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2012年11月

2012年11月29日 (木)

2012.11.29日付け読売社説にもの申す

 2012.11.29日付け読売社説「日本未来の党 「卒原発」には国政を託せない」を発表している。最初に読売社説を掲げ、これを下敷に本来のジャーナルを速攻で書きつけて見る。マスコミが真っ当ならこういう社説が欲しいところであろう。

 日本未来の党 「卒原発」には国政を託せない(11月29日付・読売社説)
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121128-OYT1T01459.htm

 国力を衰退させる「脱原発」を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せるだろうか。日本未来の党が、正式に発足した。代表に就任した嘉田由紀子滋賀県知事は「卒原発プログラム」を作成し、徐々に原発を減らして10年後をめどに原発ゼロにする意向を示した。「脱増税」「脱官僚」「品格ある外交」など抽象的な言葉ばかりを掲げている。経済や社会保障、安全保障といった重要なテーマでさえまだ政策がない政党だ。

 嘉田氏が「この指止まれ」と呼びかけたように見えるが、実態は国民の生活が第一の小沢一郎代表や、民主党を離党して新党を結成した山田正彦元農相らが根回しをして、合流を決めたものだ。空疎なスローガンと、生き残りのために右往左往する前衆院議員たちの姿には、政治家の劣化を痛感せざるを得ない。嘉田氏が掲げる「卒原発」は脱原発と大差はない。それだけでは願望に過ぎず、無責任である。電力の安定供給や代替エネルギー確保、経済・雇用対策、原子力の人材育成などについて現実的な計画を明確に示すべきだ。

 結党に際して発表した「びわこ宣言」には「原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県」とある。電力供給の恩恵を受けておきながら、原発立地自治体への配慮が不十分だ。

 滋賀県の利害のために国政に進出するとの発想も改める必要がある。嘉田氏は知事と党首との兼務が可能かどうか悩んだという。政党運営の経験がないだけに、両立には困難が伴うに違いない。小沢氏が名称にもこだわった政党をあっさり捨てても、驚くには当たるまい。党首として前面に出たくなかったのだろう。その分、未来の党の公約原案には小沢氏の従来の主張が反映されている。日本維新の会と連携できず、民主党離党組の党だけでは選挙戦で埋没する。クリーンイメージの嘉田氏を「表の顔」に担ぎ出して巻き返そうと考えたようだ。相変わらずの小沢流である。

 「決められない政治」で既存政党に対する国民の不信感が高まる中、急ごしらえの新党の離合集散が目立っている。だが、新党は、国政を担う能力に疑問符が付き、政策も大衆迎合色が濃厚だ。有権者はそのことを十分理解した上で、新党の真価を見極めることが重要である。

以下、れんだいこ社説

 日本の未来が、国家百年の大計に鑑みての「脱原発」を政治目標に掲げ立党された。名前に相応しく日本の未来を託せるだろうか注目したい。代表に就任したのは嘉田由紀子滋賀県知事。「卒原発プログラム」を作成し、徐々に原発を減らして10年後をめどに原発ゼロにする意向を示した。他にも「脱増税」、「脱官僚」、「品格ある外交」などの指針が掲げられている。経済や社会保障、安全保障といった重要なテーマでの政策にも然るべき政策が打ち出されることを期待したい。

 嘉田氏は「この指止まれ」と呼びかけた。ここまでの経緯には国民の生活が第一の小沢一郎代表、民主党を離党して新党を結成した山田正彦元農相らの根回しがあった。早速に合流を決めている。小選挙区制を見据えて見事に対応した能力を評価したい。嘉田氏が掲げる「卒原発」は脱原発と大差はない。「卒原発」は脱原発の具体的プログラムを作るところに意味がある。電力の安定供給や代替エネルギー確保、経済・雇用対策、原子力の人材育成などについての具体的な計画を明確に示すことが望まれている。

 結党に際して発表した「びわこ宣言」には「原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県」とある。近畿の水がめと云われるびわこの危機を考えれば、原発型電力供給からの一刻も早い転換が望まれている。原発立地自治体は徒に従来の行政に流されるのではなく早急に呼応すべきである。

 「びわこ宣言」を引っ提げて国政に進出した発想が素晴しい。嘉田氏は知事と党首との兼務が可能かどうか悩んだという。政党運営の経験がないだけに両立には困難が伴うだろうが活路を切り拓いてほしい。小沢氏は名称にもこだわった政党をあっさり捨てた。党首として前面に出ることもせず一平卒に戻った。まさに身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれである。未来の党の公約原案には小沢氏が率いた国民生活第一党の主張が反映されている。日本維新の会とは政策が違い過ぎ連携の余地がないことがはっきりした。国民生活第一党に結集した議員の全員当選に責任を持つ指導者として、クリーンイメージの嘉田氏を「表の顔」に担ぎ出して打って出た小沢流の采配が見事である。

 「日本の為にならない売国政治」を競い合う既存政党に対する国民の不信感が高まっている。こうした折、日本の自律的発展と展望を持つ政策の近い党の糾合は国民世論の要望に応えるものである。国政を担う能力を高め国民生活第一とする政策をどこまで実現できるのかが課題である。有権者の賢明な判断が期待されている。第三極は維新と未来に分岐した。新党の真価を見極めることが重要である。

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2012年11月25日 (日)

来る衆院選の公明正大な投開票考

 「田中龍作ジャーナル」の2009.9.3日付けブログ「期日前投票の闇 権力は当選を操作できる」が重要な指摘をしている。それによると、戦後来なかった後進国特有の選挙不正が最近流行っている感があるとの事。その手口は、当日投票分では考えにくいので期日前投票分が怪しいとの事。

 期日前投票の投票箱は選管に保管され普通は役所の建物の中に置かれる。当然、投票箱には鍵がかけられるているが、問題はその鍵の保管である。鍵の保管がルーズであれば差し替えられる可能性があると云う。こうなると、鍵の保管を選管にのみ任せていて大丈夫なのかと云う問題が発生する。少なくとも常時監視人を置き、且つ選挙期間中、修正の効かないビデオ撮影をしておく必要があるのではなかろうか。当然、選管がこれをチェックし報告せねばならない。

 今までの日本ならこういう心配は必要なかった。政権与党がそのような選挙不正を潔しとしなかったからである。しかし今の日本は違う。何が起こるか何をされるか分からない。例えば、小泉政権時代の神奈川選挙区であったと記憶するが、投票者数より投票数の方が多かったという事例が報告されていた。勝敗には関係なかったが起ってはならないことが見逃されている。

 国政選挙とは違うが、菅と小沢の一騎打ちとなった民主党代表選で、党員票の集計が外資系の民間会社に請負され、その党員票が後で再チェックされるどころか廃棄処分されている。この問題もスル―されたままである。従来ならあり得ないアンフェアなことが最近起りつつある。こういうことを知っておく必要があろう。来る2012衆院選の12.4日公示前に、この辺りの事を打ち合わせておくべきではなかろうか。

