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2012年6月 7日 (木)

第十二章  自殺および復仇の制度(THE INSTITUTIONS OF SUICIDE AND REDRESS)

 (この二つの制度は、前者は腹切り、後者は敵討ちとして知られている。これについては多くの外国著者が多少詳細に論じている)

 まず自殺の考察から始める。私は、切腹もしくは割腹に限定して考察することにする。それは、俗に「腹切り」として知られているが、これは腹部を切って内臓を抜き出す自己犠牲である。「腹を切る? 何と馬鹿げたことよ!」。初めてこの語に接した者はそう叫ぶであろう。

 それは、外国人の耳には最初は馬鹿げて奇怪に聞こえるかも知れないが、シェイクスピアを学びし者にはそんなに奇異な筈はない。何となれば彼はプルトゥスの口をして、「汝(カエサル)の魂現われ、我が剣を逆さまにして我が腹を刺さしむ」と言わしめているからである。或る現代のイギリス詩人が、その「アジアの光」の中にて、「剣が女王の腹部を貫く」と語るを聴け。何人も野卑な英語もしくは礼儀違反をもって彼を責めてはおるまい。或いは他の例を取り上げよう。ジェノアのパラツォ・ロツサにあるゲルチ―ノの「カト―の死」の画を眺めよ。アディソンがカト―をして歌わしめた絶命の歌を読む者は誰でも、その腹を深く刺したる剣のことを嘲る者はないであろう。

 我が国民の心には、この死に方は最も高貴なる行為並びに最も切々たる哀情の事例を連想させる。従って、我らの切腹観には何らの嫌悪も、いわんや何らの嘲笑も伴わない。徳、偉大、優しさの変化力には驚嘆すべきものがあって、最醜の死の形式にも崇高性を帯びしめ、これをして新生命の象徴たらしめる。しからずんば、コンスタンティヌス大帝の見たる徴(しるし、十字架)が世界を征服することはなかったであろう。

 切腹が我が国民の心に一点の不合理性をも感ぜしめないのは、他の事がらとの連想の故のみでない。特に身体のこの部分を選んで切るは、これを以て霊魂と愛情との宿るところと為す古き解剖学的信念に基づくのである。モーゼは、「ヨセフ、その弟の為に腸(心)焚(や)けるが如く」(創世記43の30)と記し、ダビデは「神がその腸(憐れみ)を忘れざらん」ことを祈り(詩篇25の6)、イザヤ、エレミヤ、その他古(いにしえ)の霊感を受けし人々も「腸(はらわた)が鳴る」(イザヤ書16の11)、もしくは「腸が痛む」(エレミヤ記31の20)と述べている。

 これらはいずれも日本人の間に広められている腹部に霊魂が宿るとの信仰を裏書きするものである。セム族は常に肝(きも)、腎、並びにその周囲にある脂(あぶら)をもって、感情及び生命の宿るところとなしていた。腹と云う語の意味は、ギリシャ語のフレン(phren)もしくはツ―モス(thumos)よりも範囲が広いが、日本人もギリシャ人と等しく、人間の魂はこの部分のどこかに宿ると考えていた。

 このような考えは、決して古代民族に限るものではない。フランス人は、彼らの最も優れたる哲学者の一人であるデカルトが、霊魂は松果腺にありとの説を唱えたにも拘わらず、解剖学的にはあまり漠然であるとしても生理学的には意味の明瞭なるヴァントル(ventre、腹部)と云う語をば、今日でも勇気の意味に依然として用いている。同様にフランス語のアントライユ(entrailles、腹部)は愛情、憐憫の意味に用いられている。

 かかる信仰は、単なる迷信ではなくて、心臓をもって感情の中枢と為す一般的観念に比して科学的である。日本人は、「この臭骸(しゅうがい)のいずれの醜き部分に人の名が宿るか」を、僧に聞かなくてもロメオ以上に良く知っていた。現代の神経学者は、腹部脳髄、腰部脳髄と云うことを言い、これらの部分に於ける交感神経中枢は精神作用によりて強き刺激を受けるとの説を唱える。この精神生理学説がひとたび容認せられるならば、切腹の論理は容易に構成される。「我は我が霊魂の座を開いて、君にその状態を見せよう。汚れているか清いか、君自らこれを見よ」。

