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2013年2月19日 (火)

国津神と天津神考、高天原は何処考その2

 ごく最近の史学の動きとして、邪馬台国が天津系渡来以前の国津系の最期の王朝であった可能性が見えてきつつある。「実在し滅ぼされた王朝」であった可能性が強い。これによると、邪馬台国は出雲―河内―大三輪系譜を中核とする日本列島津々浦々の在地権力を糾合した部族連合国家であった。出雲の地の「神在り月神話」は、かの時代の史実の今に残る伝承ではなかろうか。

 しかしながら、この歴史は二度の国譲り(一度目は出雲王朝の国譲り、二度目は邪馬台国の国譲り)を経て史上から抹殺されている。今日では僅か二千余文字の魏志倭人伝、その他諸々の遺跡でしか窺い知ることができない。いわば「勝てば官軍、負ければ賊軍」の例え通りに、敗軍側の歴史が抹殺されたと思えば良い。それを何とか痕跡をとどめる為に苦労して書き上げたのが記紀であり、その記紀記述が官軍寄りに過ぎるとして訂正的に書き上げられ秘密裏に保存されたのが古史古伝であったと思えば良かろう。但し、古史古伝間の記述がこれ又バラバラに過ぎている。

 従来の邪馬台国論争は、邪馬台国をプレ大和王朝と位置づけ、且つ皇統譜的に大和王朝に陸続的に理解した上で所在地論争に耽ってきた。その延長線上で、一部の研究者間では既に「邪馬台国論争は終った」とさえ云われている。しかし、れんだいこ説に従うと、邪馬台国研究の第一ラウンドが終ったのであり、これから本格的な研究に向かう機運にある。終った説論者の「終った」は、己の虚妄の研究史が終ったと捉えるべきである。そう捉えずに終った説を唱え抜く者は、自らの研究スタイルが終ったことへの裏言の繰り言を述べているに過ぎない。

 今や、「実在し滅ぼされた王朝」として出雲王朝―邪馬台国を位置づけ、その所在地を比定せねばならない。そういう意味で、邪馬台国論は相変わらず古代史のロマンであり続けている。同時に、邪馬台国的部族連合国家政体の脆弱さとシタタカさを同時的に理解せねばならない。邪馬台国考、「国津神と天津神考」にはそういう意義がある。

 以上は、2010.10.5日段階の認識である。2012.8.4日以来のれんだいこの認識はもう一段グレードアップしている。即ち、大和王朝建国過程に於ける渡来族による土着族征伐史を「天津族対国津族」と云う呼称で表記すること自体に疑問を覚えるようになった。日本上古代史を「天津族対国津族」の闘いとして描く記紀の筆法に疑問を持つことになった。これは古史古伝とりわけ「ホツマ伝え」研究の効果である。記紀神話では、天津族を天照大神を拝戴する高天原王朝として登場させているが、ホツマ伝え等から読みとる限り、天照大神は元々国津族の最高神にして皇統譜の祖である。

 天照大神は男神の場合もあれば女神の場合もある。いずれにせよ時の最高のシャーマンであり時代の導き主である。天津族は、国津族の最高神である天照大神、その支配の圏域である高天原を横取りし、国津族が絶対的に従う天照大神、高天原を自らの皇統譜に拝戴することにより、国津族に帰順を強いて行った形跡が認められる。してみれば、天津族の天照大神拝戴は剽窃であるとする観点が欲しくなった。これにつき「高天原王朝神話考」で解析している。

 してみれば、天照大神拝戴を暗喩する天津(天孫)族と云う呼称も又剽窃であると云うことになる。然らば、どう表記するのが正しいのであろうか。解は見いだせないが、仮に直訳的に「外航渡来族」と命名しておくことにする。してみれば、従来「天津(天孫)族」と記した下りはなべて「外航渡来族」と書き換える必要があることになる。れんだいこの従来の記述を、この観点から書き直さねばならないが、気の遠くなる話しではある。それはともかく、かく認識した上で、「外航渡来族」が如何に国津族を平定しあるいは懐柔しあるいは和睦しつつ大和王朝を建国して行ったかを解明するのが日本古代史の必須の扉と云うことになろう。「外航渡来族」の権威を高める為に逸話されている高天原王朝譚はなべてこの観点から精査される必要があろう。これを仮に「天照大神ジレンマ」と名付けておく。

 この観点を得たことにより、記紀神話が高天原を比定し得なかった理由が解けた気がする。元々高天原は国津族系の聖地であり、その聖地を横取りしたものだから詳しく説くと皇統譜の辻褄が合わなくなり、敢えて筆法的に幻の高天原とせざるを得なかったのではなかろうか。歴史には、こういうジレンマがままある。歴史はかように改竄されテキスト化され盲信に至る。「天照大神ジレンマ」はその見本のような話しではなかろうか。こう読むことで、日本神話の特に上古代の意図的故意のややこしさの原因が分かって来た気がしている。この辺りの読み解きとなると、これ又気の遠くなる話しである。

 2010.10.5日、2013.2.19日 再編集 れんだいこ拝

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