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2012年5月11日 (金)

序文(Preface)

 凡そ10年ほど前のこと、ベルギーの法学者ラヴレーの家で歓待を受け数日を過ごした。或る日、一緒に散歩をしている時に宗教の話題になった。「えーとそれは、あなたがたの学校には宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか?」と、この尊敬すべき教授に尋ねられた。私が「日本には宗教教育がありません」と答えたところ、教授は驚いて突然歩を止め、「宗教なしですって。それでは一体どのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか?」と繰り返された。私は、その時の声を容易に忘れることができない。 

 その時、私は質問に困惑し即答できなかった。私は、年少時代、学校で宗教教育がなかったことを知った。私は、私の正邪の観念を形成しているさまざまな要素を分析し始めるに至ってはじめて、これを私の鼻腔に吹き込んだのが武士道だったと気がついた。

 この小著の直接の端緒は、私の妻が、かくかくの思想もしくは風習が日本にあまねく行われているのはいかなる理由であるかと、しばしば質問したことによる。私は、ド・ラヴレー氏並びに私の妻に満足なる答えを与えようと試みた。しかして封建制度および武士道を解することなくんば、現代日本の道徳観念は結局封印せられし開かずの巻物であることを知った。

 長病いのため止むをえず無為の日を送っているのを幸い、家庭の談話で私の妻に与えた答えを整理して、いま皆様方に提供する。その内容は主として、私が青少年時代、封建制度のなお盛んであった時に教えられ語られたところのものである。

 一方にはラフカディオ・ハーンとヒュー・フレザー夫人、他方にはサー・アーネスト・サトウとチェンバレン教授の控えている間に挟まって、日本に関する事を英語で書くのは全く気のひける仕事である。ただ私がこれらの高名なる論者たちに優る唯一の長所は、彼らの勝れた書物が弁護士もしくは検事の立場からのものであるのに比して、私は被告の態度を取り得ることである。私はたびたび思った。「もし私に彼らほどの言語の才能があれば、私はもっと雄弁な言葉をもって日本の立場を陳述しようものを」と。しかし、借り物の言語で語る者は、自分の云うことの意味を解らせることができさえすれば、それで有り難いと思わねばならない。 

 この著述の全体を通じて、私は自分の論証する諸点をばヨーロッパの歴史および文学からの類例を引いて説明することを試みた。それはこの問題をば外国の読者の理解に近づけるに役立つと信じたからである。宗教上の問題及び宣教師に説き及んだ私の言及が万一侮辱的と思われるようなことがあっても、キリスト教そのものに対する私の態度が疑われることはないと信ずる。

 私があまり同情をもたないのは、教会秩序、キリストの教訓を曖昧にする諸形式に対してであって、教訓そのものではない。私は、キリストが教え、かつ新約聖書の中に伝えられている宗教、並びに心に書(しる)されたる法を信ずる。さらに私は、全ての民族及び国民、即ち異邦人であろうがユダヤ教徒であろうが、キリスト教徒であろうが異教徒であろうが、神が旧約と呼ばれるべき契約を結びたもうたことを信ずる。私の神学のその他の点については、読者の忍耐を煩わす必要がない。

 この序文を終るにあたり、私は友人アンナ・シー・ハーツホーンに対し、多くの有益なご指導を与えられしことについて謝意を表したい。彼女の手になる本書の表紙の特徴的な日本調装丁への御礼を合せて。


 1899年12月
 ペンシルヴァニア州マルヴェルンにて 新渡戸稲造

(私論.私見)

 第1版序文で、日本での宗教教育について尋ねられ、そういうものはないと返答したところ驚かれ云々とある。これは興味深いことで、西欧では人の教養作りの素養として宗教教育が重視されていることが分かる。対照的に日本では重視されていないが、それは、外在的に認められるようなものとしての宗教がなくて、その位置を代わりに占めているものは神仏儒和合の習俗であり、学ぶもよし学ばざるもよしの自在になっていることを意味する。

 新渡戸は、「私は私の正邪の観念を形成しているさまざまな要素を分析し始めるに至ってはじめて、これを私の鼻腔に吹き込んだのが武士道だったと気がついた」と述べている。この述懐は本書の成り立ちを理解する上で貴重である。付言しておけば、日本の戦後知識人が頻りに吹聴するところの科学信仰、その対極としての宗教批判は特殊戦後日本的なもので、世界に通用するものではないと云うことになりはすまいか。世界では科学と宗教がそのように対立させられているのではないのではなかろうかとの知見を要請するのではなかろうか。

 2012.5.11日 れんだいこ拝

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