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2012年6月 9日 (土)

第十三章  刀、そのサムライ魂(THE SWORD THE SOUL OF THE SAMURAI)

 これらの血生臭き制度より見るも、又武士道の一般的傾向より見ても、刀剣が社会の規律及び生活上重要なる役割を占めていたことを推断するのは容易である。刀を武士の魂と呼ぶは一の格言となった。そして、武士道は、刀を、その力と武勇の表象と為した。マホメットが、「剣は天国と地獄の鍵である」と宣言した時、彼は日本人的感情を反響したに過ぎない。

 サムライの少年は、幼少の時から、これを操ることを学んだ。5歳の時、サムライの服装一式を着けて碁盤の上に立たせられ、これまで弄んでいた玩具の小刀の代わりに本物の刀を腰に挿すことにより初めて武士の資格を認められるのは、彼にとって重要な機会であった。武門に入る最初のこの儀式が終わりて後、彼はもはや彼の身分を示すこの徴を帯びずしては父の門を出でなかった。

 もっとも、平素に於いては銀塗りの木刀をもって代用した。幾年も経ずして擬刀を捨て、例え鈍刀にせよ、常に真正の刀を帯び、しかして新たに得た刀よりも鋭き喜びを以て戸外に進出し、その刃をば木や石に試みるべく進展させた。15歳にして成年に達し、行動の自由を許される時に至れば、いかなる用向きにも十分に足る鋭利なる刀の所有を誇り得るようになる。この凶器の所有そのものが、彼に自負と自尊心並びに責任の態度を賦与するようになる。

 「刀は伊達にささぬ」
彼が帯に挿すものは彼の精神と心に挿すものであり、忠義と名誉の象徴である。大小二本の刀、長い刀と短い刀、それは太刀と小刀と呼ばれ、あるいは刀と脇差と呼ばれるが、決して彼の身辺を離れない。家にありては、書斎客間の最も目につき易い場所を飾り、夜は容易に手の届く所に置かれて枕頭を守る。刀は不断の伴侶となり、固有の呼び名を付けて愛称せられる。尊敬の余りほとんど崇拝せられるに至る。史学の祖(ヘロドトス)は、スキタイ人が鉄の三日月刀に犠牲を捧げたことを奇聞として記しているが、日本の多くの神社や多くの家庭に於いても刀をば礼拝の対象として蔵している。ありふれた短刀に対しても、適当の尊敬を払った。刀に対する侮辱は持主に対する侮辱と同視せられた。床に置ける刀を不注意に跨ぎし者は禍なるかな。

 囲碁のゲームは、時に日本式チェスと呼ばれることがある。しかし、英国のゲーム(チェス)よりはるかに知的である。碁盤は361路より成り立っており、ゲームの目的はどちらがより多くの地(space)を占めたかを廻る戦いであり、これを実演するべく仕組まれている。かくの如き貴重なるものは名人(artists)の眼力(notice)と熟練、もしくは対局者(owner)の自尊心から逃れることを得ない。とりわけ、泰平の時代、即ち刀が僧正の杖もしくは国王の王権よりも後回しにしか使用されない時代に於いてはそうであった。柄には鮫(さめ)の皮、絹の糸を巻き、鍔(つば)には金銀を散りばめ、鞘(さや)には様々の色の漆(うるし)を塗りて、この最も恐るべき武器はその恐怖の半ばを失った。しかし、これらの付属物は刀身そのものに比すれば慰みもの(playthings)である。


 刀鍛冶は単なる工人ではなく霊感を受けたる芸術家であり、彼の職場は神聖な場所であった。彼は毎日斎戒沐浴(さいかいもくよく)をして工を始めた。もしくはいわゆる「その心魂気魄(きはく)を打って錬鉄鍛冶(たんや)した」のである。槌(つち)を振り、湯に入れ、砥石で研(と)ぎ、その一つ一つが僅かの雑念をも許さぬ宗教的行事であった。我が刀剣に鬼気を帯びしめたるものは、刀鍛冶もしくは彼の守護神の霊であったのだろうか。芸術品として完璧であり、トレド及びダマスカスの名剣を尻目に十分に対抗し得ており、更に芸術の賦与し得るより以上のものがあった。

 その氷の刀身は、抜けば忽ち大気中の水蒸気をその表面に集める。その曇りなき肌は青色の光を放ち、その比類なき焼刀(やいば)には歴史と未来とが懸(かか)り、その反(そ)りは優れたる美と究極の力とを結合している。これら全ては、我々を力と美、畏敬と恐怖の相混じりたる感情で刺激している。もしそれが美と悦楽( joy)の具としてのみに止まりしものなら、その使命(mission)は無害だったであろう。しかし、常に手の届く所にありしが故に、その乱用に対し少なからざる誘惑があった。平和なる鞘から刀身の閃(ひらめ)き出(いず)ることしばしばなるに過ぎた。時に、新たに得たる刀をば無辜の民の首に試みる悪用が為されることもあった。

 しかしながら、我々の最も関心を寄せる問題はこれである。武士道は刀の無分別なる使用を是認するのだろうか。答えは明らかである。断じてしからず。武士道は刀の正当なる使用を非常に重視し、その乱用を非とし且つ憎んだ。場合を心得ずして刀を振った者は、卑怯者もしくは虚勢をはる者とされた。心が洗練されている武士は、自分の刀を使うべき時をしっかりと心得ていた。また、その時はめったに訪れない稀であることを知っていた。