 結論的に云えば、選管をチェックする体制を敷かねばならない、特に期日前投票箱の保菅について万全を期さねばならないと云うことである。不正が為された場合の当事者の処分、選管の責任を明確にしておかねばならないと云うことである。この問いなくして選挙に突入するのは怖いと思うのは、れんだいこだけだろうか。

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2012年11月22日 (木)

角栄とは何者だったのか、「角栄票はどこに流れたのか追跡調査」考

 田中角栄とは何者だったのか、どう評するべきかにつき、その左派資質と傾向について注目し言及しているのは、今のところれんだいこの独壇場の感がある。本稿は、これを補足するものである。

 付言しておけば、れんだいこは、角栄を左派的に見るのを通り越して、縄文人的叡智の霊能者の一人と見なしている。系譜的には出雲王朝の大国主の命の現代版と位置づけている。早坂秘書はスサノウの命になぞらえていたが半端である。日本古々代史の知識不足のせいで、早坂秘書の真意は大国主の命の系譜であることが云いたかったのではないかと思っている。早坂秘書が、スサノウの命になぞらえる形で縄文人的叡智の霊能者の一人として角栄を見なしていた観点が慧眼であったと思っている。

 もとへ。小林吉弥氏が著作「角栄一代」の冒頭で、「『革新政治家』だった角栄」として衝撃的な記事を掲載している。角栄の政界引退後の新潟3区の約18万の角栄票の流れを追っている。その追跡により主として社会党に流れたことを明らかにしている。

 角栄は、1985(昭和60)年、竹下らの創政会発足直後、脳梗塞で倒れ入院。言語障害や行動障害が残り、以降政治活動が不可能になった。1989(平成元)年、娘婿の直紀が次期総選挙への田中角栄の不出馬を発表した。迎えた1990(平成2).2.18日の総選挙で、事前の予想に反して社会党の新人・目黒吉之助氏が9万4107票でトップ当選した。自民党前職の渡辺秀央が7万2263票で2位、同じく自民党前職の星野行雄が6万9832票で3位、同じく自民党前職の桜井新6万6860票で4位、同じく自民党前職の村山達雄が6万4468票が5位、社会党前職の坂上富男は次点に泣いた。この結果は、角栄票が自民党よりもより多く社会党シンパシーの者達に支えられていたことを証左していると分析している。

 この分析を更に補強してみたい。史実的に見て、角栄は元々旧日農(日本農民組合)系に支えられて誕生した国会議員であり、この線が根強く保持されていた。「角栄票はどこに流れたのか追跡調査」はそのことを判明させたことになる。日農とは左派系の農民運動団体であり、戦後1947年に賀川豊彦や杉山元治郎らの指導者によって結成され、全国各地で起きていた小作争議を指導することで勢力を伸ばしていた。新潟は江戸時代から農民一揆が少なからず起きていた土地柄であったから日農運動が浸透し易い素地があり、新潟三区では戦後初の選挙から社会党系の候補が常時2名ないし3名当選していた。

 戦後の普通選挙制を見て代議士を目指すことになった角栄は、最初は進歩党から立候補し落選、次に民主党から立候補し当選したが、その政治理念は「民主政治と経済復興による国家の廃墟からの再建」であり、農地改革後の日農運動の利害ともほぼ一致していた。こういう土壌の一致によってか、戦前からの農民運動の闘士で、何度も警察に逮捕されていた経歴を持っており、当時の地元の日農運動を指導していた社会党の三宅正一代議士に目をかけられ、選挙戦のイロハから教えを受けている。以降、角栄と三宅は互いに心を許し且つ畏敬し合う関係になった。三宅が落選して以降は終生に亘って、三宅の知らぬまま生活の面倒を見ると云う美談を遺している。

 角栄の代議士生活が順調に歩を進めるに連れて、やがて日農指導者が各地に越山会を結成し核となっていった。農民運動の闘士たちは、「飯も食えない、子供を大学にも出せないという悲しい状態を解決するのが政治の先決だ」という角栄の発想に共鳴し、越山会のリーダーとなりエンジン役になっていった。日農のリーダー等は、「政治家としての筋は今ひとつ分からぬが仕事はできる」、「オイ、あの田中ってのは若いがなかなか見どころがあるぞ」、「田中は面倒を見てくれる」と角栄を評価し、以降の政治行動を一蓮托生にさせていった経過がある。

 その好例が江尻勇・氏の例である。江尻氏は、ニ田村役場に勤めていたが、戦後間もなく戦争事務を執っていたという理由で役場を辞めさせられた。日農系の社会党代議士となっていた三宅正一の応援に回ったが、1951(昭和26)年頃、角栄と話しをする機会があり、「あんたは社会党をどう考えているのか」と詰問したところ、角栄は顔を真っ赤にして、「バカな。社会主義では、これから先は通らない。先の読めるのは保守党だ」。角栄の放つオ―ラに負けたのか、これを機に江尻は社会党から離れ、以降40年に及ぶ歳月を角栄一辺倒に捧げ、地元刈羽町の越山会会長として殉じ、町長になる。平成元年10月の田中引退に合せて、30余年にわたった町長職を辞している。

 平石金次郎もその好例である。平石氏は岩塚製菓の創立者であるが、元々熱心な社会主義者であった。戦後の混乱期を社会党の応援に奔走するが、社会党議員は理念は語るが具体策を持とうとせず、そうしたスローガン一辺倒主義の空理空論に失望し、「理屈をこねるより今日喰う飯が先だ」として越山会に入った。後に越路町(現越路市)の町長を務め、目白陳情に足しげく通うことになる。

 こういう検証をもっと丹念にしたいが資料が手元にないので、これ以上は分からない。恐らくもっとたくさん出て来ると思っている。衆知のように角栄は自民党の実力者として自己形成し、早くより頭角を現し、要職を経て遂に首相の座を射止める。その間の権力闘争に於いて角栄式の資金調達と分配を余儀なくされたところを評して、政権末期の頃から金権帝王、諸悪の元凶として評され始め、やがてロッキード事件でトラ挟みに遭う。ロッキード社よりの5億円贈収賄容疑を徹底否認し公判闘争に向かうが、その政治活動を大きく殺がれ、最終的に政治能力を封殺されることになったのは衆知の通りである。それは、れんだいこが評せば、国家的に見てあたら惜しい千年に一人の傑物の政治的絞殺劇であった。

 本稿を急きょ書きたくなったのは、小沢どんの政治能力と履歴がこれにダブルからである。もとより、小沢どんを角栄と比して角栄ほどには左派的ではないにせよ、大国主の命的超能力の持主とは思えないにせよ、共通して同じような日本原人的叡智の霊能者の風情が見て取れる。東北日高見の国の血筋を引いているのも頼もしい。れんだいこが、小沢氏を、西郷隆盛を除いては被せない小沢どんと評する所以の有能者にして且つ実直さがある。何より現代政治家の中で角栄の薫陶を受けた第一人者であることが頼もしい。それ故の迫害を蒙る訳であるが、一市井人ならいざ知らず政治家なら本望と云うべきだろう。この辺りのことが分からず国を売ってまで立身出世に汲々とする政治家ばかりの今日の方がオカシイと思うだけのことである。

