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2013年3月 3日 (日)

れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その4、遺書は検閲済みのヤラセなのか、自爆志願は強制なのか

 特攻隊兵士の遺書の検閲性を疑い、ヤラセ書き込みを見て取ろうとする論がある。次のように述べられている。

 概要「遺書は兵士の本当の心情ではない。その死は軍部に暗示をかけられたものである。兵士には命令拒否が許される空気ではなかった。当時の戦況や仲間が次々と志願していく状況ではそうせざるを得ないのが実情であった。国家による愛国心の強要以外の何ものでもない。見て取るべきは、戦争の無意味さであり、純真な若者達を死に追いやった軍国主義日本の責任である」云々。

 俗耳に入り易い言である。こう云っている当人は至極マジメに述べているつもりなのだろうが、申し訳ないが特攻隊員の「無私無償の死」を却って愚弄しているのではあるまいか。確かに特攻隊を生み出した背景に軍部の下級兵士生命軽視の面も見て取れる。しかし、それを甘受した精神構造の方にも注目したい。この辺りは主観の相違になろうが、れんだいこは武士道的腹切りに似た死地に赴く潔さの方にこそ注目したい。

 下手な勘ぐりで、遺書に検閲の線を読みとる暇があるなら、命令拒否者の武勇伝を探した方が早いと申し上げておく。捜せばそういう例もあろうが、事態を呑みこみ粛々と時局の要請に従った事例ばかりではなかろうか。一例、二例を挙げて全体の構図を覆すのは無理だろう。

 検閲を言うのなら、「きけ わだつみのこえ」の遺書の選択、原文書き換えの方の検閲にこそ目を向けるべきではなかろうかと思う。それこそ検閲そのものだろうが。当時の時代状況における母国愛祖国愛に向けての特攻隊員の自主的な「無私無償の死」を真摯に受け止めるのを我々の態度と為すべきではなかろうか。「遺書の検閲性を疑い、ヤラセ書き込みを見て取ろうとする論」の下手な受け取りようマジメさが決してマジメでも何でもないと云うことを指摘しておきたい。 

 れんだいこが特攻隊兵士の手記、遺書を読みとるのに、遺書も自爆志願もあながち強制的とみなすべきものではない。遺書は自主的なものであり、死を前にした真情を吐露したものである。その真情吐露に軍部の容喙があったと見なすのは越権だろう。特攻死は「非常事態に採用された異常な出来事」ではあるが、時代の渦に巻き込まれたものなのではないのか。見て取るべきは歴史の不条理ではなかろうか。

 彼らの自爆死を批判する者も称賛する者もいる。両論あり得ようが彼らの純情を否定できまい。これにつき次のように評されている。

 「有為の人材を戦争のために失ったことは惜しみてもあまりある。その意味においては、そのような若人たちを死所に追いやった我々は大いに責められてよい。しかし、特別攻撃に散華していった若者たちへのとかくの非難だけは絶対に許されない。それは作戦の是非や善悪を越えた、崇高な、神聖ともいうべき行為にほかならないからである」。

 実にそうではなかろうか。以上を、「特攻隊兵士の手記、遺書に見える覚悟論について」とする。

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