 私は、自殺の宗教的もしくは道徳的是認を主張する者と解せられたくない。しかし、名誉を高く重んずる念は、多くの者に対し自己の生命を断つに十分なる理由を供した。ガ―スの歌いし感情に同感して如何に多くの者が同調したか。「名誉の失われし時は死こそ救いなれ。死は恥辱よりの確実なる避け所なり」。そして、彼らの霊魂を幽冥(ゆうめい)即ち死に莞爾(かんじ)として服せしめた。名誉が絡む時、武士道に於いては、死をもって多くの複雑なる問題を解決する鍵として受け入れた。これが為に、志を持つサムライは、自然の死に方をもってむしろ意気地なき事とし、熱心希求すべき最後ではない、と考えた。

 私は敢えて言う。多くの善きキリスト者が十分正直でさえあれば、カト―やプルトゥスやぺトロ二ウスやその他多くの古の偉人が自己の地上の生命を終わらしめたる崇高なる態度に対して、積極的称賛とまでは行かなくても魅力を感ずることを告白するであろう。

 哲学者の始粗(ソクラテス)の死は半ば自殺であったと言えば言い過ぎだろうか。我々は、彼の弟子たちの筆によって詳細に語られしものを窺う時、彼らの師が、彼が逃走できる可能性があるにも拘わらず如何に進んで国家の命令に服従したのか。しかもそれが道徳的に誤謬であることを知っていたにも拘わらずである。しかして、彼はどうして自己の手に死を言い含める神酒(みき)であることが分かり切っている.毒杯をあおったのか。

 我々は、この時の彼の全ての成り行き、振る舞いに釈然としないものがある。それは或る種の自殺的行為ではなかろうか。この場合には、通常の処刑の場合に於ける如き肉体的強制はなかった。なるほど裁判官の判決は強制的であった。曰く「汝死すべし。しかしてそれは汝自身の手によるべし」と。もし自殺が自己の手によって死ぬること以上を意味しないならば、ソクラテスの場合は明白なる自殺であった。しかし、何人も犯罪をもって彼を責めない。自殺を嫌悪するプラトンは、彼の師を自殺者と呼ぶを欲しなかった。

 既に読者は、切腹が単なる自殺の方法ではなかったことを了解せられたであろう。それは法律上並びに礼法上の制度であった。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を救う、もしくは自己の誠実を証明する方法であった。それが法律上の刑罰として命ぜられる時には、荘重なる儀式をもって執り行われた。それは洗練されたる自殺であって、感情の極度の冷静と態度の沈着なくしては何人もこれを実行するを得なかった。これらの理由により、それは特に武士に相応しいものであった。

 懐古趣味的な好奇心からだけでも、この既に廃絶せる儀式の描写をここで為したいと思う気分にさせられる。しかし、そのその一つの描写が、その書物は今日ではさほど読まれていないのだが、既に私より遥かに能力ある著者によって為されている。私は、やや長き引用をしてみたいと思う。ミッドフォードは、その著「旧き日本の物語」に於いて、切腹についての説を或る稀なる日本の文書から訳載した後、彼自身の目撃したる実例を描写している。

 「我々(7人の外国代表者)は、日本の立会人に案内されて、これから儀式が執行さるべき寺院の本堂(もしくは寺院のメインホール)に入った。それは 印象的な光景であった。本堂は屋根高く、黒くなった木の柱で支えられていた。天井からは、仏教寺院に特有な巨大なる金色の燈籠(とうろう)と装飾があちこちに垂れていた。高い仏壇の前には、美しき新畳を敷いた床の上三、四寸の高さに座を設け、赤の毛せんが広げてあった。ほど良き間隔に置かれた高き燭台は薄暗き神秘的な光を出し、まさにこれから執り行われる全ての仕置を見るに十分であった。 数名の日本の立会人は高座の左方に、数名の外国立会人は右方に着席した。それ以外には何人も居なかった。

