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2012年6月10日 (日)

第14章 婦人の教育及び地位(THE TRAINING AND POSITION OF WOMAN)

 人類の一半を為す女性はしばしば矛盾の典型と呼ばれる。女性の心の直感的な働きは、男性の解析的判断力により理解するものをはるかに超えている。中国式表意文字(漢字)の神秘的もしくは不可知的な意味を持つ「妙」は、若いと云う意味の「少」と云う字と婦人と云う意味の「女」から成り立っている。けだし、女性の身体的美と繊細な発想は、男性の粗雑な心理能力では説明できない。

 しかしながら、武士道が説く女性の理想像は、神秘性が極めて乏しく外見的な矛盾があるにすぎない。私は、それを勇婦的であると言ったが、それは半面の真理でしかない。漢字の字義による妻とは、箒(ほうき)を持つ婦人を意味している。実に、それは彼女の配偶者に対する攻撃的に振りまわす為ではなく、又魔法の為ではなく、枝ぼうきが最初に発明された時に使用された如く無害な用途に於いて意味されている。かくて、その含意する思想は、英語の妻(wife)が語源的に「織る人」(weaver)より出で、娘が「乳搾り」(duhitar, milkmaid)より出でしと同様に家庭的である。現ドイツ皇帝は、「婦人活動の範囲は台所( Küche)、教会(Kirche)、子供(Kinder)にあり」と言われたと云うが、武士道の女性の理想はこれら三者に限定することなく著しく家庭的であった。この一見矛盾と思われる家庭的並びに勇婦的特性は、武士道に於いては両立せざるものではない。以下、そのことを論じよう。

 武士道は本来、男性のためにつくられた教えである故に、武士道が女性に重んじた徳目も自ずから女性的なものからかけ離れていた。ウィンケルマン曰く、「ギリシャ芸術の最高の美は、女性的であるよりもむしろ男性的である」。レツキ―はこれに付け足して「このことは、ギリシャ人の道徳観念について見るも、芸術に於けるが如くに真である」。武士道は同様に、女性に対し、自己自身を女性の有する弱さから解き放ち、もっと強く勇敢である男性にも負けない英雄的武勇を称揚した。この故に、少女は、その感情を抑制し、その神経を強くし、武器、ことに薙刀(なぎなた)と云う長い柄の刀を使い、もって不慮の事変に際して己が身を守ることを訓練させられた。

 然るに、この武芸練習の主たる動機は、戦場に於いて用いる為ではなく、むしろ一身の為並びに家庭の為なる二つの動機によった。女性は己の主君を有せざるにより、己自身の身を守った。女性がその武器をもって己が身の神聖を護りしことは、夫が君の身を護りしが如き熱心をもってした。彼女の武芸の家庭的用途は、後に述べるが如く子供の教育に於いてであった。 

 女性の剣術その他の武芸は、実用されることは仮に稀であるにしても、婦人の端坐的なる習慣を補う健康上の理由があった。しかし、これらの武芸は健康上の目的のみのではなかった。有事の際には実際に用いることができた。女児が成年になれば短刀(懐剣)を与えられ、もって己を襲う者の胸を刺すべく、あるいは場合によりては己の胸を刺すを得た。後者の場合はしばしば実際に起こった。故に、私は彼らを酷に裁こうとは思わない。自殺を嫌悪するキリスト者の良心といえども、日本女性に厳しくされるべきではないだろう。自殺せし二人の婦人ぺラギア及びドミ二ナをばその純潔と敬虔の故をもって聖徒に列しているのを見れば。

 或る日本のバージ二アが、その貞操が危険に瀕するを見る時、彼女の父の剣を待つまでもなかった。彼女自身の武器が常に懐中にあった。自害の作法を知らざる事は彼女の恥辱であった。例えば、彼女は解剖学を学ばなかったけれども、喉のいずれの点を正確に刺すべきかを知らねばならなかった。死の苦痛が如何に激しくとも、死屍(しし)が肢体の姿勢を崩さず、最大の謹慎を示さんが為に、帯紐をもって己が膝を縛ることを知らねばならなかった。 かくの如き身だしなみはキリスト者ぺルぺチュアもしくは聖童貞コルネリアに比すべきではないか。私がかかる出し抜けな質問を発したには理由がある。それは入浴の習慣その他の些事に基づきて、貞操観念は我が国民の間に知られないと云う如き誤解を抱く者を見るからである。