 本稿の締めはこうなる。角栄は無論のこと小沢どんをも諸悪の元凶として評することで左派ぶるエセ左派が今も多い。賢明な者は既に耳目を洗って角栄を再評価し、その流れで小沢どんをも高く評価しているが、未だに頑迷な左派もんが多い。手前らが日本政治史上何の有益な貢献ができなかった癖に、壊れたテープレコーダーのように角栄と小沢どんを悪しざまに云うことで左派ぶっている手合いが未だに多い。れんだいこは、こういう手合いに漬ける薬を調合中である。未だ開発できていないが、そのうち世論の流れも変わるだろうと信じている。

 もとへ。その小沢どんが身命を賭して最後の大勝負に向かっている。この時、安上がりにして下手なイデオロギーを振りまわして立ち向かうようなことはなさらないで、願わくばオリーブの木に止まってくれるよう祈る。敵は多勢ながらオールニセモノばかりである。ワシントンへのお供えを競争している感がある。これに比すれば小沢どんを代表とする国民生活第一党は少数ながら真の愛国愛民派である。手を貸すとすれば小沢オリーブ以外にはありえまい。

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2012年11月21日 (水)

野田系党中央進駐軍の「公認踏み絵制」を嗤う

 各党が12.16日投開票2012衆院選に向けて猛烈ダッシュしている時、政権与党の民主党の逆走が止まらない。長野3区で、羽田元首相の引退に伴う地盤引き継ぎとして、長男にして現参院議員、国土交通相の羽田雄一郎に譲ろうとしたところ世襲禁止規定に触れるとして認めず、結局不出馬となった。後任はこれから決めると云う。世襲禁止規定を現議員にまで及ぼすとは異常と云うべき厳格化であろう。羽田元首相が小沢どんと並ぶ角栄の直弟子であることを考えると根の深い嫌がらせと云うことになる

 北海道9区では、民主党生みの親にして2009政権交替による民主党初代首相の鳩山氏が公認を貰えず引退を余儀なくされた。過去に自ら首相辞任と同時に政界引退すると公言していたこともあり却ってすっきりした面はあるが、生みの親にして元首相たる者を公認しないとは釈然としない政界引退劇ではなかろうか。こういう調子であれば今後何が起こるか分からない。野田系党中央が正気でないのは確かであろう。こちらも後任はこれから決めると云う。

 この一連のゴタゴタに何を感じるべきだろうか。れんだいこは、2009政権交代以降、小沢政権を誕生させない任務を帯びて党中央を占拠した進駐軍の「上からの反革命」が引き続き継続していると見なす。野田系党中央進駐軍は、奥の院指令に忠実に2012衆院選に於ける民主党の徹底的敗北を上から企図しており、その為に必要な権謀術数に明け暮れていると見なす。普通ではあり得ないのだが現に起っているとみなす。誰か他の理由を見いだすことができるだろうか。れんだいこ推理に基づけば全てが解け、基づかなければ解けないとしたら、この推理に従うべきではなかろうか。

 以上を前置きにして気になることを発信しておく。野田系党中央進駐軍は今、TPP(環太平洋経済連携協定)その他の諸法案を廻り、党中央方針に賛同しない人は公認しないと明言し踏み絵を迫っている。だがしかし、この「公認踏み絵」こそ一票の格差問題よりもはるかに重大な憲法違反ではなかろうか。

「一票の格差問題」は、一票の格差を有権者数のみを指標とする憲法違反論で取りざたされているが、れんだいこの見るところ、一票の格差を有権者数のみを指標とすることの方こそが憲法違反であると考える。一票の格差は、有権者数と選挙区の面積と都道府県の産業力その他の指標から算出されねばならず、有権者数のみを指標とすれば国会議員が都市部に集中する弊害が生まれ、これこそ正真正銘の憲法違反と考える。日本司法の最高の頭脳とも言うべき最高裁が有権者数のみを指標とする一票の格差論を是認したのは日本司法の頭脳の貧弱さによると考える。

 もとへ。野田系党中央進駐軍の「公認踏み絵制」が何故に憲法違反なのか。元々は最近の事例としては小泉政権時の郵政民営化法案時の公認手法に由来するが、反対派を除名し、刺客まで送って反対派潰しに興じたのは記憶に新しいが、本来はあり得てならない。それはなぜか。要するに政党論の問題になるが、政党は個々の政策によって結集したものではなく、時代の総合的なグランドデザインの下に賛同した者によって成り立つからである。時代の総合的なグランドデザインのことを綱領と云う。この綱領こそが党の憲法であり、個々の政策までタガ嵌めするものではない。場合によっては、綱領でさえ緩めに解釈され、時代に応じて綱領の改編まで視野に入れる者をも吸収するのが政党である。つまり党内反対勢力を常時抱えながら同志的結合をするのが政党の要件である。

 このことを踏まえると、幾ら党中央が企図する重要法案とはいえ、それを公認条件にまで高めるのはヤリ過ぎな党中央権力の横暴、乱用と云うべきだろう。こういう弁えを持つ政党論、党中央論が理論的に獲得されていないことが、こたびのような野田系党中央のような子供じみた権力乱用を生んでいると考えられる。

 日本の政党史の中で、このような事例はさほど多くない。れんだいこの知る限り、日本共産党の1964年時の「部分核停条約」を廻る志賀義雄の造反が挙げられる。かの時、共産党中央は条約反対の立場に立った。党の方針に基づき4議員が反対票を投じたが、志賀が党の決定に背いて賛成し、査問を経て党所属国会議員としての権利を停止する処分に付された。療養を兼ねて中国へ渡航していた最高指導者の宮顕が急きょ帰国し、第8中総が開催され、志賀.鈴木らの反党行為が激しく攻撃され、党規約破壊.裏切り者.陰謀と罵られた挙句に除名された。共産党史では志賀問題と云われるものである。

 この事例を確認したのは次の理由からである。1964年時では、共産党内での志賀問題はいわゆる左翼の革命政党内の出来事であり、一般政党の常識では測れないと云う理由で特殊日本共産党的な党内事情として評論されたからであったと思われる。問題は、自民党の小泉政権以降、現下の民主党の野田政権に至るまでが次第にこの日本共産党的政党論、党内事情論に染まりはじめており、蔓延し始めているのではなかろうかと云うことにある。

 日本共産党は勢力的には弱小政党で取るに足りない。しかしながら、日本共産党の政治の型が及ぼしている影響力は案外と大きい、そう見なすべきではなかろうか。特に、他党の党内権力闘争に於いて、日本共産党が「左」から肩入れして重大な影響を与えている事例が多いように思われる。ロッキード事件然り、鈴木宗男逮捕事件、最近の小沢バッシングまで数えれば相当数になる。興味深いことは、ワシントンに飼いならされていない日本在地土着系の実力政治家の失墜に手を貸し大奮闘する癖がある。

