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2012年6月30日 (土)

【「君が代」の歌意考その2、「藤田勝久氏の『君が代挽歌』」考

 以下、藤田勝久氏の「君が代は挽歌である 」をれんだいこなりに咀嚼させていただく。(http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=1074

 この論考のエキスは、前半の君が代の歴史的発祥過程の叙述にある。これは探していた情報であり、早速これを採りいれさせて貰った。中半以降の挽歌説も貴重な指摘である。但し、その意味するところに於いて解釈の違いがあり、れんだいこ流に咀嚼させて貰った。この論考は、れんだいこが欲していた情報と説の点で有益であったので、藤田勝久氏に謝意申し上げておく。

 「君が代の歌詞の意味は、『千代に八千代に』という永遠の願いを、死後の『常世』に託したものであり、それは『死者の霊』に対する鎮魂の歌にほかならない。紀貫之が万葉集の挽歌の一句を断章取義してしまった、つまみ食いしてしまった、ようするに間違ったのである。彼は、この歌を『賀歌』ではなく、『挽歌ないしは哀傷歌』のうちに含めるべきであったのだ」と述べている下りはどうだろうか。

 れんだいこによれば、君が代歌が当初「妹が代歌」であったにせよ、これは個人の追悼歌ではないように思われる。君であれ妹であれ、その治めている国と民を代表して敬礼されており、その政権の御代が「千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔むすまで」続く事が祈念されていると読む。してみれば、「挽歌ないしは哀傷歌」ではあるが、対象は個人の長命及び死後の来世における永生を祈っているものではなく、政体の御代の永続性に捧げられていると窺う。してみれば、弔辞歌ではなくまさしく賀歌として受け取るべきではなかろうか。

 「巌」の表象するものに対して、「これは死んだ親あるいは祖先の化身とみなされる。巌は、万葉集では墓地あるいは墓所を指し、その巌に苔生す苔は、再生、転生の象徴であり、死後の再生、転生を経てしかるのち初めて、千代に八千代にという永生が得られるのである」と述べている下りはどうだろうか。

 これにつき、「君が代」の歌意考その1の「古田武彦氏の君が代論考」では、「『いわ』は『岩』であり、『みわ(三輪)の祭りの場』を示す言葉と同類で、岩石を崇敬の対象としてとらえた古代用語であるという可能性が高い」の指摘が光るように思われる。「岩」は「巌」又は「磐」とも記され、その暗喩するところのものは「みわ(三輪)の祭りの場」の可能性が高い。古田氏は九州説の立場からして糸島郡の「井原」を示すと比定しているが、「いわ」を「みわ(三輪)の祭りの場」と指摘したことの価値が高い。

 従って、「君が代の歌詞は祝い歌、言祝ぎ歌ではなく、死者を悼む挽歌であり、柩を挽く者が歌う哀傷の歌であったのだ」する説には頷けない。正確には、「君が代の歌詞は政権の御代が末永く続く事を祈念しての祝い歌、言祝ぎ歌であり、その御代が転生して変成しているのを踏まえて、かっての御代を悼む挽歌であり、哀傷の歌であったのだ」と記すべきであろう。

 これらより、矢吹氏が云うところの「いかなる民族も慶弔は峻別してきた。そのような醇風美俗をもつ日本において、為政者の無知蒙昧により、祝賀の日に葬送の歌を歌うことを強制するのは、はなはだ奇怪な光景ではないか」の言は軽断過ぎるのではなかろうかと思う。

 溝口氏の云うところの「『さざれ石の巌となりて』という一句は、老子→説苑→大智度論→白楽天→仮名序とつらなる古代中国の『土を積む思想』と、法華経→真名序→仮名序とつらなる仏教の『微塵を積む』思想とが融合して作られた。まさに、いろはカルタの『塵も積もれば 山となる』の淵源は、老子と釈迦に発するのである」も軽断過ぎる。日本の古古代史を紐解くのに、一々中国、インド、西欧からの由来を訪ねる必要はない。日本は日本の歴史であって、特に古古代史ともなれば特にそうであって、まさしく日本の歴史から紐解かねばならないと思う。

 以上。よって、溝口、矢吹らの言は政治的引き廻しの臭いが強過ぎる。石原慎太郎の1999・3・13日の毎日新聞朝刊での言「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だって、あれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌やぁいいんだよ」は、右翼的愛国主義者・石原の正体見たり枯れ尾花、化けの皮が剥がれた瞬間の言辞であると窺うべきだろう。

 2012.6.30日 れんだいこ拝

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