 全く反対だ。貞操はサムライの主要な徳であって、生命以上にこれを重んじたのである。或る妙齢の婦人が敵に捉えられ、荒武者の手により暴行の危険に陥りし時、彼女は申し出た。戦によって散り散りになりし姉妹に一筆認めることが許されるならば、彼らの意に従うと。手紙を書き終わった彼女は近場の井戸に走り、身を投じて彼女の名誉を守った。遺された文の端に一首の歌があった。「世に経なば よしなき雲も おほひなん。いざ入りてまし 山の端の月」。

 読者に、男性的なることのみが我が国女性の最高理想であったとの観念を与えることは公平でない。大いに然らず。芸事(げいごと)及び生活の優雅さが彼女らに必要とされていた。音楽、舞踊、及び文学が軽んぜられなかった。我が国文学史上、最も優れたる詩歌の幾つかは女性的感情により表現されている。事実、女性は日本の純文学史上重要なる役割を果たしたのである。舞踊は、(私はサムライの子女のことを言っているのであって、芸者のことではない)、彼女らの挙措動作の節目を滑らかにする為に教えられた。音楽は、彼らの父もしくは夫の物憂き時の慰める為のものであった。従って、音楽を習ったのは、技巧即ち芸術そのものの為ではなかった。その究極の目的は、心を浄化することにあり、為に音曲の調和は演奏者の心が安らかならずんば調わずと云われた。

 ここでも、我々は、青年の教育について気づいたところの「芸道は常に道徳的価値に対し従たる地位に置かれている」と同一の観念を認めることになる。音楽と舞踊は生活に優雅さと聡明さを加えるをもって十分なものとしており、決して虚栄や贅沢.を助長する為のものではなかった。ペルシャ王がロンドンで舞踏会に案内されて、舞踏に加わることを勧められた時、自国ではこの種の仕事をして見せるには特別の女子の一団が宛(あて)がわれると、ぶっきらぼうに答えた。私は王に同情する。

 我が婦人の芸事は見せる為もしくは売り出しの為に習得されるものではない。それは家庭的気晴らしであった。社交の席に於いてその技を示すことがあっても、それは主婦の接待務めとして、換言すれば、家人が客を歓待する方法の一部としてであった。家庭的愛着が教育を導いた。旧い日本の女性の芸事目的は、性質に於いて武芸たると平和的なものたるとを問わず、主として家庭の為であったと言い得る。しかしながら、彼女らは如何に遠く離れてさまようとも、決して炉辺の光景を忘れることはなかった。彼女らは、家の名誉と威厳を維持せんが為に苦労、労役し、命を投げ出した。日夜、強く又優しく、勇ましく又哀しき調べをもって、彼女らのささやかな巣に歌いかけた。

 女性は、娘としては父の為に、妻としては夫の為に、母としては子の為に、己を献身した。かくして幼少の頃から、彼女は自己否定を教えられた。彼女の一生は独立の生涯ではなく、奉仕の生涯だった。男性の助けとして、彼女の存在が役立てば、夫と共に舞台の上に立ち、もし夫の働きの邪魔になれば、彼女は幕の後ろに引く。或る青年が或る少女を恋し、乙女も同じ熱愛をもって彼の愛に報いたが、青年が彼女に心惹かれて義務を忘れるを見て、乙女は自己の魅力を失わしめる為に己が美貌に傷つけたる如き事の起こりしも稀ではなかった。 「吾妻(あづま)」、それはサムライの娘たちが理想の妻と仰ぐ妻のことであるが、かくの如し。彼女は、己が夫の仇によって恋慕される身となった。彼女は、不義の計画に与することを装い、闇にまぎれて夫の身代りに立ち、恋の刺客の剣をば己の貞潔なる首に受けた。