 野田系党中央進駐軍が、この日本共産党的規約論、組織論に倣っているのか、直近の小泉式政治に倣っているのか、日本共産党も小泉政治も更に何か他のテキストを真似しているのかまでは分からないが、はっきりしていることは、こういう偏狭な規約論、組織論に日本政治がどんどん染まりつつあると云うことである。日本政治には、この狂気の子供じみた規約論、組織論の満展開を更に許すのか、決然と掣肘し決別するのか、こういうことが問われているのではなかろうか。これを修正するのはそれほど難しいものではない。単に大人の政治論に戻れが良いだけのことである。伝統的に培ってきた日本の知性と理性は、その程度には形成されているのではあるまいか。

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2012年11月19日 (月)

2012衆院選に向けてのたすけあい党の檄

 2012衆院選をどう捉えるべきか。現段階で云えることは次のことではなかろうか。既に言及したように、こたびの衆院解散は日本政界を牛耳る奥の院に仕組まれたシナリオ通りの解散であることがはっきりしている。が、今はその詮索に費やす余裕はない。かような民主党政権のデタラメ政治を許す訳には行かず、遅かれ早かれ受けて立たねばならなかった衆院選として捉え、攻勢的に立ち向かう以外にない。

 2012衆院選は、民主党三代政権をどう総括するのかから始まるべきだろう。一番はっきりしている教訓は、「マニュフェストの信」が完全に失われたことである。マニュフェストが選挙用のコマーシャルに過ぎないと云うことがはっきりした。これによりマニュフェストの吟味、比較を真剣にする時代は終わった。マニュフェストに興じるのは意味がないと云うことになった。

 このことを突き詰めれば、「マニュフェストの信」問題と云うよりも、それを運用する人の問題だったのではなかろうか。結局は、マニュフェスト派が党中央を握らない限り画餅に帰す。これを逆から云うと、反マニュフェスト派が党中央を握ると、マニュフェストは政権を取る為のテクニカルなダマシの道具に過ぎず、マニュフェストを反故にする他方でマニュフェスト外のことに精出すと云う詐欺政治が罷り通ることになる。

 民主党政権は鳩山で始まり菅、野田と移行した。後になるほどマニュフェスト破りが酷くなった。これにより誰に政権を預けるのかこそ肝腎なのだと云うことがはっきりしたのではなかろうか。党中央問題、与党の場合にはさらに政権問題となるが、誰が代表に選ばれ、代表が誰を要職に登用するのか、これを逆に云えば本来なら坐るべきの誰が干されるのかを見極める方がより重要と云うことになろう。

 全ては権力を担う人の問題に収斂される、このことを教えられたのではなかろうか。してみれば、2012衆院選は、民主党三代政権史の教訓から次はどの党の誰に政権を預けるのが好ましいのかが問われており、それを間接的に選ぶところに意味があると云えそうである。これが民主党政権史から学ぶべき教訓だったのではなかろうか。

 ならば、とう選ぶべきか、これを愚考してみたい。2012衆院選にくつわを並べているのは15党、乱立模様である。これを構図的に分析すれば自公、民主、国民生活第一、日本維新、みんなの党、社共の6軸が考えられる。これを勢力的に詰めると自公民、国民生活第一、維新の3軸に絞られる。これを政治の質で更に詰めると自公民派と国民生活第一との路線対立構図が浮き上がる。国際金融資本のアジェンダ請負政治を公言する自公民路線と相対的自律化を目指す小沢路線の対決と云うことになる。紛れもなく戦後政治の本質的抗争史の土俵上の闘いであることが確認できる。

 自公民派と小沢派は見事なほどに原発、増税、TPPの政策課題を廻って対立している。推進するのが自公民派、拒否するのが小沢派である。どちらも愛国愛民族を標榜しているので、どちらの愛国愛民族が本物なのかが問われていることにもなる。当然のことながら両者は目指す国の形が異なる。国際金融資本と一蓮托生的に同盟関係を深めるのか、相対的自律を目指すのか、いずれが国家百年の計なのかか問われており、そこからあらゆる政策の違いが発生しているように思われる。時に官僚支配批判、地方主権等で一見一致している面があるように思われるが、精査するとその論の内実が違う。つまりことごとく対立していることになる。こう確認すべきだろう。

 以上は評論である。以下、れんだいこの指針を申し上げる。ネット上で「こりごり自民党、がっかり民主党」との評論が為されている。実に然りだと思う。これにより関心が第3極に向かっている。一言しておけば第3極は国民生活第一党であるところマスコミが完全に無視し、代わりに日本維新の会をおだてあげ第3極扱いで喧伝している。その結果、真の第3極は国民生活第一党であるのか日本維新の会なのかが問われている。

 もとより選挙結果の予想は自民圧勝、民主壊滅の卦が出ている。これは何も自民の捲土重来能力によるものではない。自民の能力は引き続き落ちており、それは先の代表選で谷垣代表が引きずりおろされた経緯でも分かる。あるいは候補者の4名全員が原発再稼働を呼号していたことでも分かる。然るに自民党が勝利するのは、民主党の党中央が「上からの反革命」によって意図的故意に民主党を解体せしめる故にである。史上、これほど公然と政権与党が解体された完全犯罪を知らない。とにかく妙な史実が刻まれた。こいうことが起り得る、現に起ったことをも教訓化すべきだろう。

 問題は、自民党の第1極化は争えない事実として、第2極の座をどの党が射止めるのかが問われていることになる。どの党がキャスチングボートを握るのかと云う興味もある。れんだいこの指針は明確である。断固として国民生活第一を選んで伸張させるべきであり、事の次第によっては小沢政権まで視野に入れねばならない。これが選択すべき針路である。日本の再生は国民生活第一を主導する小沢どんの政治能力に期待するところからしか始まらない。これはもはや論ずるまでもない自明な話しである。

 その政権はオリーブの木運動により担われ、ここに初めて人民大衆念願の民主連合政権が誕生することになる。この針路に近づけば近づくほど日本の未来が明るくなり、逆になればなるほど日本は戦前同様の泥沼のぬかるみに誘われる。この愚行を悲劇として喜劇として再び繰り返すのか阻止するのかが問われている。

 その為に為すべきこと為してはならないことを確認する必要がある。為すべきは早急なオリーブの木連合の立ち上げである。オリーブの木連合潰しとして登場している石原―橋下連合による日本維新批判で事足りてはいけない。一事万事であるが批判ばかりでは事が成就しない。批判の次には対抗運動を盛り上げねばならない。更に云えば対抗運動を盛り上げるばかりでなく成功裏に導き成就させねばならない。これが本来の政治責任シリーズと云うものである。

 ところが、いざ対抗運動の立ちあげ盛り上げになると内部分裂を誘う独善党が出て来る。為してはならない問題であるが、これにどう対応すべきか、こういう問いが突きつけられている。日本左派運動は、この経験に於いて成果を生み出さないまま今日の惨状を迎えている。原因は軍師がいないことによると思われる。2012衆院選では、この愚昧さを繰り返してはなるまい。

