生活党への期待と意義考その1、小沢どんの政治履歴その1、自民党時代考
小沢系生活党が2013.1.25日に創立大会を開く。この期に同党への期待と要望を書きつけておくことにする。れんだいこツイッターに次のように発信した。「まもなく生活党エールの辞を送る予定です。2013年体制を痛苦に受け止めるのではなく、2013年体制の最中にあって更に小沢派排撃のジハードを呼び掛け悦に入る雇われ政論家の口舌をほ撃つつもりです。集中した時間が取れないので半端なものになるが書かずにはおれない心境です。ご期待あれかし」。こう書いた以上、書かずにはおれまい。
生活党は今や政界唯一の野党らしい野党である。ここに同党の意義がある。これを逆に云えば、今や政界は表が自公民、これに維新の会、みんなの党が列なり、裏に共産、社民が連合しており、独特の新参者排除の構図ができあがっていることを意味する。驚くべきは、左派勢力の共産、社民がそのような役割を果たしていることである。平素、口先では万年野党として政権与党を攻撃する気楽な稼業に勤しんでいる。しかし、いざ政権交代の機運が訪れると、共産党は独特の「真の野党論」で唯我独尊しながら正面から排撃に向かい始める。この体質は、はるか昔の宮顕時代から変わらない。社会党転じて今は社民党は、こちらも昔から変わらず表で汗をかかず裏駆け引き専門に耽るのを得手とする。こういう悪しき習性が見えてくる。
2012総選挙の構図を見れば良い。重要課題で殆ど政策一致する未来の党に対して、未来の党の方からオリーブの木連合を呼び掛けているにも拘わらず、社共の方から野党分裂を仕掛け共倒れに導くも恥ずるところがない。しかも両党とも党中央が選挙の敗北責任を負わない。政策よりも政権よりも党利党略を最優先する反オリーブの木運動の手法はいずこから発生しているのだろうか。この共産、社民両党の独特の飼われ方についての論証は別の機会に譲ることにする。
今や、2012末総選挙以降、55年体制に比すべき新秩序が生まれたと見なしてよいと思われる。これを仮に2012総選挙後体制(略して「2013年体制」)と命名する。この「2013年体制」に抗する唯一の野党政党が生活党であると云うところに同党の意味がある。その生活党の誕生経緯を確認しておく。生活党は小沢派の系譜であるので、小沢どん及び小沢派の経緯から追跡する。これを大雑把早足で確認する。
小沢どんは、自民党史上の旧主流派である田中派のプリンス的後継者であった。当時の田中派は大平派と共に戦後保守ハト派を形成していた。戦後保守ハト派とは、吉田茂を元祖とし池田隼人を中興の祖とする政治系譜である。世が世なれば小沢一郎は角栄、大平、鈴木善幸後の何代目かで首相に就く戦後保守ハト派虎の子の逸材であった。
小沢どんの政治履歴を見るのに、1969(昭和44)年、父・佐重喜の急死に伴い第32回衆院選に旧岩手2区から自民党公認で立候補し、27歳の若さで初当選。この総選挙を党幹事長として指揮したのが田中角栄で、以後、田中派の七日会、木曜クラブに所属し、角栄の薫陶を受けることになる。1976(昭和51)年、ロッキード事件が勃発し田中角栄の不遇時代が始まるも、師たる角栄を裏切らず律儀にロッキード公判を欠かさず傍聴したことで知られる。
1982(昭和57)年、自民党総務局長に就任。その後、衆議院議院運営委員長を歴任。1985(昭和60)年、第2次中曽根内閣第2次改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣(43歳)。1985(昭和60)年、竹下登、金丸信らの田中派潰しの創政会結成に参加。これが後の経世会となる。竹下派七奉行の一人に数えられ竹下政権誕生に奔走する。1987(昭和62)年の竹下政権下で官房副長官に就任。1989(平成元)年の第1次海部俊樹内閣で党幹事長に就任(47歳)。これより以降数年間が絶頂期となる。自民党時代の以降の政治履歴は割愛する。
かく羨望される履歴を持つ小沢どんが次第に自民党内に居れなくなった政治状況こそが悼ましい。その暗雲が覆い始めたのが1976年のロッキード事件であった。この事件を契機に、自民党内のハト派が下り坂になり逆にタカ派が陽の当たる坂道を登り始めることになる。この時代の小沢どんの政治履歴は、そういう時代の写し鏡足り得ている。
戦後保守ハト派のその他大勢がタカ派系主流の新時流に迎合したなかで、この流れに義侠的に立ち向かったのが小沢どんであり、そこが共感を呼ぶ所以のものとなっている。大雑把に見て、こういう捉え方が正鵠を射ているであろう。これを逆に説く者がいるが保守系であればウヨ、左派系であればサヨと蔑視されるのが相応しい。
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