 不安の緊張裡に待つこと数分間、滝善三郎、年齢32歳の気品高き偉丈夫であったが、麻の裃(かみしも)の礼服を着け、しずしずと本堂に歩み出た。彼の介錯人と、金の刺繍(ししゅう)せる陣羽織を着用した役人とが伴った。介錯と云う語は、英語のエクシキューショナ―(executioner、処刑人)がこれに当たる語でないことを知っておく必要がある。この役目は紳士の役であり、多くの場合、咎人(とがにん)の一族もしくは友人によって果たされ、両者の間には役人と処刑人と云うよりは、むしろ主役と介添えの関係である。この場合、介錯は滝善太郎の門弟であって、剣道の達人たる故をもって、彼の数ある友人中より選ばれた者であった。

 滝善太郎は介錯を左に従え、徐(おもむろ)に日本の立会人の方に進み、彼らに二度お辞儀を為し、次に外国人に近づいて同様に、恐らく一層の丁重さをもって同様のお辞儀をした。いずれの場合にも恭(うやうや)しく答礼が為された。静々と威儀辺りを払いつつ善三郎は高座に上がり、仏壇の前に平伏すること二度、仏壇を背にして毛せんの上に端坐し、介錯人は彼の左側に腰を低く構えた。三人の付添役中の一人はやがて白紙に包みたる脇差をば山宝(神仏に供え物をする時に用いられる一種の台)に載せて進み出た。脇差とは日本人の短刀もしくは匕首(あいくち)であって長さ9寸5分、その切っ先は剃刀(かみそり)の如くに鋭利なものである。付き添いは一礼したる後に咎人に渡せば、彼は恭しくこれを受け、両手を以て頭の高さにまで押しいただきたる上、自分の前に置いた。

 続いて坐り直し、日本的な流儀に則り膝とつま先を地面にこすりつけ、彼の体はかかとの上に乗った。慣わしとされているこの姿勢で、彼は死を迎えるまで踏みとどまった。改めて鄭重なるお辞儀をした後、滝善太郎は、痛ましき告白を為す人から期待されているに違いないような感情と躊躇を表わす声で、顔色態度は豪(ごう)も変ずることなく次のように語った。「拙者ただ一人、無分別にも神戸に居た外国人に対し発砲の命令を下し、その逃れんとするを見て、再び撃ちし候。この咎めにより切腹致す。各々方には検視の御役目御苦労に存じ候」。又もや一礼お辞儀して、善太郎は上着を帯元まで脱ぎ下げ、腰辺りまで露わにした。注意深く、古式に則り、仰向けに倒れることのなきよう両袖を膝の下に敷き入れた。そは、高貴なる日本紳士は前に伏して死ぬべきものとされていたからである。

 慎重に、前に置かれていた短刀を確(し)かと取り上げ、名残りを惜しみつつ愛着たっぷりにこれを眺め、最後を迎えての思念に精神集中を凝らした一刻を経て、左の腹を深く刺し徐(おもむろ)に右に引き廻し、又元に戻し返して少しく切り上げた。この凄まじくも痛ましき動作の間、彼は顔の筋一つ動かさなかった。彼は短刀を引き抜き、前に屈(かが)み、首を差し伸べた。苦痛の表情が初めて彼の顔をよぎったが、少しも音声に現われない。その瞬間、介錯人は、それまで側に腰を低くして、彼の一挙一動を身じろぎもせず見守っていたが、やおら立ち上がり、一瞬太刀(たち)を空に振り上げ、一閃させた。もの凄い音、倒れる響き、一撃の下に首が体から切り離された。場内寂として静まり返った。ただ僅かに我らの前に動かなくなった首が投げ出され、迸(ほとばし)り出ずる血の凄まじき音のみ静寂を破った。この首の主こそ今の今まで勇猛剛毅の威丈夫であった。恐ろしいことであった。

 介錯人は平伏して礼を為し、予(かね)て用意せる白紙を取り出して刀を拭(ぬぐ)い、高座より降りた。血染めの短刀は、仕置きの証拠として厳かに運び去られた。かくて帝(みかど)の二人の役人はその座を離れて、外国検使の前に来て、「滝善太郎の処刑が滞りなく相済みたり。検視せられよ」と呼びかけた。儀式はこれにて終り、我らは寺院を去った」。