 或る若き大名(木村重成)の妻が自刀に先立ちて書き遺したる次の手紙は、何らの注釈を要しないであろう。「一樹の蔭、一河の流れ、これ他生の縁と承り候が、さてもおととせの頃おいよりして、偕老の契りをなして、ただ影の形に添うが如く思い参らせ候に、この頃承り候えば、この世限りの御催しの由、陰ながら嬉しく存じ参らせ候。唐土の項王とやらんは世に猛き武士なれど、虞氏の為に名残りを惜しみ、木曽義仲は松殿の局(つぼね)に別れを惜しみとやら。されば世に望み窮まりし妾(わらわ)が身にては、せめては御身在生の中に最後を致し、死に出の道とやらんにて待ち上げ奉り候。必ず必ず秀頼公の鴻恩御忘却なきよう頼み上げ参らせ候」。

 女子がその夫、家庭並びに家族の為に身を棄てるは、男子が主君と国の為に身を棄てると同様の喜びであった。自己否定、これなくしては何ら人生の謎は解説され得ず、男性の忠義に於けると同様に女性の家庭の切り盛りの基調であった。女性が男性の奴隷でなかった。このことは、彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様である。女性の果たしたる役割は内助即ち「内助の功」として認められていた。奉仕の上向秤に於いて、女性は男性の為に己を棄て、これにより男性をして主君の為に己を棄てるを得しめ、主君は又これによって天に従う。

 私は、この教訓の欠陥を知っている。そして、キリスト教の優越ほど、生きとし生ける人間各自に創造者に対する直接の責任を要求する点に於いて宣言されているものは他にはどこもない。にも拘わらず、奉仕の教義に関する限り、自己自身即ち自己の個性を犠牲にしてより高き目的に仕えることでは、キリストの教えの中最大であり彼の使命の神聖なる基調を為している奉仕の教義に於いて、これに関する限りにおいて、武士道は永遠の真理に基づいている。

 読者は、私を、意志の奴隷的服従を称揚するとの不当の先入観を抱く者として咎めないであろう。私は、ヘーゲルの「歴史は自由の展開及び実現である」を、その思想の深遠さを学び擁護する立場で、その見解をば大体に於いて受け入れる。 私の明らかにせんと欲する点は、武士道の全教訓が自己犠牲の精神によって完璧に染められており、それは女性のみでなく男性についても要求せられたと云うことである。従って、武士道の教訓の感化が全く消失するに至るまでは、我々の社会は、或るアメリカ人の女権論代表者が「全ての日本の女性が旧来の習慣に反逆して決起せんことを」と叫んだ軽率なる見解を認めないだろう。

 かかる反逆は女性の地位を向上せしめるだろうか。かかる軽率によって獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところより起りし道徳的腐敗を見れば、そういう方向へ向かう悦楽気分の喪失で報いられているのではないのか。アメリカ人の改良家は、「我が国女性の反逆は歴史的発展のとるべき真の経路である」などと説くが確言し得るのか。これは重大問題である。変化は反逆を待たずして来ねばならず、来るであろう。今暫く、武士道の制度下に於ける女性の地位が果たして反逆を是認するほど実際に悪しきものであったのか否かを見ようではないか。

 我々は、ヨーロッパの騎士が「神と淑女」に捧げたる外形的尊敬について多くを聞いている。この二語の不一致はギポンをして赤面せしめしところである。ハラムは、「騎士道の道徳は粗野であり、婦人に対する慇懃は不義の愛を含んでいる」とも述べている。騎士道の女性(weaker  vessel)に及ぼしたる影響は、哲学者に思索の糧を提供した。ギゾー氏が「封建制度と騎士道は健全なる影響を与えた」と論じているのに対し、スペンサー氏は「軍事社会に於いては(しかして封建社会は軍事的にあらずして何ぞ)、女性の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となるに伴ってのみ改良される」と述べた。さて、日本については、ギゾー氏の説とスペンサー氏の説といずれが正しいか。答えて、私は、両者ともに正しいと確言し得る。

