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2013年3月16日 (土)

れんだいこの狗奴国考その3

 魏志倭人伝は次のように記している。「倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と、素より和せず。倭の載斯烏越(さいしうえつ)等を遣わし、郡に詣でて、相攻撃する状を説く。塞曹掾史(さいそうのえんし)張政等を遣わし、因って詔書.黄幢をもたらしらし、難升米に拝假し、檄を為して之を告喩す。卑弥呼死す」。

 これをどう理解すべきだろうか。文面からすると、邪馬台国と狗奴国が深刻な内乱に入り、その情況下で卑弥呼が死んだと解すべきだろう。本来は克明に記すべきところ、意図的故意に最も簡略に記しているように思える。相当に書きにくい事情があったと窺うべきだろう。魏志倭人伝のこの筆法が、後世の史家を悩ますことになり、その悩みが今も続いている。れんだいこは、これを解くのにまずは日本史書、中国史書を総当りせねばならないと考える。それによっても解けないようにも思っている。となると推理するしかない。

 れんだいこ史観によると、これを為すのは邪馬台国論ではなく既に大和王朝論の範疇に入ると思っている。そこで記紀神話の神武天皇東征譚、大和王朝創世譚が絡んでくる。尤も記紀神話では紀元前660年の出来事としているので、これを信じれば全然別の話しとなる。しかしながら、れんだいこは、神武天皇東征譚は邪馬台国滅亡史の裏表と見なしている。そういう意味で関心を寄せることになるのだが、神武天皇東征譚は卑弥呼死去後の台与時代の出来事なので「邪馬台国と狗奴国の内乱」を知るには役立たない。つまり、この辺りの政変史は史書からすっぽり抜け落ちていることになる。

 れんだいこの推理は、「邪馬台国と狗奴国の内乱」が神武天皇東征の前哨戦として存在したとしている。日本書紀によれば、神武軍は東征に当って次のように宣明している。

 「塩土老翁(しおつちのおじ)に聞きしに、『東に美(うま)き地(くに)有り。青山四(よも)に周(めぐ)れり。その中に又、天磐船(あまのいわふね)に乗りて飛び降りる者あり』と云えり。余(あれ)謂(おも)うに、彼の地は、必ず以って天業(あまつひつぎ)をひらき弘(の)べて、天下(あめのした)に光宅(みちお)るに足りぬべし。けだし六合(くに)の中心(もなか)か。その飛び降りると云う者は、これニギハヤヒと謂うか。何ぞ就(ゆ)きて都つくらざらむ」。

 この文章では触れられていないが、「葦原の中つ国は、国つ神どもが騒がしく対立している」ことが前提事情となっている。これに「邪馬台国と狗奴国の内乱」が関係していると窺いたい。神武天皇東征は、倭国の混乱を見て「頃合いや良し」として号令されたと窺う。これに猿田彦が絡んでくるのは述べた通りである。但し正確には猿田彦が日本書紀に登場するのは神武天皇東征前の天孫降臨譚のところである。天孫降臨と神武天皇東征の流れを一体と見れば、引き続き猿田彦勢力の協力があったと見なすべきだろう。

 この猿田彦が狗奴国の男王・卑弥弓呼又はその官の狗古智卑狗ではないかと見立てるのが「れんだいこの狗奴国考」のキモである。この解は好評を得るだろうか。

 狗奴国考

 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/yamataikokuco/kunukokuco.html

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コメント

「「木に学べ」法隆寺・薬師寺の美 西岡常一」
近江聖人のお話が出ましたのでhttp://iiyama16.blog.fc2.com/?no=4029
私も鵤の聖人聖徳太子の心を1500年後のいま現代に伝えてくださった匠のお話をご紹介したく思いました。
タイトルの本は1987年「BE-PAL」誌上に連載されたエッセイ形式を1988年3月小学館ライブラリーとして刊行されたものです。
最後の棟梁鵤之郷大工西岡常一氏の「あとがき」を全文転載します。(誤字校正済)

 田舎大工の口から出放題の戯言を、「BE-PAL」誌上に区切りよく連載して下さった白井康介さん、今また、その連載を一冊の本にお纏め下さった石塚郁雄さん、其の他のスタッフの皆々様に深く御礼申し上げます。
 学者への不用意な放言も、歯に衣を着せて上手にお纏め下さったことに感心いたします。私は、学問を軽んずるような心は毛頭もっておりませんが、よく考えてみて下さい。科学知識は日進月歩で、今日の正論は明日の正論では有り得ないのではないでしょうか。今日をもって千年後の建築の命を証明出来ないのではないかと思います。千年どころか、明日をも律し得ないのが科学知識の天気予報やありませんか。
 それはなんでかと言うたら、科学はまだまだ未完成やからだっしゃろ。未完成の今日を科学で総てを律しようと考えがちなのが、学者さん方やおまへんやろか。科学知識のない我々工人の言い分にも耳を傾けるような学者さんこそ、ほんとうの学者やと思いまんな。
 私どもの、仕事に対する考え方や思い入れは、神代以来の体験の上に体験を重ねた伝統というものをしっかり踏まえて、仕事に打ち込んでますのやがな。例えば、法隆寺伝統の大工には口伝というものがありますのやが、その中の一つに「堂組の木組は寸法で組まずに、木の癖を組め」と言うのがありますけど、どんな建築の本を読んでも、こんな言葉にはお目にかかりまへんな。寸法や形式・様式には詳しいことですが、建物を造営する木の癖に触れた本には、いまだお目にかかっていまへん。それは私の本を読む範囲がせまいのかも知れまへん。浅学のせいでっしゃろな。もっともっと勉強せなあかんとゆうことかいな。
 何れにしても、堂塔伽藍を造営するのには、様式や形式に先だって、造営の意義と言うものがありまんがな。例えば、法隆寺の場合には、英邁限りない聖徳太子が仏法の慈悲をもって国を治めようとなさったんやと思いますが、多くの仏法者を養成するための道場としての伽藍ですがな。薬師寺もまた、天武・持統の両帝が、仏法興隆治国平天下の大願をもってなされた大伽藍でっせ。仏法の慈悲ゆうたら、母が子を思う心だっせ。火事や地震やと火急の場合、自分の一身にかえても子を救おうとする、それが慈悲でんがな。
 世のお母さん方、自分の心の内をようよう振り返ってみて下され。ようわかるはずだすが。わからなんだら、法隆寺や薬師寺のような心構えで造営された、魂のこもる寺に、観光でなく心から参拝して祈ってみて下され。仏法こそが、世界を最後に救う法やと感得しますし、慈悲心で国を治めようとなさった太子や天武・持統の魂が、皆様方の心にも宿りまっせ。
 大工の喋ることやないことを喋りましたな。笑ってお許し下さい。
一九八七年十二月

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この本の他にも、NHKブックス318「法隆寺を支えた木」(西岡常一、小原二郎)と言う本で、西岡常一師の口伝を読むことが出来ます。

投稿: 通りがけ | 2013年3月24日 (日) 09時26分

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