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2013年1月23日 (水)

創立大会に向けての生活党への期待と意義考その2、小沢どんの政治履歴考その2、脱自民党時代考

 1993(平成5)年、細川連立政権が誕生する。この時、小沢どんは他の多くの仲間と共に自民党を離党し(今日風に云えば角栄チルドレンの決起であったと思えば良い)、8党派連立の細川政権の中核となる(小沢どん転変第1)。細川政権は羽田政権に移行する。しかし、この反自民党政権は多党派連立故の呉越同舟政権となり崩壊する。

 1994(平成6)年の自社連立による村山政権が誕生する。何と、細川連立政権時の与党の社会党が仇敵の自民党と組んで細川政変を内部から崩壊せしめたことになる。社会党の正体見たり枯れ尾花であった。小沢派は野党になり新進党を結成する(小沢どん転変第2)。その後、羽田派が分裂する。1997(平成9)年、公明党が分裂する。新進党が解散する。かくて、細川連立政権と云う果実が無残にも散らされた。

 1998(平成10)年、小沢派が自由党を結成する(小沢どん転変第3)。1999(平成11)年、小渕政権下で与党入りし自自連立政権を組む(小沢どん転変第4)。ここに公明党が政権入りし自自公連立政権が成立する。2000(平成12)年、連立を解消し野党になる(小沢どん転変第5)。この時、野田毅、二階俊博などの連立残留派が保守党を結成し分裂する。2001(平成13)年、小沢一郎政治塾(小沢塾)を開設する。

 2003(平成15)年、自由党が民主党と正式に合併する(小沢どん転変第6)。2004年(平成16)年、小沢系が一新会を結成する。2005(平成17)年、小沢系が一新会倶楽部を結成する。2006(平成18)年、前原代表が「堀江メール問題」の責任を取って党代表を辞任、菅直人を破り第6代の民主党代表に選出される(小沢どん転変第7)。小沢代表は菅を党代表代行、鳩山を党幹事長にするトロイカ体制を敷き民主党の快進撃時代が幕開けする。

 2007(平成19)年、福田政権下で連立交渉に入り、民主党内の支持が受けられず代表辞任を表明するも党内の慰留を受け続投。2008(平成20)年、民主党代表選に無投票で3選。2009(平成21)年、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で民主党代表を辞任。鳩山が民主党代表となり、小沢どんは選挙担当の代表代行に就任する(小沢どん転変第8)。

 同年9月、第45回衆議院議員総選挙で民主党が圧勝し、民主党が政権を掌中にする。小沢どんは鳩山政権下で幹事長に就任する(小沢どん転変第9)。2010(平成22)年、東京地検特捜部が政治資金規正法違反容疑で元小沢秘書の石川知裕衆議院議員、大久保隆規、ほか1人を逮捕、起訴。この頃より小沢バッシングが本格化する。同年、小沢系一新会倶楽部が北辰会に衣替えする。鳩山首相の鳩山美人ぶりが食傷され退陣を余儀なくされる。この時、鳩山は自らの辞任と共に小沢どんの幹事長辞任を強請、受け入れる。後継の菅政権は党内の過半を占める小沢派を徹底的に干す片肺人事を強行する。小沢どんは無役に甘んじることを余儀なくされる(小沢どん転変第10)。

 同年9月、民主党代表選挙で菅と小沢が争い小沢どんが惜敗する。ムサシの開票マシーンを使っており不正代表選の噂が残った。同年10月、陸山会事件で検察審査会によって起訴議決され、2011(平成23)年、強制起訴される。民主党常任幹事会が「強制起訴による裁判の判決確定まで党員資格停止」処分を決定する。これにより代表選の立候補資格および投票権を失う(小沢どん転変第11)。

 同年3.11日、三陸巨大震災が発生。菅政権の対応能力の欠陥が露呈する。同年8月、菅政権が総辞職。民主党三代目の野田政権が誕生する。野田首相は「どじょう政治」を標榜し、小沢派を限定つきながら人事登用する。但し、小沢どんに対する冷遇が続く。同年末、小沢どんを支持する内山晃ら9名の民主党議員が「新党きづな」を結成して集団離党する。

 2012(平成24)年4月、東京地方裁判所の第一審で無罪判決。2012(平成24)年、野田政権が消費税増税法案を閣議決定。小沢派は法案採決で反対票を投じ、民主党に離党届を提出する。民主党は離党組を除籍処分とする。小沢どんはグループ議員とともに国民の生活が第一を結党し代表に就任する(小沢どん転変第12)。同年11月、東京高裁が一審判決を支持。控訴側が上告を断念したことで陸山会事件の無罪が確定した。何の為の小沢バッシングであったのか、小沢どんの政治能力を殺ぐ為の国策捜査であったことが裏付けられたことになった。この無罪判決は、はるけきロッキード事件も然りだったのではなかろうかとの推断を呼ぶことになろう。

 第46回衆議院選を控え、国民の生活が第一を解党し滋賀県知事の嘉田を代表とする日本未来の党に合流(小沢どん転変第13)。但し、日本未来の党は61議席から9議席と大幅に議席を減らす。12月、総選挙の惨敗を受けて、小沢派と嘉田派の対立が表面化。小沢派は生活の党に改称し、側近の森裕子が代表に就任し現在に至る(小沢どん転変第14)。

 ここが小沢どんの現在の立ち位置である。この小沢派の政治履歴から何を窺うべきであろうか。そもそも小沢どんは何を求めて自民党を離党し自ら苦難を引き受けてまで有為転変しているのであろうか。小沢どんを突き動かす政治理念、情動は何なのだろうか、これを問わねばなるまい。

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