« れんだいこの狗奴国考その1 | トップページ | れんだいこの狗奴国考その3 »

2013年3月15日 (金)

れんだいこの狗奴国考その2

 この推理が何故に重要かと云うと、「れんだいこの新邪馬台国論」を媒介すれば容易に見えて来るが、神武東征神話譚によるヤマト攻めに関係してくるからである。記紀神話によると、ヤマトを平定したワケミケヌの命がカムヤマトイワレ彦命(おくり名・神武天皇)となり初代天皇として即位したのは紀元前660年にされており、紀元3世紀の邪馬台国滅亡と絡む筈もないが、記紀神話が邪馬台国滅亡史を意図的故意に抹殺する為に神武天皇即位日を実際より700年も前の出来事としたと推理すれば、神武東征神話譚は邪馬台国滅亡譚と重なると逆読みすることが可能になる。

 こう読めば、神武東征神話譚の冒頭に登場する猿田彦の正体が見えてくる。猿田彦は元出雲王朝の皇祖神である。事実、猿田彦は元出雲王朝系神社の祭神として祀られている。この時代の何代目かの猿田彦は新出雲王朝系の邪馬台国と暗闘関係にあった。その猿田彦が、神武族東征に当り水先案内人としての役割を申し出たと記紀が記している。神武東征神話譚が半ば史実を記しているとすれば、この下りも半ば史実なのではなかろうかと思える。

 それは、猿田彦側から見れば失われた支配権復権の野望であった。これを神武族から見れば、邪馬台国側の内部分裂を上手く利用したと云うことになろう。れんだいこは、この時の猿田彦が狗奴国の男王・卑弥弓呼だったのではなかろうかと推理している。こう読めば何となく全体に歴史が繫がるから不思議である。

 補足しておく。神武東征神話譚のヤマト攻めに敵方として登場する国津族の長脛彦、二ギハヤヒ連合の正体が見えてくる。二ギハヤヒは新出雲王朝の大国主の命系であり、長脛彦は蝦夷系ではなかろうか。事実、二ギハヤヒは大国主の命と共に、と云うか大国主と区別がつけにくい形で新出雲王朝系神社の祭神として祀られている。この連合軍が、新出雲王朝が後押ししていた邪馬台国の防衛に奮戦したと云うのが実際だったのではなかろうか。記紀神話の語るところ、長脛彦、二ギハヤヒ連合軍が強過ぎて河内からのヤマト攻めに失敗し熊野へ迂回を余儀なくされている。この後を語り出すとキリがないので止(よ)す。神武東征神話譚と邪馬台国滅亡譚を同時代の動きとして見れば、こういうことが透けて見えてくる。

 更に補足しておけば、日本古代史上の氏族は、元出雲王朝系、新出雲王朝系、その他在地の国津族系、蝦夷系、神武族系、その後の帰化人系、更にその後の帰化人系と云う風に少なくとも七系統、そしてそれぞれの系が更に分岐して綾為していることが判明する。我々の祖父母が事ある毎に「どこの馬の骨か分からん」と云っていたが、まさにこの辺りの古代よりの血統を問う言葉であるように思われる。

|

« れんだいこの狗奴国考その1 | トップページ | れんだいこの狗奴国考その3 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/50783043

この記事へのトラックバック一覧です: れんだいこの狗奴国考その2:

« れんだいこの狗奴国考その1 | トップページ | れんだいこの狗奴国考その3 »