 実践的処方箋として、一刻も早く国民生活第一党を中核とするオリーブの木連合を形成しなければならない。野田民主党にコケにされた輿石民主党がオリーブの木連合に加われば面白いことになるが道が険しそうである。そういう意味で助さんが大地の党であり格さんが亀井新党である。これに「みどりの風」、新党日本が列なる。願うらくは社民党も席を同じくすべきである。政策的には減税日本も考えられるが好んで維新の会に向かいコケにされたのは見てきたところである。みんなの党もやや近いが、この党も好んで維新の会に向かっている。似ている政策があるだけでは同盟軍にはなれない、要するに操っている背後勢力の問題になる。

 共産党にも参加を願いたいが、この党の党中央はこたびの民主党の党中央の元祖的「上からの反革命」派である。それ故に期待すること自体が野暮と悟るべきであろう。共産党は、2009衆院選では、それまでの「我こそが真の野党論」から「建設的野党論」に転じ、これが民主党大勝利の遠因となった。その非を咎めた奥の院指令により、こたびは全選挙区擁立を目指している。この党が誰に操られているかが窺えよう。してみれば、共産党に対する正しい対応は、有権者、党員に対し共産党党中央の正体を正しく伝え、従来の共産党票を正面から取りに行くべきであろう。この方が実践的に有効であろう。

 何より重視すべき同盟軍はネット世論だろう。昔は草の根選挙市民グループと云われたものが現在ではネット世論に転じている感がある。この世論が相当の力を持っていることは先の小沢裁判無罪判決経緯でも証明された。今後の真の潜在政治力として注目されるべきだろう。このグループがオリーブの木連合の援軍となれば俗に云う鬼に金棒である。

 以上、選挙戦前の、候補も出そろわない前の2012衆院選の展望とする。ご納得、御意いただけたであろうか。

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2012年11月17日 (土)

「野田れ死に解散」の裏事情奇怪考

 2012.11.14日、野田首相は、自民党総裁・安倍元首相との党首討論の際、突如として11.16日の衆院解散を宣明した。この結果、「12月16日解散、12月4日公示、12月16日投開票」が決まった。討論の直後でも、輿石幹事長は「16日解散なんてできるのか? 法案が上がるのか」と周囲に語っていた。ところが一気呵成に進む。11.16日、衆議院本会議で横路衆議院議長が解散詔書を読み上げ、憲法7条に基づいて解散された。

衆院解散については、8.8日の谷垣・前自民党総裁との密談に於いて「近いうちに信を問う」の縛りはあったものの、その谷垣が自民党代表選の立候補すらできず引きずりおろされ、「政界約束」を廻って攻める自公対逃げる民主の綱引きが延々と続く中で翌年の衆参同時選挙さえ囁かれ始めていた。この雰囲気の中で野田が「12月16日解散」に踏み切った。この裏に何があったのか、あるのかを解析せずんば政治評論には成り得まい。

 思えば、2009政権交代で与党となった民主党は、初代の鳩山政権から一貫して次から次へとマニュフェストを反故にした。二代目の菅政権の頃からマニュフェストになかった消費税増税に取り組み始め、三代目の野田政権となると政治生命を懸けるとまで公言し自公民連合で法案を可決させた。その過程で政権交代の大立役者小沢どんに対するバッシングを与野党で継続し、消費税増税時に法案反対を理由として追放し、政権交代で打倒した筈の自公との連立を組むと云う反動政治に邁進している。

 各種世論調査での支持率が20%を切る状況下で、「赤字国債発行法案の今週中の成立と衆議院の一票の格差是正、定数削減を来年の通常国会までに実現させることを確約すれば、あさって16日に衆議院を解散しても良い」と述べ、野田首相の独断解散宣言となった。それまでの輿石幹事長の説得、友党の国民新党の下地幹事長の意向を無視しての衆院解散強行となった。ちなみに首相が衆議院の解散時期を国会審議の場で予告することにつき政治史上類例がない。

 この間、並走して第三極づくりが始まっていた。その第三極も本来なら小沢派が結党した国民生活第一党が当るところ徹底的に無視され、まだ国政議席を持たない大阪維新の会、東京石原新党が持て囃され、あたかも第三極であるかのようにマスコミに喧伝されつつ俄か仕立てで形成されたものである。野田の解散宣明の前日、石原新党が太陽の党として結成されている。これを見れば全てが奥の院のお膳立てで事が進められていることが判明する。

 それはともかく選挙のゴングが鳴った。ガラガラポンで、どの政党が出てくるのか予断が許されない。真の第三極である国民生活第一党のオリーブの木連合、その果てにある小沢政権誕生の道筋が作れるのか、この辺りの成り行きが興味深い。以上より、解散名を「野田の野田れ死に前、逆噴射解散」(略して「野田れ死に解散」)、選挙名を「ガラガラポンでどの政党が出てくるのか選挙」(略して「ガラポン選挙」)と命名する。選挙は現代のお祭りで、いつもそれなりに面白い。

 「野田れ死に解散」の経緯が判明してきたので確認しておく。野田首相の16日衆院解散を事前に知っていたのは岡田副総理、藤村官房長官の二名とされている。他に黒子が数名いるものと思われる。少なくとも表明前日の13日には伝えられていた。輿石幹事長には14日の党首討論直前まで伏せられていた。この経緯を確認する。

 首相が年内解散を決意したのは、11.5、6両日にラオスで開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議の直前だった。藤村官房長官が、自民党幹部に「首相がラオスで踏み込んだことを言う」と電話で伝えている。首相は5日夜の同行記者団との懇談懇でこう述べた。「特定の時期を明示した約束はないが、『近いうち』(に信を問う)と言ったことは事実だ。その責任は重く感じている」。8日夜、首相公邸での各府省政務官との会食を終えた首相は岡田を残し1時間半、話し込んでいる。「自分は、嘘が一番嫌だ。約束はきちんと果たす」。首相は岡田にこう伝えていた。

 この間急きょ環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)問題が浮上し、民主党内に反対論が高まりつつあった。11日夜、首相は公邸に輿石幹事長を招き年内解散の意向を伝えた。輿石は首を縦に振らなかった。13日、民主党常任幹事会で年内解散への反対論が相次ぎ、輿石が「常任幹事会の総意」を首相に伝えている。その夜、首相が岡田に「16日に解散する」と述べている。輿石には党首討論直前になって「16日解散」を伝えている。これが判明する経緯の概要である。

 気になることがあるので記しておく。11.10日、野田は福岡市に視察に行き、その際に福岡市内の商店街を訪れ帽子を被っている。翌11日、東京都新宿区の地域子育て支援施設「子ども総合センター」に出向き、童話「おおきなかぶ」の読み聞かせ、続いて子供たちとじゃんけん遊びに興じている。帽子はユダヤ帽を、チョキはVサインを暗示しているとも受け取れる。要するに国際秘密結社が常用するサインを発信しているように思われる。れんだいこ推理によると、野田は、11..10-11日にかけて、この二つの仕草で仰せの通り衆院解散を敢行しますとサインしていたことになる。こう読み説かないと、何のいきさつと必要があってわざわざ野田が操り出し帽子を被り、Vサインをしたのか説明できない。

