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2012年5月 2日 (水)

新渡戸稲造「武士道」考その1

 2012年4月頃、不意に新渡戸稲造の「武士道」を読みたくなった。直接的契機としては目下の政治の不作が介在している。それまでの自公政権も酷かったが、2009衆院選で政権の座に就いて以来現在に至るまでの民主党政権、及びそれを担う諸大臣の余りにもな異邦人性(これは売国奴とも云い換えられる)、粗脳無責任政治に食傷させられていることによる。日本人の伝統的な政治の型と余りにも違い過ぎることに呆れ、そういう結果として逆に武士道精神が恋しくなり、それを訪ねたくなったと云う事情がある。

 もう一つ、このところユダヤ教ネオシオニズムの研究をしているが、彼らのイズムの真逆にあると思われる日本精神の精華としての武士道精神を確認したくなったと云う理由もある。そういう訳で、新渡戸稲造の「武士道」が読みたくなった。新渡戸稲造の「武士道」が、日本の武士道を如何に捉えているのか、これと対話したい。

 問題は、これをネットで読もうとしたら、どう検索しても出てこないことにある。ほんの一部が解説混じりでサイトアップされている程度のものでしかない。それも、どこまでが原文でどこからが評者の付け足し文なのか分からない。原文訳が正確であるかどうかも分からない。補足しておけば、英文では公開されている。例えば「http://www.gutenberg.org/files/12096/12096-h/12096-h.htm#PREFACE2" 」がそれである。英文で公開されているのものが日本文では為されていない。こういうことがいつまでも許されることだろうか。

 こういう経験はマルクス主義文献の時にも味わっている。こういう例はまま認められるということであるが決してフェアではないと思う。マルクス主義に話を集中すれば、マルクス主義者であろうと批判者であろうと、まずは原文ないしは極力正確な訳文を読んで知識を獲得するのが前提であろう。議論はそれからの話であるのに、この方面が進んでおらず、故に「もどき」の知識を詰め込んで喧々諤々しているが実際である。ナンセンスと云わざるを得ない。れんだいこの学生運動時代、その程度の知識の「もどき」派に何度「お前は学習が足りない」と云われたことか。

 嫌な思い出の一つである。悪いけど、れんだいこの知性はそういうレベルでは納得できない。生のある間中は極力実際のものを踏まえて弁証していきたいと思う。「もどき」の知識で知ったかぶりして相手を追い詰めるなんて芸当は真似できないし金輪際したくもない。原文原意を踏まえたならば「もどき」派よりももっと旺盛な議論を展開したいと思う。「もどき」派にはもう一つ特徴がある。入り口段階でわざわざ小難しくする癖がある。そこで賢こぶられるのであるが辟易させられるものでしかない。そういう暗雲を一気に晴らす妙薬はないものだろうかと常々思っている。

 もとへ。そこで、ネット検索で古書店より原書を取り寄せることにした。誰もやらないなら、れんだいこがいつものようにサイトアップしておこうと思う。(実際にはネットで購入しようとしたところカードでなくては支払えない云々で、カードを持たないれんだいこは街の書店で購入した)

 最近は、糞著作権野郎によって情報閉塞化が激しくなりつつある。ご丁寧にも先進国では当たり前の権利であると講釈聞かされる。ところが、その先進国では既に行き過ぎの著作権に対して揺り戻しが起りつつあるのがお笑いである。それはともかく、我々は、著作権規制強化の動きに対抗して、埋もらせてはならない名文、名品を逆に公開して共有化しておく必要がある。著作権規制を廻って両派が抗争していると思えば良い。当然、れんだいこは後者であり、これまでもこれと思う書物のサイトアップをしてきた。ここに新たに新渡戸稲造の「武士道」を加えることにする。

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