服者ウイリアム以前の時代に遡(さかのぼ)るが如く、日本に於ける封建制の萌芽(germs)も又上述の時代より遥か以前より存在していたのである。

 もとへ。ヨーロッパに於けるが如く日本に於いても、封建制が公式に始まった時、武門の専門階級が自然に勢力を得てきた。これらの人たちは侍(サムライ)として知られた。その字義は、古英語のク二ヒト(cniht、knecht, knight)と同じく、衛者又は従者を意味している。彼らは、その性質に於いて、カエサル(Caesar)がアクティタ二アに存在すると記録しているソルデュリィ(soldurii)に似ている。あるいは、タキトウスによるところのゲルマンの首長に随従するコミタティ( comitati)に似ている。あるいは、更に後世に比を求めれば、ヨーロッパ中世史に現われるミリテス メディイ(milites medii )に似ている。日本的用語では「武家」もしくは「武士」(戦闘騎士)と云う漢字が常用された。

 彼らは特権階級であり、元来は戦闘を職業とする粗野な素性(すじょう)であったに違いない。この階級は、長期間に亘る絶えざる戦闘を繰り返すうちに、勇敢にして最も冒険的な者の中から次第に抜擢された。しかして淘汰の過程の進行に伴い、軟弱な者、無礼な者が選り分け間引かれた。エマーソンの文句を借用すれば、「全く男性的で、獣の如き力を持つ粗野なる種族」だけが生き残り、これがサムライの家族と階級とを形成することとなった。

 大なる名誉と大なる特権と、従ってこれに伴う大なる責任とを持つに至ると、彼らは立ち居振る舞いの共通基準の必要を感じるようになった。殊に彼らは常に交戦者たる立場にあり、かつ異なる氏に属するものであったから、その必要は大であった。あたかも医者が医者仲間の競争を職業的礼儀によって制限する如く、弁護士が作法を破った時は査問法廷に出なければならぬ如く、武士も又彼らの不行跡についての最終審判を受くべき何かの基準を持たなければならなかった。

 戦闘に於けるフェア・プレイ!、そこには、道徳の豊かなる萌芽が野蛮と小児らしさのこの原始的なる感覚のうちに宿っている。これが、あらゆる文武の徳の根本なのではなかろうか。我々は、(我々がそういう願いを抱く年輩を通り過ぎてしまっただけに)、小イギリス人トム・ブラウンの子供らしい願い即ち「小さい子をイジメず、大きな子に背を向けなかった者と云う名を後に残したい」を聞いてほほ笑む。けれども、この願いこそ、その上に偉大なる規模の道徳的建築物を建てうべき隅の要(かな)め石であることを、誰か知らないだろうか。私が、柔和家にして最も平和を愛する宗教でさえ、この願望を裏書きしていると云えば、云い過ぎだろうか。このトムの願いが、イギリスの偉大なものの過半を打ち立てている基礎となっている。しかして、武士道の立つ礎石もこれより小なるものでないことを発見するのに長い時間を要さないだろう。

 戦闘そのものは攻撃的にせよ防御的にせよ、クェーカー教徒の正しく証明する如く、野蛮にして不正であるにしても、我々はレッシングと共に云い得る。「我らは、我々の徳が至らぬところから徳が起ることを知っている」と。「卑劣」と云い「臆病」と云うは、健全にして一本気な気性の者に対する最悪の侮辱の言葉である。少年は、こういう観念をもって生涯を始める。武士も又然り。しかし、人生の裾野を広げ、その関係が多方面となるや、初期の信念は、己を正当化し満足し発展せしむる為により高き権威並びにより合理的なる淵源による確認を求めるようになる。もし、ひたすら戦闘の利益のみが追及され、より高き道徳的支持を求めることがなかったとすれば、騎士の理想は騎士道に遥か及ばざるものに堕したであろう。

 ヨーロッパに於いては、キリスト教が、騎士道にあつらえ向きの便宜さで解釈し、それにも拘わらず霊的デ―タを染み込ませている。「宗教と戦争と栄誉は、完全なるキリスト教騎士の三つの魂である」とラマルティ―ヌは云っている。日本に於いても似たり寄ったりだろう。

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