ヨハネの黙示録考その2、総合解説
「ウィキペディアヨハネの黙示録」その他で「ヨハネの黙示録」の概要を確認する。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2)
それによると、「ヨハネの黙示録」は古典ギリシア語で「: 'Aπōκάλυψις Ιωάννης」、ラテン語で「Apocalypsis Johannis」と記される。タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプス(古典ギリシア語 'Aπōκάλυψις)」の訳であり、原義は「覆いを取る」ことから転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味である。英語では「revelation」、訳語としては「啓示」が相応しい。
新約聖書の中で唯一預言書的性格を持つ書である。単に「黙示録」あるいは「ヨハネによる黙示録」、「神学者聖イオアンの黙示録」(日本ハリストス正教会)、「使徒聖ヨハネ黙示録」(天主公教会)、「イエス・キリストの黙示」(プロテスタント福音派)、「ヨハネが受けたキリストの啓示」(現代訳聖書)と称されている。
ヨハネの黙示録は、キリスト教内で、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。著者はヨハネ福音書の著者である使徒ヨハネであると考えられているが、文体上の違いに着目し、仮にヨハネであったとしても福音書のヨハネとは「違うヨハネ」の筆であることを指摘する議論がある。そういうこともありヨハネ黙示録はペトロ黙示録と共に「真性に疑問のある書物」であると評されている。ヨハネ黙示録が「異端の書」、「偽預言書」として扱われてきたことには然るべき理由があると云うことになる。
今日のキリスト教会では正典と認められ新約聖書の一番最後に登場している。但し、ローマ・カトリック教会が正典として認めたのは2世紀中頃である。中世末期、正教会でも正典に加えられはしたものの聖書の中で唯一奉神礼で朗読されることのない異筋の書となっている。
ヨハネ黙示録冒頭で、迫害を逃れてエーゲ海の孤島パトモス島に避難していたヨハネによって書かれたと記されている。或る日のこと、ヨハネは神の啓示を受け、未来の光景や出来事を目にする。それを書き留め、小アジア(現在のトルコ西部)にある7つの主要なキリスト教会へ手紙を送ったという設定になっている。
ヨハネ黙示録の成立時期はローマ帝国のドミティアヌス帝時代(紀元81~96年)の紀元95年前後であると考えられてきたが、聖書学者の中にはネロ帝時代(紀元54~68年)の68-9年頃と考える者もいる。
啓示のあらましは次の通りである(「ヨハネの黙示録とは」その他を参照する)。
(http://2012doomsday.web.fc2.com/yohane.html)
天の玉座に神がいて、周囲を24人の長老と、ライオン、雄牛、人間、鷲(わし)にそれぞれ似ている4つの生き物が取り囲んでいた。神の手には巻物があり7つの封印で封じられていた。7つの角と7つの目をもつ小羊が一つひとつ封印を解いていく。小羊が封印を解くごとに禍が地上を襲う。小羊が第7の封印を解くと、世界が沈黙で包まれた後、7人の天使が現れて、一人一人にラッパが与えられた。天使が一人ずつラッパを吹くたびに禍が地上を襲う。第7の天使が最後のラッパが吹くと最後の審判が行われることが予告される。
7人の天使が7つの鉢に入れた神の怒りを地上に注ぎ世界に第一次終末が訪れる。救世主イエスが再臨し千年王国が実現する。神を信じ正しい行いをした人々が復活する。千年後、悪魔が再び現れ最初の王国が滅びる。これが第二次終末となる。メシアとの最後の決戦が演ぜられ、最後の審判で「命の書」に名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができる云々。救世主イエスの再臨が預言されたところで黙示録が終わる。
この道中で、 戦乱や飢饉、大地震などのあらゆる禍、天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子が記されている。この間、象徴的な表現が多用されており、数字や生き物(獣)がいくつも登場し、「ハルマゲドン」の様子が描かれている。バビロンは淫乱な女性の姿で表象されている。
以上が「ヨハネの黙示録」の概要である。本来はイエス教とは何の関係もない、むしろイエス教義的には排斥すべき奇書でしかないが、奇書故に類が類を呼ぶの例え通り奇人が殊に愛読する。読書は勝手であるので、これを制限する必要はないが、イエスの御言葉をヨハネの筆を借りて綴った預言書と云う受け取り方だけは吹聴しないでもらいたいと思う。百歩譲って仮に値打ちがあるとしても、イエス系のものではなくパリサイ派系のものであると知る必要があろう。これを一言添えておく。
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コメント
はじめまして、
れんだいこ様のホームページ数年前から、拝読いたしております。
興味深い問題が多く取り上げられていて、読み応えがあります。
問題提起されているものの内、魏志倭人伝の邪馬台国問題と聖書問題につきまして、かれこれ20年調べましたものを、「浦島太郎から辿る歴史と考古学」という題で載せています。
それは、アッと驚くような「ヨハネの黙示録論」を含んでおります。
聖書、歴史を洗いなおさなければならない内容だと自負しておりますが、いかんせん、家畜化されてしまったのか、日本人は無反応、理解不能のようです。
博学なれんだいこさまのご意見を楽しみにしております。
投稿: 久保 公 | 2013年2月11日 (月) 17時49分
久保さんちわぁ。必ず読ませていただきます。感想致しますので宜しく。
投稿: れんだいこ | 2013年2月11日 (月) 18時53分