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2012年7月 2日 (月)

れんだいこの吉本隆明論

 2012.3.15日、戦後の日本左派運動史上に思想的に大きな影響を与え続け、「戦後思想の巨人」と云われた評論家にして詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき、音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い)氏が肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した(享年87歳)。長女は漫画家ハルノ宵子、次女は作家よしもとばなな。

 吉本隆明の逝去に際して幾つかの追悼文が出ている。れんだいこも、太田龍に為したと同様の手法で氏の履歴を確認してはみたがサイトアップせぬままに来た。その理由に、恥ずかしながら、れんだいこは吉本氏の著作を一冊も読んでいない。片言隻句を知っているぐらいで妙に縁がなかった。そういうレベルの者が批評を公にするのは如何なものかと思いやり過ごして来た。

 ところが、直近で同じく一冊も読んでいない保田與重郎論を書きサイトアップした。ならばついでと本ブログを世に送る。保田與重郎論4で確認したが、吉本氏は、思想形成期に影響を受けた思想家の一人として保田與重郎の名前を挙げているとのことである。これによれば、.吉本隆明が保田與重郎の影響を受けていることになる。この誼からでもある。

 吉本氏の詩人能力、文芸批評能力に関しては語る資格がないので轄愛する。れんだいこが吉本隆明を高く評価する所以は、1955年の六全協の宮廷革命で、それまでの徳球―伊藤律系党中央から宮顕―野坂系党中央へ大転換した後の日本共産党に対し、公然と反旗を翻した理論的指導者としての第一人者であったことによってである。吉本氏が、転向論を書き上げ、当時神話化されていた宮顕の非転向聖像を引き剥がしたことも高く評価する。既に共産党批判者は外部からも内部からも五万と居たであろうが、かの1950年末時点で、かようなスタンスを思想的理論力によって確立し得た者は吉本氏を措いてはいないのではなかろうか。これが、れんだいこが吉本隆明を高く評価する所以である。

 付け加えるとすれば、日本共産党中央が徳球系から宮顕系に転換し、宮顕指導の反動性を嗅ぎ取った全学連中央がそれまでの共産党支配から離れ自律化せんとした動きを強め、60年安保闘争の前夜にブントを結成した時、吉本氏が当時の全学連活動家を鼓舞し、終始その思想的指導者として好意的随伴者であったことにつき高く評価している。繰り返しになるが、既に共産党批判者は外部から内部からも五万と居たであろうが、かの1950年末時点で、宮顕系党中央の胡散臭さを見抜き、その挙動不審に鋭い批判を浴びせ続けた論者は吉本氏を措いては知らない。

 これが、れんだいこの吉本隆明論の前半である。後半は厳しくなる。即ち、吉本の転向論につき、れんだいこの転向論研究に照らすと、宮顕批判と云う結果は同じだが論法が真逆なものとなっており、どこかで決着付けねばならないと考えている。どう違うのかと云うと、時代的制約もあっであろうが、吉本氏は、宮顕の非転向を信じた上で非転向の内実の価値を問い、非転向必ずしも自慢にならずと批判の舌鋒を鋭くしている。

 これに対し、れんだいこは、宮顕の非転向を虚と断じている。宮顕唯一非転向聖像は当局との阿吽の呼吸の上で造られた神話であり、非転向どころか端から当局のスパイであったとしている。当局は、宮顕人脈が確保できたことで、それまでのスパイMを用済みにし、その地位を宮顕が継ぎ総元締めすることになったと見立てている。こういう観点の違いにより吉本式転向論に馴染めない訳である。非転向の内実の価値の問い方も異なるが、ここでは割愛する。

 吉本氏の全学連ブント派支援についての評を厳しくしようとは思わない。繰り返すことになるが、かの1950年末時点で、宮顕系共産党を共産党の変質と判じ、共産党と云う名をもって語ることさえおこがましいとの意味で日共と蔑称し、同様の観点に立つうら若き全学連ブント派活動家と同衾したのは勇気ある知的営為であったと思っている。但し、難点を云えば、その若きブントを鍛え正しく指導すると云う観点はなさ過ぎたのではなかろうか。吉本にそれを求めるのはお門違いであるかも知れないが、そういうもの足りなさを感じるのを許してもらいたい。

 吉本の著作を読み損ねた理由の一つに、氏の斜交い構えの論法が関係している。それとやけに難解な文章であるように思えたのも理由の一つであろう。確か「国家は幻想である」とかの言を為しており、れんだいこの70年初頭の学生運動期に、或る部室で、これを大真面目に請け売りする論者と口角泡を飛ばしながら論争した経緯があり、その時の嫌な思い出も関係していたようにも思われる。そういうこともあって、どうにも読む気がしなかったと云うのが実際である。そういう拙い関係のまま今日を迎えている。

 気づいたことは、吉本氏が、60年安保闘争時にはあれほど一級の知識人的活動をしたのに70年安保闘争では登場せず、1970年代後半のロッキード事件につき政論を発表していないことである。1980年代初頭の中曽根政権、2000年代初頭の小泉政権に対する論評がない。これらは左派系且つ新左翼系政治思想家としては不可解なことである。