 我が国文学もしくは実見者の物語による切腹の情景を写そうとすれば枚挙に暇ないが、今一つの例を挙げれば足りるであろう。左近、内記(ないき)と云う二人の兄弟、兄は24歳、弟は17歳であったが、父の仇討ちの為に家康を殺そうと努力し、陣屋に忍び入らんとして捕えられた。老英雄は己の生命を狙いし若者の勇気を愛でて、名誉の死を遂げさせよと命じた。一族の男子皆刑せられることに定められ、彼らの末弟の八麿は当年僅かに8歳の小児に過ぎざりしであったが同じ運命に定められた。かくて彼ら3人は仕置場たる或る寺に連れて行かれた。その場に立ち会いたる或る医師の書き遺したる日誌により、その光景を記述すれば次の如くである。

 「彼らが皆並んで最後の座に着いた時、左近は末弟に向かいて言った。『八麿よりまず腹切れよ。切り損じなきよう見届けくれんぞ』。幼き八麿答えて、『ついぞ切腹を見たることなければ、兄の為さん様を見て己もこれに倣わん』。兄は涙ながらに微笑み、『いみじくも申したり。健気の稚児や。汝、父の子たるに恥じず』。左近、内記は、二人の間に八麿を坐らせ、左近は、左の腹に刀を突き立てて、『弟これを見よや。会得せしか。余りに深く掻くな。仰向けに倒れるぞ。うつ伏して膝を崩すな』。内記も同じく腹を掻き切りながら弟に言った。『目をかっと開けや。さらずば死に顔の女に見まごうべきぞ。切尖(きっさき)淀むとも、又力たわむとも、更に勇気を鼓舞して引き廻せや』。八麿は兄の為す様を見、両人の共に息絶ゆるや、静かに肌を半脱ぎして、左右より教えられし如くにものの見事に腹切り終った」。

 切腹をもって名誉と為したることは、自ずからその乱用に対し少なからざる誘惑を与えた。全く道理に適わざる事柄の為、もしくは全く死に値せざる理由の為に、性急なる青年は飛んで火に入る夏の虫の如くに死についた。混乱かつ曖昧なる動機がサムライを切腹に駆り立てしことは、尼僧を駆り立て修道院の門をくぐらしめしよりも多かった。生命は廉価であった。世間の名誉基準によって計算される廉価さであった。最も悲しむべきは、名誉に常に打ち歩が付いていた。いわば常に正金ではなく、劣等の金属を混じらせていたことである。地獄取り巻く者のうち誰も、ダンテが自殺者を全員人身御供にして引き渡した辺りを記す第7篇に勝りて日本人の人口の周密なる密度を誇るものはないであろう。

 しかしながら、真のサムライにとっては、死を急ぎ、もしくは死に媚びるは、卑怯であった。或る典型的な武士は、一戦又一戦に敗れ、野より山、森より洞窟へと追われ、単身餓えて薄暗き木の穴に潜み、刀欠け、弓折れ、矢尽きし時には、かの最も高邁なるローマ人(プルトゥス)がかかる場合、ビリビにて己が刃に伏したのではなかったか。これに引き換え死を卑怯と考え、キリスト教殉教者に近い忍耐をもって、次のように吟じて己を鼓舞した。 「憂きことのなおこの上に積もれかし(願わくは、我に七難八苦を与えたまえ)。限りある身の力試さん」。

 然り。これが武士道の教えであった。忍耐と純粋なる良心とを以てあらゆる悲惨と災難に抗し忍耐と面目を保つ。これにつき、孟子は次のように説いている。「天の将(まさ)に大任を人に降さんとするや、必ずまず精神を苦しめ、その筋骨を労し、その身体を餓えしめ、彼を極度の窮乏に試練せしめ、彼の仕事を翻弄せしめる。それは、精神を鼓舞して、その性を錬磨し、その不適格なところを増益する所以である」。真の名誉は、天の命ずるところを果たすにあり。これが為に死を招くも決して不名誉ではない。これに反し、天の与えんとするものを回避する為の死は全く卑怯である。

