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2012年5月15日 (火)

第八章 名誉(HONOR)

 さて今度は、騎士道の掟の特徴について暫くの間足を止めてみよう。名誉の感覚は個人の尊厳と価値の明白なる自覚を含む。従って、かの生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権を重んずるを知り、かつその教育を受けているサムライを特色づけずしては措かなかった。今日では、「Honor」は「名誉」と訳され通常に用いられるているが、自由に使用されていなかった。その概念は、「名」(name)、「面目」(countenance)、「外聞」(outside hearing)等の語によりて伝えられた。

 これらは、それぞれ聖書に於いて用いられる「名」(name)、ギリシャ語の面から出た「人格」(personality)と云う語及び「名声」(fame)を連想せしめる。善き名、即ち人の名声、即ち「人自身の不死の部分、これなくんば人は禽獣である」は、その潔白に対する如何なる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととした。そして、廉恥心は、少年の教育に於いて養成せられるべき最初の徳の一つであった。

 「笑われるぞ」、「体面を汚すぞ」、「恥ずかしくないのか」等は、非を犯せる少年に対して正しき行動を促す為の最後の訴えであった。少年の名誉心に訴えることは、あたかも彼が母胎の中から名誉をもって奪われていたかの如く、彼の心情の最も敏感なる点に触れたのである。けだし、名誉は強き家族的自覚と密接に結ばれているが故に、真に出生以前の感化である。バルザック曰く「社会は家族の連帯を失ったことにより、モンテスキューが『名誉』と名付けし根本的の力を失った」と。実に、羞恥の感覚は、人類の道徳的自覚の最も早き兆候であると、私は思う。

 「禁断の木の実」を味わいし結果、人類に下りし最初且つ最悪の罰は、私の考えでは、子を生む苦しみでもなく、荊(いばら)と薊(あざみ)とでもなく、羞恥の感覚の目覚めであった。最初の母(イブ)が騒ぐ胸震う指もて、憂いに沈める夫の摘みて与える数葉のイチジク(無花果)の葉の上に粗末なる針を運ぶ光景に優りて、悲しき歴史上の出来事はない。この不従順の最初の実は、他に及ぶものなき執拗さをもって我々に固着している。人類のあらゆる裁縫技術も、吾人の羞恥感を有効に蔽(おお)うに足るエプロンを縫うのに未だに成功していないのである。

 或るサムライ(新井白石)の言や然りである。彼は、その少年時代に於いて軽微なる屈辱による品性の妥協を軽蔑し、「不名誉は樹の切り傷の如く、時はこれを消さず、却ってそれを大ならしめるのみ」と述べている。孟子が、カーライルの言「恥は全ての徳、善き風儀並びに善き道徳の土壌である」と言ったことをば、彼に先立つ数百年にして、ほとんど同一の文句「羞恥の心は、義の端(はじめ)也」をもって説いている。我が国文学には、シェイクスピアがノ―フォークの口に吐かしめたる如き雄弁は、これを欠くが、それにも拘わらず恥辱の恐怖は甚だ大であって、ダモクレスの剣の如くサムライの頭上に懸(かか)り、しばしば病的性質をさえ帯びた。

 名誉の名に於いて、武士道の掟上、何らの是認を見出し得ざる行為が遂行された。極めて些細なる否想像上の侮辱によっても、短気なる慢心者は立腹し、たちまち刀に訴えて多くの無用なる争闘を惹き起こし、多くの無辜(むこ)の生命を奪った。或る町人が、一人の武士の背にノミが跳ねていることを好意を持って注意したところ、立ちどころに真っ二つに斬られたと云う話がある。けだしノミは畜生にたかる虫であるから、尊き武士を畜生と同一視するのは許すべからざる侮辱であると云う簡単且つ奇怪の理由による。

 が、かかる話は余りに馬鹿馬鹿しくて信じかねる。しかし、かかる話の流布したことには三つの意味が含まれている。1・平民を畏怖せしめる為に作られたこと。2・武士の名誉の身分に実際に乱用があったこと。並びに3・武士の間に極めて強き廉恥心が発達していたこと。これである。不正常なる一例をとって武士道を非難することの明白に不公平なるは、キリストの真の教訓をば宗教的熱狂及び妄信の果実たる宗教裁判及び偽善から判断するのに異ならない。しかし、凝り固まりの宗教狂にも、酔漢の狂態に比すれば、何ものか人を動かす高貴さのある如く、名誉に関するサムライの極端なる敏感性の中に、純粋なる徳の潜在を認め得ないだろうか。

