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2013年2月19日 (火)

国津神と天津神考、高天原は何処考その1

 2013.2月頃、れんだいこブログに日本古代史関係の推論を数典記した。題名で確認すると「2013.2.11建国記念日に思う」、「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」、「れんだいこの日ユ同祖論否定論その1」、「れんだいこの日ユ同祖論否定論その2」がそれである。同時並行して西欧宗教史関係の「キリスト教の親ネオシオニズム性考」、「ヨハネの黙示録考その1、れんだいこの読後感」、「ヨハネの黙示録考その2、総合解説」をものしている。

 これがどう絡むのか説明は難しいが恐らく、れんだいこの心象に於いて「古代史の秘密」を正しく解こうとする情動が密接に絡んでいるだろうと思っている。この観点から、今まで言及してこなかったもう一つの秘密について推理しておく。

 その前に一言。「★阿修羅♪空耳の丘61」の「れんだいこの日ユ同祖論否定論その1」のコメント07に、「日猶同祖論を否定するのはキチガイ」論なるものが開陳されている。それによると、れんだいこは「狂信的な反猶太」であり、「要注意人物」であり、「おそらく在日朝鮮人の工作員に違いない」とのことである。時代が大きく変わったことが分かる。何しろ「日猶同祖論を否定するのはキチガイ」ですぞ。日本はいつからこれほどの「親猶太」社会になったのだろう。浦島太郎の気分にさせられてしまう。

 もとへ。記紀神話を読めば、日本神話に登場する神々は天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)に系譜的に分かれている。天津神は高天原から天降ったとされる神の総称である。それに対して国津神は天津神が来日してくる以前の日本列島各地に生息していた土着の神々の総称である。日本神話は、この識別の上で天津神系を正統とする観点から天地創造譚、神々誕生譚、国譲り譚、神武東征の国取り譚、歴代天皇譚を記している。

 問題は、その読み解きに於いて論者の理解が錯綜していることにある。その原因は、天津神系神話の中に国津神系神話が混入され混然一体化されている為と考えられる。その最大の難関が天照大神、スサノオの命、二ギハヤヒの尊の正体である。れんだいこには、天津神系で捉えたり国津神系で捉えたり複相しているように見受けられる。当然、臣下の諸豪族も複相することになる。

 これでは歴史が解けない。にも拘わらず百人百様の理解の混然化したままに日本神話が語り継がれている。ここに日本神話が決して史書足りえず神話譚として受け止めざるを得ない所以がある。とは言いながら、記紀は随所で日本古代史を克明に記しているので貴重な史書とせざるを得ない。しかし、どこまでが本当の史書で、どこが偽書なのか、あるいはどういう筆法で婉曲表現しているのかが定かでない。これを「日本神話ジレンマ」と命名することにする。

 れんだいこはこれまで、記紀神話に記述されている天津神系と国津神系の抗争を前提として、「善玉天津神、悪玉国津神論」で説き分ける皇国史観の非を指摘してきた。むしろ出雲王朝、邪馬台国を国津神系に見てとり、国津神系是論とでも云うべき観点から古代史の秘密を解き明かしてきた。これは何もれんだいこの初見ではなく、これまでも幾多の論者が主張してきている。但し、その論者のいずれもが「歴史の縦の糸」を紐解けず、道中で理論破産させているように見受けられる。れんだいこの立論に功績が認められるとすれば、首尾一貫した国津神系皇統譜を見極めようとしているところにあると自己解析している。

 「天津神国津神考」の必要は、そうした「日本神話ジレンマ」を読み解くことだけに意義があるのではない。もう一つ、天津神系よりする記紀神話に依拠して日本古代史を読み取るのではなく、天津神渡来以前の国津神系の統治していた日本古代社会を読み取る為にも必要となっている。この社会を解析せねばならない理由として、「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」に記したが、かの時代、これを仮に縄文的古神道の時代と規定すると、この時代は今日的に見ても世界に通用する汎神論的共生思想を持つ等、精神性が気高い。且つそのことに規定されてと思われるが、今日的秤りでは評価されないものの秤り方を変えれば、思われている以上に高度高級な神人和楽文明社会、技術社会を形成していた形跡が認められる。この社会を検証し称賛し、今に活かさねばならないと考えている。

 なお且つ天津神渡来によって国津神系が駆逐滅亡されたのではなく、激しい攻防戦の末、或る時点より両者が「和をもって尊し」とする手打ち式和睦路線に道を開き、婚姻等も含め両者融合の日本史を切り開き、あるいはそれぞれがそれぞれの生活圏を維持しながら棲み分けしてきた形跡が認められる。それは、世界史に認められるような勝者が敗者を絶滅させない叡智に導かれている。この伝統がはるけき今日まで継承されているのではなかろうかと推理している。もっと云えば、日本の政治権力史は天津神系が掌握して来たものの、その裏面史は常に国津神系が支えてきたと思っている。

 そういうこともあって、天津神渡来以前の日本国体の姿と能力を探るべきだし、決して祖略に扱うべきではないと思っている。これを思えば、皇国史観は子供段階の暴論イデオロギーでしかなかった。戦後、そのような皇国史観を捨てたからと云って何も解決していない。津田史学の限界がここに認められる。我々はもっと日本古代史に光を当て、大人の日本国体論を獲得すべきではなかろうかと思う。

 2010.10.5日、2013.2.19日 再編集 れんだいこ拝

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