 思い返すのに、衆院解散の狼煙は10.25日の石原東京都知事の辞任劇だったのではなろうか。この日、石原は都庁で緊急記者会見を開き、都知事を辞職すると表明した。新党を結成し、新党代表として次期衆院選で比例区から立候補する意向も示した。80歳の高齢にも拘わらず怪気炎を挙げたが、石原の独断決意ではなく、これを仕立てた背後勢力が居ると見なすべきだろう。すぐさま「立ちあがれ日本」が合流し、大阪維新の会との同盟化に向かった。それはあたかも11.14解散に合わせて前日の13日にきっちり「太陽の党」を立ちあげたかのようである。

 解散機密情報は輿石幹事長をはじめとする民主党内には一切伝わらず、14日の党首討論の際の安倍自民党総裁の驚きぶりからすれば安倍自民党総裁をはじめとする自民党内にも伝わらず、石原新党と自民党の別系ルート側には伝わっていたことになる。この闇をどう理解すべきだろうか。これを、れんだいこの妄想的勘ぐりと云う者は云えば良い、追って真相が露呈しよう。

 なお、背後勢力が何故に衆院解散を急いだのかについては、ブログ2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」で論じている。結論的に言えることは、こうして民主党壊滅の完全犯罪が完遂されたことである。その打ったては鳩山で始まり菅に引き継がれ野田で締めくくられた。とんだ政治災難お遊び劇であった。

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2012年11月12日 (月)

2012.11.12日小沢公判東京高裁無罪判決考

 2012.11.12日、小沢公判の控訴審判決が東京高裁102号法廷であり、小川正持(しょうじ)裁判長は一審東京地裁の無罪判決を支持し控訴を棄却した。事件の展開史を読み直す時間がないので印象の強いところ、共認しておきたいところをを述べることにする。

 れんだいこが窺うのに、判決は全体に小沢秘書の立件、小沢どんの立件そのものに容疑不足を指摘している模様である。よって、「無罪判決を出した一審判決は不合理とは言えない」と結論づけた。検察審査会の起訴議決に基づく強制起訴事件は6件あるが訴審判決は初めて。国会議員への判決で一、二審ともに無罪とされたのも初事例となった。小沢どんは大久保秘書逮捕事件から3年と254日の1350日の間、政治活動を制約され現在に至っている。指定弁護士側が2週間以内に上告しなければ無罪が確定する。元秘書3人の控訴審が今月14日から始まる。

 この裁判の反動性は元々からの無理筋の立件にある。奥の院指令を受けた東京地検特捜部が、小沢どんの政治能力を殺ぐ為、政治的殺人をする為に小沢どんの秘書寮建設を廻る資金調達に疑惑の目を向けた。小沢氏ほどの政治的大物なら当然あるだろうとの見込みからゼネコン利権の捜査に入った。贈賄側として準大手ゼネコンの西松建設の捜査に向かった。ところが、出てきたのは自民党有力議員10数名。これは立件されず小沢どんのみをターゲットにして公設第1秘書の大久保秘書逮捕から突破口を開こうとした。

 ところが、秘書を無理矢理に脅しすかしして立件したものの小沢どん起訴までには持ち込めなかった。他にも収支報告書の記載問題等の重箱の隅をつつくような嫌がらせ容疑で立件したものの論拠が次から次へと破綻し、挙句の果ては取り調べた検事の方が被告になると云うお粗末を通り越して滑稽な展開を見せた。これにより東京地検特捜部は無論のこと検察全体の信頼と信用が地に堕ちた。裁判所の無罪判決が辛うじて司法の公正さを担保した形である。

 この一部始終に於いてマスコミの演じた責任は特段に重い。そのお粗末さは、1970年代のロッキード事件での田中角栄追討時のマスコミの喧騒にも疑惑が及ぶだろう。立花隆と日共が車の両輪となって田中角栄を追い詰めたが、かの事件の胡散臭さへの検証まで及ぶことになろう。

 TBSは、「石川議員が水谷建設から裏金5000万円を受けとった現場にたまたま居合わせた男性の証言」という捏造ビデオを放映した。これに対し、女傑森ゆうこ参院議員が抗議し根拠を問うと、何の弁明もできずすごすごと蔵入りさせてしまうお粗末。その後、くだんの男性は石川議員と面識がないことが判明している。「大久保秘書が起訴事実を認めた」とする起訴翌日の誤報然り。NHK を始めマスコミが一斉に誤報道した。NHK は国会の総務委員会で追及されるも未だに訂正も謝罪もしていないとのこと。ロッキード事件の際に榎本秘書を落そうとして「角栄自供」なる虚報を一面トップ紙面で提供した産経新聞の犯罪には及ぶまいが真似ていることが分かる。マスコミは政治家に対して襟を正せと云う癖があるが、襟を正さねばならないのは小沢どんなのかマスコミなのか、マスコミは歴史に向かって返答せねばならない。

 日本共産党がこれまた酷い。「小沢氏の地元、岩手県の胆沢ダムの工事の受注をめぐって、中堅ゼネコン・水谷建設(三重県)が小沢事務所に5000万円ずつ、計1億円の裏献金を渡した」なる赤旗スクープを飛ばし、これが決め手となり東京地裁が2011.9.26日、小沢氏の元秘書3人に禁固2―3年の有罪判決を出している。この時、日共は、「赤旗スクープによる裏献金の事実が有罪の決め手になりました」と自画自賛している。この勢いを借りて市田書記局長が小沢どんの国会証人喚問を要求している。

 赤旗スクープの真偽判定が未だ為されていないが、これが仮に虚報だったとすると謝罪では済むまい。赤旗スクープの執筆記者、それを大々的に喧伝した党中央の責任問題が必至であろう。ところが何食わぬ顔で今も正義ヅラして生き延びている。人を責める時には猛然と威勢が良いが、手前が弁明せねばならぬ時には知らん顔できるとは常識外の顰蹙者だろう。人に道理道徳倫理を説くのだけは今後絶対に止めて貰おうと思う。

 しかし、責任を問われるのはマスコミ、日共だけではあるまい。これまで゛の各党及び議員の発言も重大であろう。誰がどういう発言をしていたのか確認すれば面白かろうがノートしていないのでお見せする訳にはいかない。特にで云えば前原辺りの発言が面白かろう。小沢どん排撃の特務隊長としていろいろ弁じていたが、厚顔無恥の極みで今日の国会でも何食わぬ顔で事務所費の弁明を元気にしていた。空いた口が塞がらない朝日の論説士の口はどうなるのだろうか。思うだに漫画である。