 繊細なる名誉の掟の陥り易き病的なる行き過ぎは、寛大及び忍耐の教えによって強く相殺された。些細な刺激によって立腹するは、「短気」として嘲(あざけ)られた。諺に曰く「ならぬ堪忍するが堪忍」と。偉大なる家康の遺訓の中に次の如き言葉がある。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。(中略)堪忍は無事長久の基い。(中略)己を責めて人を責めるな」。彼は、その説きしところを自己の生涯に於いて実証した。或る狂歌師が、我が歴史上著名の三人物の口に各々の特徴を示す次の句を吐かせた。信長には、「鳴かざれば殺してしまえホトトギス」、秀吉には「鳴かざれば鳴かせてみようホトトギス」、しかして家康には「鳴かざれば鳴くまで待とうホトトギス」。孟子も又忍耐我慢を大いに推奨した。或る場所に於いて、彼は、「汝、裸体となって我を侮辱するとも、我に何かあらん。汝の乱暴によって我が魂を汚す能わず」との意味のことを書いている。又他の所に於いて、「小事に怒るは君子の恥じるところにて、大義の為の憤怒は義噴である」ことを教えた。

 武士道が如何なる高さの非闘争的非抵抗的なる柔和にまで能く達し得るかは、その信奉者の言によって知られる。例えば、小河(立所)の言に曰く、「人の誹(そし)るに逆らわず、己が信ならざるを思え」と。又、熊沢(蕃山)の言に曰く、「人は咎むとも咎めじ。人は怒るとも怒らじ。怒りと欲とを捨ててこそ常に心は楽しめ」と。今一つの例を、彼の高き額(ひたい)の上には「恥も座するを恥ずる」西郷(南洲)から引用しよう。曰く「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する心を持って人を愛するなり。人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くせ。決して人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と。 これらの言は、吾人をしてキリスト教の教訓を想起せしめ、しかして実践道徳に於いては自然宗教も如何に深く啓示宗教に接近し得るかを吾人に示すものである。以上の言は、ただに言葉に述べられたるに止まらず、現実の行為に具体化された。

 (注)西郷(南洲)の言は次の通り。「道は天地自然の物にして、人はこれを行なふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」

 寛大、忍耐、仁恕(じんにょ)のかかる崇高なる高さにまで到達したる者の甚だ少数であったことは、これを認めなければならぬ。何が名誉を構成するかについて、何ら明瞭且つ一般的なる教えの述べられなかったことは頗(すこぶ)る遺憾であった。ただ少数の知徳秀でたる人々だけが、名誉は「境遇より生ずるのではなく」、各人が善くその分を尽すにあることを知った。けだし、青年は彼らが事なき時に学びし孟子の語をば、行動に熱する時、極めて容易に忘れてしまった。この賢哲曰く、「名誉を愛するは全ての人の心にあり。しかし、本当に名誉的であるものは彼自身に宿っており他にはどこにもない。人が授与する名誉は善き名誉ではない。趙孟(ちょうもう)の貴くするところは、趙孟能くこれを賤(いや)しくす」。概して、侮辱に対しては、直ちに怒りを発し、死をもって報復せられたことは、後に述べるが如くである。

 これに反し、名誉は、しばしば虚栄もしくは世俗的称賛に過ぎざるものも、人生の至高善として尊ばれた。富にあらず、知識にあらず、名誉こそ青年の追い求めし目標であった。多くの少年は、父の家の敷居を越える時、世にい出て名を成すにあらざれば再びこれを跨(また)がじと心に誓った。しかして、多くの功名心ある母は、彼らの子が錦を着て故郷に帰るにあらざれば再びこれを見るを拒んだ。恥を免れ、もしくは名を得る為には、武士の少年は、如何なる欠乏をも辞せず、身体的もしくは精神的苦痛の最も厳酷なる試練にも耐えた。少年の時に得たる名誉は、齢(よわい)と共に成長することを、彼らは知っていた。

 大阪冬の陣の時、家康の一人の若き子(紀井頼宣)は先鋒に加えられんと熱心に懇願したるに拘わらず、後陣に置かれた。城の落ちし時、彼は甚だしく失望して激しく泣いた。そして、一人の老臣があらん限りの手を尽して彼を慰めんと試み、「今日御手に御あいなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代にはかようの事、幾度も御ざるべく候」と諌(いさ)めしに、頼宣は、その老臣に向い怒りの眼を注いで、「我ら13歳の時の又あるべきか」と言ったと云う。もし名誉と名声が得られるならば、生命そのものさえも廉価と考えられた。それ故に、生命よりも高価であると考えられる事が起きれば、極度の平静と迅速とをもって生命を捨てたのである。如何なる生命をこれが為、犠牲にするとも高価なるに過ぎずととせられし事由の中に忠義があった。これは封建の諸道徳を結んで一の均整美あるアーチと為したる要(かなめ)石であった。

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