 日本に於ける軍事階級はほぼ約200万人から編成されるサムライに限られていた。その上に、軍事貴族たる大名と宮廷貴族たる公卿(くげ)とがいた。これらの身分高く奢侈的貴族たちは、ただ名称に於いてのみ武人たるに過ぎなかった。武士の下には平民大衆がおり、即ち職人、商人、農民がおり、これらの者の生活は専ら平和の業務に携わっていた。かくして、ハーバート・スペンサー氏が軍事的形態の社会の特色として挙げるところのものは専らサムライ階級に限られていたと云うことになるだろう。これに反し、産業的形態社会の特色は、その上と下との階級に適用せられ得るものであった。

 このことは女性の地位によりて能く説明できる。と云うのは、婦人が最も少なく自由を享有したのは武士の間に於いてであった。奇態なことには、社会階級が下になればなるほど、例えば職人の間に於いては、夫婦の地位は平等であった。身分高き貴族の間に於いても又、両性間の差異は著しくはなかった。これは主として、有閑貴属は文字通りに女性化した為、性の差異を目立たしめる機会が少なかりし故である。かくしてスペンサーの説は旧日本に於いて十分に例証せられた。ギゾーの説に関しては、彼の封建社会観を読みし者は、彼が特に身分高き貴族をば考察の対象と為したることを覚えているであろう。従って、彼の概括.は大名及び公卿に適用せられるものである。

 私は、もし私の言が武士道の下に於ける女性の地位に関し、甚だ低き評価を人に抱かしめたとすれば、私は歴史的真理に対し大なる不正なる罪を犯したことになるだろう。私は、女性が男性と同等に待遇されなかったと述べるのに躊躇しない。しかしながら、我々が差異と不平等との区別をば学ばざる限り、この問題についての誤解を常に免れないであろう。男性でさえ相互の間に平等なるは、法廷もしくは選挙投票等の例でも分かるように、極めて少数の場合に過ぎざることを思えば、男女間の平等についての議論をもって我々自らを煩わす如きは無駄と思われる。アメリカの独立宣言に於いて、全ての人は平等に創造せられたと云われているのは、何ら精神的もしくは肉体的能力に関するものではない。それは、昔、アルピアンが、法の前には万人平等であると述べたことを繰り返しているに過ぎない。この場合に於いては、法律的権利が平等の尺度であった。

 もしも法が社会に於ける女性の地位を計るべき唯一の秤(はかり)であるとせば、その地位の高い低いを告げるのは、彼女の体重をポンド、オンスで告げるのと同様容易なことである。しかし、問題はこうである。男女間の相対的なる社会的地位を比較すべき正確なる標準は何か。女性の地位を男性のそれと比較するに当り、銀の価値を金の価値と比較するが如きにしてその比率を数字的に出すことが正しいか、それで足りるか。かかる計算の方法は人間の持つ最も重要なる種類の価値、即ち内在的価値を考察の外に置くものである。男女各々その地上に於ける使命を果たす為、必要とされる資格の種々多様なることを考えれば、両者の相対的地位を計る為に用いられるべき尺度は複合的性質のものでなければならない。もしくは、経済学の用語を借りれば、複本位でなければならない。

 武士道はそれ自身の本位を有した。それは両本位であった。即ち女性の価値をば戦場並びに炉辺によって計ったのである。前者な於いては女性は甚だ軽く評価されたが、後者に於いては丸ごと評価された。女性に与えられたる待遇は、この二重の評価に応じた。社会的政治的単位としては高くはなかったけれども、妻及び母としては最も高き尊敬と最も深き愛情とを受けた。

 ローマ人の如き軍事的国民の間にありて、女性が高き尊敬を払われたのは何によるか。それは彼らがマトロネ―(matrona)即ち母であったからではないのか。ローマ人は戦士もしくは立法者としてではなく、母として女性の前に身を屈(かが)めた。我が国民についても同様である。父や夫が戦場に出て不在なる時、家事を治むるは全く母や妻の手に委ねられた。若者の教育、その防衛すらも、彼女らに託された。私が前に述べた女性の武芸の如きも、主として子女の教育をば賢しく指導するを得んが為であった。