 サ―・トマス・ブラウンの奇書「医道宗教」の中に、我が武士道が繰り返し教え足るところと全く軌を一にする語がある。それを引用すれば、「死を軽んずるは勇気の行為である。しかしながら生が死よりもなお怖ろしい場合には、敢えて生きることこそ真の勇気である」。17世紀の或る名僧が風刺して言える言に、「平生何ほど口巧者に言うとも、死にたることのなきサムライは、まさかの時に逃げ隠れするものなり」。又、「ひとたび心中奥深きところにて死したる者には、真田(さなだ)の槍も為朝の矢も通らず」。これらの語が、「己が生命を我が為に失う者はこれを救わん」と教えし大建築者(キリスト)の宮の門に何と接近していることか。これらは、人類の道徳的一致を確認せしむる数多き例証中の僅か二、三であるに過ぎない。キリスト教徒と異教徒との間の差異を能う限り大ならしめんと骨折る試みがあるにも拘わらず。 

 私は、レ―ジ教授の翻訳を言葉通りに使用する。かくして我々は、武士道の自殺制度が、その乱用が一見我々を驚かす如くには不合理でもなく野蛮でもないことを見た。我々はこれから、切腹の姉妹関係たる矯正制度、それは仇討とも呼ばれるのだが、その補充的特徴を見よう。

 私は、この問題をば、数語をもって片付けることができると思う。けだし同様の制度、もしくは習慣と言った方がよければそれでもよいのだが、この制度は全ての民族の間に行われたのであり、且つ今日でも全く廃れていないことは、決闘や私刑(lynching)の存続によりて証明される。現に近頃或るアメリカ将校は、ドレフェスの仇を報ぜんが為にエステルハージに決闘を挑んだではないか。結婚制度の行われざる未開種族の間にありては、姦通は罪ではなく、ただ愛人の嫉妬のみが女子をば不倫より護る如く、刑事裁判所のなき時代にありては、殺人は罪ではなく、ただ被害者の縁故者のつけ狙う仇討ちのみが社会の秩序を維持したのである。 「地上にありて最も美しいものは何ぞ」と、オシリスはホーラスに問うた。答えて曰く、「親の仇を討つにあり」。日本人なら「主君の仇討ち」を付け加えるだろう。

 仇打ちには人の正義感を満足せしめるものがある。仇討者の推理はこうである。「我が善き父は死する理由がなかった。父を殺したる者は大悪事を為したのである。我が父もし存命ならば、かかる行為は看過しはないだろう。天もまた悪行を憎む。悪を行う者をして、その業を止めしむるは我が父の意思であり天の意思である。彼は我が手によりて死なざるべからず。何となれば、彼は我が父の血を流させたのであるから、父の血統たる我がこの殺人者の血を流さねばならない。彼は共に天を戴かざる仇である」。この推理は簡単であり幼稚である。(しかし、我々の知る如く、ハムレットもこれよりたいして深く推理した訳ではない) それにも拘わらず、この中に生まれながらの正確なる公平感及び平等なる正義感が現われている。「目には目を。歯には歯を」。我々の仇討の感覚は数理的な能力の如くに正確であって、方程式の両項が満足されるまでは、何事かが未だ為されずして残っているとの感を除き得ないのである。

 ユダヤ教に於いては妬む神を信じており、あるいはネメシスを持つギリシャ神話に於いては仇討ちは、これを超人的な力に委ねることを得たであろう。しかし、世間感覚は、武士道に対し公平な倫理的裁判所の一種としての仇討の制度を与え、日常法に従っては裁判せられざる如き事件に関与するを得しめた。47士の主君(浅野内匠頭長矩、あさのたくみのかみながのり)は死罪を宣告された。彼は、控訴すべき上級裁判所を持たなかった。彼の忠義なる家来たちは、当時存在したる唯一の最高裁判所たる仇討ちに訴えた。しかして彼らは普通法によって罪を宣告された。しかし、民衆の本能は、別個の判決を下した。これが為、彼らの名は今日まで泉岳寺の墓にあり、色緑に且つ香ばしく保存されている。

