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2012年11月17日 (土)

「野田れ死に解散」の裏事情奇怪考

 2012.11.14日、野田首相は、自民党総裁・安倍元首相との党首討論の際、突如として11.16日の衆院解散を宣明した。この結果、「12月16日解散、12月4日公示、12月16日投開票」が決まった。討論の直後でも、輿石幹事長は「16日解散なんてできるのか? 法案が上がるのか」と周囲に語っていた。ところが一気呵成に進む。11.16日、衆議院本会議で横路衆議院議長が解散詔書を読み上げ、憲法7条に基づいて解散された。

衆院解散については、8.8日の谷垣・前自民党総裁との密談に於いて「近いうちに信を問う」の縛りはあったものの、その谷垣が自民党代表選の立候補すらできず引きずりおろされ、「政界約束」を廻って攻める自公対逃げる民主の綱引きが延々と続く中で翌年の衆参同時選挙さえ囁かれ始めていた。この雰囲気の中で野田が「12月16日解散」に踏み切った。この裏に何があったのか、あるのかを解析せずんば政治評論には成り得まい。

 思えば、2009政権交代で与党となった民主党は、初代の鳩山政権から一貫して次から次へとマニュフェストを反故にした。二代目の菅政権の頃からマニュフェストになかった消費税増税に取り組み始め、三代目の野田政権となると政治生命を懸けるとまで公言し自公民連合で法案を可決させた。その過程で政権交代の大立役者小沢どんに対するバッシングを与野党で継続し、消費税増税時に法案反対を理由として追放し、政権交代で打倒した筈の自公との連立を組むと云う反動政治に邁進している。

 各種世論調査での支持率が20%を切る状況下で、「赤字国債発行法案の今週中の成立と衆議院の一票の格差是正、定数削減を来年の通常国会までに実現させることを確約すれば、あさって16日に衆議院を解散しても良い」と述べ、野田首相の独断解散宣言となった。それまでの輿石幹事長の説得、友党の国民新党の下地幹事長の意向を無視しての衆院解散強行となった。ちなみに首相が衆議院の解散時期を国会審議の場で予告することにつき政治史上類例がない。

 この間、並走して第三極づくりが始まっていた。その第三極も本来なら小沢派が結党した国民生活第一党が当るところ徹底的に無視され、まだ国政議席を持たない大阪維新の会、東京石原新党が持て囃され、あたかも第三極であるかのようにマスコミに喧伝されつつ俄か仕立てで形成されたものである。野田の解散宣明の前日、石原新党が太陽の党として結成されている。これを見れば全てが奥の院のお膳立てで事が進められていることが判明する。

 それはともかく選挙のゴングが鳴った。ガラガラポンで、どの政党が出てくるのか予断が許されない。真の第三極である国民生活第一党のオリーブの木連合、その果てにある小沢政権誕生の道筋が作れるのか、この辺りの成り行きが興味深い。以上より、解散名を「野田の野田れ死に前、逆噴射解散」(略して「野田れ死に解散」)、選挙名を「ガラガラポンでどの政党が出てくるのか選挙」(略して「ガラポン選挙」)と命名する。選挙は現代のお祭りで、いつもそれなりに面白い。

 「野田れ死に解散」の経緯が判明してきたので確認しておく。野田首相の16日衆院解散を事前に知っていたのは岡田副総理、藤村官房長官の二名とされている。他に黒子が数名いるものと思われる。少なくとも表明前日の13日には伝えられていた。輿石幹事長には14日の党首討論直前まで伏せられていた。この経緯を確認する。

 首相が年内解散を決意したのは、11.5、6両日にラオスで開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議の直前だった。藤村官房長官が、自民党幹部に「首相がラオスで踏み込んだことを言う」と電話で伝えている。首相は5日夜の同行記者団との懇談懇でこう述べた。「特定の時期を明示した約束はないが、『近いうち』(に信を問う)と言ったことは事実だ。その責任は重く感じている」。8日夜、首相公邸での各府省政務官との会食を終えた首相は岡田を残し1時間半、話し込んでいる。「自分は、嘘が一番嫌だ。約束はきちんと果たす」。首相は岡田にこう伝えていた。

 この間急きょ環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)問題が浮上し、民主党内に反対論が高まりつつあった。11日夜、首相は公邸に輿石幹事長を招き年内解散の意向を伝えた。輿石は首を縦に振らなかった。13日、民主党常任幹事会で年内解散への反対論が相次ぎ、輿石が「常任幹事会の総意」を首相に伝えている。その夜、首相が岡田に「16日に解散する」と述べている。輿石には党首討論直前になって「16日解散」を伝えている。これが判明する経緯の概要である。

 気になることがあるので記しておく。11.10日、野田は福岡市に視察に行き、その際に福岡市内の商店街を訪れ帽子を被っている。翌11日、東京都新宿区の地域子育て支援施設「子ども総合センター」に出向き、童話「おおきなかぶ」の読み聞かせ、続いて子供たちとじゃんけん遊びに興じている。帽子はユダヤ帽を、チョキはVサインを暗示しているとも受け取れる。要するに国際秘密結社が常用するサインを発信しているように思われる。れんだいこ推理によると、野田は、11..10-11日にかけて、この二つの仕草で仰せの通り衆院解散を敢行しますとサインしていたことになる。こう読み説かないと、何のいきさつと必要があってわざわざ野田が操り出し帽子を被り、Vサインをしたのか説明できない。

 思い返すのに、衆院解散の狼煙は10.25日の石原東京都知事の辞任劇だったのではなろうか。この日、石原は都庁で緊急記者会見を開き、都知事を辞職すると表明した。新党を結成し、新党代表として次期衆院選で比例区から立候補する意向も示した。80歳の高齢にも拘わらず怪気炎を挙げたが、石原の独断決意ではなく、これを仕立てた背後勢力が居ると見なすべきだろう。すぐさま「立ちあがれ日本」が合流し、大阪維新の会との同盟化に向かった。それはあたかも11.14解散に合わせて前日の13日にきっちり「太陽の党」を立ちあげたかのようである。

 解散機密情報は輿石幹事長をはじめとする民主党内には一切伝わらず、14日の党首討論の際の安倍自民党総裁の驚きぶりからすれば安倍自民党総裁をはじめとする自民党内にも伝わらず、石原新党と自民党の別系ルート側には伝わっていたことになる。この闇をどう理解すべきだろうか。これを、れんだいこの妄想的勘ぐりと云う者は云えば良い、追って真相が露呈しよう。

 なお、背後勢力が何故に衆院解散を急いだのかについては、ブログ2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」で論じている。結論的に言えることは、こうして民主党壊滅の完全犯罪が完遂されたことである。その打ったては鳩山で始まり菅に引き継がれ野田で締めくくられた。とんだ政治災難お遊び劇であった。

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