 小沢どんを「強制起訴による裁判の判決確定まで党員資格停止」とする処分決定に立ち働いたのが岡田であるが、岡田の弁も聞いて見たいところである。これが同じ党の仲間にする仕打ちであり、党の代表まで務め2009政権交代の大立役者に対する小沢どんに対する報いであろうとは。普通は冷酷無情の人でなしと云う。政治の大先輩に対するかくなる礼儀を尽す岡田如きに要職を務めさせることこそ任命責任が問われるべきであろう。

 自民党の石破幹事長の弁も確認しておく。「有罪と断定できないという意味での無罪だったと思う。国会で説明責任を果たすべきだという考えは今も変わらない」云々。手前の不祥事発覚の時に、この弁を返してやろうと思うが、この手の者は捕まらないから無理かもしれない。いずれにせよこういう見識の者に政治権力を預けて良い訳がない。その愚は火を見るより明らかだろう。

 最後に確認しておく。こたびの無罪判決の原動力は、一つは小沢どんを筆頭とする議員団、秘書団の結束力と能力の賜物である。次々と検察、検察審査会の立件不能性を暴いていった。その努力と有能性は尊敬に値する。もう一つはネット世論の影響力である。ネット世論の支援と能力があってこそ、司法も奥の院に「これ以上は無理です」と進言し了承を得たのであろう。これは、政治的事件でのネット世論の初勝利かも知れない。

 世に悪貨が良貨を駆逐すると云う言がある。れんだいこはそうは思わない。良貨は悪貨を駆逐しないまでも常に戻るべき平衡に治まり基準足り得る。この言を銘しておきたい。

 2012.11.12日 れんだいこ拝

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2012年11月11日 (日)

【2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」】

 今年も既に11月になり2012年も残すところ1ケ月半、月日の早いことに驚かされる。11.11日、無性にたすけあい党声明を出したくなったので発表する。

 2011.3.11日の三陸巨大震災、それに伴う福島原発事故の発生。この衝撃が衝撃とならぬままだらだらと経緯しているように見える。福島原発事故に対応できない深刻さが続いている筈なのに被災民及び関連の者を除いて関心が薄くさせられている。復興の槌音も聞こえてこない。福島原発事故を奇貨として脱兎のごとく原発政策から逃げ出し新エネルギー政策へ転換する絶好機会とすべきところ、敢えて意図的故意にぐずぐずしている。しかも原発対策費としての国民負担がエンドレスに厖大化し続けている。

 これは一体何なんだろう。政治がまともでないのは明らかである。加えるとすれば、タイタニックの最後の宴に興じさせられている側にも責任があろう。我々は今断固としてタイタニックから逃げだすべきときである。ここら辺りで、「我々はどこに向かうべきか」を真剣に考えてみる必要がありそうである。

 
ここに来て野田政権の衆院解散策動が本格化しつつある。これは何によるのか。奥の院の強権指令発動によるものとしか考えられない。奥の院がかねがね2009衆院選の結果としての300議席を越える民主党議席を邪魔にしているのは事実であるが、それは昔の理由である。この衝動は、小沢派が党内に居残り影響力を行使していた時期に対応する解散策動であった。今、小沢派は民主党を脱党し国民生活第一党を結成している。この時点での解散策動の狙いは自ずと軸足が移動していると考えるべきだろう。

 自公の解散要求なぞ真の理由ではない。そういう理由でなら既に何度かあり得た筈である。自公の解散要求は2009衆院選以来の衝動であって今に始まったものではない。故に、野田政権の目下の衆院解散策動の理由にはならない。しかして残る理由は、国民生活第一党の順調な党的発展を阻止する為のものとしか考えられない。こう考えることによって辻褄が合う。

 かくて奥の院の強権指令による衆院解散が目論まれているのであるが、民主党内には解散反対抵抗勢力が存在する。彼らは、解散によって自らの議席だけでなく党そのものが解体することを予見している。故に、現下の民主党勢力温存こそ大事の観点から解散反対に動く。しかしながら奥の院の衆院解散号令には勝てない。故に年内解散があり得ると云うことになる。解散理由はただ一点、小沢派の国民生活第一党の芽を潰すことにある。しかしながら、こんな理由で解散することが許されるべきことだろうか。

 この仮説に疑問を持つ者を以下の文で説き伏せることにする。一体、奥の院は小沢派の国民生活第一党を何故に執拗に排撃するのか。この問いに対する回答こそ現下政治の抗争軸を解明するキーがある。これを説明すれば、それは国民生活第一党が戦後日本の自由自主自律的歩みを体現する最後の橋頭保的政党になっているからである。この党の進捗によってコントロールができにくい日本になることを警戒して双葉のうちに芽を摘むべし、これが奥の院の衆院解散指令理由となっていると読むべしであろう。このことを逆に云えば、自公政権、民主党三代政権ほど御用聞き政治はなかった、ないと云うことでもある。その反作用として国民生活第一党が生み出されたのであるが、こういう場合に彼らが常用するのはいつでも外科的手術である。そういう知恵しか持たないのが奥の院の伝統的手法である。

 思えば、奥の院の小沢どんバッシングは2009衆院選前から始まっている。来る衆院選の結果、自公政権から民主党政権へ移行することが必至と見定め、何としてでも当時の小沢代表を引き摺り下ろし、懐柔し易い鳩山を代表の座に座らせた。これが小沢秘書収賄事件から始まる小沢バッシングの政治的背景である。

 このシナリオに乗り小沢秘書収賄の現場証拠を捏造してまではしゃいだのが日本共産党であった。それは田中角栄を葬ったロッキード事件の際のはしゃぎぶりと全く同じである。日本共産党がこのように使われていることを改めて確認し弾劾せねばなるまい。この党がいつからどのように変質したのか。これを論考することは興味深いが未だ趣味者界隈の域に止まっている。いずれ不破の目の黒いうちにやらねばなるまい。明日の11.12日、4年有余に及ぶ不毛な小沢どん訴追裁判の最終判決が下される。「司法の正義」を凝視確認せねばなるまい。

 
もとへ。日本政治にも他国同様にこのように奥の院支配が貫徹しているのであるが、彼らは、この日本をどのように料理しようとしているのだろうか。ここでは短期的なものは問わない。長期的に日本をどう料理しようとしているのだろうかと問うことにする。一つの仮説は、日本人を僻地に追い込み、都市部を奥の院派が住むと云う棲み分けの日本にしようとしているのだろうか。例えて言えば、現下の日本人が縄文原住民と見なされ、日本史上かって行なわれたアイヌ人排撃のように次第に僻地へと追い払い、その後に奥の院派外国人が居座る。インディアンが追い払われたアメリカ建国史がこれである。この間を調整する人種として弥生人が生まれ、お膳立てする。こういう日本に誘われようとしている可能性がある。この説によれば、日本を支配する政財官学報司警軍の八者機関上層部は売国弥生人として自己形成しようとしていることになる。

