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2013年3月 3日 (日)

れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その2、遺書の改竄は許されるのか

 「特攻隊兵士の手記考その1」を書き直す過程で読み直し目頭が熱くなった。「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」を書きつけておこうと思い立ち本サイトを設けた。その前に一言しておく。以前、次のように書きつけていた。

 「特攻志願戦没兵の遺稿がネット上にサイトアップされていない。例の著作権何がしが関係しているのだろうか。更に、サイトアップされていても閲覧できないサイトが多い。開くといきなり『警告 危険なウェブサイト表示」に出くわす。「ウイルスバスター2007 このWebサイトには、有害情報が含まれている可能性があります。安全のため、このWebサイトへのアクセスをブロックしました』と記されている。仮に『特攻隊』で検索すれば殆どこの表示で開かない」。

 こう書きつけたのは2008.12月頃であり、あれから5年後の2013年現在では随分改善され、多くの関連サイトが出現している。これは結構なことである。但し、中には特攻隊兵士の手記、遺書の読みとりに於いて余計な世話だろうに戦後の価値観からコメントを付し、真価を毀損しているものも見受けられる。「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」はこれに抗するものである。

 もう一つの問題がある。戦没学生の遺稿集「きけ わだつみのこえ」が旧版、新版と発刊されているが、原文が著しく毀損されていると云う。戦後の反戦平和価値基準で判断し、皇国精神を称揚したものは採録していないか書き換えられていると云う。れんだいこは今のところ読んでいないので「云う」としか書けない。機会があれば実際を確認しようと思う。もし、「きけ わだつみのこえ」が戦没学生の遺稿を改竄しているとしたら、それは筆者に対する冒涜甚だしいお節介というべきではなかろうか。著作権法上からも許されることではあるまい。文章はその時代を映す鏡であり、そのまま読み取られるべきである。如何なる理由をつけようとも改変は許されまい。

 このお節介焼きの側は、特攻兵士の犬死云々を指摘し、この観点から特攻兵士の悲劇を見ようとしている気配が認められる。しかし、特攻兵士の遺書をご都合主義的に改竄して取り扱うことこそが兵士を犬死にさせているのではあるまいか。史実としての特攻兵士の果たした役割については後で論じようと思うが、是非はともかく犬死ではなかろう。我々は、その時代の、その戦争の不条理を認めながら、お国の為に散華して行った兵士の慟哭をありのままに聞くべきではなかろうか。

 そう思うのだが、彼らの肉声がご都合主義的に仕分けされ、粛々と挺身した者の聖戦論に限りお目にかかりにくい仕掛けにされている。これは決して偶然ではなかろう。しかし、誰が何の為にこのようなことをするのであろうか。ここを詮索する必要があろう。こういう場合、れんだいこのセンサーが発動する。これはオカシイ。構わネェ、やっちまえ。只今より「原文 特攻戦没兵士遺稿集」の編纂にとり掛かることにする。と云う訳で「特攻隊兵士の手記考その1」が生れた。こたび、これを書き直したことは冒頭に記した通りである。

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