 私は、半解の外国人の間で、日本人が俗に自分の妻をば「愚妻」などと呼ぶのを見て、妻を軽蔑し尊敬せざるものとみなす皮相の見解が行われていることに気づかされている。 しかし、「愚夫」、「豚児」、「拙者」等々の語は、日常使用されていることを告げれば、それで答えは十分明瞭ではなかろうか。

 私には、我が国民の結婚観は或る点に於いてはいわゆるキリスト教徒よりも進んでいるように思われる。「男と女と合いて一体となるべし」。アングロ・サクソン系の個人主義のもとでは、夫と妻は別の二人の人間であるという考え方から抜け出すことができない。その為、二人がいがみ合う時は、それぞれに権利が認められ、彼らが相和す時には、あらゆる種類の馬鹿馬鹿しき相愛の語や無意味(nonsensical)な阿諛の言葉のありたけを尽す。夫もしくは妻が他人に対し、互いの半身のことを、良き半身か悪しき半身かは別として、愛らしいとか、聡明だとか、親切だとか何だとか云うのは、我が国民にの耳には極めて不合理に響く。

 自分自身のことを、「聡明な私」とか「私の愛らしい性質」などと云うのは良い趣味だろうか。我々は、自分の妻を褒め、もしくは夫を褒めるのは自分自身の一部を褒めるのだと考える。しかして我が国民の間では、自己称賛は少なくとも悪趣味だと看做されている。しかして、私は希望する。キリスト教国民の間にありても同様ならんことを。自己の配偶者を社交辞令的に貶(けな)して呼ぶことはサムライの間に通常行われたる習慣であったから、私はかなり長く横道に入って論じた次第である。

 チュートン人種は女性に対する迷信的畏怖をもってその種族的生活を始め、(これはドイツに於いては実際消滅ししあるが)、又アメリカ人は女性の人口不足と云う痛ましい自覚の下にその社会生活を始めた。(アメリカの女性人口も今は増加して、植民地時代の母性の有したりし特権を急速に失いつつあるのではないかと、私は恐れる) 従って、西欧文明に於いては、男性が女性に対して払う尊敬が道徳の主要なる標準となったのである。しかし、武士道の武的論理に於いては、善悪を分かつ主要の分水嶺は他の点に求められた。それは、人をば己の神聖なる霊魂に結び、しかる後私が本書の初めの部分にて述べし五倫の道に於いて他人の霊魂に結ぶ、義務の線に添うて居所を据えた。私は、本書の初めの部分で言及した。この五倫の中、読者に、忠義即ち臣下たる者と主君たる者との関係について説くところがあった。その他の点については、ただ折に触れて付言したに過ぎない。けだしそれらは武士道に特異なものではなかったからである。それらは自然的愛情に基づくものとして、当然全人類に共通であった。

 但し二、三の特殊の点に於いて、武士道の教訓から導き出される事情により、それの強められたることはあり得る。これに関連して私は、男性相互間に於ける友情の特別なる力と優しさを想起する。これはしばしば兄弟の盟約に対しロマンチックなる愛慕を付加したのであり、しかしてこの愛慕の情が青年時代に於ける男女別居の習慣によって強められたことは疑いない。けだし、この別居は、西欧の騎士道もしくはアングロ・サクソン諸国の自由交際に於ける如き愛情の自然的流露の途を塞いだのである。デ―モンとピシアス、もしくはアキレウスとパトロクロスの物語の日本版をもってページを埋めることは困難ではない。或いはダビデとジョナサンとを結びしに劣らぬ如き深き友情をば、武士道物語の中に述べることもできよう。

 私は、少女がイングランドから輸入され、相当なるタバコのポンドを得る為に結婚させられた時の日々に言及する。 しかしながら、武士道特有の徳と教えとが、武士階級のみに限定せられなかったことは怪しむに足りない。このことは、我々をして武士道の国民全般に及ぼしたる感化の考察に急がしめる。

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