 もう一つの仮説は日本人ジェノサイドである。目下の原発政策の動きを見れば、既に日本各地に50基以上敷設されており、予見される水資源汚染、土壌汚染が進行すれば日本の今後は到底、人が住めなくなることが明らかである。さしもの世界に誇る山紫水明の豊葦原の瑞穂の国も生物が住めない荒野にされる恐れが強い。原発をこのように捉える見方はまだ少ないが、原発では後から気付くのは遅すぎる。その異常な悪魔科学性に気付くべきである。仮に導入時に予見できなかったことは免責されるにせよ、今日の時点でなお気付かないのは国民レベルならいざ知らず政治家レベルでは有責である。それを何たることか現時点でも原発続投の旗を振り続けるなら、これは死刑をもってしても償えない。かく認識するべきである。

 原発の危険性はまだある。原発基地を軍事的に攻撃されたらどうなるか、これについて原発推進派は誰もまともに答えられない。更にある。まさかとは思うが、奥の院側から見て日本がコントロールできない国になった場合、用意周到に仕掛けられた起爆装置が開弁される仕掛けがあるのではなかろうか。

 奥の院が対日処方箋を棲み分けで行くのかジェノサイドで行くのか最終判断はしていないと思われるが、どちらにしても至極迷惑なシナリオであろう。こういうシナリオが杞憂に過ぎないのであれば、それに越したことはない。安堵できる訳であるから本望であるが疑念が消えない。問題は、自公民派が頼りとしている国際金融資本はこれぐらいのシナリオを平気で描く人種であると云うことである。そういう危険な人種の懐に日本を人身御供させようとしているのが自公民派の政治であり、これほど危険愚昧なものはない。れんだいこが自公民派政治を断固として拒否する理由であるが誰か共認せんか。

 れんだいこのこの危惧を一笑に付す者に次のことを問いかけて見たい。将来の日本がどのように扱われるのかは別として今現に進行中の日本をどう考えるべきか。凡そ政治がまともならあり得ない方向にばかり誘導されているのではないのか。次にのべるようなことは決して偶然ではなかろう。

 まず経済の失速が異常である。日本はバブル経済の破綻以降、ずるずると長期不況に誘われており一度として景気回復していない。バブル経済は1986(昭和61).12月から1991(平成3).2月までの51ケ月間に及ぶ狂乱経済であった。これも怪しげなものであったが、ここでは問わない。問いたいことは、その1991年以降、一度として好景気の循環に入っていない不自然さである。それは好不況が循環する経済法則に反している。これは意図的故意の政策によってもたらされているのではないのか。政治力によって経済失速させるような措置のみ施策されている現実があるのではなかろうか、これをどう考えるのか。

 三陸巨大震災後の復興の遅れが象徴しており、それは意図的故意のものではないのか。なるほど予算は注ぎ込まれているが将来の経済成長に役立たない方向と方法に傾注している感がある。民主党政権下で予算の仕分けが為されたが、同様な観点から為されたと思った方が良かろう。その予算もハゲタカとビラ二アとネズミが食っているのは衆知の通りである。がれき処理が未だに進まず、仮に進んだとしてもわざわざ途方もない金額になるように細工した上で冗費している。除染費用も然りで見せかけの気休めに大金を費やし、それもキリがない。海の者を山に連れて行く復興計画然り、海が見えなくなる高さまで防波堤を築く高さ競争計画等々、全てが悪い冗談としか思えない施策のみ講じられている。しかして現地復興に役立つグランドデザインは生み出されず小手先対応に終始している。これは意図的故意のものなのではなかろうか。

 「政治力によって経済失速させるような措置のみ施策されている現実」は、民主党の2009マニュフェストの主要政策の一つであった高速道路無料化法案の消失でも裏付けられる。この政策は景気回復の起爆剤として期待されていたものであった。ところが民主党三代政権は、この政策に限っては断固としてやらせない方向にリードして今日まで経緯している。誰かこれを他の理由で説明できるだろうか。無料化では財源がなくなると云う理由で反対した者に対してはガソリン税の据え置きで論拠を失わせたにも拘わらず断固として実施しない。「近距離2千円、遠距離1万円」と云う次善策で実施する方法もあるところ、結局何もしないままに反故にされて今日に至っている。当時、前原国交相が任についていたが、させない任務を帯びて立ち働いたとしか考えられまい。できない筈がない高速道路無料化を断固としてやらせない政治力の背景にあるものを窺うべきではなかろうか。

 思えば、この間の銀行、証券、損保、生保の統合化の動きも怪しい。結局は外資の軍門に降っただけで日本経済に資するところはない。そうした経済の失速ばかりではない。その他その他の失政が押し寄せており、しかもそれが意図的故意の政策のように思えてならない。医療、年金、教育の荒廃も酷いがここでは指摘するに止める。伝統的な日本食に馴染まない過剰な肉食化、薬や酒や化学飲料、遺伝子組換食品の規制緩和も怪しい。セックス(Sex)、スクリーン(Screen)、スポーツ(Sport)の3S政策然り。これらは庶民の楽しみであり、個々については批判されるべきではなかろうが、対極的に失わせられたのが伝統的な風習であり、政治経済文化への興味であることを思えば由々しき事態ではなかろうか。こうして健康が蝕まれ精神が蝕まれている。所得格差が広がり日本の伝統的な互譲、助け合い精神が毀損させられている。従来の日本社会にはなかったような凶悪変質型の犯罪が増えつつある。人が獣化しつつある。あぁこういうことを書き始めたらキリがない。

 それらが皆な意図的故意に生み出されたものではなかろうかと疑う必要がある。日本人がどんどんスポイルさせられ、原発放射能汚染も含めて日本人と国土が長期的に生体実験されている気がしてならない。要するに、今進行中の政治が意図的故意の悪政なのではなかろうか、このことに気づくべきではなかろうか。日本がン千年に亘って育んできた諸能力に対する意図的故意の暴力的解体壊滅策動が持ち込まれているのではなかろうかと疑いたい訳である。

 我々は、そういう政治をさせる為に選良を雇っているのだろうか。国会議員一人当たり総合で3億円にもなる税金を注ぎ込んでいると云う。これを手にする議員貴族が力及ばずとも日本の為に尽力するのならともかく、良からぬ企みで日本をコントロールし続ける奥の院の雇われとして奉公しているとしたら許されようか。れんだいこには、資性劣悪なる者が引き上げられ権力を握り野蛮な宴をしているようにしか見えない。恐らく1970年代以降、80年代初頭に中曽根政権の登場で始まった。ナベツネ派の権勢絶頂の始発である。こういう政治との決別、これが望まれていると確信して止まない。

 2012年末衆院解散があろうとなかろうと、奥の院の指令通りにうごめいて忠勤する現下の政治に対する怒りなくしては何の意味もない。かくまでモルモット化されつつある日本に対して断固とした拒否の回答を与えずしては日本の歴史に申し訳ない。日本の政財官学報司警軍の八者機関上層部に巣食う国賊を一網打尽にして本国へ送還せねばならない。その為に何をすべきか、これが今問われている政治テーマである。どの課題に対しても抜本的改革が要求されている。既得権益網の一掃なしには何も進まない。今こそ日本の地霊が武者振いして立つ時、これをメッセージしておく。

 
2012.11.11日 たすけあい党首れんだいこ拝

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