 老子は、「怨みに報いるに徳をもってす」と教えた。しかし、正義をもって怨みに報いるべきことを教えた孔子の声の方が遥かに大であった。但し、復讐は、我々の上役; もしくは恩人の為に企てられる場合にのみ正当であるとされていた。己自身の仇は、妻子に加えられたる危害も含めて、これを忍び且つ許すべきとされていた。この故に、或るサムライは、祖国の仇に復讐せんとしたハンニバルの誓いに対し、完き同感を寄せることを得た。しかし、彼の妻の墓より一握りの土を取りて帯の中に携えたジェイムズ・ハミルトンが、摂政マレーに対し彼女の仇を討たんとするを執拗に鼓舞し続けたことをば軽蔑している。この故に、或るサムライは、祖国の仇に復讐せんとしたハンニバルの誓いに対し、完き同感を寄せることを得た。しかし、彼の妻の墓より一握りの土を取りて帯の中に携えたジェイムズ・ハミルトンが、摂政マレーに対し彼女の仇を討たんとするを執拗に鼓舞し続けたことをば軽蔑している。

 切腹及び仇討の両制度はいずれも、刑法特典の発布と共に存在理由を失った。美しき乙女が、変装して、親の仇を)突きとめるようなロマンティックな冒険を聞くことはもうない。家族の仇を討つ悲劇を見ることはもはやない。宮本武蔵の武者修行は今や昔語りとなった。規律正しき警察が被害者の為に犯人を捜索し、法律が正義の要求を満たす。全国家及び社会が悪を成敗する。正義感が満足されたが故に、仇討の必要なきに至ったのである。もし、仇討ちが、二ュ―イングランドの或る神学者の評せる如く、「犠牲者の生血をもって飢えを満たさんと欲する望みによりて養われる心の渇望」を意味したに過ぎないとすれば、刑法法典中の数条がかくもそれを根絶せしめることを得たであろうか。

 切腹については、これまた制度上はもはや存在しないけれども、なお時々その行われるを聞く。過去が記憶せられる限り、恐らく今後もこれを耳にするであろう。自殺信者が驚くべき速度で世界中に増加しつつあるを見れば、痛みのない、また時間のかからぬ多くの自殺方法が流行してくるだろう。しかし、モルゼリ教授は、多くの自殺方法中、貴族的地位をば切腹に与えなければならぬであろう。教授は主張して曰く、「自殺が最も苦痛なる方法もしくは長時間の苦悶を犠牲にして遂行せられる場合は、百中九十九までは、これを狂信、狂気、もしくは病的興奮による精神錯乱の行為に帰することができる」。しかし、正規の切腹には、狂信、狂気、もしくは興奮の片影をも存せず、その遂行が成功するには極度の冷静さが必要であった。ストラハン博士は、自殺を二種に分けて、合理的もしくはそれに準じたものと、不合理的もしくは真正のものとしたが、切腹は前者の型の最好例である。

 これらの血生臭き制度より見るも、又武士道の一般的傾向より見ても、刀剣が社会の規律及び生活上重要なる役割を占めていたことを推断するのは容易である。刀を武士の魂と呼ぶは一の格言となった。

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コメント

相変わらず忙しくて宿題に取りかかれません。今日はこちらを拡散したく、なにとぞよろしくお願い申し上げます。とおりがけ拝

【野田谷垣会期前密約猿豚芝居売国国会】

「追い詰められた自民党・・・公明党は消費税増税法案に反対するだろう。」政経徒然草さま
http://haru55.blogspot.jp/2012/06/blog-post_08.html

今国会開会直前の野田谷垣密談の時言ったように、自公提出の憲法9条改正案を民主が丸呑みすることを交換条件にして自公が消費税増税法案に党議拘束をかけて嬉々として欣喜雀躍大賛成し、両売国法案とも今国会可決成立させる予定である。

国会議員全員売国奴なり。

投稿: 通りがけ | 2012年6月 8日 (金) 14時54分

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