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2013年3月11日 (月)

学んで為になる学問と却ってアホウになる学問の識別考その3

 「我が日本の古き学問」が如何に優秀なのか、これを確認しておく。結論から先に述べると学の始発の構えが素晴しい。それは、「共生助け合い的生き方、思想の開放的構造、自然摂理の聞き分け」の三原理に集約されるのではなかろうか。これをなべて「和の原理」としているように思われる。興味深いことは、そのことごとくがネオシオニズム学と対比的なことである。このことは、ネオシオニズム学の崩壊の後、「我が日本の古き学問」が見直され再興される可能性があることを示している。もとより、そのままの「我が日本の古き学問」の復権ではなく、皇国史観、ネオシオニズム学を咀嚼した後の「新たな我が日本の古き学問」の創造としてもたらされるだろう。これを正確な意味で「出藍」と云う。

 選民主義と「自然を支配せよ」の命題で始まるネオシオニズム学の発展系が国際金融資本帝国主義を生み出し、彼らが悪魔科学が生み出し、その定向進化が地球環境の絶対的危機時代をもたらしている。これが万事を金権で測る拝金蓄財思想の結末である。こうした時代故に、ネオシオニズム学と真逆に位置する「我が日本の古き学問」が見直され、「出藍」が求められているように思われる。

 れんだいこの知るところ、戦後思想家に於いて左翼圏から転戦してネオシオニズム学と対決し、「我が日本の古き学問」を称揚せんとする営為の端初をつけたのが大田龍ではなかったか。もとより大田龍の前に大田龍史観の下地となる様々な有益史観があったことは論をまたない。大田龍・氏は晩年、このような史学の確立へ向かおうとしていた。寿命が許さなかったが、健在なら大田龍史学が打ち立てられた可能性が強い。2.26事件の検証が晩年の企てだったが、そして田中角栄の復権の必要を説いていたが功績であろう。歴史にイフは禁物なので未練せず、残された我々がこの法灯を受け継がねばなるまい。

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