 比較で云えば、左からいわば右へ大きく転向した太田龍が切り開いた国際金融資本権力体批判、彼らの信奉するネオシオニズム批判、その歴史的解析、そこから逆照射して獲得せんとした日本古来の縄文思想の質の高みの称揚、これらが皆無である。そういう意味でどうもしっくりこない。現代思想上の営為に於いて肝心かなめのこれらのテーマに対して無言及の大思想家なんて有り得るだろうか。晩年の原発の擁護、オウム真理教に対する安逸な賛辞となると論外と云うべきだろう。

 以上から総括すれば、れんだいこが高く評価する吉本隆明は1950年代から60年代までの履歴に対してである。その後の吉本に眩しさを感じることはない。これが結論となる。思い切って述べさせていただいたが若輩者の試論としてご容赦願いたい。

 2012.3.20日、2012.7.2日再編集 れんだいこ拝

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コメント

私も吉本著作は未読です。
きょうはおおやまと豊葦原瑞穂の洲扶桑革命を提唱しております。
よろしくお願い申し上げます。とおりがけ拝


以下、内藤朝雄さん(明大・社会学者)のツイッターから。
=転載開始=
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6月23日 内藤朝雄‏@naitoasao
・ttp://twitter.com/#!/naitoasao
【橋下徹の正体】脱原発に関して最初から裏切る予定だった。橋下が前原に託した首相官邸宛てのメッセージが暴露された。「再稼働が決まるまでの間は、脱原発でやらせてもらう」。(『FRIDAY』2012年6月22日号、18ページ、講談社)その後大阪に瓦礫をまいて国政へ。後は野となれ山となれ

@naitoasao 【リツィートしてください】先ほどの橋下徹の「再稼働が決まるまでの間、脱原発でやらせてもらう」のツィート、総力をあげて拡散してください。このFRIDAYの記事が人の命を救います。リツィートを受け取った人にもリツィートをお願いしてください

【橋下徹、大阪市民は放射能で死んでも、瓦礫を受け入れるべし、という内容の発言をする】橋下徹市長の発言についてtogetterでまとめ。多くの人に読んでもらいたい。・ttp://togetter.com/li/263167

橋下徹ツィッター発言(2012/2/24)「世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし日本では震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのにがれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」

以下略続きは阿修羅で
>>・ttp://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/168.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全国どこの土地でも次回の抗議デモは皆ビデオカメラと(電池と)黄色ハンカチだけ持参で整然と静粛にやろうね(笑)

>>
庭山由紀 ‏@niwayamayuki
@iwakamiyasumi 土曜日カメラが入る前はもっとひどかったと抗議に参加した市民から聞いている。カメラがあったおかげで機動隊は下手なことができなくなった。IWJに感謝。そしてIWJで監視し続けた皆さんに感謝。現実を見ること、監視することって大事なんだなってつくづく思った。
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20時間 岩上安身 ‏@iwakamiyasumi
最前線ゾーンは、外部と遮断された形で孤立させられ、その中で重装備の機動隊が反対派市民に圧力をかけた。もし我々が中継をしていなかったら、目撃者のいない「密室の暴行」になっていたかもしれない。( #iwakamiyasumi live at ・ttp://ustre.am/eOVh)
庭山由紀さんがリツイート
<<
以下略続きは下記で
・ttp://twitter.com/#!/niwayamayuki
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【豊葦原瑞穂の国の大和(大いなる和)魂】

日本人だから黄色いハンカチじゃなく白ハンカチに日の丸赤く染めて持ってったほうがユダ金スパイ官憲暴力除けと日本独立不羈回復して豊葦原瑞穂の国再建の霊験あらたかだな。

うん、ビデオカメラと手作り日の丸ハンカチ持参で整然と結集し常民皆相和して日出ずる国日本人の平和のこころを平常心で全世界に示そう。

これこそが常に地上世界に冠たる「和をもって貴しとなす」日本人民衆伝統の静かなる扶桑革命である。

投稿: 通りがけ | 2012年7月 3日 (火) 08時13分

吉本に影響を与えた最も重要な思想が『実存主義』である。「大衆の原像」という概念は、生の充実を与えることのできない知の虚しさに対する批判であり、自戒から生れたということは周知の事実である。国民とは自分自身のことであり、現にここにこうして生きている実感がある、対して国家は見ることも触ることも出来ない、ただ概念としてあるのみである。しかし、概念を生き概念に生きる知識人にとって概念を完全に消し去ることはできない。そこで、吉本が考えた姑息な戦術が自己幻想→対幻想→共同幻想という「程度問題」の提示である。吉本は「国民は国家のために死ねない」といって国民の実在性にこだわるが、「国民は国民のために死ねない」、生身の人間が自殺することもまた至難であるということを忘れている。こんな中学生レベルの単純なロジックがわかってはいない。

「国民は国家のために死ねない」VS「国民は国民のために死ねない」、さて、どちらが真実なのか?

一体、日本の知はどうなっているのでしょうか?

投稿: eegge | 2014年7月 8日 (火) 23時55分

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