 故勝海舟に耳を傾けてみよう。勝氏は我が国の歴史上最も物情騒然としていた時期をくぐって来た人であり、当時は暗殺、自殺その他血生臭い事が毎日のように行われていた。彼は一時ほとんど独裁的なる権力を委ねられていた為、たびたび暗殺の対象とされていたが、決して自身の刀に血を塗ることをしなかった。彼は、追憶の若干を回顧して、特癖のある平民的口調で或る友人に物語っている。その中でこう述べている。

 「私は人を殺すのが大嫌いで、一人たりとも殺した者はいないよ。みんな逃(にが)して、殺すべき者であっても、まぁまぁと云って放っておいた。或る日、友人(河上彦斎)が言った。『「あなたはそうは人を殺さない。ならばあなたは南瓜(かぼちゃ)なり茄子(なす)を食べないのか。宜しい、食べぬなら食べぬで。しかし、あいつら自身が人殺しですよ』。
(かく述べた河上彦斎は人を何人も斬ってきたが、最後は自分も人に斬られて殺された 私が殺されなかったのは、私が殺しを嫌いだった故かもしれんよ。私は、刀をひどくきつく結(ゆわ)えて、決して抜けないようにしていた。私は、人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。実に実に。連中を蚤(のみ)や虱(しらみ)だと思えば良いのさ。肩につかまってチクリチクリと刺しても、ただ痒いだけのことで、生命には関わりはないよ」(「海舟座談」)。

 これが、艱難と大業績の火炉の中で武士道修行を試みられし人の言である。諺に「負けるが勝ち」と云う。即ち真の勝者はめったやたらに敵と争わないと云う意味である。又「血を流さない勝利こそ最善の勝利」という格言がある。その他にも同様の趣旨の諺があるが、これらはいずれも武士道の究極の理想が結局のところ平和にあったことを示している。この高き理想が専ら僧侶及び道徳家の講釈に委ねられ、サムライは武芸の稽古と称揚を旨としたのは、大いに惜しむべきことであった。これにより、彼らは女性の理想をさえ勇婦的性格をもって色づくるに至った。次に、我々は、婦人の教育及び地位の問題につき数節をさくことにする。

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コメント

宿題提出をサボっているとおりがけです。よろしくご吟味のほどお願い申し上げます。とおりがけ拝

今度は野豚原発再起動宣言ですね。これは

1.大阪の警官が裁量で銃殺刑を執行した凶悪無比重大至極な拳銃テロと

2.オスプレイ配備問題を沖縄県知事(これもユダ金スパイ)に「そんなに安全なら都内の公園にでも移駐させたら」と言わせて渡りに船とばかりに沖縄の米軍基地じゃなく本土の岩国基地(劣化ウラン大量貯蔵したまま先日大爆発事故を起こした三井化学岩国大竹工場のすぐそばの和木町内に軍事転用可能な民間ヘリポートを建設中)へ先行配備決定したオスプレイテロ
(これは劣化ウラン貯蔵庫へオスプレイが墜落爆発すると劣化ウラン弾炸裂とおなじ核兵器テロとなります)

のふたつのユダ金銃器兵器放射能殺人テロを国民の耳目から隠すために予定通り(1.は偶然かも。2.は沖縄のスパイ知事と山口のスパイ知事とスパイ防衛省と示し合わせて)やったことです。

野豚はすべてわざとやっているのです。
基地問題・原発・TPP・PKO・消費税・腐敗司法・など国内のセンシティブな問題への政府対策発表では必ず全部について憲法を念入りに破壊し日本国内に擾乱を誘導することがユダ金スパイの使命だからです。

野豚の言う大義とはまさに麻原彰晃がいうオウム真理であり、不退転の決意で政治生命をかけて殉じるとは「修業するぞ修業するぞ・ポアするぞポアするぞ」というオウムのマントラに他なりません。

野豚や麻原や全国のほぼすべての知事(選管工作でスパイが知事になります)といったユダ金スパイを使ってひたすら国内擾乱治安悪化を誘導するユダ金は、沖縄を完全に自国領土として略奪達成する前に日本国から地位協定即時破棄されることを最も怖れているのです。沖縄が未来永劫米国にならなくなりますからね。
証拠のビデオを示します。
>>http://www.youtube.com/watch?v=ssq5WGz4LMk&feature=youtu.be

ユダ金の手に乗って国内で擾乱事件が起こったら(というか、ユダ金は擾乱事件捏造も得意技ですw)野豚スパイが戒厳令を出して自衛隊と警察を使って日本国内を速やかに軍事制圧全権掌握する予定です。

ゆえにユダ金につけ込む隙を与えぬためにはガンジーの成功体験に習って、
・すべてのデモや集会に全員ビデオ持参で参加し、
・官憲暴力に対しては完全に無抵抗で黙ってすべての官憲の動き(暴力犯行)を全員でビデオ記録しながら、
・天下の大道(車道も歩道もすべて天下の大道である)を黙々と隊列を組んで静かに堂々とむしろ旗を掲げて行進すればよい。

むしろ旗にはただひとことのみ大書する

「日米地位協定即時破棄」

これで扶桑の島日本が江戸時代以来ふたたび独立できます。

日本独立はむしろ旗でガンジーのインド独立成功体験にならってのみ達成できる。

投稿: 通りがけ | 2012年6月10日 (日) 10時03分

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