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2013年2月14日 (木)

れんだいこの日ユ同祖論否定論その2

 以下、「れんだいこの日ユ同祖論否定論その1」を補足し「れんだいこの日ユ同祖論否定論その2」とする。れんだいこは、日本古代史、日本上古代史の研究を通じて、日ユ同祖論なるものの愚説を確信している。これを解き明かしておく。

 日本古代史、日本上古代史の解き明かすところによれば、日本は出雲王朝―邪馬台国ラインの日本(これを仮に「原日本」と命名する)と大和王朝以来の日本(これを仮に「新日本」と命名する)の延々と続く拮抗関係より成り立っている。これにより、一口には祖国日本とは言えない構図下にある。これについては、「れんだいこのカンテラ時評№1104、邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」で述べた。かく史観を構えれば、日ユ同祖論なるものの愚説ぶりがはっきりする。仮に日ユ同祖論なるものが成立するとすれば、それは「新日本」との親和性に於いてであり、「原日本」との関係からすれば敵対性のものとなる。即ち、日ユ同祖論なるものが成立するとすれば、せいぜい「新日本」以来のものでしかない。ここを悟らねばならない。

 しかして、世界に誇る日本が専ら「原日本」に負っているとしたら、日ユ同祖論なるものの愚説ぶりがはっきりしよう。もっと云えば、西欧世界に於ける精神対立がユダヤ教的世界観、思想(以下、「ユダヤ的なるもの」と命名する)とイエス教的世界観、思想(以下、「イエス的なるもの」と命名する)の対立拮抗により成立しているとすれば、「原日本」は「イエス的なるもの」と親和的である。キリスト教は、「イエス的なるもの」から発したものであるが、過半が「ユダヤ的なるもの」に取り込まれ折衷させられているが故に比較しようがない。これが、れんだいこのキリスト教観である。これを思えば、日ユ同祖論なるものを唱えて日本を「ユダヤ的なるもの」に親和せしめようとする動きは幼稚な所為であり、これを非とする分別を持たねばならないと云うことになる。

 近現代史上、日ユ同祖論を唱える思想家、宗教家、歴史家、政治家が量産されているが、この理屈が分かれば他愛ないエピゴーネン(時代のお調子者)でしかないことが分かる。元々の粗脳が粗脳故に辿り着く見解であり、賢明なる智の持主は眉唾して一向に差し支えない。このことを申し上げておく。論証を省いたので短文なものとなったが重要な論文である。

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コメント

れんだいこさんの 全く言われる通りです! 日猶同祖論など 全くのハッタリ出鱈目です! 日猶同祖論を日本に植え付けた陰謀者は、セシル ローズのような 狡猾老獪な侵略者だったのでしょうね! 猶太問題の大家奥津彦重さんも 晩年になればなるほど 日猶同祖論を否定しています。奥津さんの親友の皇學館大学学長佐藤通次さんもしかりです。 セシル ローズ的狡猾老獪悪質な侵略者の陰謀に 我々は、はまっては なりません! 健全な社会言語学者からすれば 日本人は 英語にかぶれず 日本語に愛着を持って頂きたいです。 偉大なるれんだいこ思想は 日本を救います!!

投稿: 紅露文平 | 2013年5月21日 (火) 20時12分

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